- Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101119106
作品紹介・あらすじ
ヨットレースの最中、髪の毛一筋ほどのきわどさで目撃した落雷の恐怖と眩(まばゆ)さ。海面下23メートルに広がる豪奢な水中天井桟敷。杭打ち機の何千トンという圧力を跳ね返すぼろぼろのされこうべ。ひとだまを捕獲する男。冷たい雨の夜に出会ったずぶ濡れの奇妙な男。かけ替えのない弟裕次郎の臨終の瞬間。作家の人生の中で鮮烈に輝いた恐ろしくも美しい一瞬を鮮やかに切り取った珠玉の掌編40編。
感想・レビュー・書評
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政治家としても文学者としても高く評価する気にはなれないんだけど、時代を生き抜いて生き抜いて死んでいった1人のおっちゃんとしては、親しみに似た気持ちが彼に対してあるのを自覚する。ひたすらチャーミングなんだよなこの本に出てくる石原慎太郎というおっさんは。「海蛇がホテルの部屋に出たらウケるよなーただし俺の部屋は除く」みたいなことマジメに考えてるんだもん。なにかと幽霊みたいのに遭遇してそのつどクソ真面目にビビらされてるし。
かわいげのあるおっさんの与太話なんだよ。ヨットに乗って、海に潜って、山に登ってさ。あんたやりたいことやって死んだんだろうね、と声をかけてやって、おもしれーホラ話をありがとよっつって酒の一つでも飲んでやりたくなるよね。
話盛ってない?って感じるエピソードも多少はあったけど、なんとなく弟を看取った際のことは、このおっさんが感じたままを100%に近い純度で書いたんだろうなと思った。そのことはよく伝わった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は日本文学のなかでも高く評価されているが、彼の立ち居振る舞いやその文学的表現は微妙に現代(令和時代)と被るため、その評価は昭和や平成的な気質ではなく、今日的な批判にも立たされざるを得ない。その点で、倫理的に悖る行為や、それをある種の気取りのように表現する著者の性格は、受け容れることのできない者もいるはずだ。
ここに収められた40の短編は下記の通り。
「漂流」、「まだらの紐」、「同じ男」、「テニスコートで」、「落雷」、「レギュラー」、「ひとだま」、「窒素酔い」、「彼らとの出会い」、「奇跡」、「キールオーバー」、「水中天井桟敷」、「冬のハーバーで」、「ナビゲーション」、「死神」、「慶良間のマンタ」、「危険な夏」、「ケーター島の鮫檻」、「落水」、「生死の川」、「光」、「鮫と老人」、「ライター」、「鬼火」、「路上の仏」、「若い夫婦」、「戦争にいきそこなった子供たち」、「骨折」、「人生の時を味わいすぎた男」、「南島のモロコ」、「チリの娼館」、「私は信じるが」、「新島の人食い鮫」、「南の海で」、「鉄路の上で」、「父の死んだ日」、「みえない世界」、「崖の上の家」、「冷たい湖で」、「虹」
いずれも彼のメインフィールドとも言える海にまつわる話(ヨットやダイビング)を中心にこれまで出会った危機や奇怪なエピソードを綴ったものだ。
なかでも「彼らとの出会い」については衝撃だった。外した書評とならぬよう、事前にネットを検索したが、この短編に絞った書評を見つけ出すことができなかった。だから勘所を外していたら容赦願いたいが、この短編は文章表現以前に、人として駄目だ。巨獣と鉢合わせになって生死極まるとき、道連れになるだろう多くの同行者がいる状況で、制止されていたにもかかわらずいたずらに銃を放つ。その行為は恐怖をコントロールできずに醜態をさらけ出したに過ぎないが、これを気取りという言葉でからめ取っていく。解説は、これも有名な福田和也が書いているが、彼は冒険や探検を体験したことがあるのだろうか。乱暴にまとめるなら、いくつも書かれた「究極」は、石原慎太郎の「パニック」という言葉に置き換えればそれで済む話と言えなくもない。
