- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101084015
感想・レビュー・書評
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オホーツクの漁場で漁をし、船で加工をする蟹工船。
蟹工船に集められた乗組員は、貧乏人ばかり。劣悪な労働条件のもと、資本家にいいように使われる。
病気になっても働かされる。
貧乏な労働者は、不衛生な劣悪な環境でこき使われ、資本家は苦労をせずにボロ儲けをする。
当時の資本主義の構図が描かれている。
一方、党生活者の方は軍需用品を製作する会社に勤める「私」が、工場の中で戦争反対の動きをつくろうとする。
どちらかというと、蟹工船より党生活者の方が読みやすく感じた。
蟹工船の乗組員の病気や虫とも戦う姿は目を背けたくなるほど悲惨で、読んでいて苦しくなってしまう。
この作者の生涯と照らし合わせて読んでしまうため、どうしても同情的になってしまう。
今の時代に生まれていたら、作者の人生も大きく変わっていただろうに。。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっと敷居が高いかなと思って個人的に敬遠していました。
死と隣り合わせの過酷な労働環境で働く人達の反骨心。
人をモノ扱いしているような上層部と現場の人達の関係性が生々しく、汗臭い、泥臭いという感じがしました。
今でこそ働くものとしての権利はある程度確立はされていますが、残念なことに実態としてはブラック企業と言われるようなところもありますよね。
百数十を超える重版があるということは、訴えかけている内容に今も皆さん思うところがあるということでしょうかね。
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ー蟹工船ー
マルクスは労働力の商品化を唱えたが、蟹工船では、労働者(人間) が器と化している。その器とは、「労働」という機能を果たすための器である。家畜ならば、働けなくなっても、 その肉を食らうことができるが、壊れた器は捨てるしかない。なので、蟹工船の労働者たちは、家畜にも劣る扱いを受けている。作者はこれを、ぼかすことなく明確な言葉で、寒々と した海や船を背景に描いている。虐げられた労働者は、少しずつ、抵抗の方法を模索し、こわごわと実行しいく。その中で、大金持ちがその手下を従え、その手下が労働者を絞り上げるという図式に「国」 が加担していることが見えてしまう。手下はここでの労働を「お国の ため」と労働者に刷り込んできたが、「国」は大金持ちやその手下と一蓮托生だ。しかし、 蟹工船の労働者の抵抗は、資本家 VS 労働者という構図よりももっと根源的な、労働者が生き延びて故郷に帰るための行為として捉えられる。当時の労働者の扱われ方の現実、主義、 思想などに絡む重たいテーマを取り上げながら、情景をまざまざと思い浮かべさせる描写の妙、登場人物が語る方言に人間味とユーモアをも含む、質の高い文学作品だと感じた。
ー党生活者ー
題名からイメージされる、活動家たるが故にさらされる緊迫感や、潜伏生活での不自由さやストレスなどはあまり伝わってこなかった。どちらかと言えば、自分たちの活動に懐疑的なところからの自虐的なおかしみや虚しさを感じる。
気になるのは、所々に使われる意味の分からない活動家用語。登場人物たちは、もちろん、言葉の意味は分かっているのだろうけど、その活動がどういう意味を持つのか、最終目的の具体的なイメージは何なのか、その活動はそのイメージに近づくためにどのような位置づけなのか、分かっていないような気がする。その言葉や、その言葉で表わされるアクションに酔って踊っているだけではないのか。更に、彼らは、安全なところでぬくぬくとしている誰かに酔わされ踊らされているだけなのではないか。そんなことすら考えてしまった。 -
最初はプロレタリア文学として、その思想的背景が嫌であえて避けていた。
間違いだった。
少なくとも「蟹工船」は、共産主義やその周辺の思想的な記述はポツポツと出るだけ。
しかも見かけ上は過度の共産主義賛美な箇所は見当たらなかった。
作者の意図を度外視すれば、この小説の面白さはイデオロギー(団結、反権威など)とは別のところにあると思う。
現代に生きる我々としては、例えば多彩な人物の登場であるとか、セリフを多用した臨場感や、濃密な空間を設定し、そこで起こる出来事や感情の動きを一つ一つ追う、といった、いわばオーソドックスな手法から、小説的面白さを汲み取ることができるのではないか。
そもそも「蟹工船」の設定は古臭いものなのか?
