漂流 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101117089

作品紹介・あらすじ

江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行ったが、土佐の船乗り長平はただひとり生き残って、12年に及ぶ苦闘の末、ついに生還する。その生存の秘密と、壮絶な生きざまを巨細に描いて圧倒的感動を呼ぶ、長編ドキュメンタリー小説。

感想・レビュー・書評

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  • 吉村昭の小説は、事実を丹念に検証し、分かり易く読み解いて小説の中に落とし込む。その事実の度合いが司馬遼太郎のそれよりも濃度が高い。だから、『難しそう』な気がして手を出していない人がいたとしたら、その人は読書人生で大きな損をしている。個人的には、そう感じます。

    特に本書。江戸後期に『伊豆鳥島』に漂着した長平という実在の人物を主人公にした小説です。嵐に遭い、かろうじて辿り着いたのが伊豆鳥島。「鳥も通わぬ」と呼ばれた八丈島は、"一度行ったら生きては帰れない場所"とされていた。伊豆鳥島はそれよりも更に遠い。八丈島と小笠原諸島の中間辺りにポツンと存在する。当然近くを船が通行する事などありえない。
    断崖絶壁に囲まれた島に身一つで上陸し、船は大破して所持品は一切無し。
    長平に"運が良かった"点があるとすれば二つ。一つは温暖な気候。真冬でも単衣で過ごせる暖かさだったこと。同じ漂流民でもアリューシャン列島に辿り着いた大黒屋光太夫一行は真冬に次々と死んでいる。
    もう一つは"アホウドリ"群生地だったこと。文字通り、"アホウ"な鳥が素手で幾らでも獲れたことだ。
    そんな長平が、「この鳥は、ひょっとしたらツバメと同じように『渡り鳥』ではないか」と気付く場面は吉村昭の小説の白眉だ。
    断崖に囲まれた火山島で魚釣りもできない島。火打石すら持たず、火の無い生活を続けている長平。その絶望感が、読む者の心を抉る。
    それでも起死回生の手段で生き延びる手段を講じる長平。そんな彼を、仲間の死が続けて襲う。長平はそれから二年間、ひとりぼっちで炎を使うことすらできない生活を送るのだ…。

    人間が極限状況に置かれた時、どう対処するのかは、一概に言えるものではありません。しかし、大きな震災などが起きた時には、私たちがこの小説の主人公と似たような選択を迫られる事は現代においても変わらないと思います。

    伊豆鳥島は八丈島と小笠原諸島の中間辺り、『台風銀座の真っ只中』にあります。台風シーズンになったら想像してみてください。
    "あの海の中の小島で、13年も、岩の窪みに身を寄せて生き延びた人がいたんだ"

  • 江戸時代、無人島へ漂着し何年もの間その島で暮らした人々の話。実際にその島は存在し漂着した人達も実在し、それらの文献や取材等数多くの下調べがあっての小説だと思う。それは単なる想像だけで書かれていないせいか、内容的に重さを感じる。

  • 江戸時代中期に伊豆諸島最南端、絶海の孤島である鳥島に流れ着いた漂流船の物語。

    寝泊りする洞窟を見つけ、アホウドリの肉と雨水を得る方法を体得してからは、仕事もしなくてよい、誰にも拘束されないため、堕落してしまい、毎日寝て暮らすようになる。栄養が偏り体に異変が現れる。そして希望の無い境遇を嘆き、卑屈になり、所有物(家屋や妻)への執着を見せるようになる。
    そうやって仲間が次々と体調を崩し、絶望しながら生涯を終えていくなかで、主人公(長平)だけは自分の芯を強く保ちながら生きながらえる。

    ・毎朝日の出を眺めながら念仏を唱えるルーティン
    ・亡くなった仲間たちの墓参り
    ・体力増強と健康維持、規則正しい生活(漁と運動)
    ・「将来故郷に帰還できたら絶対に鶏肉を食べないという誓いのうえ」アホウドリを殺生

    そして、後に流れ着いた漂流者達に食料を与え、生活の術を教えるだけでなく、毎日励まし続けた。もちろん、彼らは食料を消費したり、喧嘩をしたりと長平の足手まといになるのだが、長平にとっては「居てくれるだけで有難い、心の支え」という存在になっている。

    長年の孤独な無人島暮らしの中で、モノへの執着や絶望を一通り味わった長平にとっては、漂流者の苦しみやトラブルなど酸いも甘いも知り尽くしていたのだろう。

    そして、後に島を脱出するための造船作業において、その漂流仲間たちは、まさに頭脳であり労働力となった。長平1人の力ではなく、全員のチームプレーで数年かけて船をこしらえ、互いを鼓舞し、日本帰還という希望に向かう様子は感動的であった。

    絶望的な極限状態においても一筋の希望を失わずにいること。孤独の中で、今現在に集中し、日々の生活を丁寧にすごしながら心身の健康を保ち続けること。人間として尊く生きるために、基本的ではあるが持続することはとても難しいことである。長平の成長とともに、人間の弱さと強さを徹底的に描いた一冊だと思う。

  • 江戸天明の時代。
    シケに遭い黒潮に乗って無人島に遭難してしまった男たちのドキュメンタリー小説。

    水も湧かず、川も泉も無い。
    火山島であるその島はアホウドリの生息地だった。

    火も起こすことが出来ず、食料はアホウドリと貝しかない。道具も無い。

    そんな過酷な無人島生活を12年も過ごし、生き残って本土に生還した長平の壮絶な物語。


    いやぁ、、、
    壮絶な物語だった。
    これ本当にあった話なんですよね!?
    凄い。

    生き抜く為の人間の知恵。
    凄まじい感動を呼ぶ長編小説。

    一読の価値はあります!!