辛口の書評となってしまったが、すべての短編が同列にあるというわけでもない。ただ、今の時代から振り返ると、傍若無人の末にある危険に遭遇して起きるパニックを、さまざまな側面から書き連ねた作品というのが、もっとも正鵠を射た結論ではないだろうか。 -
死を間近にしたときに意識される生の感覚。まるで白黒写真の黒と白の関係のようだ。黒だけでは(そしてもちろん白だけでも)だめ。では、この短編集には描かれていない、死がちらつかない時の生は石原慎太郎にとってどういったものなのだろうか? と気になってくる。志賀直哉「城の崎にて」、村上春樹「蛍」との対比も面白い。ちなみに英訳で出版されたときのタイトルは「Episodes from a Life on the Edge」。(作中にはたしか1回だけ出てきて、タイトルにもなっている)「時の時」をどう訳すのだろうと思ったが、なるどそうか。
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昭和後期の呑気なぼんぼんが
海に、街に、スリルを求めてさまようのは
生と死のはざまに陶酔の世界を見るからなんだ
まったくバカ言ってやがる
生きるために命をすり減らすような労働をやったことあんのか
まさしく昭和のロマン主義
英雄的冒険にあこがれて、大量殺戮戦争に飛び込んだ
第一次大戦前の、ヨーロッパにおける若き文化人たちが
こういうものだったのだろう
その果てのスピリチュアル趣味が
オウム真理教の呼び水になったと言って
さしつかえあるまい -
氏の政治思想をどう考えるかはいったんカッコの中に入れるとして、描かれた多数の情景のイメージがもたらす甘美さ、それをもたらす日本語表現の巧さは、やっぱり評価されるべきものという印象を持った。特に氏が傾倒するヨットの経験を通じた海での様々な航海体験や、その中での自然の脅威などの表現は、氏でなければ書けなかった世界だと思う。
文芸評論家の福田和也が、全ての作品に100点満点での点数を付けた「作家の値打ち」で村上春樹と古井由吉と並ぶ96点を付けたことには同意しないけど、一読に値する読書体験を与えてくれることは間違いない。 -
ほとんどが海とお化けにまつわる話。意外なことに著者はオカルト好きらしい。ゲイと戦争の話も出て来たり、石原慎太郎の本質を掴むにはいい本かもしれない。
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64点。困った時には決まって船の話を出して話題を変えるらしい、石原慎太郎の掌編集。20世紀日本文学を代表する作品ともいわれている。
情景描写が見事だと思う反面、これもまた海の話ー?と飽きてきた。筆者にとって大きな出来事だっていうのはわかったけど。
人生の時の時。自分の死をどう考えるかは哲学上でも大きな問題で、ハイデガーは「死に臨む存在」という表現をつかうが、石原慎太郎も死をどう意識するかがその人の生を決定すると考えている。
しかし、自分は死に対してそのような感覚は毫厘もなくて、そこに関してはサルトルの、死は「私の可能性」などではなく、死は私のすべての可能性を無にするまったく不条理な偶発事、という感覚に近い。誕生が選択不可能、理解不可能な偶発事であるのと同様に。
誰もが死ぬまでは生きている。そこにあるのはマルセル・デュシャンの「死ぬのはいつも他人ばかり」だ。
死と共に生があるといった「生かされている」みたいな感覚についても欲求階層説ではないが、自分には感じることは困難だ。
ある種の戦慄や恐れなどを通じて無力さや卑小さを思い知り、それが濃密かつ強度のある体験につながる、のはわかるんだけど、そこに美、生きてる証みたいなのは見出せないなあ。というか見出したくない。
生死の境に直面したら何かを書こうなんて気が起こるのが、さすがは一流の物書きだ。 -
石原慎太郎最高傑作のひとつと思います。
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昭和という時代を後世まで記憶するための本でもあり、人間の生と死の対峙をリアルに体感できる本。