- 本 ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101116013
感想・レビュー・書評
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幸田文さんの父、幸田露伴氏は戦中の大空襲以来、寝たきりになってしまわれた。寝たきりでもそれ以前の規則正しい生活は変わらず、毎朝同じ時間に目覚められて、すぐに文さんと娘の玉子さんが、洗面の用意をし、煙草、ほうじ茶、朝食、搾りたての牛乳、新聞を決まった順番に用意するなど、厳しいお父上の看護はなかなか大変だった。
いよいよ重篤になられたのは、戦後二年目の昭和22年の夏だった。ある朝血を吐かれ、それを見て文さんは、いよいよお父様に死が迫ってきたと確信した。
急いで親しい人や、医者に知らせなければとあたふたとする。今のように携帯どころか、固定電話もないので、電車に乗って呼びに行く。猛暑の夏でただでさえ蚊が多いのに、蚊帳が切れていること、蚊取り線香がないことに気づき、そのことでも慌てる。氷をたべることを軽蔑していた父親が口のなかが気持ち悪く、氷を食べたいと言うので、猛暑の中、氷を求めて、あっちの氷屋、こっちの氷屋とうろうろする。やっと買い求めた氷を溶けないように持ち帰るのも大変。お父様が食べ物をこぼされた時に、着物や袷やお布団を洗うのも大変。お父様はそんなにきれいにしなくて良いというが、国宝のような父親なので、お見舞いに訪れる人の手前、粗末な格好はさせられない。
そして亡くなる二日くらい前に、お父様が誕生日であることを思い出し、赤飯や尾頭付きを用意していなかったことに愕然とする。何とか、用意出来た赤ご飯と小さな鯛の載った、それまでで一番粗末な祝い膳を見せると、父親は食べられなかったがニッコリした。文さんは子供の中ではお父様に可愛がられなかった子供であったらしいが(可愛がられた姉と弟は早くに他界した)、その時のお父様のニッコリで、今まで積もってきた気持ちが和らいだそうである。
こんなお父様の介護は大変だなあと思ったが、文さんは優しいなあとも思った。
今なら、スマホも冷凍庫もあるし、(私の住んでる所は)病院だってドラッグストアだってあちこちにあるし、交通もかなり便利なのに、私は要介護の母にも、もう亡くなった父にもこんなに優しくしていない。文さんの時代と違って、女性が外で働くことを本人以上に理解してくれ、元気な時は孫をよく預かってくれたのに。
以上はこの本の前半の「父」の感想。お父様の幸田露伴氏の介護から他界、お葬式までを書いたもの。感動しながらも、露伴氏は古い時代の固い、厳しい、わがままな男性で、女性に自分の世話をさせすぎだ。「男尊女卑」の時代の人だと思った。
ところが、後半の「こんなこと」を読んで、誤解していたことが分かった。
文さんに、掃除、料理、障子の張替えなど、ありとあらゆる家事を仕込んだのは、お父様の露伴氏だったのだ。露伴氏はその母親に徹底的に仕込まれたということで、掃除ならまず、ハタキの作り方、障子の張替えなら、ハサミなどの道具を研いだり、糊を煮る所から(少し凝り性だったらしいが)徹底的に丁寧に教えた。文さんは反抗心を持ったが、露伴氏がやってみせる見本はあまりにも手際がよく、無駄がなく、美しかったので、歯が立たなかったそうである。
文さんはいわゆるお嬢様なのに、普通のお嬢様に習わせるようなお茶やお華のお稽古ではなく、家事の一つ一つを修行のように奥深く教え込まれた。
「家事に追われるというのは何と惨めなことで、家事はこちらが先手になって追いまくるべきもの。自分を豊かにして楽しくするために女はもっと勉強しなくてはならない。能力と労力をあげて、本気で家事に集中すれば、勉強の時間は恐らく、必ず得られる。」というのが、幸田家の流儀だったそうだ。
難しいなあと思うが、今のように家電製品もなかった時代の大先輩の言葉に励まされる。
解説に文さんの文章は誠実さが魅力だと書いてあったが、私もそう思った。飾り気はないが、細々とした記憶、国宝のようなお父様の死に直面したときの迷い、幼いときからずっと父親に気に入られたいと思っていた心情など、具体的な事実も自分の心のうちも誠実に書かれていることで美しいものが美しいと分かり、共感出来る。
露伴氏の本は読んだことがないが、文さんによって残された幸田家の記録は私にとっては、文化財のような一冊である。
