米内光政 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (640ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101110066

感想・レビュー・書評

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  • 義実家が岩手県で、伯父さんから岩手出身の総理大臣が多いことを聞かされ、興味を覚えて読んでみた。原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸。海軍畑が多いのは海が近いからでしょうかと伺うと、当時は貧しく食べるために軍隊に入るしかなかったと聞いて腑に落ちたのを覚えている。
    かつての朝敵で反骨心があり、寡黙だが芯が強くぶれないのは何か県民性なのかなと感じた。

  • 井上成美と米内光政が一貫した思想をもって進めた終戦工作があって無事に戦争を終結させることができたことを認識した。私はマリアナ沖海戦で日本の敗北はほぼ決定していたのに日本の指導者はなぜもっと早くに戦争終結の道を選ばなかったのかとずっと思っていたのでなんだか少しホッとした。しかしその工作はかなり困難なものだったはず。この点をもう少し調べて見ようと思う。

  • 2012.1記。

    太平洋戦争前夜の海軍大臣にして首相の地位にあった米内光政の伝記的小説。その人となりを周囲の人の証言をもとに描き出すことが本書の狙いであるが、史実に忠実であろうとすると同時に、著者は主人公に強い共感を抱いていることを隠しておらず、そのことがかえって読後感を心に残るものにしている。

    米内光政は必ずしも同期の秀才ではなかったらしい。実際、参謀だの米国大使館だのを同期が歴任する中、佐世保あたりで芸者にもてまくってたりする。しかし、時代とともにドイツと連合して対ソ戦に備えるべきと主張する陸軍と、ドイツと組めば対米戦争不可避と絶対反対の米内ら一部海軍との対立が先鋭化、政治もこう着していく。
    こうした世相の中、省内で名も知られていなかった米内が次第に中枢に上り詰めていくプロセスは読みごたえがある。

    「カミソリみたいな井上さん(井上成美)を、参謀長として、のちには次官として、上手に包み込んで使っておられた」という人使いの妙。
    一方で「(米内さんはいつも井上や山本五十六とだけ話をするので)・・・部課長クラスが何を言ってきても…あまり相手にしない。まあお前たち適当にやれヨというようなことで・・・この点、陸軍は下が動かしているんですからね」などという証言は、あらゆる職場において目にする風景であり、サラリーマンとして色々思うところがあった。

    太平洋戦争緒戦の勝利に国民は沸いたが、実際には日本軍がもっこと鋤で防御陣地を作っていた頃、米軍はブルドーザーで陣地構築していた(占領地で接収し、日本軍人のほとんどが初めてその機械を目の当たりにすることになる)。この圧倒的な国力差によって日本が追い詰められていく様は、読んでいて暗澹とした気分にさせられる。

    この本を読んでも、「なぜかくも明確な戦力差がありながら戦争に突入したのか」の答えが見つかるわけではない。米内という人への評価も一つではないだろうと思う。それでもこの時代の一断面を知る上で、極めて示唆に富んだ一冊であるとは言えるように思う。

  • 豪快な性格ながらも、極限状態では緻密な判断を下せる能力。これが米内が持つ人を惹きつける力だったのか?著者が言うように、陸軍のトップも米内のようなカリスマ性を持っていれば果たして・・・

  • 終戦時の海軍大臣。いわゆる秀才タイプではないものの、識見と確固たる信念を持ち、胆力を持つリーダー。本土決戦派を抑えて終戦工作という困難を成し遂げた。
    他方で、持ち前の面倒くさがりか無口からか、海軍内の主張・理念を部内に周知徹底させず結果として海軍として一枚岩の形にすることを怠ったことは悔やまれる。

  • 太平洋戦争に、井上成美、山本五十六と反対し続きた海軍の米内光政。

    米内光政とはどのような人物なのか、なぜ内閣は短命で終わったのか。

    なぜ昭和天皇に気に入られたのか。

    あの有名な畑俊六の極当国際軍事裁判での米内光政。

    この本を読み終わった時には、彼をもっと知りたいと思えるようになる。

    彼の内閣が短命で終わらなかったら、、、と考えると戦争は終わっていたのではないかと考えます。

    表面上、日本は軍部全員が全員戦争賛成をして敗戦したように見えるが、最後の最後まで殺されるかも分からない時に反対し続けた米内光政。

    彼から学べることは沢山ありました。
    とても面白かったです。

  • 評価が分かれる人で、取り上げていない部分もあり、この本だけで米内光政を理解することはできない。だが、この本で描かれている部分も彼の一面として確かにあったのかと思う。全てフィクションだったとしても、物語の主人公としてとても魅力的だった。老荘での理想的な人物像を体現しているとのことで、こういう人には惹かれる。

