- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101121079
感想・レビュー・書評
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安部公房の初期短編集。
通読してみたところ、総じて”神話”(旧約聖書も含めて)の世界が通奏低音として流れている。
主人公のコモン君が植物に変身する「デンドロカカリヤ」。これはアポロンから逃れようとして月桂樹に変身したダフネのエピソードに似ている。
(ドナルド・キーンも解説で書いてるけど、変身というとすぐにカフカに結びつける批評家が当時からいたようだ)。
「ノアの方舟」にはエホバとサタンが、「プルートーのわな」にはオルフォイスとオイリディケというねずみも登場。
こういった古い物語や神話を、例の持ち前の詭弁と皮肉と散文的な見方によってドライに換骨奪胎した短編が多い。どの話もブラックでつい乾いた笑いをもらしてしまう。とくに「水中都市」と「空中楼閣」がぶっ飛んでいて好みだった。
この頃から、赤の他人に追われるとか(「デンドロカカリヤ」)、赤の他人がいきなり押しかけてくる(「闖入者」)、わけもなく死刑宣告される(「イソップの裁判」)といった設定がしばしば使われている。
こう書くとますますカフカっぽく思えてくるけど、あのカフカ独特の不穏に論理がねじくれた感じはなく、あくまで論理的、あるいはその逆をいくという形で物語は理知的に展開。
(登場人物たちの多くが頭が良くて、ちゃんと会話が成り立つし、いちいち一応相手の話を聞くところが可笑しかった)
もう一つの特徴は、時代のせいもあるのか権力や政治のにおいが漂っていること。”独裁者”のモチーフも散見される。たしか安部公房はガルシア=マルケスの『百年の孤独』が大好きだったはずだけど、本書を読むと好きにならないはずがないと思えた。
その他、気づいたこと。
”詩人”という言葉がよく登場する。このモチーフ、もう少し突き詰めて考えたら面白そう。
それから、「ナイフ」と「銃(鉄砲)」が道具としてよく出てくるな。「鉄砲屋」という短編も収録されている。
最後に、気になる物理用語が2か所(他にもあったかも)。
ひとつは「詩人の生涯」に出てくる”ミンコフスキー空間”。
この語のすぐ近くの行に、たたみかけるように活字が斜め45度に改行されながらくだってくる箇所があるのだけど、これは特殊相対性理論の”光円錐”を暗示しているのだろうか。
もうひとつは「水中都市」に出てきた”プランク常数(定数)h”。h野郎、という罵倒が笑えた。
ε= hv(ε:光子のエネルギー v:振動数)
の比例定数h。たしか220Hz(音の高さではラ!?)という振動数も書かれていたけどこれには何か意味があるのかな。詳しい人がいたら教えてほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『友達』の原題にもなった『闖入者』が抜けてて素晴らしい。
他収録作はシュールレアリスム寄りだが、安部公房作品では相対的に取っ付きやすい部類かもしれない。 -
安部ワールド。唸るほど詳細で素晴らしい描写と、おぞましく突飛な物語。これをシュールレアリスムというのか前衛的というのかはわからないけれど、読み進めるほどにあぁ天才の書く小説とはこういうものだとガンガン打ちのめされる。付いていけない。
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2021.09.02
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読書会で紹介された本です。
こちらの表紙は「デンドロカカリヤ」っぽいですが、読んだ本の表紙は「水中都市」っぽいので古いバージョンなのかな。
面白かったです。
「デンドロカカリヤ」「手」「詩人の生涯」「水中都市」が好きでした。
人が植物や魚になったり、世界が凍りついたり水中に沈んだりする、不思議な世界が楽しかったです。水中都市で空中を泳いでみたいです。魚は怖いけど。
「闖入者」はとてもブラックで怖かったです。結末が辛い。
安部公房は寓意があるのかどうかよく分からないですが、このよく分からない感じを楽しむので良いのかなと思います。
解説がドナルド・キーンさんでした。読者に私なりの「解釈」を押し付けるのは遠慮したい、という姿勢、わたしも気を付けていこうと思いました。合掌。 -
安部公房作品としてはイメージを想像しやすい小説です。私の場合、これまでに読んだ安部公房の他の小説は、感じることに加えてかなり考えないと心と脳に浸透してこない感じなのですが、こちらはどの時代の何がモチーフになっているのか想像力の手が届きやすいと思いました。
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箱男が個人的に難解だったので少しとっつきにくい印象を抱いていたけれども、この短編集に入っている作品はどれも話の展開がわかりやすく、伝奇的で面白かった。「闖入者」が好き。
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安部公房の短編集。全体を通すテーマは変形と擬人化といえようか。些か読者を突き放した感は安部作品の特徴といえよう。それが何かは説明せず物語は進み、何を描いているかぼんやり見えてきたとしても、それが何を示しているのかははっきりさせない。それは著者の世界観の作り込みと作り上げた世界への移入が完全なものなため、読者に立ち入る隙を与えないのだろう。
「デンドロカカリヤ」は星新一の「クラムボン」を思い起こさせたが、あちらが童話的なのに対しこちらは寓話的である。しかし何を風刺しているかは筆者にしかわからない。それでよいのだ。何か異次元の世界を描き、読者が一端を垣間見る、それが安部公房作品の楽しみ方でもあるのだから。