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幸田文さんの出発点です。「おとうと」、「みそっかす」と読み継いでくれば、これを読まないわけにはいかない、そういう作品です。
驚異的なのは、お父さんの幸田露伴の死に際して、おそらく初めて、人前に出す文章をお書きになった幸田文さんの文章の落ち着きです。誰かわからない人に向けて書く文章のむずかしさというか、他人から見れば「それがどうした」という家族の話を書くのは、なかなか、素人の手にはあまりそうですが、そういう危惧を微塵も感じさせない、だからといって媚びたり開き直ったりしない文章だと思いました。
読み始めて感じるのは初々しさとでもいうのがいいのでしょうか、ある種の緊張感なのですが、しかし、これは、ただ事ではないと編集者は思ったでしょうね。
ブログにも書きました。よければどうぞ。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202201020000/ -
父の病臥、逝去の前後とその後。
娘・幸田文による幸田露伴の記録と想い出の記。
・父ーその死ー
菅野の記 葬送の記 あとがき
・こんなこと
あとみよそわか このよがくもん ずぼんぼ 著物
正月記 そつ(口偏に卒)啄 おもいで二ツ あとがき
巻末の解説は塩谷 賛。文中に登場する露伴の助手、土橋さん。
「父ーその死ー」では、病で死への道を辿る父と
それを目の当たりにする娘。死、そして葬送、火葬、葬儀。
愚痴、怒り、悲しみ、戸惑い、後悔、迷い等々、
愛憎入り混じった想いが赤裸々に綴られています。
「こんなこと」では父との思い出。
14~17,8歳の頃に家事一般を露伴から習う話。
そこに垣間見えるのは、露伴の年少の頃の生い立ち。
正月、猥談、俳諧等、日常の出来事に交えての、
弟や継母、娘との関わりと感情についても綴られています。
小説家露伴は、私には露伴なるちちおやである。
だからこその感情をむき出しにした記録は、忘れることも
捨てることも出来ない、大切な記録なのでしょう。 -
全編通しての美しいリズミカルな日本語が印象深い。
「父」はすこし読むのがつらい。
「こんなこと」は、壮年の日の幸田露伴の、文子への折り目正しい家事指南と
はっちゃけた愛情の注ぎっぷりがまぶしい感じ。
時々読み返したくなる本。
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父、幸田露伴の娘視点の話。
家事を仕込んでくれたのは露伴だったのか・・・
父の介護は大変だっただろう。父との思い出話面白かったです。
身近な人が亡くなってしまうと色んなことを思い出しますね。 -
父:恥ずかしさから父親と向き合って生きていくことをあまりしてこなかったが、これを読んでそれを少ししなければいけないと感じた。
また、作者の表現に植物が多く用いられるところは作者らしくてとても好き。 -
父と娘
本当は別の一冊を読みたいと思っていたけど
自分も父を亡くしていることもあって
こちらを先に読んでみたくなった。
父、露伴の病と葬儀の記録。
そして父娘の思い出。
作家である露伴の娘だった幸田文にとって
書くことは無意識のうちに彼女自身の中に
すでにあり、ごく自然なことだったんだと思う。
そして作者はメモ魔だったのでは…
それを示すような一節が度々出てくる。
父、露伴から教えられたことや出来事について
いくつか書いているけど、
それもその当時の湧き出した
思いが原動力となり一気に書かれている気がした。
休みなく呼吸することすら忘れてひたすら書き続けた、そんな印象だった。
解説では「誠実」という言葉が使われていたけど、
描写の細かさは作者のまっすぐな気持ちの表れのようにわたしも思う。
単なる「文字」でしかないけど、
思いは文字に表れるから。
わたしも父が入院していたおよそ一年間、
日記をつけていればよかった。
毎日病院通いしていたから、
一番近くに父を感じていたし
振り返れば大事な父娘の時間だった。
わたしのメモ魔は父譲りだ。
父母ともにその節はあれど、父の手帳の書き方や細かさはわたしのそれと同じである。
こうやって親と子は、本人たちが気づく
ずっとずっと前からすでに繋がっている。
父と娘のつながりを改めて感じた一冊。
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NHK番組「グレーテルのかまど」で紹介されていた幸田露伴と幸田文の関係を見て興味を持ち読みました。
