第四間氷期 (新潮文庫)

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本棚登録 : 2010
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121055

感想・レビュー・書評

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  • 人類の未来を予言する機械の開発に当たる勝見博士。実験に選んだ男の殺人事件に巻き込まれ謎の男からの脅迫電話が。強制的に堕胎させられる妊婦たち。胎児の誘拐事件。勝見自身の子供も誘拐される。勝見の助手である頼木が明かす「第四間氷期」の謎。水棲人間達の研究。

     2010年9月28日読了

  •  ブックオフとか古本屋で安部公房の新潮文庫で銀の装丁のやつがあると買うようにしている。本著も以前に買って積んでいたので読んだ。どの作品もめっちゃ好きだけど、この作品も例に漏れず好きだった。これが1950年代に書かれていたことには驚くしかなかった。
     今流行りの人工知能がテーマ。マザーコンピュータ的な人工知能が未来を予測することに成功し、その未来に対して人類がどのように考え、アプローチするかというのが大筋。前半は推理小説仕立てになっていて、とにかく謎が膨らみまくるし、アクションシーンも多くシンプルにエンタメとしてオモシロかった。また会話劇が中心になっている点も意表を突かれる構成で堅めの内容の割に読みやすくはあった。
     未来をどう評価するかがテーマとなっており、著者自身のあとがき、文庫の解説でもかなり踏み込んで考察されている。現在を犠牲にして未来を優先するのか?といった、現在から未来を評価する意味を問うており、SFというジャンルに対して批評的であった。SFでは物語を通じて未来のことを肯定したり否定したりするけど、それって結局現在の価値観を尺度にしているよねという指摘。ゆえに堕胎であったり、その胎児を水棲動物にするといったように現在の価値観からするとエグめの設定を用意しているのが秀逸だった。挿絵として各シーンの版画が掲載されているのだけど、絵の内容もあいまって正直面食らった。未来の話をする上で子どもは最たる象徴であり、そこを躊躇なしに異形のものとして描いているのはかっこいいと思う。シンギュラリティの結果として第二の自分が発生し、それに自らの運命を翻弄される点も興味深かった。繰り返しになるが、このように未来的な描写のどれもが1950年代と思えないし著者の先見の明にただただ驚くばかり。(もしくは我々の未来に対するイメージが更新されていないだけかもしれないが)
     現在を大切にして未来の課題を先送りにしようとする主人公の姿勢が終盤には裁判のようなアプローチで断罪されるのだけど「これだから年寄りは」という一種の諦念じみた目線を部下から送られるシーンがたくさんある。これも今読むと胸が苦しくなる。どっちも間違っていないものの未来を大切にするエレガンスに対して現状維持する保守ってどうやっても今の時代は勝つの難しいよな〜と個人的には感じた。こういった古典を読む時間も今年は大切にしていきたい。

  • ※この本は途中で挫折しました


    未来を予言するコンピューターをソ連が開発し、他国もそれを追随するように開発し始めた世界の話。"予言コンピューター"を"月ロケット"に差し替えると、年配の方はより想像しやすいのでは。

    星先生のショートショートを薄く長く引き延ばしたような話で、途中で挫折してしまった。

  • ディープラーニングにより高度化されたAI、幹細胞の操作を彷彿させる環境に最適化された人間やエスピオナージュ色のあるミステリー仕立てなどの現代の問題につながる素材を柱にさせて物語を進める手法は見事であると同時にその先見性にも脱帽させられる。さらに、最後半での新人類による旧人類への印象を説得力のありつつもシュールに叙述する筆力は圧巻だ。

