敵討 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101117461

感想・レビュー・書評

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  • 幕末の敵討ちと、明治初期の敵討ちについて、全く違う対応がされた事件として読みました。

    第一話 敵討
    敵討ちは、美風とされ一族、藩をあげて応援した。天保九年(1838)に伊予松山藩において藩士の熊倉伝十郎24才の叔父・熊倉伝兵衛が、剣の遣い手の本庄茂平次に斬られて亡くなり。敵討ちに赴いていた父・伝之丞も茂平次に斬られて亡くなった。伝十郎は、32才のおりにやっと敵の茂平次にめぐりあい敵を討つことが出来た。藩をあげて称えられ藩に戻ることが出来た。

    第二話 最後の仇討
    黒船が来航し世情不安な慶応四年(1868)に秋月藩士の臼井亘理(わたり)が、一瀬直久に斬られて亡くなった。明治十三年(1880)息子の六郎が、一瀬を探し当て敵討ちをした。明治に入り新政府は、明治七年に仇討禁止令を発令した。内容は、仇討ちをした者は「謀殺」の罪によって処罰するというものであった。六郎は、裁判にかけられ獄舎に入れられる。

    【読後】
    江戸時代におこった敵討ちであるが、幕末と、明治期では敵討ちに対する政府の考えが違っていました。幕末期では、称賛されたものが。明治期では、犯罪者となります。まったく違った対応にビックリしました。明治期も民衆は、江戸時代と変わらず称賛しますが、新政府は欧米にならって刑法を改め、敵討ちも人殺しとします。
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    【音読】
    2022年11月21日から24日まで、音読で吉村昭さんの「敵討」を大活字本で読みました。この大活字本の底本は、2003年12月に新潮文庫から発行された「敵討」です。本の登録は、新潮文庫で行います。
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    敵討
    2022.05埼玉福祉会発行。字の大きさは…大活字。
    2022.11.21~24音読で読了。★★★☆☆
    敵討、最後の仇討、の2編。
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  • 今年読んだ中でベスト3かも知れません。

  • 敵討ちのしきたりや、何年何十年にも渡って相手を探し求める、人生を賭けて。。。凄い。

  • 「日本史上最後の仇討はいつだったと思いますか?」と訊かれたら、歴史好きならわくわくするだろう。明治13年12月17日、臼井六郎という青年が幕末に秋月藩の内部抗争で殺された両親の仇を討ち果たしたのが最後だといわれている。
      六郎の父・臼井亘理は佐幕派であったが、国内の情勢を鑑みて勤皇派に転じて藩士たちの怒りを買い、干城隊という一派に寝込みを襲われて妻ともども惨殺された。当時六郎は11歳。成人するまで仇討への思いを胸に秘め、やがて上京して幕末の剣豪・山岡鉄舟に師事しながら両親殺害の実行犯である一瀬直久と萩谷伝之進の行方を捜し求め、ついに一瀬が東京で裁判所判事になっていることを突き止める。同郷の人々が集まる旧藩主・黒田家の屋敷での会合で偶然一瀬に出くわした六郎は、隠し持っていた短刀で彼を刺殺して本懐を遂げる。
     すでに廃刀令・仇討禁止令が出て久しく、六郎の行為は殺人罪として裁かれるものであったが、江戸の気風を色濃く残す世間の人々は六郎の仇討をあっぱれと称賛した。近代化を推し進める法治国家として殺人を赦すことはできないが、両親を殺された六郎の心情も察するに余りある。法と世論の間で揺れ動いた裁判官が下した判決は…。

     この小説はほとんどセリフもなく、ただ史実を淡々と述べていく。その抑制の利いた文体がより六郎の無念を際立たせ、ひたすら親の仇を討つために生きてきた彼の人生の悲しさ、虚しさも浮き上がらせる。同時に江戸から明治へ、時代が変わっても容易に変わることのない日本人の美風、世間の人々の心の有り様にも考えさせられる。

