新編 宮沢賢治詩集 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101092072

感想・レビュー・書評

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  • 「銀河鉄道の父」を読み、せっかくなので、賢治詩集を。教室で出会った宮沢賢治にも再会しました。
    一編は「永訣の朝」。妹さんの死を前にした作品ですね。ora orade shitori egumo が印象的です。
    もう一編は「雨ニモマケズ」。小説を読んでからでは、印象が変わります。その様に生きたいという願いの作品である事が感じられます。
    「心象スケッチ 春と修羅」の部分が、小説にあった自費出版して、返本が多かったという生前の一冊。自身で、心象スケッチと称して、詩と呼ばれる事があまり好きではなかったようなので、新潮さんもタイトルに使えば良かったのにと思います。
    かなり推敲された方です。一つの作品の文字のレイアウトも美しさをもとめている様です。言葉の文字数も厳選されていると思います。
    さて、小説読んだし、詩にも少し挑戦しようかと思っていたので読むなら今でしょ、とトライしてみましたが、お父さんとしっかり者の弟さんの印象が残っていて、賢治の自由な創作に充分な愛とお金で生活を支えた家族ありきと思ってしまいました。淳水堂さんの様に、絵本にすればよかったかなあ。

    • 淳水堂さん
      おびのりさん こんにちは。\(^o^)/
      呼ばれてやってまいりました 笑
      宮沢賢治は文庫本でも読みましたが、絵本や児童書も見て、これイメ...
      おびのりさん こんにちは。\(^o^)/
      呼ばれてやってまいりました 笑
      宮沢賢治は文庫本でも読みましたが、絵本や児童書も見て、これイメージに合う!とか、これちょっと違うなあとか色々探してます。
      そうか、「詩」ではなくて「心象スケッチ」なのですね。心象スケッチも読まなければだなあ。

      ミキハウス絵本
      https://www.mikihouse.co.jp/pages/pickup-miyazawakenji

      岩崎書店 宮沢賢治のおはなしシリーズ
      これも良いです。
      https://www.ehonnavi.net/sp/sp_special.asp?n=234
      2023/01/30
    • おびのりさん
      おはようございます。
      呼んだの聞こえてしまいました?^_^
      一昨日、賢治の詩集を片手に 淳水堂さんの宮沢賢治の絵本のレビュー読んだんですよ。...
      おはようございます。
      呼んだの聞こえてしまいました?^_^
      一昨日、賢治の詩集を片手に 淳水堂さんの宮沢賢治の絵本のレビュー読んだんですよ。
      私が悪戦苦闘しているのに、なんか楽しそうだわ。
      って、思っていたもんですから、ついつい。
      情報ありがとうございます。ミキハウスの絵本が美しそうです。読んだことがない作品も多いので、是非読んでみます。
      宮沢賢治さんは、作品がわかるものと、さっぱり?なものが、あります。賢治は音読するとより一層良さがわかるということも理解しているのですが、音読が苦手なんですよね。音に出してしまうと、頭の中に残らないんですよ。もはや、能力の問題ですけど。
      2023/01/31
  • 9月21日は賢治忌。(1896~1933年)『文豪きょうは何の日?』より。
    今年は宮沢賢治没後90年ってことで!
    敢えて詩集をチョイス。

    賢治にはまるで、
    顕微鏡でしか見られないレベルの微生物から、一瞬で成層圏を超えてはるか彼方まで見渡せるような、
    六道全てが常に見えているような、
    地球が生まれてからまた星屑となるまでの長い時間を一瞬で駆け抜けるような、
    不思議な大きさを感じる。
    それでいて清々しいのに悲しくて、透き通っているのに暗黒でもあって。

    それからどの詩も、声に出して読みやすい。
    読むとリズムが良くて心地良い。


    『恋と病熱』
    "透明薔薇の火"という言葉が、高熱にうなされることのメタファーとして使われる。
    "つめたい青銅(ブロンズ)の病室で
    透明薔薇の火に燃やされる"
    ブロンズのひんやりとした静かな冷たさと、薔薇の、文字通り燃えるような熱さの対比が、
    この世に存在しない"透明薔薇の火"を使っていながらも、これ以上無いほどに伝わってくる。


    『春と修羅』
    タイトルだけは知っていたが、恥ずかしながらきちんと読むのは初めてだった。
    とても難しかったが、注解や、あれこれ用いてなんとか少しでも掴みたかった。
    まずざっと読んで分からない言葉の意味を調べ、心を空っぽにしてゆっくり読んだ。
    賢治が詠う景色を、文字のまま浮かべていった。
    本作で賢治は涙をこぼしていたけれど、仏教用語や、鉱物や、植物、様々な色が登場し、私にはとても美しい光景だった。
    美しいけれど、大地も空模様も殺伐としていて、大きく力強くて。
    宇宙をも感じるくらいだった。

