- 本 ・本 (589ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101104201
感想・レビュー・書評
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<待>
上巻を読み終わってからこの中巻まで少し間が空いてしまった。理由は他の新刊図書を読んでいたから。新刊の多くはTSKのお世話になっているので期限までに返却しなければならない,というシバリがあってこれが結構読書意欲を強制的に高める。本書の様に所蔵してしまうとなかなか読めないモノなのだ。さてまあ本作はミステリーでは無いので あまりネタバレ等を気にはしなくていいと思うが,自分自身が気になり興味のあるところをつまみ上げて淡々と感想しまする。
フィリピンでの日米戦闘場面で米軍が日本兵の投降を促すために航空機から戦場に散布したチラシの事が書かれている。非常に興味ある内容が書かれていたので,無粋ながら本文から以下少し抜粋する。『二世である忠は(チラシの:追記感想筆者)本文より広告の方に目が行った。ウイクリーマガジン大のビラの下の広告欄に,郷愁をそそるためか日本のキッコーマン醤油,グリコ,清酒・正宗などの広告に混じって,サンキストの干し葡萄,フィラデルフィア・クリーム,チーズの懐かしい広告が出ている』
日本兵の投降を促すのだから日本の広告を載せるのは分かる。でも何故アメリカの広告まで載っているのだろう。戦場にいるアメリカ兵も拾って見るからだろうか。するとそこで疑問が。そのサンキストなどの広告は英語なのか。いやいや投稿を促すチラシに英語はまずいだろう。これが並の本なら僕は立ちどころに「おかしい間違いだ,ミスだろう!」と反発するが,山崎豊子はこういう場面の考証は確実に行うだろうから何がしかの意味と理解の仕方があるのだと思うが僕にはそれがわからない。ちょっと悔しい。誰か知らないか!
太平洋戦争の終戦,そして東京裁判が始まる。僕は東京裁判についてほとんど何も知らなかった。なんだか学校の授業では積極的に仔細は取り上げられなかった様な記憶もある。この本を読んで少し詳しくなったかもしれない。別名は極東国際軍事裁判とも呼ばれるらしい。誰と誰がどう云う具合に裁かれて,と云った事が断片的ながら分かる。裁判そのものがメインテーマなのではなくそこに関わる主人公たちの言動や想いを通じて読み取る事になるから僕の記憶にもなんとか残るのだと思しい。
過日 森見登美彦という僕より20歳ほども若い作家の新刊を一冊読み終わった。彼は結構売れっ子でベストセラー作品も沢山ある。僕は彼の作品をデビュー以来全部読んでいるつもりだ。だが小説作品としての文章力や語彙力,ストーリーのプロットなどを山崎豊子と比べると もうプロとアマチュア程の違いを感じる。森見の作品は拙い。もっとも彼はSF/ファンタジー系の作家で山崎とはジャンルが違っているので単純な比較は難しいのだろうが。それにしても両人ともプロとはいえ大人と子供程の差がある。
この差は一体何なのであろうか。職業作家に成ろうとする人達の若いころからの読書量や作文努力はそれは凄いものだろうなぁと僕は思っている。山崎と森見ではそこが決定的に違うのであろうか。いやそれとも取材に掛ける労力の差なのだろうか。山崎は本作を描く為に実に多くの場所に行き多くの人に話を聴いたらしい。森見が作品を書く時にそんな事をしているだろうか。いやしている姿が僕には想像できない。ま,そういうことなのだろう。(いや決してけなしてはいない。とりあえず森見の作品もまだ十分面白いから)
今更ながら気になる表現や内容は沢山ある。
当時の日本は畑での野菜類栽培の肥料として人の糞尿を普通に使っていたので・・・,という記述がある。当時どころか僕らが小学校低学年(昭和40年代前半)の頃までは普通に糞尿を肥料としていた。便所は簡単に汲み取れるような構造になっていて別に専門の業者ではなくとも普通に家の爺さん婆さんが汲み取ってかついで畑に行き撒いていた。
僕の田舎ではその作業を「こえたんごかつぎ」って呼んでたなぁ(笑)。で,人々はサナダムシなどを代表とする蟯虫(ぎょうちゅう)という奴らをお腹に飼っていたのだった。それらの蟯虫は卵を腹の中で産みその卵は屎として尻から排出さる。そしてその卵は肥料として畑に撒かれ野菜に付着し人はそれを食べて又蟯虫を腹に宿す。このサイクルの繰り返しなのであった。虫下しという名前の薬があってそれを飲んで蟯虫を尻からひり出したものだった。僕自身にも経験がある。今思えばかなり貴重やなぁーあの経験。
終戦時は既に日本とアメリカ間の多くの移動手段は航空機を使っていたみたいだ。もっとも軍関係に限ってはいたみたいだが。へえ一回の給油ではとどかないだろうな,と思って先を読むと「グアム島とジョンストン島で給油」とあった。ジョンストン島 ってどこだぁ? すぐにGoogle Earthだ!ああここかぁ(笑)。ハワイの西方およそ1000kmに位置する本当に航空基地しかない島だった。どうしてハワイじゃないのかなぁ,と僕は思った。グアムからだと当時はHawaiiまではとどかなかったのか!?
