R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

著者 : 安部公房
  • 新潮社 (1974年8月27日発売)
3.58
  • (80)
  • (149)
  • (232)
  • (21)
  • (3)
  • 本棚登録 :1295
  • レビュー :103
  • Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121093

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 「死んだ娘が歌った・・・・・」について

    一文あらすじ

     家が貧乏なために出稼ぎで上京した少女が、「自由意志」によって殺される話。


    メモ

     職場の上司から「自由にしてよい」と命じられ、出稼ぎ先を首になった少女は、欲しくもない自由を手に絶望して自殺する。
     近代以降の人間は、自由を万人が持つべき絶対不可侵の権利のごとく認識してきた。しかし、自由とは権利なのだろうか。自由とは、意図的な力が加わらない状態のことではなかったのだろうか。
     自由を権利として定義づけ、あたかも義務かのように個人に課すこと、これは暴力にほかならない。これこそ、かつて自由を求めて闘った人々の共通の敵であったはずだ。金と力ある者が自由を牛耳る世界において、その逆の者がそれを謳歌できるはずもなく・・・少女は死んだ。
     これは現代においても起こりえる、あるいは今まさに起きている悲劇の縮図であり、非常に諷刺の効いた作品であると思う。



    「鏡と呼子」について

    一文あらすじ

     四六時中望遠鏡で村民を監視し、鏡と呼子をつかってあやしい動きをとる住民を告発する老姉弟の家に下宿した教師の話。


    メモ

     部外者である主人公が、ある奇妙な村に入り、その村の異常さを内面化して出られなくなってしまう物語。『砂の女』の筋とたいへんよく似ている。違いがあるとすれば、もちろん流れが同じなだけで細部はまったく異なるわけだが、諷刺している位相が異なるように思う。これももちろん明確なことではないが、あえて特徴を切り出すのであれば、『砂の女』が抽象的な問題を諷刺しているのに対し、『鏡と呼子』はより現実的な問題を諷刺しているのではないだろうかと思う。
     『砂の女』の場合、読んだときにわたしがふと想ったのは、砂の村の住民の生活様式と雪国の住民のそれとが酷似しているということだった。「雪かきをしなければ住めない場所になぜ住むのか」と問うことは、(極端にいえば)「食べなければ生きられないのになぜ生きるのか」と問うようなもので、人間は毎日せっせと異常を積みあげているのかもしれない、なんてことを思った。
     『鏡と呼子』の場合、現代の監視社会の発展に対する諷刺がはっきりと読みとれる。たとえば、望遠鏡はありとあらゆる場所に設置された監視カメラ、鏡と呼子は世界中にはりめぐらされた情報伝達システムの寓意と考えることができるし、そのなかで「問題がないことが問題」と語る村民たちは、監視社会のなかで得体の知れない不安を感じる現代人の寓意と考えることもできる。
     この作品のなかでもっとも印象的だったのは、主人公の教師のスピーチと村にある道のコントラストだった。教師は次のようにいう。

     「世の中には、いいこと、悪いことの、二つがあるように言われています。しかし、なにがいいことで、なにが悪いことか、はじめからはっきりとした区別があるわけではありません。(みんな、あわてるだろうな)道は
    はじめから道だったのではなく、人が沢山そこを通るようになってから、はじめて道になるのです。だからどの道も、かならずうねうねと曲がっているのです。それは道をきめることのむつかしさを物語っています。(名
    文句だが、どこかで読んだ気もするな)だから、諸君も歩きたいと思った方なら、道がなくても歩いていく勇気をもって下さい。やがて、そこが、本当の道になるのかもしれないのですから・・・・・」

     本人のいうように、たしかにありきたりな感じもしなくはないが、悪くもないスピーチだ。しかし、この常識的な発言を嘲笑するかのように、村にはただひたすらにまっすぐな道が通っている。抗うことのできない、なにか大きな力が働く世界。安倍公房はこの作品で、監視社会に潜む問題点だけをあぶり出すだけでなく、社会的圧力と闘う人ひとりの無力さと、個人を支配せんと近づく無言の構造体の異常さをあらわにしたと思う。


