- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101121055
感想・レビュー・書評
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文庫本は昭和45年発行。平成19年現在39刷。昭和33-34年、雑誌「世界」連載。連載が終わって61年経っているのに、古くならないどころか、益々新しく、現代を批評しているかの如くである。
安部公房はまともに読んだことがない。純文学とか、不条理文学とかだと思っていたから。ところが、今回は全体の半分はSFで、半分はミステリだった。もちろん、純文学らしく何言ってるんだかわかりにくい所もある。私はそれを「現代版黙示録」として読んだ。いや、半分本気です。満州から引き上げる途中、安部公房は時空の裂け目に落ちて、神に導かれてちらりと未来を見て帰ってきたのではないか?だから、電子計算機(AI)が未来を語り、死者の脳から殺人事件の顛末を語らせるという不可思議な、しかし23世紀ごろには現実になりそうな現象も描けるのではないか?
しかも、東野圭吾もあっと驚く、意外な犯人が出現する、というかそういう映画をたくさん観た現在ではほとんど予測はついたけど、エンタメミステリーも描かれる。
安部公房は、もしかしたら気温が41度を越すような日本の夏の風景を1-3秒で通り過ぎたのかもしれない。いや、もっと酷い未来を、例えば日本列島のほとんどが沈没しているような未来を神の目のようにチラリチラリと観て、還ってきたのかもしれない。小松左京が「日本沈没」を書くよりも10年以上前に、安部公房は黙示録的に日本の未来を描いた。大洪水のあとに暮らす我々の子孫。
未来予測機を開発した先生に、助手の瀬木は言う。
「(先生は)観念的に未来を予測することには、強い関心を寄せられたけど、現実の未来に対してはどうしても耐えることができなかった」
それは、地球温暖化やコロナ禍の下、やがて近づくカタストロフィに「耐えることができなかった」我々のことを予測する言葉なのかもしれない。 -
電子頭脳を持つ予言機械、今で言う人工知能のような機械にある男の未来を予言させたことに端を発し、事態はあれよあれよと急展開を迎える。
SF的な要素があるかと思えば、唐突にミステリーな要素が垣間見えたり、SF小説と言われているが、不思議な作風だった。この作品が日本で初の本格SF小説だそう。
そして、1959年に出版されたとは思えないほどに近未来的で、今の時代に出版されても古さを感じさせないのではないかと思う。
「砂の女」や「箱男」のような哲学的な作品を書くかと思えば、この作品のようにSF要素のある未来を予想したかのような作品を書いたり、阿部公房の作風の幅の広さに驚いた。この作品のほうが先の2作品よりも前に刊行されているので、もともとはSF的な作家なのだろうか。 -
現代日本の作家である安部公房(1924-1993)による本作は日本初のSF長編小説とされる、1959年。
自由とは、現在の同一性に閉じているのではなく、未来という差異へと開かれてある、ということ。未来とは、現在からの延長ではなく、現在との断絶である、ということ。則ち、自由とは、自己否定への可能性、自己(暫定的有意味)が非自己(根源的無意味)へと転じる可能性であり、そこには自己(暫定的有意味)の背面に穿たれた非自己(根源的無意味)の亀裂が予め前提されている、ということ。未来とは、自己(暫定的有意味)にとっての非自己(根源的無意味)を時間軸上に投影したものである、ということ。僕らがひとつの連続体とみなしているものが、実は任意の点において不連続であるディリクレ関数のごとき代物であるということ。
本書は、人間の自由というものの人間自身にとっての過酷さ、その耐えがたさを、未来予言という仕掛けを通して読み手の眼前に突きつけてくる。
「こうした日常的な連続感を、つい昨日までは、このうえもなく確実なものだと信じてきたものだ。しかし今はちがう。昨夜見たのが現実なら、この日常感はむしろ、いかにも現実らしい嘘だと言うべきではなかろうか。なにもかもが裏返しなのだ。/予言機械をもつことで、世界はますます連続的に、ちょうど鉱物の結晶のように静かで透明なものになると思いこんでいたのに、それはどうやら私の愚かさであったらしい。知るという言葉の正しい意味は、秩序や法則を見ることなどではなしに、むしろ混沌を見ることだったのだろうか……?」(p210)。
自己を起点として有意味で連続的で heimlich に構成されているかに思われた「世界」(暫定的有意味)が、実はどこにも起点をもたない無意味で非連続的で unheimlich に散逸しているだけの「もの」(根源的無意味)でしかあり得ない、ということ。
「真の未来は、おそらく、その価値判断をこえた、断絶の向うに、「もの」のように現われるのだと思う」。「未来は、日常的連続感へ、有罪を宣告する。[略]。未来を了解するためには、現実に生きるだけでは不充分なのだ。日常性というこのもっとも平凡な秩序にこそ、もっとも大きな罪があるということを、はっきり自覚しなければならないのである」。「おそらく、残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。その残酷さの責任は、未来にあるのではなく、むしろ残酷を肯んじようとしない現在の側にあるのだろう」。以上「あとがき」(p338ー341)より。
虚構でしかない日常性の上で暫定的有意味の安逸を貪るだけで根源的無意味を直視できない者たちに対する、この作家の苛立ちを感じる。
