- 本 ・本 (525ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101110158
感想・レビュー・書評
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なにより、阿川氏の真摯かつ綿密な調査が美しかった。題材が題材なだけに、うまく調理しなければ粗も目立つところをはっきり書ききっているように思えた。
とりとめがないレヴューになりそうなので内容にあれこれ触れるのはよすが、他の方が書いている通り最終章に近づくにつれてどうにも寂しくなる。志賀氏がまた逝ってしまった気持ちになった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
志賀直哉の弟子、阿川弘之による伝記。
上下合わせて千ページ越えの大作。正直なところ全部が全部興味深く読めたわけではないが、読む前のイメージに反して、実に素晴らしかったというのが素直な感想。
志賀直哉自身もそうだが、その周辺の人たちが鮮やかに描き出される。武者小路実篤、梅原龍三郎、広津和郎、里見弴といった同時代人や、瀧井孝作、尾崎一雄、網野菊、直井潔といった弟子たち。今やこういう人達は講談社文芸文庫あたりでないと読めない。彼らの作品にもまた触れたいと思ったが、直哉自身の作品についてもまた読んでみたいという思いが強くなった。「万暦赤絵」とか昔読んだが、たぶん10代で読んでもなんだかわからないのだろう。「山鳩」は読んだのだろうか。最も読んでみたいと思った一編である。
いろいろと興味深い点はあるが、一つ「日本の国語をフランス語に」のところをとりあげたい。志賀直哉自身、達意の日本語の駆使者というイメージであるが、その直哉が「いっそのこと公用語をフランス語のようなものにすればいい」という発言をしているのである。その発言に対し、阿川弘之もかなりのとまどいを見せている。どのように先生の発言をとらえればいいのだろうかと。この発言自体は、真意はわかりかねるが、ひょっとすると思いつきなのかもしれない。日本語との格闘の末に、なんと扱いづらい言葉であるか、という思いがしたのかもしれない。この時代の人はみんな苦労していると思う。ただ、それに「ショックを受けた」という阿川弘之自身の率直な思いや、それについて何か言及したものが他にないかどうかを調べるその姿勢。そういった熱意がこの本全体を支えている。
「葬送の記」あたりは涙なしに読めなかった。 -
大御所の大作にして力作…の筈なんだけど,ちょっと調子が狂ってるような.
さして重要でもない脇役人物をその先祖の代まで遡って延々と説明してたり,同じエピソードが何度も出て来たり.「詳しくは後に述べるが」とあって読んで行くとあまり詳しくなかったりというような妙な箇所が目立つ.
上巻の時代は,まだ作者本人が志賀直哉に逢っていないし関係者は既に生きてないのだから多少の迷走も仕方ないと思って読み進めたが,下巻の阿川弘之本人が出て来る時代になると今度は「覚えていない」だの「私は日記を書かないので」と腰が引けている.加えて志賀本人に長く接してた割には志賀の肉体感が伝わって来ない.『説明するのではなく描写せよ』ってのは師匠の教えじゃなかったかな.「神様」はあくまでも神様であって欲しいということなのか.……とまぁ憎まれ口を叩いたが基本的には愛情を感じられる良書.
ちなみに北 杜夫の巻末解説の酷さは驚くべきもので,只の本文抜き書きに近い.マンボウ哀愁のヨーロッパ再訪記を読んだ時にも思ったが,腕が落ちた云々という段階ではなく,既に書く能力を失っていると思う.こんなになっちまった人に解説を書かせるのも痛ましい.
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