アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101112039

作品紹介・あらすじ

昭和20年9月21日、神戸・三宮駅構内で浮浪児の清太が死んだ。虱だらけの腹巻きの中にあったドロップの缶。その缶を駅員が暗がりに投げると、栄養失調で死んだ四歳の妹、節子の白い骨がころげ、蛍があわただしくとびかった-浮浪児兄妹の餓死までを独自の文体で印象深く描いた『火垂るの墓』、そして『アメリカひじき』の直木賞受賞の二作をはじめ、著者の作家的原点を示す6編。

感想・レビュー・書評

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  • 1.著者;野坂氏(2015年没)は、作家・作詞家・歌手・政治家。実母の死別後に養子に出され、2人の妹も養子となる。野坂氏は神戸で罹災し、養父母を失い、浮浪児生活を送った。上の妹を病気で、下の妹を栄養失調で亡くす。「エロ事師たち」で作家デビュー。「火垂るの墓」等で直木賞、「同心円」で吉川英治文学賞などを受賞。他に「おもちゃのチャチャチャ」で 日本レコード大賞、参議院議員に当選する等、マルチ人間。
    2.本書;浮浪児兄妹の餓死までを描いた短編小説。「主人公の清太(14歳)は、病弱な母の死後、妹(節子)と遠縁の未亡人宅に引取られます。実子との食事差別。清太はそれが嫌で、二人は川辺の防空壕で生活。満足な食事が出来ず、妹が栄養失調で死に、清太も同様に死ぬ」という、野坂氏の原体験小説。著者は「妹への贖罪のつもりで書いた」と言います。「(妹)が泣けば、深夜におぶって表を歩き、あせもとシラミで妹の肌はまだらに色取られ、海で水浴させた。(妹)の無残な骨と皮の死様を悔む気持ちが強い」と回想。本書は他に5編収録。「戦争がなければ」と、涙せずには読めない力作。
    3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
    (1)『火垂るの墓』より、「死んだ清太が持っていたドロップ缶の蓋がとれ、白い粉がこぼれ、小さい骨の欠片が三つ転げ、草に宿っていた蛍が驚いて二、三十慌しく点滅しながら飛び交い、やがて静まる。白い骨は清太の妹、節子、・・防空壕の中で死に、死病は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るように身罷ったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死」
    ●感想⇒本書を再読し、度々涙します。その訳は私事にあります。物心つかない幼少の頃、疫痢(伝染病)にかかりました。医師から余命一週間と宣と言われていたのに、姉は隙を見て入室し、高熱で苦しむ私の顔を冷たいタオルで拭いたそうです。姉に病気が転移し、その後亡くなり、私は元気になったそうです。成人した頃に、祖母がその事を話してくれ「お前は姉の分まで健康に生きなければいけないよ」と言われました。幼少だったので、姉の顔を思い出せません。悲しい気持ちが込みあげます。「火垂るの墓」を読むと、戦争がもたらした悲劇とは言え、他人事とは思えない感動に包まれ、人間愛の貴さを再認識します。
    (2)『火垂るの墓』より、「“せめてあんた(清太)、(節子)を泣かせんようにしたらどないやの、うるそうて寝られへん”ピシャリと襖を閉め、その権幕に益々泣きじゃくる節子を連れ、夜道に出ると、相変わらずの蛍で、いっそ節子さえおらなんだら、一瞬考えるが、すぐ背中で寝付くその姿、気のせいか目方もグンと軽くなり、額や腕、蚊に食われ放題、ひっかけば必ず膿む」
    ●感想⇒友人に苦労人がいます。彼は夜間高校から大学に進み、弁護士になりました。聞けば、高校時代は弁護士事務所で書生として働き、住み込み生活を送ったそうです。「食事をするにも、トイレに行くにも、遠慮の連続で、身が細る苦労だった」と述懐していました。その体験から、今では弱者に寄添う弁 護を軸とした活動をしています。某大学での講義や、本を出版したりの活躍です。若き日の厳しい体験があったからこそ、世間の片隅に追いやられがちな人々の弁護に精を出しているようです。頭が下がります。これからも社会的弱者の後ろ盾として、行動してほしいと願います。
    (3)『ラ・クンパルシータ(タンゴの名曲)』より、「百姓の子弟の多い同級生は、卵焼きタラコ塩昆布梅干し、懐かしい昼弁当を当り前のようにひろげ、高志のみは無くて、学校の購買部で売る一皿十円の芋パンを買うそぶり、だがその金もなく、ひたすらにじみ上がる唾を飲み込み」
    ●感想⇒「ラ・クンパルシータ」は少年院に収容された戦争孤児の話。戦争で家族や家を失い、生きる為に盗みを働き、犯罪者になる者が多かったようです。私事です。私の家は裕福とは言えず、よく麦飯を食べました(麦は今こそ健康食ですが、当時は貧乏人の代名詞)。小学生の頃、弁当に麦飯を持っていくと、同級生によくからかわれました。「お前んちの飯は色付きだなあ、白米は無いのか」と。「いつか見ていろ」との思いでした。一方で、貧しくとも祖母から数々の人生訓を学びました。「三度のご飯を頂ける事に感謝しなさい」「恩を忘れたら、犬畜生にも劣る」「三つ子の魂百まで」・・・、私の行動指針です。人間は、辛い事を経験し、克服する毎に成長出来ると信じています。
    4.まとめ;本書は6つの短編構成。「火垂るの墓」は勿論、「焼土層(生活保護をうけず、少額の仕送りで生活し、プライドを守る義母)」にも心を動かされました。「野坂氏は、既成の権威や秩序が音をたてて崩れ落ちるのを、その目で見、その肌で感じた世代」と解説にあります。想像を絶する日々を生き抜いたのでしょう。戦争は人々に大きなダメージを与えるだけです。アインシュタインが戦争の起因について語っています。「知識人こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走り易い」と。保身の為に、自身の哲学無き政治リーダーには閉口です。戦争回避の為に、庶民感覚でバランスの取れた世界観を持つ指導者を選択したいものです。所で、私は、多彩な顔を持った野坂氏が「火垂るの墓」書いたと思えませんでした。本書は氏の体験が滲み出おり、他人には書けない作品です。戦争がもたらす悲劇に心が痛みます。レビューに個人的な事を書き過ぎました。ご容赦を。(以上)

