- 本 ・本 (724ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101110141
感想・レビュー・書評
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井上成美を知ったのは、第二次世界大戦の敗け方を組織論の観点から分析した『失敗の本質』だった。
彼は日本全体が開戦ムードに傾く中、徹底して非開戦を唱え、艦隊決戦論が主流の海軍で航空主兵論を説いたという。
合理主義者で誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをすることから煙たがれる場面も多かったようだが、自分の頭で考え抜き、正しいと思ったことを貫く姿勢に私は感銘を受けた。
同じ著者が書いた、『米内光政』や『山本五十六』(どちらも井上成美の実力を買って重用した)も読んでみたいと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東郷平八郎や山本五十六のような著名な戦功をあげた人物ではないにも関わらず、本書は色々なところで推薦されており、30年以上も読み継がれています。その理由を知りたかったのですが、確かに今の世にも通じる内容が多いのだなと感じました。
本を読み進めていくと、井上成美という人物像について、以下の点が浮かんできます。
・希望的観測を嫌って事実を重視し、合理性を重んじる人だった。
・冷静な観察眼や大局観を持っていた。
・組織に対しても迎合しなかった。
・故に、周りから疎まれていった。
真の理解者は米内光政など限られた人のみだったようですが、少数でも深い理解者とともに仕事ができることは幸せなのかもしれない、とも思ったりします。周りから見ると少し偏屈な人物だったようですが、自らの任務と職責に対する態度、および、自らのスタッフへの接し方は見習いたいところが多いです。
また、本書は「組織力学」「教育論」に関する示唆も多く含んでいます。700ページを超えますが、一人の軍人の伝記といったカテゴリーを超えて、多くの人に読んでほしい一冊です。 -
先日読んだ『失敗の本質』の中で艦隊思想が主流の日本海軍の中で一部に航空強化論があったことが語られており、興味を持った。井上大将の徹底した合理的思考は常人からは敬遠されがち。だが、その本性は冷徹漢ではなく、むしろ”人をつくる”ことに心血を注いだ人生である。こういう人が懐刀に止まらず、サクッとトップに立ち、時代に合うグランドデザインを描くと組織は強いのだろう。戦争物の本は今まであまり読んでいないので読みづらいが自分が広がる感じがしてそこも良い経験だった。面白かった。
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海軍の反戦大将
読んでて思ったのは、強化版 御手洗くん
ゴリゴリの合理主義者でよくあの時代に暗殺されなかったなと思う
日本人特有のその場の空気を大切にするのが嫌いで、なし崩し的に事が進むくらいなら、孤高を選んででも意見する
兵法家としての才能はからっきしりだけど、三国同盟時期と江田島校長時代の功績は本当に凄い
特に日本には絶対必要なタイプの人間だと思う
三提督に触れる機会を与えてくれた阿川さんに感謝です -
山本五十六、米内光政、井上成美。
ともに帝国海軍大将、三国同盟反対派、米英戦争反対派。
井上成美はこの中で一番知られていないが、もっとも戦後に影響を与えたと言っても過言ではないと感じた。
満洲事変から太平洋戦争に至るまで、海軍が陸軍の横暴を抑えられれば日本の運命ももっと良くなっていたと思わざるおえない。 -
「阿川弘之」が「井上成美」を描いた伝記『井上成美』を読みました。
『国を思うて何が悪い ~一自由主義者の憤慨録~』、『山本五十六〈上〉〈下〉』に続き、「阿川弘之」追悼読書です。
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一億総玉砕だけは避けねばならぬ。
孤高にして清貧。
日米開戦を強硬に反対した、最後の海軍大将の反骨心溢れる生涯。
昭和五十年暮、最後の元海軍大将が逝った。
帝国海軍きっての知性といわれた「井上成美」である。
彼は、終始無謀な対米戦争に批判的で、兵学校校長時代は英語教育廃止論をしりぞけ、敗戦前夜は一億玉砕を避けるべく終戦工作に身命を賭し、戦後は近所の子供たちに英語を教えながら清貧の生活を貫いた。
「山本五十六」「米内光政」に続く、著者のライフワーク海軍提督三部作完結編。
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海軍提督三部作の完結篇、、、
「井上成美」のことは、あまり知らなかったのですが、『山本五十六〈上〉〈下〉』を読んで、その冷静でストイックな生き方が気になったので、本書を読んでみました。
大局的な見地で物事を考え、客観的かつ冷静な判断力を持ち、曲がったことが大嫌いで、妥協することなく自分の考えを貫き、相手が誰であっても自分の主張を明確に… そして、歯に衣着せずに、そのまま伝える姿勢には憧れを感じますね、、、
自分に不足している部分だからかなぁ。
「山本五十六」が「近衛文麿首相」に対米戦の見込みを聞かれ、
「ぜひともやれと言われるなら、最初の一年や一年半は思う存分暴れてご覧に入れます」
と宣言したことに対して、
「山本さんは何故あの時あんなことを言ったのか。
軍事に素人で優柔不断の近衛公があれを聞けば、とにかく一年半は持つらしいと曖昧な気持ちになるのは決まり切っていた。
『海軍は対米戦争やれません。やれば必ず負けます、それで聯合艦隊司令長官の資格がないといわれるなら私は辞めます』
と、何故はっきり言い切らなかったか」
と明確に批判する等、親密な関係にあった人物であっても、はっきり言っちゃうんですからね。
あまりにも頑固で、潔癖症で、そして、論理的に説明できないことは受け入れない、、、
特に金銭面に関する潔癖性については異常なまで拘り、戦後は長井に隠遁し清貧な暮らしを営むことになりますが… 教育への拘りは捨てきれず、私塾を開いて近所の子ども達に英語を教えていたようです。
江田島の海軍兵学校時代の言動も考えると、軍人や政治家よりも教育者の方が向いていたんじゃないかと思いますね。
友人や親戚だと、付き合いが難しい存在でしょうが、、、
恩師として知り合うのが理想な人物なのかもしれませんね。
「井上成美」の言葉、、、
「私の見通しこそ正しかった。
私の意見、立案に耳傾けていてくれたら、こんな惨澹たる敗戦には立ち至らずにすんだのに」
この人が、もっと日本のトップに近い位置にいたら、日本の歴史は大きく変わったと思います。 -
最後の海軍大将となっていたが、実は本人はこれを断固拒否していたとは。一貫して米英との戦争と日独伊三国同盟に反対を唱え、戦艦での海戦を時代遅れとし、いち早く飛行機での空戦が主体となることを主張した先見の明。戦後の日本の復興にも大きく関わって欲しかったかも
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当時戦争に反対していた人はかなりいたと思うがここまで徹底して反対していた人は少なかったのではないか。
第二次大戦前のヨーロッパにおいて侵略の犠牲になった国と中立を全うした国の条件を整理しての「侵略国が攻撃のために支払う損害が、その獲得し得る利益よりも大きいと思わせるに足る抵抗力を一国が保持する時は中立の維持が可能でである」という箇所は、まとめてみると当たり前だがなるほどと思って考えさせられた。
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