生麦事件(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101117423

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  •  幕末の薩摩藩によるイギリス人殺傷事件について、事件が起こった後の薩英戦争や長州と4カ国連合艦隊との戦争など、時代背景や列強との交渉における両国の話し合いの詳細について淡々と説明する。著者の小説の特色だろうが、主人公などの設定は基本的には無く、ただ淡々と説明する感じであり、司馬や宮城谷小説を愛読する方には物足りないだろう。ただ、生麦事件という、それだけを扱った著書はあまりないため、それについては、その詳細を知るには役立つ。

     さて、その生麦村の事件については、薩摩藩の家臣が外国人に斬りつけたのは島津久光はやむを得ぬことと、その行為を是認していたし、外国人であり、幕末から明治維新までをつぶさに見てきたアーネスト・サトウも、斬られたイギリス人について、その振る舞いや、薩摩藩の事前の注意喚起など総合的に見て、斬られても仕方ないこととイギリス側の非を認めていた節がある。大名行列は、藩の威信を示すものであり、藩士達は身なりを整え、定められた序列に従って生前とした列を組んで進む。それは儀式に似たもので、その行列を乱したものは討ち果たしてもよいという公法がある。日本に居住する外国人たちは、日本で生活する限り、その公法を十分に知っているべきであるが、殺傷された外国人たちは、下馬することもなく、馬を行列の中に踏み込ませるという非礼をはたらいた。それは断じて許されるものではなく、斬りつけたことは当然といえる。しかし、国情の違いから、イギリス公使ニールが憤激し、強硬な態度で激しい抗議をし、武力行使にでるといきりたつのも、これまた無理からぬことだったのかもしれない。

     そして薩英戦争に至るのだが、戦争に至るのはやはり当初は、日本でも先進的な薩摩藩といえども攘夷論が藩を支配しており、少しでも批判めいた言葉をもらそうものなら、激しく面罵され、ことと次第では、命までとられかねない実情であった。しかし、薩摩がすごいのはそれからだ。イギリスとの戦争を経験し、勝敗は五分五分、というよりは、イギリス側が、薩摩がそんなに準備万端で、良く統制も取れているとは知らずに、準備不足のまま、恫喝すればいちころよ、と簡単な気持ちで挑んだことが、五分五分より薩摩側の勝利であったような戦いだった。しかし、戦争に従事した藩士達は、イギリス艦隊の想像を絶した戦闘力に茫然自失という有様だった。自由自在に素早く行動する各艦から発射される椎の実型の砲弾は、驚くほどの距離まで飛び、命中精度は高く、破壊力もすさまじい。藩の所有する兵器とイギリス艦隊の装備とは、比較にするのも愚かしいほど大きな隔たりがあり、欧米諸国の武器の著しい進歩に日本がはるかに取り残されていると感じ、すぐさま方向転換、攘夷から開国へと思想転換したところがすごいのだ。非常に柔軟なものの考えであったし、これは、長州も同じであった。

     そして、イギリス側と和議を結び、外国の軍艦や武器の調達を急激に進め、倒幕へと進んでいくのである。


     でも、やはり誰かを主人公にして、会話を取り入れながら話が進む歴史小説の方が私は好みなので、★2つ。買って、読み進めた後で、しまった、この人だった、と思ってしまったが、冒頭に書いたように、珍しい題材だったので最後までよんだ。

    全2巻

著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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