やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2018年9月28日発売)
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  • 本 ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101097121

作品紹介・あらすじ

『果しなき流れの果に』『復活の日』『日本沈没』──。日本SF史に輝く傑作の数々を遺した小松左京の原点は、戦中戦後の動乱期を過ごした旧制中学・高校時代にあ った。また京大人文研とのつながりから、大阪万博にブレーンとして関わった 末とは。幻の自伝的青春小説と手記によって、そのエネルギッシュな日々が甦る。若き日の漫画家デビューなど、新事実も踏まえた文庫オリジナル編集版。

感想・レビュー・書評

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  •  小松左京氏のといえば、日本SF界の巨匠、ベストセラー作家とか知の巨人とか称される。その小松氏がまだ若かりし頃のお話。
     
     この本の前半は、蛍雪時代に掲載された「やぶれかぶれ青春期」。旧制中学、旧制高校、そして新制大学の学生時代を振りかえっている。連載当時は、戦争体験者というか実際に戦場に赴いた人も多かった時代。ホントーに貴重な話が載っている。あと小松氏のご子息の一文『「青春記」に書かれなかったこと』は必読。

     後半の「大阪万博奮闘記」も、これまた貴重な話が載っている。小松氏のか「限りない知性」とでもいうべきものが見てとれる。もとネタのひとつ「万国博覧会資料」は、現物が確認できていないとのこと。やっぱり貴重だ。

  • SF作家として著名な小松左京のエッセイ・・・というか思い出話・・・というか。

    前半の「やぶれかぶれ青春記」は、小松左京が、「青春時代」は決してキラキラしたものではない、と、毒づくように言いながら、戦中・戦後という激動すぎる世の中で過ごした、自らの小学生から旧制中学、三高、そして大学生までの多感すぎる時期を振り返り綴ったもの。子ども、といっても相当に醒めた目線。終戦間近の日本、戦時下の日常、終戦を経て激変した生活とそれに翻弄されながらも逞しく生き抜いた、ごく普通のどこにでもいそうな(ちょっとやんちゃすぎるし賢すぎるけど)小松少年の姿が描かれていました。

    ・戦争は実は終わった訳ではなく、檜舞台から去っただけで、別の国々では成長しながら生き続けている。戦争というものを絶え間なく再生産する文明や歴史の構造を冷静に客観的に研究するべきだ。
    ・日本はなぜあんな戦い方をしたのか。日本という社会全体に、逆上性がある。子供っぽい弱さがある。他の国地域や民族よりもたぶん強く。それを自覚しておくべきだ。

    ウィットに富んだ文章の所々でぐっと突っ込まれているメッセージは、とてつもなく重い。書かれたのは小松左京が35歳くらいのことだったとのこと。35歳前後の若者!?に、同年代の言葉として伝えてみたらいいんじゃないかしら。


    後半の「大阪万博奮闘記」は、二部構成。
    東京五輪の次は大阪で万博?という小さな新聞記事から始まった「勝手連」的な研究会。嫌だ嫌だといいながら、やっぱり、いいものになればいいな、という義侠心?のようなものから、やれテーマづくりの影なるブレーンだの、サブテーマづくりだの、やれ岡本太郎のテーマ館づくりだの、若い識者たちがあれよあれよと大阪万博の波に巻き込まれていく過程が面白かった。巻き込まれてしまう、でも取り込まれるわけにはいかぬ、と、距離感を死守しようとして、国や準備委員会を相手に苦闘する様子も。恥ずかしながら、小松左京がこんな形で70年万博に関わっていたとは知りませんでした。面白いんだけど、それだけではなくて、こんな風に万博が作られていったんだと、ちょっぴり感動も。

    再び大阪で万博をと、招致活動が佳境に入っている今、考えさせられることも多かったです。小松左京をはじめ、勝手連の研究会の人たちが、純粋に万博のあるべき姿を議論していたその内容は、50年も前のものとはとても思えない。そのままの文章で、2025年万博についての論述だ、と言われてもなんの違和感も感じない。読みながら、あれ、これ、今の万博奮闘記だっけ?と錯覚を覚えてしまうほど。
    そんな普遍的な議論を当時40歳そこそこの若い識者たちが繰り広げていたことがすごい。
    加えて、痛烈な批判と皮肉に彩られたエピソードで紹介されている、役所的おしごとから察するに、どうやら昔も今も役所や政治の裏側は大して変わっていなさそうなことも、いろいろ胸が痛い。

    以下、気になったポイント。
    ・日本万国博は、やりようによっては、きわめて意義のある、やる価値のあるものになり得るだろう
    ・(戦後の)経済面での国際開放の次に、日本の大衆意識の国際社会への開放体制が必要になる。その方向の1つの布石として、日本万国博は、日本の社会のとって、有効であり得る
    ・全世界の知性を集め国を超えた協力でテーマやプランを作り上げたら素晴らしい!
    ・万博の理念を表す文章は精緻であるべきだ。直接的な影響は小さくても、考え抜いて、現実を律する方向としてオーソライズされた文章として表された理念は、現実を縛る。また、現実の葛藤の前に(実現のために働く)人々が方向を見失ったとき、そこに立ち返れば、解答のヒントがちゃんとそこに用意されている。それが文の力だ。
    ・万国博を通じて、人類の、よりよき明日への手がかりをつかむことが、万国博自体の目標。その目標を達成するための情報イベントが万国博の基本デザイン。この目標に沿って万国博をつくりあげるためにはどうしたらいいか、どんな知恵を持ち寄ればいいか、ということが各国、各界に与えられた共通課題。

    万博、というより、日本や世界の未来を考えていたんだなぁ。
    ハルカスでの太陽の塔展を再訪したくなりました。きっと、行こう。いつか、太陽の塔見学も行ってみよう。

