- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101121055
感想・レビュー・書評
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人類の未来を予言する機械の開発に当たる勝見博士。実験に選んだ男の殺人事件に巻き込まれ謎の男からの脅迫電話が。強制的に堕胎させられる妊婦たち。胎児の誘拐事件。勝見自身の子供も誘拐される。勝見の助手である頼木が明かす「第四間氷期」の謎。水棲人間達の研究。
2010年9月28日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
※この本は途中で挫折しました
未来を予言するコンピューターをソ連が開発し、他国もそれを追随するように開発し始めた世界の話。"予言コンピューター"を"月ロケット"に差し替えると、年配の方はより想像しやすいのでは。
星先生のショートショートを薄く長く引き延ばしたような話で、途中で挫折してしまった。 -
ディープラーニングにより高度化されたAI、幹細胞の操作を彷彿させる環境に最適化された人間やエスピオナージュ色のあるミステリー仕立てなどの現代の問題につながる素材を柱にさせて物語を進める手法は見事であると同時にその先見性にも脱帽させられる。さらに、最後半での新人類による旧人類への印象を説得力のありつつもシュールに叙述する筆力は圧巻だ。
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クロト、ラケシス、アトロポス、彼女らは運命の三女神と呼ばれ、ギリシア神話によって伝えられている。これらの神々は人間の運命を決める存在であるとして伝えられてきた。この作品では機会が未来を人間に与えている。行っていることに対して違いはないと思うが、この割り切れなさは何故なのか。もしかすると、この神々も我々人間が作り出した存在であるかもしれない。そうするのなら、立場は機械と同等のものだ。
なぜこうもやるせなく感じてしまうのだろうか。
それはおそらく我々人間を超越した存在であると思っているか否かという判断があるからである。自然や宇宙など我々を遥かに凌駕する存在を神としてきた。我々は支配下の存在だ。機械となればそうではない。しかし、未来という甘美な存在にあてられ、自ら支配下に置かれようとする人間の浅ましさがある。運命というのは確かにあるのかもしれない。だがそれを生きる責任を転嫁させてはいけない。
上手く言葉にできないが、それだと楽しくないではないか。そう思った。 -
まさか未来予言機の開発話がこんな展開をするとは…目が離せず、一気に読んでしまった。
古典文学を読んでいると、当時の感覚では当たり前でも今の感覚では「倫理的にどうなんだ」と思う現象が多々ある。きっと未来人から見た我々にもそういう点がいろいろあるだろう。
人間の価値観は絶えず変動しているが、絶対的に現在が最善というのは間違っているのではないか?
それでも良かれ悪かれ、私たち「現代人」は現代の価値観の中で現代を生きるしか道はないのだが。
最後に安部公房は、現代人に未来の価値観を評価する資格はないと言った。
現代人の偏見で未来を観測して、頓珍漢だと絶望するくらいなら、未来予測なんてない方が良いのかもしれない。
未来人がぴちぴちの全身タイツだって、ヤバい見た目の生物に進化していたって、黙って受け入れるしかない。彼らが未来に生きる「現代人」である限り。 -
時間的な射程の広さに驚愕し、ハードボイルドな結論に納得した。
1959年=2023年から見て64年前の作品。
1959年というと冷戦期であり、ソヴィエトの脅威が身近に感じられた時代だろう。
私が最初に読んだのは、2006年ごろ。当時の世間はweb 2.0の頃で、深層学習や機械学習が世間に広く知れ渡るより前だったし、ロシアはまだクリミアに侵攻(2014年)する前で、作中に出てくるソヴィエトとの対立や競争ということは実感を離れたことだった。
しかし2023年に読んでみると。
作中の「予言機」からは、2022年に登場したChatGPTなどの対話型AIを想起する。
また、ロシア対西側諸国の対立が目に見える形で復活している。
明らかに2006年よりも、このお話の内容が切実に感じられるという不思議さ。
ロシアの件は政治的な事物であり、昔からの営為といえばそれまでだが、「予言機」から現実のものが連想されるようになるとは…。
64年の歳月を経ている作品が、直近約20年を挟んで、こんなにも読み手側の要因で受け入れられ方が変わるものかと驚愕した。
また、安部公房の「あとがき」には、未来をどう受け止めるか、ということがテーマの一つである。
安部公房はその想像力で、2023年の我々にとってこそ切実なテーマを俎上に載せている。
さらには、「未来とは価値判断を超えた、断絶の向うに、「もの」のように現れるのだと思う。」としている。ドライな捉え方だが、彼自身の想像力をもとに下したハードボイルドな結論だと思う。 -
希望でも絶望でもない未来。
安部公房は一貫してしっかりとした論拠をもって現代社会への警鐘や逃避をテーマにしてきましたが、SF作品への挑戦は自然な流れのように思えます。
他の作品同様に、鋭い視点と論理的な指摘、そしてたっぷりのユーモア。紛れもない安部文学であり、大いに楽しませて頂きました。