大黒屋光太夫 (上) (新潮文庫)

  • 新潮社 (2005年5月28日発売)
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本 ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784101117478

感想・レビュー・書評

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  •  江戸時代にロシアへと漂着した日本人が、初めて帰国できたという魅力的な史実を題材にした、井上靖さんの『おろしや国酔夢譚』との違いを知りたくて、こちらはフォローしている方に教えていただきました。改めまして、ありがとうございます。


     まず読み始めて気付いたのが、井上さんの作品では「大黒屋光太夫」ら総勢17名を乗せた神昌丸が出帆したという表記のみで、出帆前の彼らについては全く触れていなかったところを、吉村昭さんの本書ではじっくりと描写している点で、白子浦の繁栄は家康のお陰といった歴史的繋がりも興味深い中、沖先頭の光太夫の半生について、幼い頃から知識欲が旺盛であり、神昌丸に自身の手荷物として浄瑠璃本が多く入っていたのは、物語本を好んで読んでいた、その頃からの趣味であったことや、二度も養子になりながら、やがて船親父の「三五郎」から様々な事を学び、彼を親のような存在として敬意を抱いていたという関係性も初めて知り、そんな二人の信頼関係は、後の航海中に於ける生死を賭けた嵐の場面からも感じ取ることができた。

     また物語の構成として、井上さんは全体的に一歩引いた客観的視点で、日本人とロシア人、現地の人々との交流も含めてバランスよく描いている中、吉村さんはページを割きたい場面とそうでない場面とを使い分けることで、起伏のある展開を見せながら、あくまで主役は光太夫たちということで、彼らの思想や行動に焦点を絞って描いているように思われた。

     その中で一つ印象的だったのが、ニビジモフらロシア人と島民たちの諍いに光太夫たちが巻き込まれたエピソードであり、そこで改めて痛感させられたのは、当時に於ける支配される側のどうすることもできないやり切れない悲しみであり、それは光太夫も重々承知してはいたのだが、これまで彼らが生きてこられたのはニビジモフのおかげでもあるため目を瞑る形になってしまった、そんな断じて許せない部分と恩人の部分を共に兼ね備えたニビジモフ像というのも、良いか悪いかはともかく忘れられないものがあった。

     そして、井上さんの作品との最大の違いと思われたのが、光太夫のキャラクターであり、井上さんの描く彼はリーダーシップに優れ、他の船乗りたちの前では決して弱音を吐かない皆の憧れといった存在なのに対して、吉村さんの描く彼は皆の前でも悲しいときは思い切り嗚咽したり、何度も不安な気持ちに駆られたりと、超然としたものは無いもののその分感じられる人間臭さが魅力で、それは三五郎が彼に、『豊かな生活になじんだ光太夫が想像を絶した苦難に遠からず身も心もくじけてしまうだろう』と言う場面など、井上さんの作品ではまず有り得ないのではと感じられた程の違いであった。

     ただ、本書の光太夫が決してリーダーとしての魅力が無いというわけではなく、例えば嵐の場面で荷を捨てるのは、沖先頭の責務を放棄する行為でありながら、それは水主たちの命を守ることを第一義と考えたことによるものであることや、カムチャツカへ向かう時アミシャツカ島で無念の死を遂げた仲間たちへ、『私たちにしがみつけ、共に島を離れよう』と涙ながらに叫んだのも、出来ることなら誰も訪れないような場所に置いて行きたくない、そんな気持ちが溢れ出しており、その責任感のある仲間思いの姿にはとても好感を持てるものがあった。

     それから、もう一つ挙げておきたいのが、井上さんは序章で光太夫以前の漂流者を紹介していたのを、吉村さんは物語の大きな流れの中で記載することによって、これまで誰一人日本に帰れた者がいないことを光太夫が知ることで、もしかしたら自分たちも帰れないのではと、とてつもない不安感を抱いたことが、「なぜロシアは漂着した日本人を帰国させないのか」という疑問点に繋がって、やがてはロシアの南進政策の一環なのではないかと推測する点には、井上さんの作品でも全く信じ切っていた訳ではないけれども、より現実的でシリアスなものを吉村さんは物語に取り込んでいる印象を受け、そうした危機感を持った状況で光太夫はどう行動するのか、下巻も注目したい。