    「最後の仇討」は2011年に「遺恨あり」という題でドラマ化され、テレビ朝日で単発のスペシャル時代劇として放送された。かなり淡々としている原作にすばらしい脚色が加わり物語が立体化され、主演の藤原竜也はじめキャストの心のこもった演技によって数ある時代劇の中でも屈指の名作となっている。放送文化基金賞を受賞し、DVD化もされているため、今でも容易に視聴することができる。
     一瀬を討った後も母の仇・萩谷の厳罰を求め、六郎は執拗に両親の仇を討とうとするが、それは目的を遂げた後に訪れる心の空白をより大きくする。生きる目的を失った六郎が川原で号泣するシーンは必見。また、一瀬にも家族がいること、萩谷の無残な最期、六郎自身も殺人者になってしまった悲しみを丁寧に描き、いつまでも深い余韻を残す。
     2018年のTBSドラマ「アンナチュラル」に「殺す奴は殺される覚悟をするべきだ」というセリフがあるが、連鎖の危険性をはらむ復讐の本質を端的に言い当てていて、この「最後の仇討」にも当てはまると思う。

  • 江戸時代には賞賛された仇打ちが、明治に法治国家になって禁じられていた。法に従い服役した後、平凡な生活を送り静かに死んだ主人公や彼の周りの人に罪の気配は感じられない。2015.6.20

  • 武士の美風であり称賛の対象だった敵討が、明治維新によってただの殺人になってしまった時代の狭間で行われた旧秋月藩士の敵討は、2011年に藤原竜也主演で 「遺恨あり」としてドラマ化されたのを見てずっと印象に残っていた。伊予松山藩士の敵討はちょうど安政の大獄の頃で、社会情勢が敵討事情に大きく関わってきて 終始ハラハラさせられる。途中で時代小説読んでるような気分になったけど、これ実話なんですよねー。敵討は個人的な復讐ではなく名誉の問題であるだけに、本懐 を遂げるまでのシビアな現実や苦悩も淡々と描写される。

  • 表題の「敵討」及び「最後の敵討」を収録している。
    どちらも大変印象深い作品であり、さすがドラマ化された作品だけある。
    吉村作品のよいところは、全てが全てハッピーエンドではないということ。本2作品の中で敵討を果たした人物は、敵討を果たしたあと何事もなく人生を終えているわけでない。
    例えば「最後の敵討」では、主人公が監獄から出たあと出獄祝いの宴に参加するが、その時そこにいた大物が演舞を行った人物の師匠によって殺されてしまうという事件が起こる。一方「敵討」では、敵討の助太刀役をした人物は、他藩に召し抱えられることなく、吉原の商店の店主としてその生涯を終えている。
    その時は一躍脚光を浴びるが、人々の興味関心が薄れると、あっという間にスポットライトは当たらなくなってしまう。元の通りごく普通の一般人に戻る。それはまるで真っ暗な舞台上でスポットライトを浴びながら演技をする役者のようである。そのような、役者にスポットライトがあたっていないところまでしっかりと目を当てている吉村作品は素晴らしい。特に本作は、そのような人生の深みを感じることができる作品である。

  • わたしがあまり時代劇見たりしないせいかもしれないけど、敵討はこんなに手続きがいるものだというのが、勉強になったし、面白くて二回目読みなおそうかと思ってます。吉村昭さんははじめて読んだ作家だけど、他の作品も読みたいです。

  • 「敵討」天保の改革の時代に協力者の浪人と父と伯父の敵を追って二人で十数年。漸く見つけた相手は獄中に。このままでは敵討ちが出来ない・・・。この時代に敵討ちがいかに永年、収入もなく、あてもなく捜し回る悲劇。運良く討ち果たした後の二人の叙述もまた悲劇の深さをもの語ります。そして天保時代の政治の影を感じます。「最後の仇討」は明治元年、秋月藩の両親の暗殺を見た10歳の少年がやはり十数年後に判事になった敵を討つまでの苦難の日々と、敵討ち禁止令の施行により殺人罪とされてしまうこれまた悲劇。しかし、明治13年当時は未だ美風とされ、世の中の共感を集めたとの実話。時代の大きな変革に飲みこまれた人々の運命を痛感しました。

  • 安定の吉村昭。
    仇討ちする側が追い詰められていく感じや、母の惨殺死体を見て「母が汚された気分」とか、そういうのがドライな筆致とあっていていい。

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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