次郎物語(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101105093

感想・レビュー・書評

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  • 長い話だが、上ー下巻まで読み通してみると良いかと思います。
    下巻は大人になろうもする青少年の心の在り方に加えて、戦時に渦中の知識人がどのように物事を捉えていたのかわかる。

    考えろ というのは一つのメッセージか。

  • 最後の第5部。中学以降の次郎の話。朝倉先生が塾を務める青年塾での話です。青年を育てる。当時の軍国主義下では、軍部は号令のもと命を惜しまない青年を育てることこそ、日本国の為であると主張。そういう世論が強まっていく中、人間として成長することを目的とする友愛塾を展開する朝倉先生。そこに付き従い、助手を務めていく次郎だが、兄を慕う道江との恋愛との間で道に迷う。
    未完とはいえ、5部は最後まで書かれ終了しています。
    読んで良かったし、この本に出会えてよかったと思える本でした。
    5部最後の次郎の日記が、非常に感動したので抜き書きします。

    『僕は、中学一年にはいって間もないころ、しみじみと人間の運命というものの不思議さに思い至ったことがあった。それは、朝倉先生にはじめて接することができた時の喜びの原因を、それからそれへと過去にさかのぼって考えていくうちに、ついに、ぼくがお浜(乳母)の家に里子にやられたのが、そもそもの原因であることに気がついた時であった。ぼくは今あらためて同じようなことを考えないではいられない。というのは、ぼくが中学を追われたのも、友愛塾の助手になったのも、また、田沼先生の人格にふれ、大河無門という友人を得、全国の青年たちと親しむようになったのも、そしてさらに、悲しみと憤りをもって友愛塾に別れを告げ、自身のない新しい生活をはじめなければならなくなったのも、すべては朝倉先生とのつながりにその原因があり、もとをただせば、やはり里子ということにその遠因があると思うからである。
    道江の問題を考えてみてもやはり同様である。ぼくが道江を知ったのは、大巻との関係からだが、その大巻との関係は、今の母によって結ばれており、今の母がぼくの家に来るようになったのは、正木の祖父が僕の将来を気づかって父にそれをすすめたからのことであった。そして、ぼくがその当時将来を気づかわれるような子供であったのは、やはり里子ということにその遠因があったのだ。
    里子! 何という大きな力だろう。それは現在の僕のいっさいを決定しているのだ。僕の生活理想も、恋愛も。……そしておそらくそれは将来にもながく尾を引くことであろう。いや、あるいはぼくの一生がすでにそれによって決定されてしまっているのかもしれないのだ。
    こう考えて来ると、人間の自由とは一たい何だろう、とぼくは歌が側図にはいられない。おsれは円の中心から、自分の欲するままに、円周のどこへでも進んでいけるというようなことでは、絶対にない。おそらく、円の中心から円周に向かって、ほとんど重なりあうように接近して引かれた二つの線の間のスペースを、わずかな末広がりを楽しみに進んでいけるというにすぎないのではあるまいか。もしそうだとすると、それは自由というよりも、むしろ運命とよんだほうが適当だとさえ、ぼくには思えるのだ。
    だが、ぼくはまた考える。もしもぼくが、そうした運命感にとらわれて、正しく生きるための努力を放棄するならば、ぼくは円周のどの一点にも行きつくことができないであろう。ぼくにとって今たいせつなのことは、運命によってしめつけられた自由の窮屈さを嘆くことではなくて、そのわずかな自由を極度に生かしつつ、一刻も早く円周の一点にたどりつくことでなければならないのだ。ぼくには、このごろ、やっと一つの新しい夢が生まれかけている。それは、円周の一点にたどりつきさえすれば、そこから円周のどの点にも自由に動いて行けるのではないか、と思えて来たことだ。どんな偉人にだって運命はあった。かれらがその運命を克服して自由になり得たのは、運命の中のささやかな自由をたいせつにし、それを生かしつつ、円周の一点にたどりつくことができた時ではなかったろうか。ぼくにはそう思えてきたのである。』

  • ~23.02.17
    小学生の時に強制的に読まされた本。当時は時代背景がわからず、なかなか読み進められなかった。が、先日、国語の読解問題で一部が掲載されていて、読んでみたら、「あれ、面白い」と。で、40年ぶりに再読。
    「こんなにも自分のことを考える10代っているんだな」というのが率直な感想。自分のことを考えすぎて、面倒くさい人になっている感もあるが。
    朝倉先生も良いが、個人的には、権田原先生が好き。おおらかで、それでいてしっかりと生徒を一個人として、見ている。
    この後、次郎がどうなっていたのか、続きが読みたかった。戦中、そして、敗戦で、どんな意識で時代を過ごしたのか。残念である。

  • #888「次郎物語 下」
     下巻は第五部が丸々収録されてゐます。次郎も朝倉先生を追ふやうに学校を辞め、友愛塾の結成に尽力します。その経過で、新たに大河無門と云ふキャラクタアも登場し、次郎に大きな影響を与へます。その友愛塾も軍国主義の世の中に飲み込まれ無念の解散、朝倉先生を始めとする有志は、全国行脚で希望を繋ぐところで終つてしまひます。
     この後、第六部、第七部と構想があつたやうですが、作者の逝去により未完となりました。道江との関係とか、未解決の問題が気になるものの、詮無い事ですね。
     最近は「教養小説」なんて言葉すら聞く事は稀で、今の若者には向かないのでせうか。読み継いで貰ひたい作品ですな。

  • 第五部で次郎物語が終わってしまうのは、とても寂しい。まだまだ続きが読みたかった。「戦争末期の次郎を第六部、終戦後数年たってからの次郎を第七部として描いてみたいと思っている。」そう書いておられた一年後にお亡くなりになられた。

    二二六事件が勃発し、軍国主義に進みつつある時代に、東京の友愛塾で助手として働く次郎を取り巻く話。成長に応じた次郎の内面の葛藤は続く。
    物語の終盤、静岡県杉山部落を見学した話が記憶に残った。明治維新まで乞食部落と言われた貧しい部落が、数十年間の努力で山の斜面を茶畑と蜜柑畑にかえ、近代的な産業道路を持つ村に生まれ変わったという。農村でも都会でも、人々の真剣な取り組みに支えられて、この国が出来上がってきたのだなと改めて気付かされた。

  • 読んでよかった。

  • 時代の流れもあり、年齢のせいもあり、次郎がどんどん息苦しくなっていくのが辛いなあ‥。
    読んでいて疲れるのは、ナチュラルな女性蔑視が悲しい。
    時代的に仕方ないのはわかってるんだけどね。

  • 一緒に成長した感が凄い。本当に凄い小説。

  • 読んで良かった。ちょっと自己愛が強すぎる。しょうがないのだとは思うのだけど。そして、続きが読めないことへの寂しさがある。でも、大丈夫。

  • 第5部は半世紀前に書かれたものだけど、続きを読みたいなと感じます。もっと若いときに読めば良かったと思うけど、2部から5部は、まぁ50過ぎになったけども読んで良かった。

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著者プロフィール

1884年佐賀県生まれ。作家、社会教育家。1955年没。主著に『次郎物語』『教育的反省』ほか多数。

「2020年 『青年の思索のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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