     他にも、ラクスマン(ラックスマン)の個性や、イルクーツクに向かう際に光太夫たちが乗っていたキビツカ(輿)の中が、防寒衣をつけたまま布団の中にいても体が震える程の寒さでありながら、更に天井からは氷片が落ちてくる恐怖があったこと等、それぞれの作品の違いを探しながら読むのも楽しい。

     ただ、これは好き嫌いの問題ではあるのだけれど、今のところ、あまりに光太夫たちのことしか描いていないことが、ロシアの情景や感傷的なことも色々と知ることのできた、井上さんの作品を先に読んだ私からしたら、やや物足りなさを感じてしまったのも確かであった。

  • 2017年12月4日、読み始め。
    2017年12月10日、98頁まで読んだ。

    2021年5月15日、追記。

    大黒屋光太夫、どのような人物か?
    ウィキペディアで見てみた。

    大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日(1828年5月28日))は、江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子(現在の三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。

    天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に面会して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。

    幕府老中の松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚する。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与した。甫周による聞き取り『北槎聞略』が資料として残され、波乱に満ちたその人生史は小説や映画などで度々取りあげられている。

  • 急死に一生の目など遭ったことのない身としては、漂流の絶望感は想像を絶する。生き延びることのみが目的となる日々。陸の姿に恋焦がれる。いざ、たどり着いた島。そこはロシア領。命あることだけに感謝する。たとえ定住となってでも・・・とは、ならない。今度は、再び故郷の土地を踏むことを希う。東端の島から「シベリアのパリ」への流転。国の思惑があるとしても、出会う人々の親切さと情の深さには感心する。ロシアは近くて遠い国。過酷な旅に次々と命を落とす乗組者たち。生き残っている人の名前を確認し、下巻へと進める。

  • 江戸時代の18世紀末、伊勢の国から江戸へ向かう予定であった大黒屋光太夫一行は嵐にあり、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。同島はアメリカが1960年代後半から 地下核実験を行った島である。
    当時鎖国下にあった日本に 帰るにも帰られず、また島をでるにもでられす、
    次々と仲間たちが死んでいく中 光太夫らはペテルブルグのエカテリーナ2世に謁見をゆるされ、約10年後に帰国する。
    同じ題材を取材した井上靖の「おろしや国酔夢譚」と比較して読みたい本である。
    吉村昭晩年の作だが漂流のほうが人間がよく描けていたと思う。

  • 大黒屋光太夫は、天明2年1782件に伊勢白子浦を出帆し、遠州灘で暴風雨に遭遇し、漂流してしまう。
    光太夫一行は、アリューシャン列島の小島に漂着する。そこから、ロシア国内を移動し、僅かな望みをかけて、日本への帰国願いをロシア皇帝に願い出ようとしていた。

  • ジョン万次郎のロシア版、といった思いで半ばまで読んでいた。しかし状況は全く異なりらロシア政府の思惑が見え恐ろしい流れに。今の北朝鮮の拉致とも似ている感じもする。
    すぐ下巻を手に取りたくなる一冊です。

  • 紀州から江戸に向かうはずが嵐に遭い遠くロシアまで漂流した商人、大黒屋光太夫。極寒の地を仲間とともに旅し、ロシア人の支援も受けて帰国を目指す。
    絶望からキリスト教徒に宗旨変えする仲間も出るなか、ひたすら帰国を信じる彼の姿は映画「ショーシャンクの空に」の主人公に重なる。深い教養やロシア語を身につける知性も武器に、細い糸を辿るように帰国への道を切り開いていく。
    吉村昭は華美な形容に走ることなく、淡々と彼らの
    漂流の旅を綴る。過酷な船上生活に極東の凍える寒さ、仲間と生き別れるつらさ…余計な形容を省いた描写が読者の想像をかき立てる。
    自分なら光太夫のように過酷な運命に立ち向かえるだろうか?異国の人々をも惹きつける人間的魅力を備えているだろうか?光太夫の強さにただただ感嘆するばかりだった。