あ そうそう そう言えばこないだ読んだ記事を思い出した。記憶定着を願ってここに書いて置こう。なんでもオーストラリアのメルボルンからはロンドンやニューヨークへの航空直行便はいまだに飛んでいないのだそうだ。もちろん燃料が足りないのがその理由。777や340なら単純な計算では足りるのだけれど 万一何かがあると燃料切れを起こすので未だためらっているのだそうだ。
ロンドンもニューヨークも飛行経路に大型の旅客機が降りられる他の空港が沢山あるんだから直行便として飛びたってもし万一の時はそこへ降りる事にしたらいいのになぁ と思ったが,待てよ 逆の航路はやばいのか。メルボルン空港の近くにはそういう空港が無いのか!知らんけど。
上巻と相も変わらず鹿児島弁がキツイ。そこだけ読んだのでは理解不能な話し言葉が多く,前後で賢治がしゃべる文脈かっらでないと意味が取れないことが有る。例えば本文412ページ天羽の親父がしゃべった「ないよ,忠を撃った・・・・・・」の「ないよ,」は「無いよ」ではなく,たぶん「なんと!」に近い意味なのだろう。山崎さんどこまで忠実なんだろうなぁ。まあ検証と云うかサポートしてくれる鹿児島人は廻りに居たのではあろうが。
フォックス眼鏡 という言葉が出て来る。それなんだ?早速調べたら言葉通りで 狐の眼を模したデザインの眼鏡のことを言うらしい。目が吊り上がっていやメガネのフレームが吊り上がっているのだ。たぶん戦前からずっと有って今もあるのだろうなぁ。街のそこいら辺ではあまり見かけはしないが。
日本で言う8月15日「終戦記念日」(僕はこの記念日という言い方を“終戦”というどちらかというとネガティブな言葉につけて語るのはどうも好きではないが)は,当たり前だがアメリカでは「戦勝記念日」と云うそうだ。まあしかしアメリカでは8/15を日本ほどには重要な日としては扱ってはいない様だけれどが。
本書の単行本は1983年の発行。僕は会社に入り仕事を始めて三年目。24歳であった。もちろんその当時この小説に興味を持った筈も無く,世に言う高度成長期の時代でもう毎日が仕事最優先でギリギリの生活状態だった。毎晩日付けが変わるまで仕事し(飯はどこかのタイミングで食う)帰ったら風呂入って寝るだけ。そして翌早朝からまた仕事にまみれる。僕の仕事は機械設計だったが今の様にパソコンなどは無く製図はもとより技術計算もなにも全部自分の手で行うしかなく遣る事は山の様にあった。
あまり見たことがない言葉遣いは他にも時々見られる。空襲による戦禍を逃れた東京山の手の洋館のたたずまいを称して「宏荘」と云っている。ルビが振って有り読みは「「こうそう」。意味は知らなかった。ググった。漢字変換は出来なかった。候補にもなかった。つまり最近はほとんど使われていない言葉だ,ということ。意味は「広く大きくりっぱなさま。広大で壮麗なさま。」だった。まあ前後の文意からそういう事だろうなぁとは思ったが。こうやって調べればもうほとんど新しい言葉を覚える能力が失われつつある僕の記憶に残ってくれるかも。
なんと東京裁判には中華国清朝最後の皇帝にして後の満州国皇帝の 溥儀 が 連合国(その時はソ連に捕らわれの身だったらしいが)側の証人として裁判で証言している事を僕は初めて知った。証言内容は非常に興味深く物語の筋にも深く関わっているのでここでは伏せる。愛新覚羅溥儀は沢山の小説や映画に取り上げられていて僕も溥儀の登場する物語は浅田の二郎吉親分 の書を始めとして結構沢山読んでいる筈なのだが,溥儀が満州国の皇帝になる前に清朝の皇帝に二度もなっていた事を本書でキチンと認識した。
「愛新覚羅」 あいしんかくら と読むが僕はあいしんぎょろ と覚えていた。前出の浅田の二郎吉親分 の某著書で その読み方/言い方を覚えてしまった様な記憶だ。何が違うのだろう。まあ満州言葉なのかそれとも朝鮮語なのか中華国語にも北京語と広東語があるしまあそのなかのどれかなのだろうなぁ。
その溥儀証言中の法廷休憩時間に被告達(旧日本軍の大将や中将格)が控室にて自由に溥儀の不義(本文にその表現有りw)についてしゃべっている場面があって,僕は正直驚いた。裁判の被告達を自由に会話させて良いものだろうか。ちなみに一般の刑事事件で容疑者として逮捕された被告たちは絶対にお互いに会話させたりはしない。口裏を合わせられると困るからだ。この東京裁判の様な集団裁判の被告であるなら問題ないのであろうか。大いに興味がある。