    六道で"修羅"は争いの世界とされる。
    そもそも心象スケッチなのだから、
    春と修羅=理想と葛藤 なのかな。
    それを岩手の風景になぞらえて表現したのだろうか。
    自分の内から蔓が伸びている。
    蔓植物は何かに掴まらなければ上へ伸びていけない。
    「くもにからまり」は、"雲にからまり"なのか"蜘蛛にからまり"なのか議論があるらしいが、注解にもあるように"雲"だと感じた。
    "ZYPRESSEN"とはドイツ語で糸杉とのことなのだとか。
    ドイツ語が用いられてることより、イメージとしてはゴッホの描いた糸杉のような…と注解にはあった。
    私は2005年の春に竹橋の国立近代美術館でゴッホの糸杉を見ている。
    (フライヤーと半券をスクラップしている)
    賢治もまた、あのように黒々とうねりながら空へ向かって伸びる糸杉を見ていたんだろうか。

    しっかり理解したわけではないけれど、読むほどに「春と修羅」が好きになるのは何故だろう。
    自分の感情が暴れるのをどうにも出来ない歯痒さや怒りは、私も知っている気がする。
    その感情は苦しくて醜くて黒いものだと感じていたけれど、賢治の手にかかるとそれすらある種の美しさを感じるから不思議だ。
    激しい感情が波打つけれど、(2度出てくる)"おれはひとりの修羅なのだ"と言い聞かせることで、静めようと(着地させようと?)しているように感じる。
    文字の配置も同じように波打っている。

    信心深くて、博学で、デリケートな彼には、この人間界はどのように見えていたのだろう。
    私達とは全く違う世界(=我々とは宇宙そのものだ=釈迦の教え)を見ていたのかもしれない。

    瞋(しん)は仏教用語で三毒のうちの1つ。
    釈迦(シッダールタ)は結局のところ、煩悩はこれら三つに尽きると説いた。
    貪欲・瞋恚・愚痴(とんよく・しんに・ぐち)が、それにあたる。

    ・貧欲
    貪るように欲して飽きないこと
    ・瞋恚
    自分のみを是とし、他人を非として生まれる怒りの心
    ・愚痴
    道理をわきまえずに愚かなこと

    (鶏は貪欲、蛇は瞋恚、豚は愚痴の象徴とされていて、東京事変ファンの方はご存じかも)


    『永訣の朝』
    "あめゆじゅとてちてけんじゃ" 
    "雨雪(霙)を取ってきてちょうだい"、という話し言葉が呪文のように思える。
    淡々とした男性の声での朗読の途中で、そこだけ女性の声で台詞が入るかのように、
    リズムが変わるような感じがした。
    「永訣の朝」は、妹のトシを亡くして暫くしてから書いたものらしい。
    賢治の頭の中には、
    "あめゆじゅとてちてけんじゃ"が何かの呪文のように響いていたのかもしれない。
    (詩の途中で台詞が入るという形をとっているのは、「永訣の朝」だけではないけれど。)

    "Ora Orade Shitori egumo"
    急にローマ字が現れる。
    "あめゆじゅ…"と同じく括弧書きの為、誰かの台詞か。
    この部分をどう解釈するのかは、まだ判明していないらしい。
    私は2つの感じ方を得た。
    1つ目は、妹トシの台詞。
    「おらはおらで、一人でゆく」といったトシの言葉を、賢治は受け入れがたくて、
    前の台詞よりも更に呪文のようなローマ字表記にしたのではないか?
    2つ目は、賢治の台詞ではないかという考え。
    独り言だった為、トシに聞こえないように呟いた(あるいは思った)為、
    解りづらいローマ字表記としたのではないか?

    ただその後の括弧書きである"うまれでくるたて……"がトシの台詞である為、ローマ字部分も同じようにトシの台詞なのだろうか。
    ちなみに"うまれでくるたて……"は、
    "今度生まれてくるときは、こんなに私のことばかりで苦しまないように生まれてくるね"という意味だ。


    歌曲『星めぐりの歌』
    この曲には思い出がある。
    高校生の頃、演劇部(今思えば、ほぼミュージカル部)に属していた。
    とある台本を手にした時、劇中で宮沢賢治の星めぐりの歌を歌うシーンがあった。
    けれど、台本には歌詞はあれど譜面がなかった。
    今ならYouTubeもある。サブスクもある。
    メロディーを見つけるのは簡単だが、当時はネットすらなかった。(いや、社会にはあったのか???)
    結局誰がどう見つけてきたのか覚えていないのだが、『雨ニモ負ケズ』の次に私が宮沢賢治の詩だと意識したのは、
    『永訣の朝』よりも『春と修羅』よりも、この『星めぐりの歌』だった。
    今もそらで歌える。