  • 巨人、スーパーマン小松左京の肉声の雰囲気があふれでる。北杜夫『どくとるマンボウ青春期』に通じる終戦直後の高校生のドタバタ青臭さと、高度成長期に京都学派の重鎮たちと未来を刻印しようとするコーディネーターあるいはプロデューサーもしくはエバンゲリストとしての顔。SF小説家という括りにいれるには大きすぎる小松左京に圧倒され、共感する。

  • 石毛直道さんの「座右の銘はない」に小松左京さんについて、たぐいまれな独創力と構想力を備えて、考えたことを実現できる天才として梅棹忠雄と並び称されている。
    万博公園に民族学博物館ができた経緯に岡本太郎さんや小松さんの思いがあったことを知った。

    さて、本書。
    前半は戦中戦後の青春期。
    昭和ヒトケタの僕の父母も戦中に軍国主義で平気で生徒を殴っていた教師が戦後「元々民主主義の人間です」と云っていた奴を罵っていた。そんな卑怯な教師は沢山いたんだな。
    恐ろしいのは戦災孤児。僕はテレビ漫画のタイガーマスクぐらいしかイメージがなかったが、4つから7つぐらいのチビ達が大人にタバコの火をおっつけ、驚いた大人に因縁をつけ、レンガで頭を殴り、鉄棒で突き倒され、身ぐるみはがしてしまう。
    小松さん自身も6つの男の子と4つの女の子からピストルで撃たれたそう。
    もう二度とこんなことがないようにという文に同感する。
    前半の最後はたった1年の旧制三高のある意味傍若無人な自由な日々を素晴らしく豪華なものと誇ってページを終わる。

    後半は万博との関わり記。元々は梅棹忠夫氏、加藤秀俊氏との私的な勉強会「万国博を考える会」。京大人脈から拡がりを見る。通産省からは反体勢力と認識されるが、のちに取り込まれる。
    小松氏達のテーマづくりが無かったら、万博はつまらない見本市になったんだろうな。そして今大阪がやろうとしている万博はつまらいものになるだろうし、観に行こうとも思わない。

    とり・みきさんの漫画に小松が登場する。交友範囲の広い人なんだなと思っていたが、自身もマンガをかいていたということが明らかにされている。

    知的ブルドーザーという評も聞いたことがある。もっと小松さん周辺の人脈をあさってみようかな。

  • やぶれかぶれ青春記は現代の若者の必読書

  • 前半は、戦中期を中心とした学生時代の話。正直あまり愉快な話ではないが、旧制中学時代のエピソードなどからは、著者の怪物ぶりが伝わってくる。漫画家としてのエピソードが一切出てこないことは、ご子息の解説にもあるが、ブルドーザーとも称される著者の意外な屈託が感じられ、興味深い。後半の万博の話は、大阪万博の影の部分とも言え、後世に残す意義は大きい。著者の感じた万博の難しさは、次の大阪博にも生きるものと思う。これを機に、著者のノンフィクションを含む膨大な著作が、もっと入手しやすくなることを切に願います。

  • 「やぶれかぶれ青春記」。1969年に受験雑誌『蛍雪時代』に連載されたというのだから驚きだ。学生運動が最高潮に達していた頃である(東大の入試も中止になった)。読んだ高校生・浪人生には相当なインパクトがあったかもしれない。
    「青春記」には、戦中と戦争直後にかけての、旧制中学から旧制高校のことが赤裸々に綴られている。破天荒、過激な行状、壮絶ともいえる経験。そして教育への不信、国家への不信、政治への不信。あきらめと打たれ強さ。ペシミズムとオプティミズムが交錯する。小松左京の作品の持ち味はこの時にできあがったのかもしれない。中学時代の友人には高島忠夫も登場する。
    ところが、この「青春記」には書かれていないことがある。小松は旧制高校の時に漫画家としてデビューし、京大生時代にはモリ・ミノルのペンネームで3冊の漫画本を出しているのだ。小松はこの過去を封印していた。なぜ封印していたのか?
    2018年に出たこの文庫版には、次男の小松実盛氏の手記が収録されている。タイトルは「「青春記」に書かれなかったこと――漫画家としての小松左京」。謎を解いてくれる貴重なボーナストラックだ。

  • 1月3日の新聞朝刊に『EXPO2025開幕まで100日』の一面広告。その文言を読んで「おやおやこれは?」となる。本書の第二部では、1970年大阪万博開催当時、著者氏らが行った、万博理念の研究、テーマづくりへの取り組みが書かれている。翻って件の広告の文言。この第二部をそっくりそのまま丸写ししたかのような謳い文句なのだった。これはつまり、著者氏らの導き出した結論が、いつの時代のあらゆる万博についてでも通用し得る優れた理念であったことの証であろうか。まさかEXPO2025の手抜きではあるまいな。

  • 「大阪万博奮闘記」は今こそ読まれるべきだと思われます。世評の高い70年の大阪万博はどのように準備されてきたのか、その一面(あくまで一面ですが)を知ることができるでしょう。そして万博開催の年、小松左京はまだ30代です。いやはや。

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著者プロフィール

昭和6年(1931年)大阪生まれ。旧制神戸一中、三校、京大イタリア文学卒業。経済誌『アトム』記者、ラジオ大阪「いとしこいしの新聞展望」台本書きなどをしながら、1961年〈SFマガジン〉主催の第一回空想科学小説コンテストで「地には平和」が選外努力賞受賞。以後SF作家となり、1973年発表の『日本沈没』は空前のベストセラーとなる。70年万博など幅広く活躍。

「2019年 『小松左京全集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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