  • 1985年にTBSのシベリア大紀行と言う番組で椎名誠が大黒屋光太夫の足跡を辿ってるのを観た。その番組が印象深く、その影響で井上靖のおろしや国酔夢譚を読み、後に映画化されたものも観た。でもなぜか椎名誠のシベリア追跡やTBS取材班のシベリア大紀行は読んでいない。その後、2003年に吉村昭の大黒屋光太夫が発行されたので読みたいと思っていたのだが、ようやく読み始めた。

  • 感想は下巻で

  • 下巻にまとめます

  • 先讀過漫畫,這本書其實是一本無比悲傷的書。31歲的光太夫是世襲船頭大黑屋養子,神昌丸上17人在遇到風暴漂流七個月(在船上這段真的很可怕,讓我想起漂流那本書。沒想到彦根藩的畳表可以拿來當藩用)漂到阿留申群島的小島上待了四年,開始學露西亞話跟露人溝通。原住民與露人交惡,露人要回國,來接的馬上破船,結果又撿漂流木(好有既視感)造船。好不容易回到堪察加半島,遇到漂流民(磯吉和妹妹喇季...),萌生上京直訴回國之意,也開始學寫俄文。接下來這一段又是苦難之旅,又有慘烈的飢餓,移動過程裡面描寫的寒冷真的令人恐懼至極(掛在樹上的馬,還有庄藏的受寒之慘烈)。到達伊爾庫次克時認識了老學者拉克斯曼,拉克斯曼建議他上書繼續求情。

  • 「凄まじい」の一言。江戸中期に紀州から江戸を目指した商船が暴風雨に巻き込まれ、アリューシャン列島まで漂流した後、ロシア人に助けられる。その後、帰国の願いを訴え続けるが、鎖国下の日本との交渉役に仕立てたいロシアとしてはなかなか許さない。時の女王エカテリナの許しを得てようやく帰国したのは、紀州を出発してから10年の歳月が経ち、17名の船員のうち、帰国できたのは3名だった。航海技術も海図も不十分、海外に出るなんて夢にも思わない、言語も慣習も何も情報がない、栄養状態も医療技術も現代とは全く異なる状況で、10年間も帰国の望みを持ち続け、ロシア人と日本人の双方から賞賛される態度をとり続けた主人公に大きな感銘を受ける作品。

  • 2018年3月16日読了

  • 江戸時代に船が難破してアリューシャン諸島(シベリアとアラスカの間の島)に漂着したあとロシアに脱出し,エカテリーナⅡ世に謁見した後に日本に帰ってきた実在の船乗りの話。

  • 江戸時代にロシア国に渡り女帝に拝謁して、見事日本に帰国した人物大黒屋光太夫を描く。
    困難な中、生き残ろうとする執念と帰国への切望の姿が素晴らしい。

  • 鈴鹿から出航し,暴風雨のために半年以上も漂流したあげくにアリューシャン列島に漂着.その後,数年を経て島を脱出,カムチャッカ,オホーツク,ヤクーツク,イルクーツクまで移動.光太夫とその仲間は,次々と斃れ,帰国の目処も全く立たない,というところまでが上巻.
    大黒屋光太夫の話は実話だが,本書も比較的淡々と話が進み,脚色部分は少ないと思われる.下巻が楽しみ.

  • 光太夫と仲間に次々と襲い掛かる困難が読んでいて辛い。吉村昭の小説は、「もし自分がこの立場だったら」と想定すると本当に苦しい。が、つい読んでしまう。下巻が楽しみ。

  • 吉村昭らしい、力の込もった、熱を感じる文章。人に歴史あり、その意味を教えてくれる。

  • 【本の内容】
    <上>
    若き水主・磯吉の人間臭さのにじみ出た生々しい陳述記録をもとに紡ぎだされた、まったく新しい光太夫たちの漂流譚。

    絶望的な状況下にも希望を捨てず、ひたむきに戦いつづけた男の感動の物語。

    <下>
    十年に及ぶ異国での過酷な日々。

    ロシア政府の方針を変更させ、日本への帰国をなし遂げた光太夫の不屈の意志。

    吉村歴史文学、不滅の金字塔。

    著者渾身の漂流記小説の集大成。

    [ 目次 ]
    <上>


    <下>


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 帰国後が不幸でなくてなにより。救われた思い。彼が教えた人材が幕末にかけて活躍するのが楽しい。

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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