室生犀星詩集 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101103075

感想・レビュー・書評

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  • 著者、室生犀星さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    室生 犀星(むろう さいせい、本名: 室生 照道〈てるみち〉、1889年〈明治22年〉8月1日 - 1962年〈昭和37年〉3月26日)は、日本の詩人・小説家。別号に「魚眠洞」、「魚生」、「殘花」、「照文」。石川県金沢市生まれ。別筆名に「秋本健之」。

    で、今回手にした、『室生犀星詩集』の内容は、次のとおり。(コピペです)

    “愛と土とを踏むことはうれしい"生後間もなく生母の懐ろを離れ、貧しい養家で育てられた犀星は、一人の生活人として自ら苦しみ、自ら求め、その感情を詩に託して赤裸々に告白し続けた。短い詩型に凝縮された抒情は、口語と文語との融和の上に生れた独特のリズムに乗って、詩を愛する人の心に静かに沁み入る。生涯に公刊された24冊の詩集から代表的な作品187編を収める。

    17ページに書かれた詩の一節。

    ふるさとは遠きにありて思ふもの
    そして悲しくうたふもの

    ここは有名ですね。

  • 室生犀星の詩をしっかりまとめて読んだのははじめてかもしれない。
    健全潔癖な、生まれたての無垢な自然主義的ヒューマニズムが苦手な私には、室生犀星はとっつきにくい文学者だなんて、そんな先入観があったから。それは半分は当たっていて半分は間違っていた。

    解説で編者の福永武彦が書いているように、犀星は武者小路実篤みたいな「楽天的自然主義」とはあきらかに距離を置いている。ひねた自虐表現のような、まっすぐ実直ながらやはりペーソスと言わざるを得ないような、そんな苦みが彼の詩にはあって、しかもそれが年経るにしたがって良い感じに熟成されていく。

    若い頃の詩より、私はだんぜん晩年の詩のほうが好き。たぶん、50年前のひとならそうは言うまいが。

  • 室生犀星は言葉がぶきっちょでガタゴトしている。そこに時折胸を締め付けるような情感が現れる。「現在」がどんどん過ぎ去って過去になることへの郷愁。

  • 昨年の金沢旅行にもっていった読んだ一冊。
    『五月』『みやこへ』『かもめ』が特に好き。室生犀星が愛した故郷の情景が豊かに綴られていて、金沢という街が何割増しにも素敵に感じられました。
    元日の能登半島地震による被害は甚大な爪痕を残していったけれど、一刻も早い復興を願うばかりです。必ずまた訪れたい。

  • なんと優しい心の持ち主かと思う。小さな命や自然への憧憬に溢れた作品が多い。
    私の好きな作品をあげたい。
    小景異情
    三月
    寂しき春
    青き魚を釣る人
    凍えたる魚
    夕の歌
    燃える

    高麗の花
    野の花

  • 酣燈社が出てこなかったのでとりあえず

    なんだか酷く大人びた悲しさだなと胸が痛くなりながら、また、美化されていない等身大の自然や故郷の美しさにこころ震わせながら読みすすめた。

    漫画「月に吠えらんねえ」で、友人たちがそれぞれの見方で風景を眺めている中、犀はただありのままの風景を目にしていた。世界の形をそのままに見ていた。
    その表現が限りなく室生犀星像に近接していて、凄いなあとただおもった。

    序文で、詩作が何の足しになったのかと書いている。それがマイナスな思いからくる言葉だったのか、私には量りかねる。

  • 詩を書くことは、孤独と向き合う作業だなと思う。「永日」という詩が心に残った。

  • 情熱を持って詩を書き続け、その人生を生き抜いた人なのだというのが解った。
    生きることの暗く悲しいこと。でもそこにはユーモアもあり、愛が溢れている。
    ふるさとの時雨や雪の感じがすごく自然に心に映ってきた。
    孤独や不安や、冷たい冬に、気持ちが塞ぎそうになったら、いつでも手にとって読みたいと思う。
    編者である福永武彦さんの解説も良かったです。

  • 詩人と聞いて、どんな人物をイメージするだろう。紅顔白皙の美少年?はたまた、痩せて神経質そうな病身の男?Google画像検索によれば、室生犀星は、そのどちらにも程遠い。そして、誰よりも詩人であった。