  • 今まで、ジブリ版の絵本等で読んだりはしていたけれど、野坂昭如さんの小説で読むには初です。

    「火垂るの墓」
    昭和22年敗戦後、混乱の中。駅構内のトイレの近く、戦争孤児となり、浮浪児となってしまった少年が、亡くなる。
    戦争で、家を親を失い、最後に親身に世話をしていた妹を亡くす。彼も駅構内で力尽きる。
    駅員が、投げたドロップ缶から転げ落ちる妹の骨。
    野坂さんの饒舌体と言われるらしい、言葉が次々とたたみかけてくるような文章が、映像とは又違った、苦しみと悲しみの連続に圧倒されました。

    「アメリカひじき」
    敗戦時、少年であった男が、22年後、日本観光に来るハワイのアメリカ人夫婦を自宅で接待する。
    敗戦時と現在が交互に語られ、アメリカという大国に、国だけでなく人種としても劣っていたというコンプレックスから、逃げられない。
    が、精一杯もてなそうと頑張るが、どうもアメリカ人の行動に同調しきれない。

    「焼工層」
    敗戦直後、貧困から養母の元を離れて実父の元に戻った少年。養母は、少年の未来と幸せを願うことが、人生の糧であった。
    社会人として成長した少年は、養母の死の知らせを受け、彼女の最期の場所を訪れる。
    そこは、貧しい間借り部屋のような一室。戦争で焼かれた家と夫が眠る側。

    「死児を育てる」
    自分の娘を殺してしまった女性。
    彼女は、戦中、貧しさとひもじさに 抱えて面倒をみていた妹に手をあげていた。妹は、彼女が留守をしている間に亡くなる。その死は、彼女の故意であったのか。その深い傷は、娘が妹の死んだ歳になった時、再び罪を犯す。

