小説日本芸譚 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1961年6月22日発売)
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本 ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784101109015

感想・レビュー・書評

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  • ここからまた読書の幅が広がりそうで嬉しい。早速野上弥生子の『秀吉と利休』入手した。

  • 数々の日本史に残る芸術家に関する短編小説。
    何を成し遂げたか、というよりも、人間性に迫っていくところが面白い。
    もちろん、具体的なところは、想像でしかないわけだが、それをうまく作り込んでいる。

    例えば、一流の芸術家だとしても、世代交代というものに思い悩むことがあるだろうし、素晴らしい芸術家ほど、精神的に脆弱であり、二重人格であるかもしれない。

    また、ここで取り上げられる芸術家は、歴史上は、表面的には取り上げられる機会が少ないのかもしれないが、例えば、茶道家などは、政治とも深く関係があったわけで、そのような史実を学ぶ上でも有益なヒントを与えてくれる。

    ただ、どうしても短編小説なので、ここから、個々人のことを更に深掘りしていく動きが良いのだと思った。

    以下抜粋~
    ・秀吉は信長になろうとしているのだ。これまでの秀吉のやり方を観ていると、戦争でも、部下の操縦でも、みんな信長の真似であった。信長の模倣において、利休を捉えているとしか思えなかった。
    なるほど、秀吉は数奇者として異常に熱心である。が、それは何か的が外れていた。美への直感というものが無かった。(千利休)

    ・これだった。今まで概念的な知識でしかなかった宗元画の山水が、この眼で実地に見て具象的に実体を把握したことである。内面の充実がそこにある。
    (雪舟)

    ・そのころ、織部は切支丹にひどく牽かれていた。彼の妹は、高山右近の妻だった。
    織部は南蛮器物に施された意匠に驚嘆した。色彩は強烈で明るかった。
    (古田綾部)

    ・利休は、町人の茶に我執して自滅した。おれは茶人と同時に武人だった。すると、おれは武人であったが故に、その側のために自滅したのだな、と彼はぼんやりと思った。
    (古田織部)

    ・政一はもっと多芸であった。建築、造庭、書、生花、和歌といった風である。(小堀遠州)

    ・利休の茶道は、要するに町人茶道であった。
    戦国争乱で京都の貴族が逃亡してきて、この地に茶道がひろまったといわれる。
    が、利休の「わび」は町人の芸術であった。前の時代の無常観とはちがう。
    禅学的な教養をもつ武士階級の感情には当然に反撥があった。利休の死滅後、三万五千石の大名古田織部によって利休の茶道は変改させられる結果になった。
    (小堀遠州)

    ・なぜ蘇我氏が帰化人に人気があったかというと、仏教信奉の問題にかかる。(止利仏師)

  • 「抽象には何かがあるかも知れないが、それを感じ取るまでには時間と忍耐を要する。写実は瞬時の躊躇なく直截に訴える。それが見事な出来であればあるほど、素朴な感嘆を与える。作家の精神が、民衆の距離のない感動に融け合うのだ。もともと信仰の本質は感動ではないか。」(『運慶』より)

  • 運慶、雪舟、織部など日本史に残る芸術家の心情を描いていて特に新たな世代や価値観における葛藤は興味深い。
    それにしても最後の仏師の話は資料が無いと作家の妄想的私小説みたいになっていて当時の編集者がよくOKしたと思う。内容の理解が足りないのかもしれないけどこの連作で1番楽しみにしていたところだったので残念。

  • (01)
    歴史に登場する10人の芸術家たち(*02)にそれぞれスポットを当て、彼らの苦渋や葛藤とともに、その作家性や作品の特質を想像の中に描いている。といっても、古代から近世の人物であり、それぞれ残された記録も多いわけではない。そして、その芸術的な行為は、現代の芸術家の生業とも異なる文脈に属している。とりわけ権力との距離や体制、そして芸術を成立させる技術や情報に現代との断絶がある。
    しかし、著者は、そこを飛躍し、彼らを生き生きと描いており、その生命は、矛盾はしているが、どうも彼らの現代性にあるのかのようでもある。

    (02)
    立体としては運慶や止利仏師が、平面としては雪舟、岩佐又兵衛、光悦、写楽が、工芸や数寄としては千利休、古田織部、小堀遠州が、そして舞踊とし世阿弥が取り上げられており、ひとつの書物に収められた布陣としてもバランスが取れている。もちろん彼らにはそれぞれライバルもいて、パトロンもいる。芸に対する構えには、それほど濃淡はないが、先天的な境遇は様々で、そこに歴史的環境を読むのも楽しい。

  • 思い描いていたような松本清張作品とは違た。

    歴史上の人物を身近に感じさせてくれ、
    自分の中の世界を広げてくれた作品。

  • アーティスト快慶を嫉妬するプロデューサー運慶、足利義嗣が自刃したのちに足利義持に放逐された世阿弥、下品な秀吉を軽蔑していた千利休、絵は下手だったが中国で構図の妙を手に入れた雪舟、商人の茶道を否定し武家の茶道をつくりあげた古田織部、師匠らしい師匠につかなかったため画流ルーツが漠としている岩佐又兵衛、茶碗の目利きしか家康に能を見出してもらえず武士としての手柄も稼がせてもらえなかった小堀遠州、俵屋宗達をうまく操作し商売人としての技量のほうこそ注目される本阿弥光悦、個性の強すぎる画のため売れずに屈折した東洲斎写楽、テーマが古すぎて上手にまとめることができなかった止利仏師のこと、松本清張の博学がふんだんに活かされまるで小説版ギャラリーフェイクでとても楽しめました

  • 松本清張というと推理小説のイメージが強いが、歴史小説も書いていたんですね。
    これは芸術家列伝。
    利休あたりは興味深く読めた。

  • 清張的作品果然還是有一定的品質,個人最喜歡運慶這一篇,織部和遠州的內容也頗喜歡。除了社會整體與美感的氛圍的說明,藝術家的心理也寫到要點但不囉嗦,這部份是我最喜歡的部分,整體而言是相當不錯的短篇小說。唯獨身為宗達的粉絲,對於該篇所塑造的宗達像抱有若干違和感。清張個人的藝術觀也相當直白,提到光悅包裝自己的才能,他相當肯定光悅的字,但其他東西都是職人(在他的指導/影響下)做出來的,或者是過譽的,例如茶碗。我確實並不太了解光悅的茶碗好在哪裡,畢竟總是只能隔著玻璃櫥窗觀看而已,但面對一片讚譽的聲浪,讀到這段突然讓我開始質疑和重考光悅的人物像。而一個所謂多才多藝的藝術家是否所有作品都會雞犬升天呢?再怎麼富盛名的藝術家還是需一個個作品考察並感受,然而實際上究竟誰做的?作家的人物像?這點當然是永遠的謎團了。

  • 松本清張さんはやはり暗いというか事件を持っているかのよう。

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著者プロフィール

1909年、福岡県生まれ。92年没。印刷工を経て朝日新聞九州支社広告部に入社。52年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。以降、社会派推理、昭和史、古代史など様々な分野で旺盛な作家活動を続ける。代表作に「砂の器」「昭和史発掘」など多数。

「2023年 『内海の輪 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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