他人の顔 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 155
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121017

作品紹介・あらすじ

液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男…失われた妻の愛をとりもどすために"他人の顔"をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき…。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、"顔"というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編。

感想・レビュー・書評

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  • 物語の筋は難しくないしシンプルなのだけど、織り込まれる思想や理屈がなかなか難しく、時間を置いて繰り返し読みたいタイプの小説。そうすることでようやく少しずつ理解が深まるような…。

    実験中の事故で顔一面に蛭のようなケロイドが残り、自分の顔を喪失してしまった男。
    失われた妻の愛を取り戻すために、他人の顔をプラスチック製の仮面に仕立て、それを着けてある計画に乗り出す。

    “顔”というものの重要性を普段は意識しないけれど、人を判別するために顔は最大の要素になる。ということは、身体のあらゆる部位のなかで、いちばんのアイデンティティーの塊が顔だ、とも言える。
    その顔を失ってしまった主人公の男の、もうひとつの顔を得るための行動はとても奇異だし、その後の行為に至るまでの思想もとても極端だ。
    でも、アイデンティティーを喪失した人間の心理は、その本人にしか解らない。奇異なやり方で自分を取り戻すために躍起になっても、おかしくはないのかもしれない。

    事故で顔を失うという物語上の設定はメタファーとも言えて、顔がある普通の人間にも、顔のことで苦しむ心理は一部共通しているのかもしれない。
    顔があっても気に入らず整形を繰り返す人もいるし、分厚い化粧で素顔を隠す人もいる。
    だけど中身は果たしてどうなのか。整形や化粧という“仮面”を着けることで人格にも影響は及ぶだろうけど、本質的な部分はなにも変わらないかもしれない。

    実際的なものだけではなく、嘘とかおべっかとか、そういう仮面も人間は便利に使うし、それ無くしては人と人が触れあう社会のなかで生きていくのも難しい。
    本物の顔の他に、誰しもが仮面を必要とする。

    誰にもばれないような“他人の顔”の仮面を得た場合、それを着けて周りの人の態度が変わったとしたら、その顔に嫉妬したり優越感を得たりするのだろうか。
    興味はあるけれど、恐ろしすぎて試したくはない、と思った。

  • 途中から嫌な予感しかしない。おっさんが空気読めないのは「通路」が壊れてるせいなの?

    顔を醜いケロイドで覆われ、コンプレックスに溺れたおじさんの迷走の記録。ダイエットに取り付かれる自分を見ているような錯覚。

    これまでの積み重ねで得た「社会的に安定した立場」と、突然の事故で押し付けられた「ケロイドに覆われた顔」。私は、前者が主人公の本質の証明で、後者は主人公に付随する、無意味な記号のひとつだと考える。たぶん、多少とも情を持つ人間ならそう考えると思う。主人公を取り巻く妻や研究室の人々もそうだったはず。ここには優しさよりも無関心が働いているのかもしれないけど。

    だけど、本人はそういうわけにはいかない。
    顔に包帯を巻き、そのことで得られる利権を力説し、自分は顔なんかどうとも思っていないこと、「自分を恥じて顔を隠している」わけではないことを全力アピールしなきゃいけなかった。(後々彼が痴漢に走るのも、覆面の利点を証明するためだった気がする)

    それで、「顔なんか気にしてる低俗な奴」てレッテルを周囲の人間に押し付けたかったんだろなぁ。
    髢の一件もそうだけど、自分がくだんないコトに捕われていると思われたくないんだろうな。そういうプライドの高さが、仮面をつけたときの派手な性格に現れてるんだと思う。私自身が見栄っ張りなので。

    能面のくだりで、表情は頭蓋骨の形そのものから来るという考えと、見る側によって変わってしまうのだという考えが交錯する。

    どちらも真実なんだろうけど、主人公は見る側の問題、外見ばかりに捕われているように見える。問題点が自分の中にあることを認めたくないんだろうなぁ。
    だから、「他人との通路を修復する」と大義名分を掲げながら、最も身近な他人、妻への復讐というよく分からない方向へ突進していく。