  •  非常にショッキングな作品だ。予言機械が映し出す過酷なまでの未来、その未来を前提として、海底開発協会のメンバーは行動する。「現在」では罰せられるべき犯罪を犯してまで。しかし、勝見がそれらを糾弾すると、彼らは未来の論理を使ってそれらの行為を正当化していき、次第に勝見の方が言葉を失っていく。自分の子供を、水棲人という「片輪の奴隷」にされたにもかかわらず。この作品は、私のよく見る悪夢を想起させる。内容は忘れるのだが、冷や汗がたらたら出てくる悪夢だ。目の前で起こっていることに対して、何か叫ぼうとしても、声が出ない、届かない。出来事を眺めるしかできない無力の状態になってしまう。勝見も頼木達の論理に完璧に打ちのめされて、言葉が出ない。妻の胎児を中絶させられ、自分自身もこれから殺されるというのに、叫ぼうにも、それが声となって空気を震えさせることができないのだ。
     私は、未来にどうしても耐えられない。そこで、まず勝見と同じく、「予言機械」の正当性を考えてしまう。誤差のない予測(シミュレーション)なんて、ナンセンスだし、予言を知った場合の行動をn次予言値としてカバーしているかのように見えるが、2次予言にしたって、誰が・いつ・どこで・どのような状況で、1次予言を知ったかによって変わるべきで、それを刻々と計算していると、時間が足りないはずだ。しかも、作品中に出てくる二次予言値も相当妙な存在である。単なる予言で人格などない、と言いつつ、勝見を殺す段になって「私だってつらい」と感情を滲ませるのだ。また、勝見がいくら予言を鵜呑みにしては危険だと叫んでも、海底開発協会のメンバーは取り合おうとしない。その正しさは絶対的で、それからの論理だと、勝見は未来に対応できない人間として裁かれる運命にあるらしい。しかし、そのような未来を受け入れられないのは私も同じで、だからこそ「予言」の正当性を疑わざるを得ない。予言機械が語る未来の過酷さを思うと、なおさらに。
     しかし、「予言」を「預言」と読み替えると分かるような気がする。ちょうど、ノアが神から洪水の預言を聞いたように。勝見もまた、自ら作った予言機械から預言を授かったのだ。しかし、傲慢で残酷なノア(少なくとも安部にとっては)と違い、断絶に耐えられない勝見はその預言を信じることができなかった。故に、未来の論理によって裁かれ、代わりに弟子達・海底開発協会がノアにならざるを得なかったのだろう。海の主人となるべき水棲人類の父親となる、ノアに。勝見が責めを受けるとすれば、未来予測という神の領域に足を踏み入れたにもかかわらず、神の言葉を信じられなかったという一点に尽きる。しかしながら、そのことこそが、予言がタブーであることを暗示していると思う。
     さらに、物語の後半で、予言機械によって未来が映し出されていく。ただし、それが「実際」に起こることなのかどうかは、一切語られることはない。ただ映されるのみだが、その未来像はとてもリアルに迫ってくる。洪水、水棲人社会の到来、水棲人社会の日常、「風の音楽」にあこがれる水棲人、などの物語。それらに対して、私たちはもはや判断することはできない。ただ眺めるしかないのだ。でも、本当にこの「ブループリント」は正しいのだろうか?
     いや、もう予言だの水棲人社会だの言うのはよそう。たとえ、近い将来、水棲人を眺める望遠鏡のように水没していく運命にあっても、我々は「現在」を生きるしかないのだから。

  •  クロト、ラケシス、アトロポス、彼女らは運命の三女神と呼ばれ、ギリシア神話によって伝えられている。これらの神々は人間の運命を決める存在であるとして伝えられてきた。この作品では機会が未来を人間に与えている。行っていることに対して違いはないと思うが、この割り切れなさは何故なのか。もしかすると、この神々も我々人間が作り出した存在であるかもしれない。そうするのなら、立場は機械と同等のものだ。
     なぜこうもやるせなく感じてしまうのだろうか。
     それはおそらく我々人間を超越した存在であると思っているか否かという判断があるからである。自然や宇宙など我々を遥かに凌駕する存在を神としてきた。我々は支配下の存在だ。機械となればそうではない。しかし、未来という甘美な存在にあてられ、自ら支配下に置かれようとする人間の浅ましさがある。運命というのは確かにあるのかもしれない。だがそれを生きる責任を転嫁させてはいけない。
     上手く言葉にできないが、それだと楽しくないではないか。そう思った。

  • まさか未来予言機の開発話がこんな展開をするとは…目が離せず、一気に読んでしまった。
    古典文学を読んでいると、当時の感覚では当たり前でも今の感覚では「倫理的にどうなんだ」と思う現象が多々ある。きっと未来人から見た我々にもそういう点がいろいろあるだろう。
    人間の価値観は絶えず変動しているが、絶対的に現在が最善というのは間違っているのではないか?
    それでも良かれ悪かれ、私たち「現代人」は現代の価値観の中で現代を生きるしか道はないのだが。

    最後に安部公房は、現代人に未来の価値観を評価する資格はないと言った。
    現代人の偏見で未来を観測して、頓珍漢だと絶望するくらいなら、未来予測なんてない方が良いのかもしれない。
    未来人がぴちぴちの全身タイツだって、ヤバい見た目の生物に進化していたって、黙って受け入れるしかない。彼らが未来に生きる「現代人」である限り。