    厳しくも美しい北国の自然が、鉱石などの様々な物質に例えられる。
    その科学的な響きが、それらを一層キラキラと美しいものに感じさせてくれる。
    賢治が詠ってくれている北の風景は、だいたい頭の中に浮かべることが出来る。
    ただ、難しいと感じるのは何故だろう。
    この目でその雄大な自然を目にしていたら、もう少し掴めるのだろうか。

    • 傍らに珈琲を。さん
      ですね!
      何の日様々です♪
      春と修羅、コピー取ってしまいました。
      こうして持ち歩くのは、池澤夏樹のスティル・ライフ以来。
      久々きたー!
      ですね!
      何の日様々です♪
      春と修羅、コピー取ってしまいました。
      こうして持ち歩くのは、池澤夏樹のスティル・ライフ以来。
      久々きたー!
      2023/09/21
    • kuma0504さん
      傍らに珈琲を。さん、おはよう御座います。
      初めまして。
      こんなにじっくり書いたレビューは、初めて見たので私もひとこと。
      「永訣の朝」のローマ...
      傍らに珈琲を。さん、おはよう御座います。
      初めまして。
      こんなにじっくり書いたレビューは、初めて見たので私もひとこと。
      「永訣の朝」のローマ字は、
      中学生のときから読んでいますが、
      普通に「もうあの世に行くんだな(人間の言葉ではなくなるんだな)」という感覚で読んできたように思えます。という私の読み方でした。

      「春と修羅」については、青空文庫で私も読んでいます。
      2023/10/13
    • 傍らに珈琲を。さん
      kuma0504さん、はじめまして。
      おはようございます。

      コメント、フォロー頂きとても嬉しいです。
      徒然なるままに状態なので、いつもレビ...
      kuma0504さん、はじめまして。
      おはようございます。

      コメント、フォロー頂きとても嬉しいです。
      徒然なるままに状態なので、いつもレビューが長くなってしまいます(汗)
      人間の言葉でなくなってゆくとのお考え、成る程!でした。
      とても文学的で、沢山本を読まれてきたのだなぁと感じます。

      こうして考えを交換できること、とても楽しいです。
      有難うございます!
      私も是非フォローさせてください。
      2023/10/13
  • 「永訣の朝」は素晴らしい。
    (あめゆじゅとてちてけんじゃ)の呪文のような声。
    妹とし子への愛が深く感じられる。

  • 詩のことは詳しくわからない人間だが、文学フリマで岩手に行った時に行った文学館で得た情報も併せて、
    賢治はとにかく表現をしたくてたまらなくて、さまざまな形態を模索して(詩を書いたり、童話を書いたり、詩の形態もいろいろ)、生き急いだ人生の中で、あふれ出る表現へのエネルギーをこれでもかと詩にぶつけている、生きざまのように感じられた。

  • 久しぶりに詩を読みたいと思い、宮沢賢治を選びました。
    有名な詩も沢山掲載されています。
    国語の教科書に掲載されていた永訣の朝、懐かしかったです。
    賢治の崇高な魂は透明な結晶となり、降り積もります。
    日本語はとても美しい。
    改めて思わせてくれます。
    順番に読まなくても、好きなように読み進めることが出来るのも詩のいいところだと思います。
    注釈も丁寧です。

  • 宮沢賢治という日本を代表する詩と絵本作品を知るために読み始めたが、この詩は哲学とはまた違った読みにくさがあった。シチュエーションの想像が不可解かつ注釈の多さ、方言の読み解きなど、少しでも得られたのは10分の1程度ではないだろうか。。
    賢治のもう働くな、とか絶望に浸る詩は特に胸を打つものがあった。
    銀河鉄道の夜にも通じるものをが確かにあった。
    何よりこの作品で語らなければならないのは、永訣の朝、松の針、無声慟哭の3つだと思う。
    この作品はおこがましく言うのであれば、文学、倫理、芸術の高い所に居を構えて、門を開け放ってくれていると感じる。
    賢治の妹への哀れみと己の不甲斐なさへの葛藤、言葉の選び、詩の中の風景演出どれをとっても一級であると思う。
    灰羽連盟に通じる作品の虚無感が似ている。この退廃への憧れというのは、俺の悪いくせで、もうすでに自らを沼に沈めているような気がしなくもない。