    そして鼻高々に復讐の顛末を記したノートを作成、妻から呆れられる。
    妻もなくしプライドもずたずたの主人公は、なおも言い訳しながら行動に出る。行動しなかった矮小な自分を捨て、まだ妻に否定されていない「禁止を破っちゃえるワイルドな」痴漢へ…って、結局しょうもないじゃないかw
    しかしおっさんは、しょうもない自分を受け入れるのだった、てオチ、なのかな。またしても、目的が手段に食われてる。

    解説では、妻の手紙は妻が書いたのではないかもしれないと仄めかしているけど、私はなんとなーく、そうは思わない。

    その方がエンターテイメント的だし、最後の場面でも都合がいいとは思うけど(女の足音=妻で実質的な復讐)、それ以外に、妻の手紙が捏造である必要ってないのでは…
    妻の匂いが偽装工作ってのもいやだし、このおっさんには一生しょぼく生きてほしいw

    お話としては惨めなおっさんの言い訳として捕らえたけど、「顔」についての考察、見るものと見られるもの、乗り越えたくなる禁止の柵など、安部作品ではお約束のキーワードはもちろん重要だと思う。
    一回読んだだけじゃ物足りないので、また時間があるときに読み直したい。

  • 安部公房でなければ恐らく手に取らない類の本。
    鬱な内容なんだろうなと訝っていましたが、
    思わぬベクトルに、良い意味でこっぴどく裏切られてしまいました。

    不穏漂う空気、妄想、狂気、独自の仮面哲学でギッチギチな主人公。
    けれど、なんだかんだ足掻きつつも理性に逆らう事ができず、
    妻への想いも、行ったり来たりな思考も、陰鬱でマニアックなひたむきさも、
    読めば読む程、何やらだんだん滑稽な事の様に思えてきてならず、
    一旦その滑稽さにハマるともう何もかもが可笑しくって、たまらなくって。
    勿論、そう易々と可笑しがってばかりもいられぬモチーフに、
    度々ぼんやりと思考を巡らせてしまうのですけれど。

    やっぱりこの感触と読み応えは長編ならではですね。
    ラスト数ページが印象的でした。
    流石。

  • 『人は見た目が9割』なる新書が、かつてブームになったことがあった(不肖ながら、私は未読だが)。「9割」という数字に対しては各方面から批判を浴びたようである。だがそれでも、外見がその人の印象を決める大きな要素であるということは、認めざるをえないだろう。

    主人公は「顔」を亡くした男だ。「顔」の喪失は、いうまでもなく、外見の大きな変容となる。ましてや、「顔」である。他者からみた「顔無し」の印象はいかばかりのものか?

    人間がコミュニケーションをとるうえで、顔の存在は大きいようだ。「目は口ほどにモノを言う」ともいう。つまり、目のわずかな動きが感情を表す(相手が読み取る)のである。ムスクルス・ツィゴマティクス・ミノールを両側に引っ張ると、笑うことはできても微笑めない(『壁 第二部 バベルの塔の狸』参照)。このように、細やかな変化でさえ、他者への影響は大きく変わる。それが顔によるコミュニケーションだ。

    「顔」がなくなれば、こういった細やかなコミュニケーションはとれなくなる。孤立化は必至だ。

    ならば、「顔」を再生させれば、再び正常なコミュニケーションがとれるようになるのだろうか?

    この思考実験を実証するために、男は「顔」を再生させた。ただし「他人の顔」で。つまり、「顔無し」のコミュニケーション不可能性と「仮面」のコミュニケーション可能性をまとめて実証しようとしたのだ。

    では、実験方法は?――不倫である。「仮面」男が「顔無し」男の妻を寝取る。「仮面」男が妻をモノにできれば、実証成功だ。「顔無し」はご退場願うおう。むろん、そう容易く割り切れるものではない。なぜなら、実際は、寝取りと寝取られが同一人物なのだから。つまり、この実験はそれ自体が男の嫉妬を掻き立てるものなのだ。なんともいびつな三角関係だ。


    実験の結果はどうなったのだろうか…?