  • 時間的な射程の広さに驚愕し、ハードボイルドな結論に納得した。

    1959年=2023年から見て64年前の作品。
    1959年というと冷戦期であり、ソヴィエトの脅威が身近に感じられた時代だろう。

    私が最初に読んだのは、2006年ごろ。当時の世間はweb 2.0の頃で、深層学習や機械学習が世間に広く知れ渡るより前だったし、ロシアはまだクリミアに侵攻(2014年)する前で、作中に出てくるソヴィエトとの対立や競争ということは実感を離れたことだった。

    しかし2023年に読んでみると。
    作中の「予言機」からは、2022年に登場したChatGPTなどの対話型AIを想起する。
    また、ロシア対西側諸国の対立が目に見える形で復活している。
    明らかに2006年よりも、このお話の内容が切実に感じられるという不思議さ。
    ロシアの件は政治的な事物であり、昔からの営為といえばそれまでだが、「予言機」から現実のものが連想されるようになるとは…。

    64年の歳月を経ている作品が、直近約20年を挟んで、こんなにも読み手側の要因で受け入れられ方が変わるものかと驚愕した。

    また、安部公房の「あとがき」には、未来をどう受け止めるか、ということがテーマの一つである。
    安部公房はその想像力で、2023年の我々にとってこそ切実なテーマを俎上に載せている。
    さらには、「未来とは価値判断を超えた、断絶の向うに、「もの」のように現れるのだと思う。」としている。ドライな捉え方だが、彼自身の想像力をもとに下したハードボイルドな結論だと思う。

  • 丁度この本の前に『わたしたちが光の速さで進めないなら』を読み、以下の感想を抱いた。
    …改めて小説とは(そして私にとってあらゆる芸術とは)、あくまで今の世界を投影するものであり、SFのような未来を描いているものでもそれは何の例外もないということを感じた。言い換えれば人間の想像力なんてたかがしれているのではないか、ということでもある笑…

    この感想を書いた後に読んだ本がこの『第四間氷期』だったのは、偶然というべきか、必然だったというべきか、読み終わって安部公房のあとがきを読んで、戦慄してしまいました…

    タイトルから私が想起していたのは、小松左京の『復活の日』など、急激な変化の中で立ち向かう人間ということだったのだけど、中身は全然違いました。安部公房は『砂の女』くらいしか読んだことがなく全然サンプル数が少ないのだけど、こういう会話劇なんだなあ。途中で暗殺者からポマードの匂いがしたときには笑ってしまった。みんなこの時代の男性はポマードつけてるんだなあ…三島由紀夫でさんざん読んだから親近感。

    水棲生物のくだりからはグロテスクでううとなっていたのだけど、最後新人類は深化し、そしてその新人類はこの重力に耐えられないという終わり方はSFっぽくて好きだった。
    つまり、「…肯定的な世界のイメージや、否定的な世界のイメージを、未来のかたちをとって表現した文学作品も多かった。しかしぼくは、そのいずれもとらなかった。はたして現在に、未来の価値を判断する資格があるかどうか、すこぶる疑問だったからである。なんらかの未来を、否定する資格がないばかりか、肯定する資格もないと思ったからである。真の未来は、おそらく、その価値判断をこえた、断絶の向こうに、「もの」のように現れるのだと思う。…だからぼくも、未来を裁く対象としてではなく、逆に現在を裁くものとして、とらえなければならないと考えたわけである。…未来は、日常的連続感へ、有罪の宣告をする。」という著者自身のあとがきに語られているこのテーマである以上、なんとも正しい感情を引き起こす本だなあと。読者はどちらかといえば勝見先生に感情移入をするのだろうし、こういう未来が提示されたときに、苦悩以外に何を引き起こすというのだろう?

    読了感は決して良くはないが、だからこそ良作といえるだろう。その気持ちも込めて★5

  • 希望でも絶望でもない未来。
    安部公房は一貫してしっかりとした論拠をもって現代社会への警鐘や逃避をテーマにしてきましたが、SF作品への挑戦は自然な流れのように思えます。
    他の作品同様に、鋭い視点と論理的な指摘、そしてたっぷりのユーモア。紛れもない安部文学であり、大いに楽しませて頂きました。

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著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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