457ページの溥儀の証言/説明に「…凌陞の妹が,私の息子と婚約していたのですが,…」という事が明記されている。僕は あれ?溥儀って子供いたっけ? とその時思った。するとその後470ページには田中という通訳の話として「…溥儀は…男色のせいか,あるいは子種がないためか,皇后にも妃にも子供が生まれなかったのが悲劇だ,・・・」ともある。ふーむ山崎豊子ともあろう方がこれはどうした事だろう。それとも僕の何か解釈の違いなのだろうか。この件もとても気になる。
東条英機被告が自分語りをしている下りもある。ページ数にするとほんの数ページだけど東条英機が自分の言葉で物語の進行を語っている。ありがちだけどこういうふうに突然単発的に語り手が変わる小説と云うのは実は珍しいのではないかと僕は思う。他にはあまり知らない。まあこれぞ山崎豊子ならばこそ可能な技(わざ)なのかもしれないなぁ。
さてぼちぼちと下巻に取り掛かるつもりだけれど,例によって他の本も読んでいるので果たしていつ読み終わる事やら。ところでこの中巻は一体いつ読み始めたことであったろうか。随分と前だったのは間違いないが具体的にはちっとも覚えていないなぁ。まあでもこの作品は一々面白いので下巻も気長に読むつもりだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
兄弟で戦わなくてはいけなくなった太平洋戦争。兄は日本の教育を受けて日本を知り尽くしているがアメリカ人として戦い、弟は学業をするために日本に残りアメリカに帰れなくなったまま軍事教育に洗脳され日本側として命をかけて戦った。同じ日本人ではあっても、弟が兄を恨まなくてはならなくなった心情がいたい。
そして、アメリカ側のリトルボーイが及ぼすこれからの世代の影響。治療手段を知らずに投降した事実や無知さ。放射能が人間に受ける影響とした人体実験をする目的で投下したのか。同じ側のイタリアやドイツには落とさず日本だけに2度とも落としたのには人種差別が入っているのではないかと疑わずにはいられない。
日本側としては、アメリカがなぜリトルボーイを投下せずにいられなくなったのかの理由を考えなくてはならない。
国際裁判に入ってからの日中ソや米ソ連内での対立はリアルさを物々しく語り特に、ソ連の不気味さは尋常ではない。もっと大東亜戦争、日中戦争、日露戦争を詳しく勉強していたならさらに深く理解できたのにと悔しくも思う。そしてこれからの勉強の課題にもなった。 -
血みどろの太平洋から、ヒロシマを経て、GHQ、東京裁判へ。
三角関係や兄弟相撃つ家族パートはありがち感だけども、東京裁判の臨場感は凄まじい。 -
★評価は再読了後に。
しかしまぁ何ですな、先の展開がある程度見え見えで、加えてこれでもかと言わんばかりの情報過多ぶり。
うーん、こういう感じの作家でしたっけ?そうだったかも。何か現在の読者としての当方が求めるものとは少々相容れない感があるなぁ。
上巻からの印象は変わらないまま終わりそうだけれども、最後まで読みます。 -
重い。
二つの祖国に挟まれる葛藤。
二人の女性に挟まれる葛藤。
大変です。
通訳として、日米戦争に関わる日系二世。
こんな人もいたんだなぁ。 -
大長編過ぎて、非常に読むのに時間がかかった、、、
中巻は東京裁判の序盤まで。
気になったのは、ポツダム宣言は無条件降伏ではないんだけど?と本筋とは違うところだけど気になった。 -
鬼頭軍曹、天羽忠、ブレイクにー弁護人、などが登場します。
ブレイクニー弁護人;「・・・アメリカ人弁護人として・・・!」
日本人の中には正々堂々とした人、卑怯な人、狂人と化した人がいたでしょう。アメリカ人も同様。正義に忠実な人、怒りに駆られて公正さを失った人もいたでしょう。
いろんな人がいるんだと思います。
そんな中で万国共通の価値観、それを身に付け、発揮できるだけの強靭な精神力。それも素質なのかなと思わせるのは、天羽乙七です。 -
これまで「大地の子」、「不毛地帯」等の戦争三部作以外にも「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」等、山崎豊子の小説を読んできたが、何か心に残る一節や感動が残ることは少ない。
山崎豊子の小説は、登場人物に感情移入する類の本ではなく、氏の緻密な取材・分析に基づく、氏が構築した過去の事実を知るための本だと思っている。
「二つの祖国」の主人公には正直共感できない部分の方が圧倒的に大きいが、この小説の肝は戦争を直接体験したことのない私達現代に生きる人間に、太平洋戦争時の日系アメリカ人の置かれた状況、戦争の凄まじさ、東京裁判の理不尽さ等を一端でも伝えることにあると思う。
小説としてはまるで面白さを感じないが、太平洋戦争を学ぶためには必読の一冊だと思う。
著者プロフィール
山崎豊子の作品