    そう、男は完全に勘違いしていたのだった…。

  • 少なくとも20年ぶり、ひょっとしたら40年ぶり位の再読かもしれません。
    顔をテーマに、阿部公房さんが書き続けた人間の存在の曖昧さや、自意識と社会/他者の関係を描いた濃密な思考実験小説です。
    全編、自己愛が強く他人を理解しようとしない一人の卑小な男の手記として構成されます。300ページにわたってひたすら続く綿密かつ膨大な考察、壮大なる精神的自慰です。
    その余りの密度に長く読み続けられず、思いのほか読了に時間がかかりました。
    しかし、良し悪しとか好き嫌い以前に、これほど圧倒される作品に出会えることもまず無い経験です。

  • 安部公房の思考実験小説の金字塔でもあり、ノート等記録型の長編小説の代表でもある作品。

    安部公房の思考実験というと、日本では「箱男」の評価がやたら高いが(安部公房には海外にも小説のニーズが有る)、あれで挫折した人は、こちらを読んでみると良い。

    もしも自分が他人の顔になれる仮面を手に入れたら、一体どう振る舞い、どういう欲求を生じるのか。液体窒素で顔がただれてしまい、常に包帯が必要となった主人公が、画期的な人工表皮技術から、他人の仮面を作る。

    割りと読みにくいタイプの、ノートの手記を記すタイプの安部公房だが、「箱男」よりも断然読みやすいのは、視点が常に主人公に固定されており、文章も本当にメモ的なものが挿入されたりしないこと。また、世界観も現実離れしたものが少ないことから、「密会」のような引っ掛かりも少ない。

    一方で、文章はやはり安部公房なので、やたらと比喩を使いまくることと、仮面の作り方を科学的に非常に詳細に書いているので、苦手な人は苦手かもしれない。

    ただその比喩にしても「(ヨーヨー売り場には)子供らがダニのように群がっていた」なんていう、口語では使うが、作家が文章として使ったら編集者が血相を変えて飛んできそうな、直接的でわかりやすい比喩も多いのだ。

    物語全体も、大きな暗喩として読むことも出来るし、それが妻にばれていたとしてもそれはそれで良いのだ。別にそういう読み方をしなくても良いだろう。変に教訓を得ようとすると、一転してつまらない作品に変わってしまうのだから。

  • 公房の作品には常に、一種の自己喪失というかアイデンティティクライシスというか、自分が何者であるかを見失ってしまうというモチーフが繰り返されていると思うのですが、今作で失われてしまうのは「顔」。

    化学所で働く主人公は実験中に火傷を負い、顔の全面がケロイド状になってしまい、透明人間のような包帯ぐるぐる巻きで生活している。それがきっかけで他者との距離を見失ってゆく男の内省的哲学問答は、なかなか深い。人間は顔ではない、中身だ、といったところでやはり見た目は大事。るろ剣の志々雄様のように(笑)、全身包帯ぐるぐるでも女性にモテると豪語できる人は少数派でしょう。自分は若い頃フリーターで、免許もパスポートも持っていなかった頃、身分証明ができずレンタルビデオさえ借りることができなかったことを思い出しました。私は私である、というただそれだけの事実を、他人に証明する手段を持たないことの不安定さ、恐怖。いくらパスポートに顔写真を貼ったところで、肝心の「顔」のほうをを失えば、もしかしたら私は私であることを証明できないかもしれない。