露伴が亡くなった時の話から始まり、思い出を回想する形式なので、本全体を通してお父様を懐かしむような寂しさと愛おしさが感じられました。丁度自分の父親の病気が発覚したタイミングで読み進めたため、より一層その雰囲気が身に迫る思いでした。
文豪の父親、というと恐ろしく近寄りがたい人物というイメージがありましたが、この本を読む限り、厳しくはあるものの怖いということはなく、シングルファザーとして子どもと上手に接していたのだなと思います。文豪は世間離れしているという勝手なイメージもありましたが、実学をしっかりと教えていたのだなと驚きました。
父親とじっくり話したい気分になりましたが、、実際は難しいかな。 -
父・幸田露伴の晩年と看取りをつづった「父―その死―」、父との日常の思い出をつづった「こんなこと」を収録した本。
「父―その死―」では、父の看病で激しく揺れる筆者の思いがとても正直につづられている。時には憎しみを深く感じる一方で、別の時には心から憐れんで親身になる。その時々に移り変わる気分がつぶさに書かれて、嘘がないと感じた。頼られている、私がやらなければ誰がやるのかという気持ちと、肉体的な疲労や、もうやってられないという気持ち、さらに長年積み重なった父への愛憎がそこに加えられ掻き混ぜられた結果が、そうした感情のバリエーションとして表れるのだと思う。
人が勧めることを試したいという父、氷を食べたいという父、その望みをかなえるためにあちこち奔走し、頭を下げて回る筆者とその周りの人。『台所のおと』でいくつか読んだ暗く辛い看病の話は、こうした実体験からできたのかと納得した。
「こんなこと」では、子供のころからの父との思い出が書かれている。父・露伴は全く手厳しいし、弁が立つ。自分の怒りを人に向けるやつは下等だと普段は言っているくせに機嫌が悪いと怒られる、と愚痴っぽく書かれていたのには笑ってしまった。実際に父がこうだったらとんでもなく大変だが、読む分にはユーモラスで面白い。
露伴自ら筆者にに家事を仕込む「あとみよそわか」はことに印象的だった。以前読んだ、昭和初期の家事方法の本にここからの引用が使われていたのを覚えている。はたきがけ、廊下の雑巾がけなんて今ではもうしないけれど、やれと言われたら私では絶対に露伴の気に入るようにはできない。だから、十四歳の筆者が悪戦苦闘するのに寄り添い、一緒になって小言を頂戴している気分になる。
筆者にとって父との生活は気が抜けず辛いことも多かったが、どこか愛しい日々だったとも感じている、「こんなこと」全篇からそういう印象を受けた。その「絶対」だった父が死んでしまった後に思い出して書かれたからだろうか。
おばさんになってからもばあさんになってからも読み返したい一冊。
父 ―その死―
(菅野の記/葬送の記/あとがき)
こんなこと
あとみよそわか:掃除、障子の張り替え、薪割りや畑仕事など
このよがくもん:浅草教育
ずぼんぼ:父とする遊びの数々
著物:着物(平成6年発行の文庫だが、全部「着→著」になっていた)
正月記
啐啄:露伴・文子流性教育
おもいで二ツ:俳句 -
日記作品。明治を代表する人物「幸田露伴」、その寂しい晩年をみまもる娘の日記。だけどとてもみずみずしい。<br /> 「みずみずしい」なんて表現はきらいだけど、この文章には「みずみずしい」ってことばがとても似合っている。どの辺りがみずみずしいかって、作者のきもちがころころ変わっていくところ。たとえば死にゆく父を介護していても作者のきもちはゆれうごく。泣いたかと思ったら、次の瞬間には笑ってる。一日の気持ちの移り変わりをそのまま文にしている。<br /> こういうのって、なかなかできない。だいたい「死」を前にすると、たいていの作家はなにか重苦しいテーマを書いてしまう。だけどこの作者はそんなの書いてない。じゃあ何を書いてるかっていうと、それは「気分」。露伴を看取る一日の「気分」を書いている。気分だからころころ変わる。怒ったり、悲しんだり、喜んだり、さまざま。そしてそんな気分といっしょに描かれた出来事は、ひとつひとつがとても印象的だった。特に自分は、氷を買いに行く場面がいちばん印象に残っている。<br /> この作者は小説も書いているけれど、このエッセイ「父」がいちばん好きだ。こんなにうまく「気分」を書けた作品ってなかなかないと思う。(けー)
著者プロフィール
幸田文の作品





