第四間氷期 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 2010
感想 : 179
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121055

感想・レビュー・書評

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  • 初読。
    未来を予見する「予言機械」を発明した博士が語り手。
    ソビエトが「モスクワ1号」「モスクワ2号」と予言機械を発明したことに対抗してのこと。
    「モスクワ1号」が、未来は共産主義一色に染まると予言したところから、敵対国であるアメリカ合衆国が絡んできて、純粋に未来を予見するというより、そこに”現代”の政治的な力学が絡んできて……

    と、てっきり前半を読んでいたときはスパイとかが登場する政治小説なのかと思ったが全然ちがった。
    博士である語り手の「私」が、とある平凡な男の未来を予見しようと方向転換したあたりから事態に異変が。そしてここからが断然面白くなってきた。

    相変わらず安部公房、
    自分のなかの他者、
    自分に奪われた自分、
    身近なものがいちばん遠い、
    といったテーマは一貫して好きみたい。

    とはいえ、本書のハイライトは、”水棲人”のテーマが浮上するあたりから。後半からはほんとうにすごい。これこそが安部公房の想像力の真骨頂だと興奮した。

    タイトルにある「間氷期」とは、氷河期と氷河期の間の温暖期のことをさすが、予言機械がこの間氷期の到来を予言してしまったばかりに、現代から見れば一見荒唐無稽にしか見えない計画が進められていくのだった。しかし、未来から見れば、理にかなった計画だ。
    本書には短いあとがきが付いているが、そこで安部公房はこう書いている。

    「おそらく、残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。その残酷さの責任は、未来にあるのではなく、むしろ断絶を肯んじようとしない現在の側にあるのだろう」

    「予言機械」とは、この、未来の本質的な残酷さを現在に投入するための、「日常的連続感」を断ち切るときに何が立ち現れるかを試すための、壮大な思考実験装置だったのだ。

    また、個人的に本書から勝手に読み取ったことは、
    誠実さはときに世界を滅ぼす、ということ。

  • 安部公房「第四間氷期」読了。著者の本は勝手に難解という先入観があり読んだ事がなかったが紹介され思い切って挑戦してみた。はじめはタイトルと違った内容にやはりと戸惑ったが様々な伏線が繋がり人工知能や超人類等が組み込まれ昭和30年代のSF とは思えない秀逸な展開に驚いた。ほんと最高でした!

  • AIもののSFとはこの物語を端的に表すジャンルであって、しかし、この物語について何も語りきれていない気もする。

    この物語は、旧態依然とした世代と新しい世代や未来世界との断絶の物語だと思う。

    解説では、作品が世に出た当初の日本、すなわち田園・農村社会から急速に都市化へ移行する中間領域の社会が投影されていると論じている。

    プレモダンからモダンへ、農村から都市へ、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ、田畑からビルヂングへ。

    しかし、いくら鍬を捨て、ネクタイとポマードを手に入れても、蛍の光からネオンの光を手に入れても、個人も社会もなんら変容していないのではないか。

    そしてこの2020年には、プレコロナとアフター・ポストコロナを巡る、「新しい生活様式」なるダサいネーミングセンスの中間領域と、その後の社会変容への恐怖を想起させる。

    P16.『世間が幾本の柱で支えられているのかは知らないが、少なくともその中の三本は、不明と無知と愚かさという柱らしい』

    しかし、他ならぬ「世間」とは主人公のようだった。

    優秀な開発者で研究所長は奇怪な事件に巻き込まれる。
    そのうちに、若い研究者たちから突きつけられる言葉が重い。

    日常に平和を取り戻そうとする主人公に共感していたはずが、徐々に、彼が旧態依然とした古臭く、劣った害悪な存在に思え、代わりに若い研究者たちの思想が新しい(ナウい?)ように感じる。

    P.259『結局先生は、未来というものを、日常の連続としてしか想像できなかった。(中略)断絶した未来・・・この現実を否定し、破壊してしまうかもしれないような、飛躍した未来には、やはりついて行くことができなかった。(中略)未来をただ量的現実の機械的な延長としか考えていなかった。だから観念的に未来を予測することには強い関心を寄せられたけど、現実の未来にはどうしても耐えることができなかった。」』

    しかしこの頼木のセリフは実にダブルバインドである。

    「先生」は量的な現実の連続体でしか未来を予測できず、頼木らはそうではない。
    しかし同時に、「先生」は観念的な未来は関心を抱けるが、現実の未来には耐えられない。

    すなわち、彼の言説は矛盾している。

    量的とはすなわち極めて現実的・具体的・客観的であり、観念的とは抽象化された着想、思想、哲学である。

    頼木が言いたかったのは具体的思考への批判だったのかそれとも抽象的思考への批判だったのだろうか。

    およそ知能の発達は具体的思考を経て抽象的思考を獲得してゆく。

    ピアジェらのいう具体的操作期から形式的操作期への発達である。

    頼木は何を批判し、糾弾したかったのか。

    そして、頼木或いは「新しい生活様式」について何を見たいのか。

    この2020年にあって安部公房の物語はどれもこれも恐ろしい。

  • 読み始めたときはSFで、途中ミステリになり、若干つまんないなと思い始めたらまたSFになって、最終的にめちゃくちゃ面白いと感じた。
    一応、最後どうなっていくのかはタイトルと冒頭で示唆されているけど、小松左京の『日本沈没』よりもだいぶ前にこの小説が書かれていることに驚く。
    安部公房的なのは中絶とかそこらへんの要素だろうと思うけど、そこもよい。

    丁度、AIについて話し合う機会の直前だったので、未来予測機というAIとはまたちょっと違うけど、ほぼAI(高度になると未来予測できてその範囲は拡張される)が登場する点でもよかった。
    また、旧人類対新人類の対決のような構図になるけど、この点でも人間対AIを描いた『2001年宇宙の旅』を先取りしている。

  • 生物学や科学やなんだかんだの専門的知識は持ち合わせてないけれど、それでも書かれている内容は理解できるしスリルと隣り合わせのストーリーには引き込まれる一方。

    唯一理解できないのは、これが約60年も前に書かれた小説だという一点のみ。代表作しか読んだことなかったけれど、安部公房って凄すぎじゃない?