    引用

     Kは大きな音をたてて、自分の喉を飲込んだ。巨大な三角形が、大きな口を開けてすぐ後ろにせまってきているように思われた。―304頁より

  • 『犬』が個人的にはツボで、人物描写でこれほど笑えるのは漱石やドストエフスキー、町田康(『河原のアパラ』の辺り)だろうか。全体的には、理不尽で残酷な現実に対置された誠実さ・純粋さが物語の中で渦巻いて、いつしか逆転しているようなシュールな結末が鮮やか。ゴヤの描く『我が子を食らうサトゥルヌス(クロノス)』のような迫力があり、登場する子供達の背負った不幸が印象深い(特に『死んだ娘が歌った』)。

  • 表題作2編の結末の色合いが全く異なるので、上手い本の題名つけたなぁ、と別なところで感心。
    久しぶりの安部作品。彼の永遠の命題はアイデンティティー。
    どの作品も、なにか、なにかが揺さぶられる短編ばかりです。

  • 機械になったり幽霊になったり、盲腸だけ動物になったり、棒になったり……もとは人間だったものがこの1冊の中であれこれ変わっていくのだが、その変化に個人の意識がもっと抵抗するかと思いきや、意外と順応性があるので、けっこう内容的にはグロイ面がありながら笑ってしまいそうになる。ところがそういう展開が短篇の形で繰り返されると、表面的には諦めて適応しようとしているように見える思考の裏で、自己が消えてしまいそうな不安を抱えて右往左往している様子が目に浮かんでくる。これは、登場人物たちの「器」に引っ張り込まれた読み手が動揺して抗うせいなのか。
    それまでの己の立ち位置や価値観が崩壊した後の自己構築は、容易ではない。

  • たけぽん推薦

  • 安部公房との出会いは、高校2年生の時に使用していた現代文の教科書の中だった。
    本書にも収録されている「棒」という素っ気ないタイトルが冠せられた10ページ程度の作品で、非条理、無説明、急展開な内容に惹きつけられた。
    数年後に「砂の女」を読み、少し違う雰囲気だけど良いなと思い、「棒」を連想させるタイトルの「壁」の世界観は自分にははまらず、「箱男」にもそこまではまらなかった。

    しかし、短編集である本書は、良い意味で作者の混沌さが薄れており、良質なSFものとして楽しめる。
    それらはサイエンスフィクションでもあり、藤子不二雄に絵を付けてほしい 少し不思議な物語でもある。
    時代背景や設定も現代、近未来、遠い未来、ディストピア化した社会など豊富で飽きさせない。

    個人的に面白いと思ったのは、犯罪行為を生業とする会社の社員心得だ。
    「犯罪者は、犯罪を生産するばかりでなく、また刑法を、刑法の教授を、さらにこの教授が自己の講義を商品として売るために必要な講義要綱を生産する」という挑発的な序文から始まり、犯罪という行為から生まれたものや、美徳についての文章に唸らされる。

  • 「砂の女」「箱男」など長編小説のような 永遠と続きそうな 不条理は 感じないため読みやすい

    死の世界や悪夢を描いた小説が多い。気持ち悪い小説だが、終わりまで 止まらない

    現実社会の設定の中に グロテスクな空想が入ってくると 頭が混乱する

  • 長編作品とは違って「ありがち」な印象の結末が多いような気がした。
    ただ「棒」は60年前の作品とは思えないほど斬新な印象があったし、「変形の記憶」はちょっとワクワクさせられる面白さがあった。

  • 久しぶりに安部公房読んだなあ。20年ぶりくらいか?やっぱり祖父江慎デザインの全集買えばよかったかなー。

    鉛の卵が素晴らしかった。着想が奇抜で、文章がきれい。感情に流されまいとしながら最後脱力、落胆に見舞われるひとびとがありありと浮かぶ。

  • 「世にも奇妙な物語」と言えば分かりやすいと思います。短編ですからね。読みやすいですが、あっさりとしていて、私はどちらかというと、同氏の長編のほうが好きなようです。

    <掲載作品の一覧>
    R62号の発明
    パニック

    変形の記憶
    死んだ娘が歌った
    盲腸

    人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち
    鍵耳の値段
    鏡と呼子
    鉛の卵

全103件中 1 - 10件を表示

安部公房の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ドストエフスキー
安部 公房
フランツ・カフカ
安部 公房
フランツ・カフカ
有効な右矢印 無効な右矢印

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)に関連する談話室の質問

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)に関連するまとめ

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする