- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101114019
作品紹介・あらすじ
北海道の霧の街に生いたち、ロマンにあこがれる兵藤怜子は、知り合った中年建築家桂木の落着きと、かすかな陰影に好奇心を抱く。美貌の桂木夫人と未知の青年との密会を、偶然目撃した彼女は、急速に夫妻の心の深みにふみこんでゆく。阿寒の温泉で二夜を過し、出張した彼を追って札幌に会いにゆく怜子、そして悲劇的な破局-若さのもつ脆さ、奔放さ、残酷さを見事に描いた傑作。
感想・レビュー・書評
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50幾年前に読んだ時期は、ものすごいベストセラーになってから10年も経っていたのだけど。とにかく若いときに読んで、ベストセラーだからというわけではなく作品が印象深かったことは確か。証拠に、この新潮文庫、昭和平成令和超えて71刷だ、永らく読まれてきているのだから。
わたしの好きな桜木紫乃さんが登場して、なお有名になった釧路市がK市ということも、当時は気にしていなかったといってもいい。なにしろ外国の街のように思ったのだから、といおうか、そういう読み方をした。まるでフランスの心象、心理小説を読んでいるようだったから。
まず、導入部のところ
「 なんのお祭りなのだろう……。家々の戸口に国境が立っている。国旗の出ていない家のほうが少ない。わたしの家と道路ひとつへだてた小学校の国旗掲揚塔にも、大きな旗があがっている。その大きな、真新しい旗も、軒先や門にくくりつけられた、赤の褪せた旗も風が吹くとかすかに揺れた。わたしはなんとなく、この晴れきった真昼に街中の物音が絶え、幾千の、幾万の旗だけがひそかに鳴りつづけているような気がした。
しかし 、本当はそうではない。繫華街のほうから街のざわめきが聞こえてくる。自動車のクラクション……(後略)」
ヒロイン怜子が窓から見る街、祝日(お彼岸なんだけど)の旗(国旗)がはためく風景、その描写にシュールさを感じ、見知らぬ外国の街のように思ってしまったのだが、今読み返しても新鮮だ。
そしてありふれた三角関係のストーリーの運びが、現実離れしているのが特徴なのだったと思う。
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読み直して面白く思ったのは、桜木紫乃さんのペンネームがヒロイン伶子の相手「桂木(かつらぎ)さん」に似た発音の「さくらぎ」さん。登場する「ホテルロッテ(ロッテ屋敷)」は『ホテルローヤル』を思わせる。
それから、TVドラマ倉本聰さんの「北の国から」の「じゅんくん」の印象的な初恋の相手が「れいちゃん」。『挽歌』の怜子も「れいちゃん」と呼ばれていて…おお!と 笑詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
桜木紫乃さんがこの小説からとても影響を受けたらしい。
北海道を舞台にした、残酷な愛の物語。
読みながら何かを思い出すような感覚があったのだけど、解説に「原田康子は日本のサガンと呼ばれた」という一文があってはっとした。
この小説の主人公の怜子が、サガンの悲しみよこんにちはのセシルと重なる部分があるんだ、って。
奔放で、若いからこその残酷さを持っていて、だけど根は真面目だから事が起きてしまった後の罪悪感を消すことができない。
すごく自分勝手で小悪魔的だけど、不思議と惹き付けられてしまうキャラクター。
生来身体が弱く病気から左手が不自由な怜子は、ある日知り合った年上の建築家・桂木に好奇心を抱く。
その後桂木の妻と未知の青年が密会している場面を見てしまったことから、怜子は桂木と同時に桂木の妻にも近づくようになり、急速に夫妻の心の深みに踏み込んでゆく。
妻帯者を好きになることは理解はできるけれど、その妻に近づいて仲良くなろうとする心理は、私にはよく分からない。
でもそういう願望って心のどこかにあるものなのだろうか?と考えたりもした。
会ってみたい、話してみたい、という感覚は何となく分かるような気もする。
怜子は最初欺く心理を愉しむつもりで桂木夫人に近づいたのだろうけど、思いのほか強かった夫人の魅力に引き込まれて、自分でも思いもよらない経過を辿ってしまった。
危険すぎる橋を渡っているわけだから、読んでいてどうなるのだろうとハラハラした。
戦争を経験している桂木は、どこか諦感をまとっていて、自分の妻の行いもすべて知った上で淡々と生きていた。
怜子は自分と違って大人の桂木に惹かれ、彼の冷めた部分も知るが、思いのほか強かった桂木の自分への想いが次第に恐ろしくなってゆく。
傍にいたいけれど怖い。そして夫人との関係もある。
家族や自分を思ってくれる友人たちをなぎ倒すように行動する怜子は、本当に自分勝手なのだけど、魅力的でもある。
そしてある事件が。
若い時分の悲劇は、この先の怜子にどんな影響をもたらすのだろう。
怜子がどんな選択をするのか最後までは描かれていない。
少しのタイミングの差で愛の行方が変わることもあるだろうし、悲劇を胸の内から消すのも難しい。
昭和30年代の小説だけど、古さを感じなかった。
「ママン」「マダム」「アミ」などの言葉の取り入れ方も当時としては先進的だったのかも知れない。
森瑶子さんも和製サガンと言われていたらしいけれど、両方納得。 -
たまにカタカナの単語の言い回しが古いものが出てくるが、文章自体からは古さを感じさせず、今どきの小説としても通用する読みやすさだった。
コキュ、と呼ばれて口を塞いできたり、抱きしめてきたり、ホテルに泊まったり、桂木さんにトキメキを感じたが、p200を過ぎた辺りから色んな疑いが出て、試行錯誤が始まった。
なんだかんだあったけど、やっぱり桂木さんが好き。
わたしには、愛人同士としかみえぬ彼等が、葡萄酒色の水の底で、懶い対峙をつづけているような気がした。やがてわたしは、この官能的で、そのくせ金属的な冷たさのひそんでいそうなパントマイムを!桂木さんにもみせてやりたくなったのである。p122 -
30年程前に読んだのだけれど、再び読みたくなったというか、持っていたいと思う作品。どうしてこんなにも残酷なことができるのか、年月を経てもハラハラ、ドキドキする展開に新鮮な驚きを感じた。北海道という背景も作品の世界を魅力的にしている。同じ空気感を味わいたくなる。
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1955年から「北海文学」誌上に長編『挽歌』を連載。1956年に出版されベストセラーとなり、映画化されるなど大きな反響を呼んだ。『挽歌』は翻訳され、海外数ヶ国でも出版されている。 (wiki)
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冒頭から引き込まれ、心をグッと掴まれました。
昭和三十年代に描かれた小説だと言うから驚き。
何とも儚げで、退廃的で、とてもロマンチック。
ロマンチックとは少し違うか。
ママン、ハズ、コキュなど普段は使わない様な外来語が沢山出てきて、あぁ何だか時代を感じるなぁと思いました。
ヒロインの怜子の行動が随分にも大胆で
どうしてそうなっちゃうのか…と切なさを覚えました。
決してハッピーになる様な物語ではないのだけれども、私は美しさを感じました。
この作家さんの作品、他にも読んでみよう。
どうやらタイプみたい。 -
昭和30年代の作品ではあるが、今読んでも古びたところを感じない心理描写で読みやすい。主人公の周囲の人間像から、主人公自身の風貌、魅力が浮かび上がる。若く刹那的な生き方に、翻弄されてい周囲の人々の結末を主人公と共に追いかけてみたくなる。
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1957年(昭和32年)第1位
請求記号:Fハラダ 資料番号:010670420