次郎物語(中) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 136
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101105086

作品紹介・あらすじ

中学に進学した次郎は、兄恭一とその友人大沢らの感化で人生を深く考えるようになった。誤解が生んだ思わぬ事件から、次郎は朝倉先生の人柄に感銘を受けるが、時代は、しだいに軍国主義の影が濃くなり、自由を重んずる朝倉先生は辞職を勧告される。次郎たち中学五年生は、留任運動を計画するが…。苛酷な運命に負けず、自己を磨いてきた次郎は、最大の試練を受ける。

感想・レビュー・書評

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  • 嫌いでは全然ないし、ずんずん読めるし、次郎に感情移入もするんだけど、読んでて疲れてゆく‥。

  • 一生懸命生きたくなる。

  • 読んで良かった。ちょっと鬱憤が積もる展開が続く。活劇的には少し退屈するのだけど、散見する明文に刮目する。してしまう。

  • 中学生の頃に好きだった本

  • <中>が次郎物語のクライマックスではないかと思います。少年期から青年期へ向かう次郎の苦悩。その悩みを愛情を持って導く父親や教師。ほんとうに素晴らしいです。

    父のお店が潰れる直前。お酒の証文を片手に取り立てに来た人に、次郎は薄めたお酒を渡す。自己反省から、謝罪に行くが、相手からは謝罪は全く受け付けられず、一緒に行った父をも侮辱される。
    そんな次郎に中学の教師である朝倉先生から

    「『ミケランゼロという伊太利の彫刻家がね、――』
    と、先生は、いくぶんゆったりした調子になって、
    『ある日、友人と二人で散歩をしていた時に、道ばたの草っ原に大理石がころがっているのを見つけた。彼は、しばらくその黒ずんだ膚を見つめていたが、急に、友人をふりかえって、この石の中に女神が虜にされている、私はそれを救いださなければならない、と言った。そして、その大理石を自分のアトリエに運びこませ、それから毎日たんねんに鑿(のみ)をふるっていたが、とうとう、それを見事な女神の像に刻みあげてしまったそうだ。この話は、何でもないと言ってしまえば、何でもない話だ。彫刻家が自分の気に入った大理石を見つけ出してそれを彫刻するのは、何も珍しいことではないからね。しかし、考えようでは、人生の素晴らしい真理がその中に含まれているとも言えるんだ。どうだい、この話を聞いて何か感ずることはないかね。』
    (中略)
    『先生、わかりました。』
    『どうわかったんだ。』
    『人間の世の中は、草っ原にころがっている大理石のようなものです。』
    『うむ。』
    『その中には、女神のような美しいものがちゃんとそなわっているんです。』
    『うむ、それで?』
    『僕たちがそれを刻みだすんです。』
    (中略)
    『しかし、君の鑿(のみ)はすぐ潰れてしまったんじゃないか。』
    (中略)
    『僕、間違っていました。僕は決して潰れない鑿になるんです。』
    『しかし、潰れない鑿なんて、あるかね。』
    『あります。』
    『どんな鑿だい。』
    『それは、先生がさっきおっしゃったように、信ずることです。自分が努力さえすれば、それだけ世の中がよくなると信ずることです。』
    『うむ、その通りだ。人間の心の鑿は、彫刻家の鑿とはちがって、そうした信の力さえ失わなければ、決してつぶれるものではない。いや、堅いものにぶっつかればぶっつかるほど、かえって鋭くなっていくのが、人間の心の鑿だ。むろん、人間には過ちというものがある。また、自分のせっかくの真心が通らないで、かえってそのために侮辱を受けることもある。それは春月亭で経験したとおりだ。過ちを犯せば悔みたくもなるだろうし、侮辱を受けたら腹もたとう。しかし、それはそれでいいんだ。そのために信の力がくじけさえしなければ、後悔の涙も怒りの炎も、そのまま素晴らしい力となって生きていくんだ。』」

    さまざまありますが、もう一つだけ。
    師と仰ぐ朝倉先生の送別会で、次郎が朝倉先生の奥さんとのエピソードを発言した後、奥さんの話。
    「『次郎さんが、いつか私に、どなたにも秘密だとおっしゃって、こっそり見せていただいたお歌をすっぱぬくことにいたします。それは、こういうお歌でございます。』
    そう言って夫人はつぎの歌を二度ほど繰り返した。

    われをわが忘るる間なし道行けば硝子戸ごとにわが姿見ゆ

    それから、また言葉をつないで、
    『次郎さんは、このお歌は、白鳥会の精神とまるであべこべな心の秘密をうたったもので、人に見せるのは恥ずかしい、とおっしゃいました。なるほど一ときも自分を忘れることができないということは恥ずかしい事でございます。けれど、考えてみますと、たいていの人は、そんな人間でございます。そして、そんな人間でありながら、そのことに気がつかないで、いい気になっているものでございます。それこそなお一そう恥ずかしいことではございますまいか。私は、次郎さんのこのお歌を拝見いたしましたときに、はっとそのことに気がついたのでございます。』」

  • この小説に出てくる教育者は偉い。

  • レビューは上巻

  • まだ中なんだ。
    長いなあ。

  • 少し哲学・思想的になってきて私などが共感できるレベルを超えてしまった感はあるものの、いよいよ暗い時代に向かう日本と次郎の運命は悲しくもあるし、世間というものの怖さ・空しさに落胆し、自己問答が後を絶たない・・・。

  • 大人になってから読みました。
    きっかけは、新潮社文庫ではなくてDSの文学全集にて。読み始めはそれほど心惹かれなかった作品ですが、読み進めていくうちに続きが気になって一気に読み込みました。
    人生や生き方の力強い精神が息づいていて、現代の物にあふれて希薄な感情に水をかけられたように衝撃的でした。
    いくつもの名文があり、今も心の片隅にとどめるようにしています。

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著者プロフィール

作家、教育者、教育哲学者。      
1884年、佐賀県に生まれる。17歳ころから「内田夕闇」の筆名で文芸誌に投稿し、年少詩人として全国的に知られようになる。1909年、東京帝国大学文学科を卒業し、1911年、母校の佐賀中学校で教鞭をとる。唐津中学校長などを歴任したのち、日本統治下の台湾へと渡った。台中第一中学校校長、台北高等学校校長となり、1931年に教職を辞任。1933年、大日本青年団講習所長に就任し、在任中に小説『次郎物語』の執筆を開始する。1937年に講習所所長を辞任し、文筆活動と全国での講演活動に専念、昭和前期の青少年社会教育に大きな影響を与えた。1938年、『論語物語』を出版。1955年、逝去。主な著書に『現代訳論語』『この人を見よ』 などがある。

「2008年 『論語物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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