    戦争により、家、親、食、全て失った、少年少女達の絶望感に苦しくなります。

    • おびのりさん
      私、人間失格読了3回くらいしてるんだけど、もう太宰治のレビューが嫌んなっちゃって、放棄中。
      私、人間失格読了3回くらいしてるんだけど、もう太宰治のレビューが嫌んなっちゃって、放棄中。
      2023/12/09
    • みんみんさん
      やっぱ一回くらい読んでみよ笑
      やっぱ一回くらい読んでみよ笑
      2023/12/10
    • おびのりさん
      そうそう。案外、薄い本。
      そうそう。案外、薄い本。
      2023/12/10
  • 日本の敗戦を感じる 火垂るの墓
    黒い福音(ドラマ見た方も楽しめる 黒い福音)に続き、
    日本は敗戦国なのだ、と感じさせる一冊。
    黒い福音よりもはるかに、戦争色が強い作品集でした。

    火垂るの墓は映画版を何度も見ていますが、まさにこの文章を
    そのままアニメーションにしたものだ、と冒頭びっくりしました。
    原作の野坂さんが試写を見て号泣されたというのがわかります。

    短い短編ではありますが、映像化するには、これくらいの短さで
    十分なんだな、と感じます。
    藪の中だったり、萩尾望都さんの作品とかも、ごく短い短編で
    深い物語が紡がれていますから。

    そして、野坂さんの作品を読むのが初めてなのですが、句点が
    極端に少ない、読点「、」でたたみかけるような文章。
    どうしても語りたい、語らないといけないという強い意思を
    感じるような文章です。

    最初はうわっと思ったのですが、読み進めているうちにこの文章の
    リズムに引き込まれている自分に気づきました。

    実際の体験を元に、パラレルストーリーがいくつも分岐して、
    様々な小説世界が作られている一冊です。
    薄いけど、読みごたえは十分でありました。

  •  阪急「甲陽園」駅から歩いてすぐの所に「火垂るの墓」の舞台となった満池谷の浄水場(ニテコ池)がある。作品では、十四歳の清太と四歳の妹節子がこの浄水場のほとりにある横穴に住み、妹が亡くなるまでのーカ月余りを生活していた。
    現在、この浄水場は西宮市の越水浄水場となり池の周囲ばコンクリートの堤防で囲まれ。下に降りる事はできない。池の中央にはライオンズクラブで寄付した噴水が勢いよく水を噴き出していた。
     お盆の為か満池谷幕地にはひっきりなしに墓まいりの人が訪れていた。この内の何人かは、この戦争で亡くなった身内の人を弔う墓まいりなのだろう。
     池をとり囲む町はいまでは高級住宅地帯となり、作品に描かれた面影はどこにも見出せなかった。これでは、作品で重要な役割をした蛍も、夜になっても見つけることは困難だろうと感じた。ただ昔から変わらないのは、ここから見える六甲の山なみだけだろう。物語は、主人公の少年、清太が省線(現JR)三宿駅構内の柱にもたれかかり、今、何日なんやろな、何日やろかと考えつつ息を引きとるところから始まっている。
     昭和二十年九月二十一日の深夜、清掃の駅員が情太と同じように死んでいった少年たちを見回りながらも、彼らを肋けるでもなく、その死を無感動に流し、死亡した清太の腹巻きから小さなドロップ缶を見つける。「なんやこれ」とモ-ションをつけて駅前の焼跡、すでに夏草しげく生えたあたりに放り投げると、ふたが取れて小さな骨のかけらがころげ、草に宿っていた蛍が驚いて、二、三十点滅しながら飛び交った。
     白い骨は妹、節子のもの。その死に至るまでの回想がこの物語の骨子である。
     病身の母を町内会の防空壕に先に入れ、清太は妹の節子を背負って焼夷弾の降る中を逃げる。空襲が終わり、集合場所の学校へ行ってみると、母は火傷で全身を包帯に巻かれていて問もなく亡くなる。
    二人は遠い親戚の家に身を寄せるが、その家の未亡人は二人につらぐ当たる。いたたまれなくなった兄妹は、家を出満池谷の横穴に藁を敷いて、二人だけの生活を始める。
     何も知らない妹はここが台所、ここが玄関とはしゃぐ。横穴の支柱に紋帳をかけて寝るが、真っ暗ヤミで淋しい夜、二人は体を寄せ合っても寝つけない。清太は、池のほとりの蛍を子あたり次第つかまえて紋帳の中に放す。
     『朝になると、蛍心半分は死んで落ち、節子はその死骸を壕の入口に埋めた。「何しとんねん」 『蛍のお墓つくってんねん」うつむいたまま、お母ちゃんもお墓に人ってんやろ、こたえかねていると、「うち小母ちゃんにきいてん、お母ちゃんもう死にはって、お墓の中にいてるねんて」はじめて清太、涙がにじみ…」
     「火垂るの墓」は夏に先がけてアニメ映画になり上映された。映画の中でも、このシーンはほとんどの観客が涙なしでば見られなかっためではないだろうか。
     この小説は、野坂の原体験をもとに書かれたという。彼は一才八ヵ月の妹を栄喪失調で亡くし、それに負い回を感じ続けているという。この作品は妹へのレクイエムでもあるのだろう。それでなければこれほどそくそくと胸を打つことはない。私はこれまでこのように胸を打つ戦争小説を読んだことはない。
     野坂は著書「国家非武装されど我、愛するもののために戦わん」の中で次のように述べている。「大日本帝国が戦争を止めた日から、ぼく自身の戦争が始まった。一才四ヵ月の妹を、文字どおり骨と皮に痩せさせ、飢え死にさせた敵に対し、ぼくはまだ素直になれない」。この場合の敵とはもちろん戦争相手の敵国という意味ではなかろう。
     「火垂るの墓」は「アメリカひじき」と合わせ’68の直木賃を受賞しているが、この一作で十分に受賞しうる作品だと思う。
     