  • この本には書かれていない負の側面も米内光政にはあるそうだが、それを考慮したとしても、不思議なひと、そして最後の局面で役割を果たした立派な人ということになるだろうか。
    完全無欠ではない中で、どれだけ頑張れるかという糧になるかな

  •  今年は米内光政(1880-1948)生誕140年といふことです。この人は「第37代内閣総理大臣」といふよりも、「最後の海軍大臣」としての方が存在感があつたやうです。
     本書はその米内光政を、やはり海軍出身の阿川弘之が執筆した評伝小説であります。
     元来米内光政といふ人は、兵学校でも平凡な成績で、さう優秀とも目されず目立たぬ経歴だつたやうです。何かと「俺が俺が」の軍人の中では異色の存在と申せませう。そのせいか、若い時分の記録はあやふやで、詳らかではないみたい。盛岡出身ですが郷里でのエピソードは少なく、本書でもイキナリ春日艦長(海軍大佐)としての登場であります。

     部下に対しても必要最低限の事しか伝へず、時には必要な事さへ伝へず誤解をされたり(鈍重なのでは?と)、有事でもなければ歴史に残る事もなく、そのまま埋もれた人だとも言はれてゐます。確かに、本当に重要な事といふのは案外少なく、たいていの事は「まあ、どうでもいいよ」で済むやうな気がします。しかしそれにしてもこの人は度が過ぎた面倒臭がりだといふ評もありました。
     ゆゑに本書の記述は、彼に関はつた人物の証言が中心なので、小説としては物足りないかも知れません。一点、米内の人となりと思想を、歴史に絡めて浮き彫りにするといふ意図ではないでせうか。

     有事でもなければ埋もれた筈の人物が、まさに太平洋戦争といふ未曾有の有事に巻き込まれた訳であります。海軍左派トリオと呼ばれた米内・山本五十六・井上成美らの反対も虚しく開戦し、日本は予想通り壊滅的な打撃を受けます。二度目の海軍大臣就任の役割としては、終戦工作をいかに国策に叶ふやうに遂行するか、といふ事でした。既に予備役となつてゐた米内を、まさに歴史が必要としたと申せませう。

     確かに「陸軍=悪」「海軍=善」とは単純に言へないし、「天下の愚将」といふ米内評もあります。それだけ一筋縄では行かぬ、茫洋とした人物像が浮かんできます。幸ひ米内光政については、色色と書物が出てをります。米内礼讃に飽き足らぬ人は、他の文献にも当ると宜しからうと存じます。本書は本書で、つかみどころのない米内光政といふ人物の輪郭を力強く描写した、骨太の一冊でございます。

  • 日本に必要な人物。少しでもこの方の声に耳を傾け、国民の生活を考えられる人がいれば良かったのに。今の日本も、国民のことを第1に考えて政をしてる方が現れることを祈りたい。

    桜の会を弾劾するために、税金の高給取りが子供に見せられない野次を飛ばし、記憶に無い、私の管轄では無いと何十時間も平行線の無駄な時間を費やすのだろうか……

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著者プロフィール

阿川弘之
一九二〇年(大正九)広島市に生まれる。四二年(昭和一七)九月、東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業。兵科予備学生として海軍に入隊し、海軍大尉として中国の漢口にて終戦を迎えた。四六年復員。小説家、評論家。主な作品に『春の城』(読売文学賞)、『雲の墓標』、『山本五十六』(新潮社文学賞)、『米内光政』、『井上成美』(日本文学大賞)、『志賀直哉』(毎日出版文化賞、野間文芸賞)、『食味風々録』(読売文学賞)、『南蛮阿房列車』など。九五年(平成七)『高松宮日記』(全八巻)の編纂校訂に携わる。七八年、第三五回日本芸術院賞恩賜賞受賞。九三年、文化功労者に顕彰される。九九年、文化勲章受章。二〇〇七年、菊池寛賞受賞。日本芸術院会員。二〇一五年(平成二七)没。

「2023年 『海軍こぼれ話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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