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「「[略]、人間は、予言を知っておる場合と知らん場合とでは、おのずと、やることもちがうわけですな。すると、予言しても、それを発表してしまえば、ちがった結果になりゃしませんか?」[略]、「その場合には、最初の予言を知ったうえで行動したという条件で、もう一度予言をくりかえすわけですな。つまり、第二次の予言ですな……これがまた公表された場合は、第三次予言……というふうにやっていきまして、まあ無限大までもってゆく……これがいわゆる最大値予言になるわけで、現実はこれと第一次予言との中間の値をとる、というふうに考えればいいわけです」」(p25)。
再帰プログラムの不動点意味論を思い出した。
「社会を予言でしばることは、なんたって自由主義に反することですからな」(p205)。
「――人間の情緒が、多分に、皮膚や粘膜の感覚に依存していることは了解していただけるでしょうな? たとえば、「ぞっとする」「ざらざら」「ねばつく」「むずむずする」……こう、ちょっとならべただけでも、いわゆる体表面感覚が、いかにわれわれの気分や雰囲気の形容になっているかが分ります」(p304)。
メルロ・ポンティ『知覚の現象学』を思い出した。 -
安部公房のSFである。しかし、SFなのにミステリなのか、悶々とした追いつ追われつがあり、自分以外が薄気味悪く笑っていたり、気がついたら自分が死ぬ運命になっているあたりが安部公房だ。
予言をするコンピューター、水棲人間作りなど、SFの要素はしっかりある。それなのに、多くの部分で感じるのは、「燃えつきた地図」や「密会」にもあった、よくわからない人たちから情報を引き出そうとする話。その中で、未来にいるのか戦後間もない木造のアパートに居るのか、未来にそういうボロアパートがあるのかを錯覚する。
ディテイルは非常によく書き込まれており、荒いながらもコンピューターや、発生学(オーガナイザーの時代か?)をそれなりに納得させるように書いているのが興味深い。物質の密度勾配で腕が出来るか足が出来るか、なんていう話を書いているが、これ、1950年代だからね。
予言の話のモスクワ2号で、引き合いに出されているのはオーウェルの「1984年」なのかな。皮肉的に触れられているのも興味深い。
本作は全体に会話が主になっており、安部公房の独特の形容詞回しが苦手な人でも読みやすいだろう。最後の「コンピューターの夢」とでも言える部分以外は、情景も非常にわかりやすい。
「砂の女」「方舟さくら丸」で感じた、日本映画のネチネチした部分を文章化したような、安部公房らしい作品といえる。
なお、表紙は奥さんの安部真知の作品のものを読んだ。中には珍しく挿絵まで入っている。新潮文庫は知らない内につまらない表紙になっていて、非常に残念だ。このサムネイルの表紙なら、星をもう一つ減らしたい。 -
1959年執筆。「第四間氷期」をどう思いついたのか。恐ろしいまでの才能だ。素晴らしい。
終戦から復興を遂げ始めた高度経済成長期前、そして冷戦真っ只中。温暖化はもとより現代のコンピュータの勃興なんて夢のまた夢の世界。そのなかで科学的裏付けで構築された緊張感ある緻密なストーリー。
テーマは「断絶した未来」だが著者は肯定も否定もしていない。陰鬱な結末と捉える人が多いようだが「理解を超えた未来」を提示されたとき人類はどう反応するか。というテーマそのものを読者で試しているのかもしれない。SFよりむしろ哲学に近いのかもしれない。 -
予言機械は、さまざまな情報をインプットすることで、非常に正確な予言をやってのけ、タイムマシーンと称されて話題を呼んだ。
この機械を使って未来を予言しようと研究を始めたのが、勝見博士の研究室であった。街で偶然みつけた、平凡な男を機械にかけ、その男の未来を予測しようという計画を立て、博士と助手が男を尾行するが、その翌日、男が殺されたというニュースが伝えられる。そして、殺人犯として捕まっている女性を、予言機械にかけようと彼らが試みたところ、今度はその女性も殺されてしまった。
しかし、これらはすべて仕組まれたことだった。
博士の知らないところで、人類の未来がすでに機械によって予言されており、その未来に備えるための準備が、知らないところでちゃくちゃくと進められているのであった・・・。
安倍公房のとてつもなさを思い知らされる作品だ。
未来を予言されて、知ることで、未来は少し変わる。それを繰り返すことで社会がどうなるのか、未来への準備のために行われているとてつもない研究・・・ありえない事柄ばかりなのに、生暖かい現実感をともなって描かれている。未来とはなんなのか、を考えさせられる。 -
好きな長篇。
サスペンス色が強く緊迫した雰囲気が、主人公と同調していく様で面白い。
作者の先見の明という点で有名な本作だが、やはりこの時代でこの作品を生み出した安部公房は怪物という他ない。当時描かれていた未来を、現代から答え合わせ様々な考証が出来る有意義な一冊。 -
【未現実】
小説です。
いま創造するとおそらく別の未来になるでしょう。 -
難解な作品が多い安部公房の中ではたいへん読みやすい一冊。
未来を予言できる機械が、やがて自分を追い込んでいってしまう。50年前に書かれたとは思えない現代的SFホラー。
未来のことを過去形で書いている事が、そもそも胡散臭いのですが、そういう胡散臭い私の「未来予測」です。安部...
未来のことを過去形で書いている事が、そもそも胡散臭いのですが、そういう胡散臭い私の「未来予測」です。安部公房が、わざと小説の中で過去形で語っていたので、真似て見ました。もちろん、「耐えうる」可能性も大いにあるし、コロナ禍に関してはそれが大きいのかもしれない。でも、私はコロナ禍の後の世界の混乱がちょっと心配です、と「未来予測」しています(^_^)