  • 子供に読ませるつもりなら、新潮文庫版は併録する短編を再考するか、ジブリの表紙を変えるかしたほうが良いと思う。

  • 内容を知らない時に読んでみたっかな

  • 火垂るの墓はアニメ化しちゃダメだったと思う。映像が綺麗すぎる。絶望感ないし。
    オチンチンナショナリズムという言葉に米国に対する強烈な劣等感が凝縮されてる気がする。
    焼跡闇市派の世代がいなくなったらいよいよ戦争体験者がいなくなるよねぇ、まずいよなぁ

  • 野坂昭如の代表作でもある「火垂るの墓」「アメリカひじき」

    「火垂るの墓」はもはや宮崎駿の映画の方が親しまれていると思うけども、映画とはこと向きの異なった話となっている。映画「火垂るの墓」はあくまでも映画の「火垂るの墓」としてみた方がよいだろうと思う。

    「火垂るの墓」は戦争や社会に対する反省や悔恨ではなく、野坂昭如の自分自身の不甲斐なさに対するものなのだと言えると思う。そこが、映画と原作の大きく違うところだろう。(なので、いま発売されている文庫本のカバーイラストがアニメの一コマであることには少し違和感を感じてしまう)

    「アメリカひじき」は、日本人の白人に対する媚び諂いの精神、どうしても抜出ることのできない精神的な鎖。それは過去の敗戦の記憶からの呪縛だろうか、劣等感のリアリティが日本人や社会としてではなく、敗戦後を生き抜いた一人の男を通して表現されている。

    2作とも、文章は冗長のようで実は無駄のない独特の流れの中でストーリィが編まれている。

    ----------------
    【目次】
    1.火垂るの墓
    2.アメリカひじき
    3.焼土層
    4.死児を育てる
    5.ラ・クンパルシータ
    6.プアボーイ
    ----------------

  • 独特の文体、でも読みにくくはない。

  • 「火垂るの墓」
    ”戦争の悲惨”を兄妹の愛と対照的に描いている傑作。

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著者プロフィール

野坂昭如

一九三〇年(昭和五)神奈川県生まれ。親戚の養子となり神戸に育つ。四五年の空襲で養父を失い、のち、実家に引き取られる。旧制新潟高校から早稲田大学第一文学部仏文科に進むが、五七年中退。CMソング作詞家、放送作家などさまざまな職を経て、六三年「エロ事師たち」で作家デビュー。六八年「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞を、九七年『同心円』で吉川英治文学賞を、二〇〇二年『文壇』およびそれに至る文業で泉鏡花文学賞を受賞。そのほか『骨餓身峠死人葛』『戦争童話集』『一九四五・夏・神戸』など多くの著書がある。二〇一〇年(平成二十七)死去。

「2020年 『「終戦日記」を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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