船内の狭い空間に何百人という漁夫たちが押し込められた描写は、満員電車でもみくちゃになった通勤風景を想起させ、死ぬ寸前までの労働者の酷使は、過重な残業を思い起こす。
蟹工船の労働者と現代のサラリーマンとが、私のなかであまりにも重なり、古さを全く感じなかった。
だからと言って、「サボ」を現代人にも薦めるつもりは全く無いけど…
我々の過酷な労働環境をどう改善すべきかは、また別の機会に考えるとして。これを共産主義文学や革命文学というくくりで読もうとするから話がこじれるのであって、純粋に多喜二の小説的技法を味わう、といったノリでいいんじゃないか。
(2007/2/8) -
29年前に読んだ本らしい。当時はプロレタリアートという語さえ理解できなかったに違いない。
「蟹工船」は数年前だったか、世間で妙にリバイバルされたようで、「いま」のリストラ吹き荒れ、賃金がどんどん下がってゆく状況とこの作品内の労働状況とが似ている、とのことだったが、果たしてどうか。
「蟹工船」の世界では極めて劣悪、過酷な労働を強いられており、死者さえ出すことから、ロシア人から「アカ」思想を吹き込まれたことをきっかけに、雑多な経歴をもつ労働者集団が自然発生的にストライキを組織するに至る。
ここでの雇用者-被雇用者という対立図式は極めて明快であり、ストの自然らしさには説得力がある。雇用者を代弁している「監督」は悪辣な人物であり、同情の余地はない。ただし、彼でさえ、最後にはクビにされるので、実は被雇用者にすぎなかったことが確認される。
小林多喜二の死の前年に書かれ、「前編おわり」という文字で終わる「党生活者」では、主人公は完全に当時非合法な共産党員として活動する。しかしマルクス主義思想が作品の前面に突出することはなく、「階級闘争」という言葉すら出てこない。あくまでも関心は、現在の職場の労働条件の改善である。そこに反戦思想も少し混ざっている。満州事変の最中の作品だが、当時は反戦を掲げるには「アカ」になるよりほかなかったのかもしれない。
ともかく、どちらの作品でも、問題となっているのは現在の職場の労働条件であって、マルクス主義の思想ではないし、理屈っぽさは全くない。ジャン=リュック・ゴダールの映画「中国女」の世界とはまったく異なる。
小林多喜二のえがく職場にはシモーヌ・ヴェイユあたりも潜り込んでいそうだが、現在のような労働基準法等の諸制度が完備し、たとえパワハラがあったとしても(現にたくさんあるのだが)その気になれば何とかできる体制が整っている社会とは異なる。小林多喜二作品の「雇用者」の背後にあるのは帝国主義・軍国主義と結びついた企業である。現在でも大企業は、いかにも腹黒そうな経団連、政府(特に自民党)と結びついているが、労働者に対する拘束は比べものにならないくらいゆるやかだ。
これらの小説がえがきだすように労働組合という「組織」が社会史上重要な役割を果たし、現在でも重要さを失っていないことは確かだが、マルクス主義的「理論」はフランスとは異なり、日本人にはまるで根付かなかったと思われる。
よく言われるように「働き過ぎ」の日本の労働者の実態は、確かに外国人の労働観とはどこかで決定的に異なっているが、たぶんそれは、「企業」のせいでも「国家」のせいでもない。日本人全体のあいだに何となく漂っている独特の雰囲気のせいだろう。だから何十年たとうとも、労働組合がいかに頑張っても、日本労働者の根本的な姿勢は変わらない。
「働かないとメシが食えない」というのは表向きの言い訳である。
「蟹工船」の労働者たちも、本心からがむしゃらに働きたいのである。そのへんが、どうも諸外国とは異なっているし、雇用者-被雇用者の対立が、たとえばエミール・ゾラの『ジェルミナール』のような激しい闘争にまで到達しない原因なのではないだろうか。 -
いつの世も、搾取する側とされる側がいるのは変わらんなぁ…と。
読んだの学生の頃なのですが、あまり「おもしろかった!」という印象はないものの、今でも結構鮮明に内容思い出せる。
当時の経済学の教師がゴリゴリの左傾だったのでそれともマッチして記憶されてるのかな。
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学生の時に習ったプロレタリア文学ということでお堅い、思想的な内容を想像していたが、情景が浮かぶような迫力ある描写で引き込まれた。劣悪な環境の中でも希望を捨てない人たち。それが読んでいて苦しかった。なぜだか「老人と海」と重なった。
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青空文庫と古本で購入した新潮文庫を並行しながら読了。
戦中という時代の中、資本家と労働者との対立は先鋭化していた。その後、日本は戦争に敗れ、アメリカを中心とした連合軍の統治を経て民主化を果たす。一方、共産主義は、東欧・ソ連で崩壊した。中国の共産党は、西欧民主・資本主義社会にも増して、格差が進んでいるように思える。小林多喜二が目指した世界というものは、果たしてどういう世界だったのであろうか。 -
ちょっと前に流行ってましたよね。現代のブラック企業に勤める若者が共感できる……的な。まあ、2ちゃんねるブラック企業偏差値ランキングで偏差値76のIT業界でもっともブラック、と評されていた会社で働いていた僕から言わせてもらうと、ハッキリ言ってまるで共感できない。ブラック企業とか全然甘い。蟹漁船怖すぎ。
だって、いくら酷いプロジェクトマネージャーでも、メンバーを殺したりしないですしね。それで、殺しておいてそれをなかったこととかに出来ないし。
なのでまあ、何が言いたいかというと、ブラック企業に勤めてしまって毎日が辛い人たちも、「あーでもオホーツク海で蟹漁船に放り込まれてるわけじゃないしな」と思ってがんばってください。いざとなれば、地続きなのでどこにでも逃げられる。蟹漁船は逃げ場すらないのだ。 -
蟹工船は、底辺にいるプロレタリアン達がストライキを起こすまでの過程が書かれていたけど、果たしてあの表現のなかのどこまでが本当なのでしょうか。
党者生活は、共産党の活動にのめり込んでいる主人公の行動を書いているのだけど、なんと小林多喜二自身が共産党の活動者だったのね。全く知りませんでした。
私はコミュニストではないしその思想も正しいとは思わないけど、でも、まぁ戦時中の話ですからねぇ。そりゃ思想も違って当たり前ですよね。
解説によれば、小林多喜二氏の作品の評価するべき点は、文学における民主主義を作ったこと、みたいです。
確かに戦時中に共産党についての作品を発表したりなんて、とてもじゃないけど出来ないよね。実際小林多喜二氏はそのせいで警察に虐殺された訳だし。
個人的にはコミュニズムには賛同しないけれど、でもどうやってコミュニズムが民間人の間に広まったかなどは興味深いです。もっと彼の他の作品も読んでみたい。