R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121093

感想・レビュー・書評

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  • 「死んだ娘が歌った・・・・・」について

    一文あらすじ

     家が貧乏なために出稼ぎで上京した少女が、「自由意志」によって殺される話。


    メモ

     職場の上司から「自由にしてよい」と命じられ、出稼ぎ先を首になった少女は、欲しくもない自由を手に絶望して自殺する。
     近代以降の人間は、自由を万人が持つべき絶対不可侵の権利のごとく認識してきた。しかし、自由とは権利なのだろうか。自由とは、意図的な力が加わらない状態のことではなかったのだろうか。
     自由を権利として定義づけ、あたかも義務かのように個人に課すこと、これは暴力にほかならない。これこそ、かつて自由を求めて闘った人々の共通の敵であったはずだ。金と力ある者が自由を牛耳る世界において、その逆の者がそれを謳歌できるはずもなく・・・少女は死んだ。
     これは現代においても起こりえる、あるいは今まさに起きている悲劇の縮図であり、非常に諷刺の効いた作品であると思う。



    「鏡と呼子」について

    一文あらすじ

     四六時中望遠鏡で村民を監視し、鏡と呼子をつかってあやしい動きをとる住民を告発する老姉弟の家に下宿した教師の話。


    メモ

     部外者である主人公が、ある奇妙な村に入り、その村の異常さを内面化して出られなくなってしまう物語。『砂の女』の筋とたいへんよく似ている。違いがあるとすれば、もちろん流れが同じなだけで細部はまったく異なるわけだが、諷刺している位相が異なるように思う。これももちろん明確なことではないが、あえて特徴を切り出すのであれば、『砂の女』が抽象的な問題を諷刺しているのに対し、『鏡と呼子』はより現実的な問題を諷刺しているのではないだろうかと思う。
     『砂の女』の場合、読んだときにわたしがふと想ったのは、砂の村の住民の生活様式と雪国の住民のそれとが酷似しているということだった。「雪かきをしなければ住めない場所になぜ住むのか」と問うことは、(極端にいえば)「食べなければ生きられないのになぜ生きるのか」と問うようなもので、人間は毎日せっせと異常を積みあげているのかもしれない、なんてことを思った。
     『鏡と呼子』の場合、現代の監視社会の発展に対する諷刺がはっきりと読みとれる。たとえば、望遠鏡はありとあらゆる場所に設置された監視カメラ、鏡と呼子は世界中にはりめぐらされた情報伝達システムの寓意と考えることができるし、そのなかで「問題がないことが問題」と語る村民たちは、監視社会のなかで得体の知れない不安を感じる現代人の寓意と考えることもできる。
     この作品のなかでもっとも印象的だったのは、主人公の教師のスピーチと村にある道のコントラストだった。教師は次のようにいう。

     「世の中には、いいこと、悪いことの、二つがあるように言われています。しかし、なにがいいことで、なにが悪いことか、はじめからはっきりとした区別があるわけではありません。(みんな、あわてるだろうな)道は
    はじめから道だったのではなく、人が沢山そこを通るようになってから、はじめて道になるのです。だからどの道も、かならずうねうねと曲がっているのです。それは道をきめることのむつかしさを物語っています。(名
    文句だが、どこかで読んだ気もするな)だから、諸君も歩きたいと思った方なら、道がなくても歩いていく勇気をもって下さい。やがて、そこが、本当の道になるのかもしれないのですから・・・・・」

     本人のいうように、たしかにありきたりな感じもしなくはないが、悪くもないスピーチだ。しかし、この常識的な発言を嘲笑するかのように、村にはただひたすらにまっすぐな道が通っている。抗うことのできない、なにか大きな力が働く世界。安倍公房はこの作品で、監視社会に潜む問題点だけをあぶり出すだけでなく、社会的圧力と闘う人ひとりの無力さと、個人を支配せんと近づく無言の構造体の異常さをあらわにしたと思う。