    思ったより、文章難しくなくて読みやすく、読みだすと止まらないスリル感。

    あー!こんな生活嫌だぁ!!!って思うのに、光を求めて読み続けてしまう。

    そんな小説だった。

  • 窮地に立たされた人の気持ちと、生き抜くための知恵。その知恵は、多くの事を知っていないとひらめかないものなんだなと思った。

  • 凄まじい。横面を張られたような衝撃が走る。これが事実に基づいた小説というのだから、もう一方の頬も張られる。うかうかと安逸に暮らしている身には想像するだに怖ろしい、壮絶な現実だ。

    江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙を保つ絶海の火山島に漂着した。そこは江戸から約600キロ離れた伊豆諸島「鳥島」。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行く。果たして、土佐の船乗り長平は生き残ることができるのか…。

    私たちの「当たり前」が通用しない、絶望の孤島。火も水もない。目にする生き物といえば、春に去り、秋に舞い戻るあほう鳥のみ。
    自然と人間の闘いと書いてしまうのは簡単すぎる気がしています。自然は全く人間を容赦しない。その過酷さがびしびしと伝わってくるのは、著者の沈着な筆によることはもちろん、その背景にある膨大かつ綿密な取材の賜物だろうと思います。
    この本は生易しくない。けれど、メロドラマやご都合主義の対極に位置するような、この、心を抉るような読後感は貴重だと思います。まさに著者渾身の長編。

  • 日本は海に囲まれている。
    ということを地理的な意味でも、意識的な意味でも、
    強烈に感銘した重厚な一遍であった。

    江戸時代、船がシケにあって船乗りが絶海の孤島に漂着。
    火山島で水が湧かない、草木もわずかの実はアホウドリの生息地、
    現代、鳥島と呼ばれているところにである。
    そしてサバイバル、次々と遭難仲間も増え、12年ののち、故郷に帰れるのである。

    定評のある吉村氏の筆力が、壮絶に書き尽くしているのは当然ことである。

    鎖国の政策が江戸時代の船乗りたちにどんな危険を与えたか、に怒りを覚え、
    主人公の「長平」という人物がサバイバルに打ち勝つその人間の成長に共感する。

    克明で、淡々とした吉村氏のメッセージ、
    海に囲まれ黒潮の流れる太平洋に面している日本の位置を強く意識させられた。

    また
    この主人公の読み書きもままならない若者が、人間として成長する強さは
    やればできる!という希望を与えてくれる。

    閑話休題
    その鳥島のアホウドリを食べることが主人公たちの命を救うのだが、
    たしか、今ではそのアホウドリも絶滅の危機で、
    トキのように保護繫殖の労をとっている、とドキュメンタリーで見た。
    その時に食べつくしたわけではあるまいが(笑

  • 天明5年(1785年)、土佐の水主、長平(24歳)ら4名が乗る三百石船が嵐で難破。黒潮に乗って漂流するうち無人の火山島、鳥島に奇跡的に漂着した。鳥島はアホウドリの繁殖地で、アホウドリの肉を食べることで何とか命を繋ぐことが出来たが、脚気のような症状で仲間が死んでいき、長平はただ一人孤島生活を余儀なくされてる。そして漂着3年後(一人になって1年半後)、同じく難破・漂流してきた11名の水主が合流して共同のサバイバル生活が始まる。更に2年後に6名が漂着。健康を害して亡くなる者が出るなかで望郷の念抑え難く、一念発起。数年がかりの執念で流木を集め、コツコツと船を作り上げ、見事、鳥島からの脱出を果たし、八丈島へにたどり着く。

    なんと、長平の無人島生活は12年4月に及び、そのうち1年半は完全に1人きりで耐えしのいだのだという。長平の精神力・生命力の強さにただただ脱帽するのみ(自分にはとても無理、精神的に耐えられない!)。

    それにしても江戸時代、数多くの和船が嵐に遇って繰り返し難破している。これだけ事故を繰り返し、犠牲者を出しながら、(甲板が水密式でなく、舵が壊れやすいなど)欠陥だらけの和船がなぜ進化しなかったのだろうかか。勿論、幕府の鎖国政策によって洋行に繋がる高度な造船技術や航海技術が封印されていたのは分かるが、それでも江戸時代を通じて嵐に耐え得る強い和船がついに出現しなかったことは、今一つ納得できないなあ。

    史実を小説化しているだけに、読んでいて一つ一つのエピソードがリアルに迫ってくる。読み応えたっぷりの作品だった。

  • 江戸時代に実在した漂流者を追ったドキュメンタリー。とは言うものの、データは記録のみで漂流者の手記などは無い。この500p超の作品を形作っているものは作者の圧倒的な情熱と力量。
    作中には度々神への祈りが出てくる。食物である鳥魚の殺生を悔い、仲間を慈しみ、今後自身と同じ目に合うかもしれない者の為に想いを残す彼らを、神は遂に見つける事が出来たのではないか。
    無神論者の心を動かす素晴らしい作品だった。

  • 事実に基づいてます。江戸時代に実際に漂流した船乗りの長平の記録を調べ上げたドキュメンタリー小説です。
    漂流した先は水も火もない無人島、生き物で目にするものはアホウドリだけ。不毛の地での過酷な生活が事実と思うと強い衝撃を受けます。よくある漂流記といった生温いものではなく、想像を絶するリアルに圧倒されます。
    過酷な状況におかれたとき、生死をわけるものが何か考えさせられますが、実際、現代人が同じ状況におかれたらほぼ死ぬと思います。自分は間違いなく死にます。
    人間の生きようとする力に感銘をうけます。

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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