    そういう部分で主人公の顔や仮面に関する考察はとても共感できるのだけれど、ただ妻にせまって軽く拒絶されただけで思考が斜め上にすっとんで、他人になりすまして妻に痴漢をしたいとまで思う男性特有の(?)思考回路には正直飛躍しすぎてついていけなかった。本人いわく「一人二役の三角関係」に持ち込まれるにいたっては、結局精巧な仮面を作ってまで、いったい何がしたかったの?ていうか、そんなことがしたかったの?という疑問符ばかり。そもそも、失われた顔を取り戻すために、彼は何故、自分自身の顔を復元しなかったのが私にはちょっと理解できなかった。そこで他人の顔を借りるという発想は自分はしないと思うもの。

    主人公が「おまえ」と呼ぶ妻あてに書かれたノートという体裁で小説は構成されているのだけれど、肝心の妻の顔のほうが読者にとっては真っ白で、最後に妻の手紙でようやく内心が吐露されるにいたってもまだ、妻の素顔は見えてこない気がしたのですが、つまり女性のほうが男性よりずっと日常的に仮面を被って生きているからかもしれません。それとも玉ねぎのように、剥いても剥いても終わりがなく、それをしかし空っぽと思うか、全部が中身だと思うかの違いのようなものか。いずれにしても、妻にとっては顔など意味がなく、主人公のほうにしたところで、顔を失ったことは被害妄想が発動するキッカケに過ぎず、そもそも本人の中身がゲスだっただけ。

    ということはつまり、顔を失うことで主人公が失ったのは自己ではなく、逆に顔という表皮(いわゆる外面=理性や世間体)が失われることで内面の醜悪な本質が露出しただけだったわけで、つまり彼は何も失っていなかったのかも。そう思うと「顔」は名刺というより蓋なのかもなんて、いろいろと考えさせられました。解説は大江健三郎。

  • 同時進行の《仮面劇》。
    ひとたび幕が上がったら、最後までその役を演じ切る。生きるとはそういうこと。私はあなたを愛しているから仮面をかぶり、あなたの望むとおりにふるまう。あなたもそれに応じる。あなたが私をつくり、私があなたをつくる。ときどき私は仮面に手を加えてかぶり直すけれど、決して脱ぎ捨てたりはしない。素顔をさらすことは舞台からの退場、つまり孤独。
    私は大切な「あなた」の数だけ仮面を用意し、そこへ「私」を配分する。ありふれた物語だとしても拍手喝采の幕切れが訪れると信じて、私とあなたのためにかぶり続ける。
    《2014.10.21》

  • それほど長い作品でもないのに、
    思いのほか読破するのに時間がかかってしまいました^^;

    実験で顔一面火傷を負ってしまい、
    見るも無残なケロイド跡が残ってしまった主人公。
    日毎に離れていく妻の愛情を繋ぎとめるため、
    他人の顔の仮面をかぶり、妻を誘惑しようと試みるお話。

    色々病んでいて、読み進めるのが億劫になります(笑)
    妻への歪んだ愛情。顔がなくなると心までなくなってしまうのか。
    主人公が粘着質で、言い訳めいた言葉を何度も繰り返すのが、
    正直気持ち悪かったです。

    でも不思議と嫌いになれない小説。

  • 『恐怖が恐怖を支え、足をなくして地面に降りられなくなった小鳥のように、ぼくはただ飛びつづけなければならなかったのである。(p281)』
    抽象的な事物で比喩できる才能はやはり達者と言うべき。

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著者プロフィール

安部公房(あべ こうぼう)
1924年3月7日 - 1993年1月22日
東京府北豊島郡滝野川町生まれ、満洲で少年期を過ごした。
1948年『終りし道の標べに』(「粘土塀」)により単行本デビュー。1951年「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。その後は劇作も手がけた。1958年「幽霊はここにいる」で岸田演劇賞、1963年『砂の女』で読売文学賞、1967年『友達』で谷崎潤一郎賞、1975年「緑色のストッキング」で読売文学賞をそれぞれ受賞。他、受賞作多数。国内外に大きな影響を及ぼしており、ノーベル文学賞の候補者としても名前が挙がっていた。
主な代表作として『壁』『砂の女』『他人の顔』『箱男』など。

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