  • 記録をつけ出してからは2014年6月に続き二回目、人生通算は何回目か?苦難の淵にあって、救いを求めて縋りついた本。活字を追うだけで癒された。当面、読書は知的刺戟のための趣味のみならず、救いのためのものとなろう。それでも、今年も一冊でも多く読んでいきたい。

  • 昔むかしに読んだのに、今なお印象が強い本。
    これをきっかけに安部公房を読みたいと思った。
    SF感、物語の構成、非常に面白く、引き込まれる。

  • (1972.11.19読了)(1972.08.06購入)
    (「BOOK」データベースより)
    現在にとって未来とは何か?文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か?万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して事態は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の苛酷な未来を語りだすのであった…。薔薇色の未来を盲信して現在に安住しているものを痛烈に告発し、衝撃へと投げやる異色のSF長編。

  • 人類の未来を予言する機械の開発に当たる勝見博士。実験に選んだ男の殺人事件に巻き込まれ謎の男からの脅迫電話が。強制的に堕胎させられる妊婦たち。胎児の誘拐事件。勝見自身の子供も誘拐される。勝見の助手である頼木が明かす「第四間氷期」の謎。水棲人間達の研究。

     2010年9月28日読了

  •  非常にショッキングな作品だ。予言機械が映し出す過酷なまでの未来、その未来を前提として、海底開発協会のメンバーは行動する。「現在」では罰せられるべき犯罪を犯してまで。しかし、勝見がそれらを糾弾すると、彼らは未来の論理を使ってそれらの行為を正当化していき、次第に勝見の方が言葉を失っていく。自分の子供を、水棲人という「片輪の奴隷」にされたにもかかわらず。この作品は、私のよく見る悪夢を想起させる。内容は忘れるのだが、冷や汗がたらたら出てくる悪夢だ。目の前で起こっていることに対して、何か叫ぼうとしても、声が出ない、届かない。出来事を眺めるしかできない無力の状態になってしまう。勝見も頼木達の論理に完璧に打ちのめされて、言葉が出ない。妻の胎児を中絶させられ、自分自身もこれから殺されるというのに、叫ぼうにも、それが声となって空気を震えさせることができないのだ。
     私は、未来にどうしても耐えられない。そこで、まず勝見と同じく、「予言機械」の正当性を考えてしまう。誤差のない予測(シミュレーション)なんて、ナンセンスだし、予言を知った場合の行動をn次予言値としてカバーしているかのように見えるが、2次予言にしたって、誰が・いつ・どこで・どのような状況で、1次予言を知ったかによって変わるべきで、それを刻々と計算していると、時間が足りないはずだ。しかも、作品中に出てくる二次予言値も相当妙な存在である。単なる予言で人格などない、と言いつつ、勝見を殺す段になって「私だってつらい」と感情を滲ませるのだ。また、勝見がいくら予言を鵜呑みにしては危険だと叫んでも、海底開発協会のメンバーは取り合おうとしない。その正しさは絶対的で、それからの論理だと、勝見は未来に対応できない人間として裁かれる運命にあるらしい。しかし、そのような未来を受け入れられないのは私も同じで、だからこそ「予言」の正当性を疑わざるを得ない。予言機械が語る未来の過酷さを思うと、なおさらに。
     しかし、「予言」を「預言」と読み替えると分かるような気がする。ちょうど、ノアが神から洪水の預言を聞いたように。勝見もまた、自ら作った予言機械から預言を授かったのだ。しかし、傲慢で残酷なノア(少なくとも安部にとっては)と違い、断絶に耐えられない勝見はその預言を信じることができなかった。故に、未来の論理によって裁かれ、代わりに弟子達・海底開発協会がノアにならざるを得なかったのだろう。海の主人となるべき水棲人類の父親となる、ノアに。勝見が責めを受けるとすれば、未来予測という神の領域に足を踏み入れたにもかかわらず、神の言葉を信じられなかったという一点に尽きる。しかしながら、そのことこそが、予言がタブーであることを暗示していると思う。
     さらに、物語の後半で、予言機械によって未来が映し出されていく。ただし、それが「実際」に起こることなのかどうかは、一切語られることはない。ただ映されるのみだが、その未来像はとてもリアルに迫ってくる。洪水、水棲人社会の到来、水棲人社会の日常、「風の音楽」にあこがれる水棲人、などの物語。それらに対して、私たちはもはや判断することはできない。ただ眺めるしかないのだ。でも、本当にこの「ブループリント」は正しいのだろうか?
     いや、もう予言だの水棲人社会だの言うのはよそう。たとえ、近い将来、水棲人を眺める望遠鏡のように水没していく運命にあっても、我々は「現在」を生きるしかないのだから。

著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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