    この詩集に収録された『けふといふ日』という詩は、一見、今日という一日のはかなさを歌っているかに見える。真夜中には、今日と明日の境目がある。十二時、時計が最後の鐘を打ったその瞬間に、今日という日は永遠に失われてしまう。地球上のどこを探しても、もう見つかりはしない。嬉しいことがあった日も、悲しいことがあった日も、遠ざかり、忘れられ、なんでもない日になっていく。それは誰にもとめることができない。ただ、時間は流れていく。一切は空虚であるかに見える。

    けれど、最後の一行をもって、その虚しさは生への駆動力に転化される。「けふ一日だけでも好く生きなければならない。」ここに、詩人の思想を見る思いがする。

    犀星という男は、強い男であった。恵まれない家庭に育ち、貧困に苦しみ、女には相手にされず。しかし彼はどんな苦境にあっても二本の足をしっかりと地につけて立ち、「われはかの室生犀星なり」と叫んだ。彼の詩に通底するのは生きることに対する覚悟であり、生への限りない賛歌である。とかく憂鬱やら哀愁やらに傾きがちな他の詩人であったなら、なかなかこうはいかないだろう、と思う。最晩年の作品である『今日といふ日』、その最後の最後にこの一行を堂々と叩きつけることのできるところが、犀星の犀星たる所以であるように思われる。

    • 抽斗さん
      私は詩を読むのがとても下手で、そのせいか詩集はほとんど読まないのですが、ratsさん の感想を読んで室生犀星という「人」を読んでみたいなぁ、...
      私は詩を読むのがとても下手で、そのせいか詩集はほとんど読まないのですが、ratsさん の感想を読んで室生犀星という「人」を読んでみたいなぁ、と思いました。
      2012/12/01
    • ratsさん
      詩に興味を持ったのは私もここ数年のことで、気ままに、少しずつ読んでいます。犀星は今どきの本屋さんになかなか置いていなくて、もっといろんな人に...
      詩に興味を持ったのは私もここ数年のことで、気ままに、少しずつ読んでいます。犀星は今どきの本屋さんになかなか置いていなくて、もっといろんな人に知ってもらえたらなぁと思いつつこのレビューを書きました。抽斗さんのコメント、とても嬉しいです。
      2012/12/06
  • 初版は昭和43年と長く発行され、私の手元にあるのは46版。
    本当にたくさんの方々が知り、読み、手にしたのだと思う、
    彼のその言葉の世界をぎゅっと綴じ込めた187篇。

    どこか粗野にも感じる言葉の端々にも、
    煌めきがあるようで。
    断片的に触れる彼の世界は、
    リズムを感じる、言葉の連なりが心地よい。

  • 「詩は詩を求める熱情あるよき魂を有(も)つ人にのみ理解される・・・・・・はじめから詩について同感し得ない人や、疑義を有つ不信者らにとって、詩は存在し得ない」
    おやおや、室生犀星に私は不信者扱いされてしまった。
    さだまさし氏を彷彿させる室生犀星

  • 犀星の代表作は有名なフレーズ、「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたうもの」を収めた「抒情小曲集」なんだろうけど、なかなかどうして、戦後2作目に出版された『逢ひぬれば』以降から遺作となった「老いたるえびのうた」を収めた『晩年』に至るまで、なかなか読み応えがあるものが多かった。いま読むと、「抒情小曲集」などの大正期の作品は、哀切を極めた調子の良さで、口あたり良く平板な印象にとどまってしまう。むしろ汲めども汲めども尽きぬ、悲しみを地ならししたところで展開する、戦後作品の方が以前にはないような凄味と妙味の相貌を帯びて、おもしろく感じた。

  • 言葉に包み込まれる
    言葉がちゅうを舞う

  • 〇以下引用

    銀の時をうしなへる
    こころかなしや
    ちよろちよろ川の橋の上
    橋にもたれて泣いてをり



    わが霊のなかより
    緑もえいで
    なにごとしなけれど
    懺悔の涙せきあぐる
    しづかに土を掘りいでて
    ざんげの涙せきあぐる


    わが朝のすずしきこころに
    あざやかなる芽生のうすみどり
    にがかれど
    うれしや沁みきたる
    こよなきいそしみをもて
    青くしつかなる洋紙をこそのべにけれ
    そは巡礼のうたごゑをきくごとき
    わがきさらぎの哀調にして
    わかれむとするふるき都に
    とどまりもえぬ心なり
    ああ よく晴れあがりし空のもと
    わが旅のをはりにや
    小鳥すくみごゑして消えも
    ゆくなり