  • 「眼にて云う」、特に素晴らしい詩だと思います。
    是非多くの人に読んで欲しい。

  • どうか声に出して
    この美しい文を
    あなたのことばを使って読んでください。

    この空想スケッチと題された詩のような何かを
    あなたができる限りの力で読み上げてください。

    きっと新しい読み方を知ることができます。

  • 400ページ近くあるが本の分厚さを感じさせない
    内容である。
    比喩と語彙力がずば抜けており本当に歌を歌っているかのような美しさである。

    アメニモマケズカゼニモマケズ雪にも夏ノ暑サニモマケヌジョウブナカラダヲモチ欲ハナク決死テ怒ラズイツモシズカニワラッテル-383〜384ページ引用

  • 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』について
    かつて宮沢賢治を探究のテーマにして以来10年ぶりにこの作品を読んだ。本棚の奥に眠っていた文庫本を引っ張り出すのになかなか難儀した。古ぼけた本に触れただけでも、ちょっと良い思い出である。
    今改めて読んでみると、宮沢賢治が書く言葉、それらが自然の宝石箱とも言えるような輝きをもって入ってきて大変心地よかった。随所に散りばめられた鉱石や光と言った要素が、星空・銀河の背景を舞台に幻想的に輝く情景描写は、まさしく“銀河鉄道”に他ならない。銀河と題すにふさわしい輝きがここにある。
    例えば六にある一文である。
    「するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり目の前がぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の日を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイヤモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざ穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら蒔いたという風に、目の前さあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。」
    また、七にこのようなこともかかれている。
    「河原の轢は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に言って、水に手を浸しました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでも確かに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見栄、その手首にぶつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」
    このような描写が随所に続く。いかにも美しい。でありながら、このような描写は、自然・宗教・農業・化学というあらゆる分野に精通している宮沢賢治でなければ到底生まれそうもない、と思わせてくる凄みがある。
    一方でストーリーについては、まず、細部をすっかり忘れていたので銀河鉄道の夜ってこんな話だっけ、というのがひとつあり、その後に銀河鉄道に乗る登場人物の脚注や言っていることをじっくり読んでみて、少し背筋が寒くなった。子供らの命を助けるために水から救命ボートにのることを諦めた青年・それにつきそう女子供は、いずれも死人であることを暗示させる表現をもってかかれ、それまでずっと共に銀河鉄道に乗って旅をしていたカンパネラは、最終章で水の中に落ちてしまう。銀河鉄道の夢のいような幻想的描写と打って変わる、一人になることの寂しい静寂がこの作品を支配する。天上への切符をもっていたジョバンニであったが、「どこまでも一緒に行こう」と誓ったカンパネラは、天の川の一ところにあいたまっくらな孔に自身の母親を見いだして、ジョバンニが一瞬眼を話た隙に突如消えてしまう。さんざめく銀河の輝きも、一人で見たのでは到底自信を癒し得ないことにジョバンニは気付いていく。そして不意に、現実へと引き戻される。この流れがあまりに文章の中で自然に現されるので、この部分だけ何度も読み返したほどだった。
    一体銀河鉄道とは何だったのだろう。この作品を読むとその疑問を誰もが抱くであろうが、それを「あの世へと渡る列車」と考えてしまうのは少々安易なようにも思えてくる。本当にあの世への列車であるならば、ジョバンニ・カンパネラがこの列車に乗る前に何らかの事故に巻き込まれていると考えなければならないが、唯一導入部の五の「天気輪」というのが、銀河ステーションにたどり着くまでに何か影響を及ぼしているようにも思われるが、具体的に何を指し示すのか不明であり、想像に委ねている部分が大変多い。一概に特定できないからこそ、その世界で自由に言葉の美しさを楽しませ余韻を残す力が、この作品にはあったのだと思う。おそらく宮沢賢治を読む人は、解釈そのものよりもこうした幻想性、彼のどこまでも広がりを見せる宇宙に魅力を感じているのではあるまいか。
    何を尽くしても、まず彼の作品はその自然の宝石箱を味わうことがすべてであるようにも思う。

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著者プロフィール

1896年(明治29年)岩手県生まれの詩人、童話作家。花巻農学校の教師をするかたわら、1924年(大正13年)詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を出版するが、生前は理解されることがなかった。また、生涯を通して熱心な仏教の信者でもあった。他に『オツベルと象』『グスグープドリの伝記』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『セロ弾きのゴーシュ』など、たくさんの童話を書いた。

「2021年 『版画絵本 宮沢賢治 全6巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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