    引用

     Kは大きな音をたてて、自分の喉を飲込んだ。巨大な三角形が、大きな口を開けてすぐ後ろにせまってきているように思われた。―304頁より

  • 『犬』が個人的にはツボで、人物描写でこれほど笑えるのは漱石やドストエフスキー、町田康(『河原のアパラ』の辺り)だろうか。全体的には、理不尽で残酷な現実に対置された誠実さ・純粋さが物語の中で渦巻いて、いつしか逆転しているようなシュールな結末が鮮やか。ゴヤの描く『我が子を食らうサトゥルヌス(クロノス)』のような迫力があり、登場する子供達の背負った不幸が印象深い(特に『死んだ娘が歌った』)。

  • 表題作2編の結末の色合いが全く異なるので、上手い本の題名つけたなぁ、と別なところで感心。
    久しぶりの安部作品。彼の永遠の命題はアイデンティティー。
    どの作品も、なにか、なにかが揺さぶられる短編ばかりです。

  • 機械になったり幽霊になったり、盲腸だけ動物になったり、棒になったり……もとは人間だったものがこの1冊の中であれこれ変わっていくのだが、その変化に個人の意識がもっと抵抗するかと思いきや、意外と順応性があるので、けっこう内容的にはグロイ面がありながら笑ってしまいそうになる。ところがそういう展開が短篇の形で繰り返されると、表面的には諦めて適応しようとしているように見える思考の裏で、自己が消えてしまいそうな不安を抱えて右往左往している様子が目に浮かんでくる。これは、登場人物たちの「器」に引っ張り込まれた読み手が動揺して抗うせいなのか。
    それまでの己の立ち位置や価値観が崩壊した後の自己構築は、容易ではない。

  • たけぽん推薦

  • 中山さんからのオススメ。公房作品三作目。短編集。大抵の主人公は何故かすぐ死に至る位置にいるようだ。何処かカフカっぽさを感じさせる作品の多さよ。一番好きなのは、解説で唯一触れられていない「パニック」かな。ミステリィっぽさを感じさせ、世間を皮肉っている点が好み。あと「人肉食用反対〜」も白井智之氏の『人間の顔〜』みたいで好きだ。

  • 相変わらずの突飛な発想力で、生から死、死からその先へとくるくる変わる短編集です。
    テーマはヒューマニズム。
    機械にされた人、藁を食べる人、死んだ人間が生者を観察したり、公房独特の180度の発想の転換で楽しませて…というのもありますが、これからの教訓になる一冊です。
    鉛の卵で、予期しているのが怖いくらいに当たっているのが凄味があり、またじっくり読み直したいとも思いました。

  • 超現実主義派と称されるにふさわしい作品
    ひとつひとつの短編を読むごとにすっきりするようなものではないが、作者の言いたいことを考えさせるものが多かった。
    R62号、鉛の卵あたりは個人的にスタンリーキューブリックに映画化してもらいたいと思った。

  • 安部公房 短編12作
    「変形の記録」と「盲腸」、「鏡と呼子」「鉛の卵」
    が好きです。「砂の女」をはじめに読んでしまったので
    短編よりは長編の方が好きでした。
    人間とは…と考えさせられる彼の動植物等を人と対等に
    置くアバンギャルドな作品が本当に好き。
    よくまあこんなに色々思いつくな……
    あと比喩表現が秀逸。
    安部公房を語るのに己の語彙力の無さを呪うしかない。

  • 2018/07/15

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著者プロフィール

安部公房(あべ こうぼう)
1924年3月7日 - 1993年1月22日
東京府北豊島郡滝野川町生まれ、満洲で少年期を過ごした。
1948年『終りし道の標べに』(「粘土塀」)により単行本デビュー。1951年「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。その後は劇作も手がけた。1958年「幽霊はここにいる」で岸田演劇賞、1963年『砂の女』で読売文学賞、1967年『友達』で谷崎潤一郎賞、1975年「緑色のストッキング」で読売文学賞をそれぞれ受賞。他、受賞作多数。国内外に大きな影響を及ぼしており、ノーベル文学賞の候補者としても名前が挙がっていた。
主な代表作として『壁』『砂の女』『他人の顔』『箱男』など。

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