    麦のみどりをついと出て
    ついともどれば雪がふり
    冬のながさの草雲雀
    あくびをすれば
    木の芽吹く


    なにといふ虫かしらねど
    時計の玻璃のつめたきにはひのぼり
    つうつうと啼く
    ものいえぬむしけらものの悲しさに


    旅にいづらば
    はろばろと心うれしきもの
    旅にいづらば
    都のつかれ、めざめ行かむと
    緑を見つむるごとく唯信ず
    よしやおはれて旅すこことなりとも
    知らぬ地上に印す
    あらたなる草木とゆめと唯信ず
    神とけものと
    人間の道かぎりなければ
    ただ深く信じていそぐなりけり

    こひしや東京浅草夜のあかり
    けさから飯もたべずに
    青い顔してわがうたふ
    わがうたごゑの消えゆけば
    うたひつかれて死にしもの

    けふは浜べもうすぐもり
    びよろかもめの啼きいづる



    したたり止まぬ日のひかり
    うつうつまはる水ぐるま
    おをぞらに
    越後の山も見ゆるぞ
    さびしいぞ

    一日もの言はず
    野にいでてあゆめば
    菜種のはなは波をつくりて
    いまははや
    しんにさびしいぞ


    ひとりあつき涙をたれ
    海のなぎさにうづくまる
    なにゆえの涙ぞ青き波のむれ
    よせきたりわが額をぬらす
    みよや濡れたる砂にうつり出つ
    わがみじめなる影をいだき去り
    抱きさる波、波、哀しき波
    このながき渚にあるはわれひとり
    ああわれのみひとり
    海の青きに流れ入るごとし


    砂山に雨の消えゆく音
    草もしんしん
    海もしんしん
    こまやかなる夏のおもひも
    わが身うちにかすかなり
    草にふるれば草はまさをに
    雨にふるれば雨もまさをなり
    砂山に埋め去るものは君が名か
    かひなく過ぐる夏のおもひか
    いそ草むらはうれひの巣

  • 初めて全詩読み切れた詩集。
    優しい言葉と少し物悲しい雰囲気が、読んでて心地よかった

  • 金沢旅行中に読んだ本 その三
    犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」を詠んだ人。情景が鮮やかに思い浮かぶ詩が多い。
    旅と季節を詠んだ詩が沁みた。お気に入りは「旅途」と「月草」。

  • 詩集は厭きるので好まないが、1991年頃購入。
    「故郷は遠きにありて思うもの…」の続きが気になったのと、
    幼少時の教科書記載の詩を手元に置きたかったため。
    「埃(ほこり)の中」という、通りの楽隊について歩いていた娘の、成長を思う詩。
    なんてことはない、たった8行の詩でしたが、なんとなく年月を感じて
    「逞しき埃の中に成人し」
    の、ラストの凜(りん)としたたたずまいが好きでした。

  • この人の詩、むしろ人生によこたわる「喪失感」が私をひきつけるのかもしれない。
    物心もつかないころに喪ったものをもとめつづけ、いつもどこかへ打つかりつづけている感じ。
    それは吉井和哉の歌詞とどこか通ずるものがあって、大好きです。だから室生犀星はロックンローラーです。私にとっては。

  • 「けふといふ日」
    「先きの日」
    この二編が好きかも。

  • 全体的にごつごつとした響きを持つ抒情詩の詩集。
    著者の残した24冊の詩集から選び抜かれた詩は,鏡やお寺,みみずにこおろぎ,ランプや松など,些細なものであっても沢山のものに目が向けられていた。

    古い言葉に慣れていなくて読みづらく,意味が理解できないものもあったけれど,不思議と,読んだあと印象に残ったものが多かった。
    それだけインパクトのある詩集。

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著者プロフィール

詩:詩人・小説家。本名、照道。金沢生まれ。北原白秋・萩原朔太郎らと交わり、抒情詩人として知られた。のち小説に転じ、野性的な人間追及と感覚的描写で一家を成す。「愛の詩集」「幼年時代」「あにいもうと」「杏つ子」など。


「2013年 『児童合唱とピアノのための 生きもののうた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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