燃えつきた地図 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 1121
レビュー : 85
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121147

感想・レビュー・書評

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  • 「失踪した主人を探して欲しい」
    この時点で、安部公房を何冊か読んできた人なら、見つかることはないことは想像に難くないだろう。したがって、見つからないのである。
    いなくなった人を探して見つからないというテーマは「密会」と似ており、安部公房作品らしくどの登場人物ものらりくらりと本質を語らない。主人公もフラフラと本質に突っ込まず、心理描写を見ながら、読者がどんどん焦らされていく。プロットとしても「密会」の昼間版というところ。とはいえ、あちらほどディープでえげつない描写が有るわけでもないので、慣れていなくても割と読みやすい1冊となっている。安部公房の準初心者におすすめしたい。
    安部公房作品の読み解きの難しさの一つとして、やたらと複雑な建物などが出てくることがあるが、本作は車であちらこちらに移動し、それらの位置関係がしっかりと描かれているために理解しやすい。沿う感じてドナルド・キーンによる解説を読んだら、しっかりと書かれておりました。安部公房に興味を持ったのなら、解説付きの文庫本版をおすすめします。

  • 現実と夢の間で交錯する真の記憶と偽の既知感、表と裏が反転した世界。レモン色のカーテンが白と焦茶の縦縞に変わった時、失踪人を追跡していた主人公と失踪人の妻の世界はひっくり返り、主人公と失踪人の影がぴったり重なり合っていく。「自分が何処にいるのか…自分が、本当に、自分で思っているような具合に、存在しているのかどうか…それを証明してくれる他人」の存在と共有された記憶は、自分が自分で在り続けるための地図でもある。どこにも帰属できなくなった孤独な主人公のアイデンティティーの崩壊と、都会の壁の中に埋没していく過程は、生と死の境を目撃しているような恐怖感があり(デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』でいえば、レストランの裏にいた、顔が判別できない浮浪者の放つ恐怖感。社会での「死」を象徴する存在)、終盤の主人公にはこの世に存在していない人間のような非現実感が漂っている。

  • 失踪した男を捜してもらひたい。といふ依頼を受けた興信所の調査員。
    依頼人は男の妻。しかし彼女の話は要領を得ないのであります。手掛りも顔写真1枚とマッチ箱だけ、といふありさま。
    重要なことは何も答へず、すべては弟が仕切つてゐる、と繰り返すばかりなのです。

    調査員の「ぼく」は、僅かな手掛りから調査を開始しますが、その肝心の弟(胡散臭い)は死んでしまふし、情報提供者だつた筈の田代君の証言は二転三転し、「ぼく」はますます迷宮に迷ひ込むのでした。
    読者も「ようこそ迷宮へ」とばかりにふらふら誘ひ込まれ、不安に苛まれてゆくのでございます。

    いたづらに観念的にならず、物語としての作りがしつかりしてゐますね。小説の面白さといふものもたつぷり読者に与へてくれる作品と申せませう。『砂の女』-『燃えつきた地図』-『箱男』と連なる作品群は、今から思ふとほとんど奇跡と呼べる存在ですなあ。
    たぶん今でも入手は容易であります。読みませう。

    http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-212.html

  • 安部公房(1924-1993)の長編小説、1967年。

    安部公房の小説の主題として、しばしば「自己喪失」ということが云われる。では逆に、「自己」が「自己」を「獲得」しているのはどのような情況か。それは、「世界」の内で何者かとして在ることができるとき。則ち、「世界」が"存在の秩序(ontic logos)"として一つの安定した価値体系を成し、その内部において「自己」が意味を付与され在るべき場所に位置づけられているとき。しかし、近代以降、「自己」の存在根拠を基礎づけようとするのは当の「自己」自身となる。このような【超越論的】機制から次のことが帰結する。

    □ 自己喪失は不可避である。

    なぜなら、超越論的主観性は「自己」の存在根拠をその都度毎に対象化し否定し続けることで無限に遡及していこうとするのであり、ついに最終的な基礎づけへの到達は無限遠の彼方に遅延されることになるから。「けっきょく、この見馴れた感覚も、じつは真の記憶ではなく、いかにもそれらしくよそおわれた、偽の既知感にすぎなかったとすると……いまぼくが帰宅の途中だという、この判断だって、おなじく既知感を合理化するための、口実にしかすぎなかったことになり……そうなれば、自分自身さえ、もはや自分とは呼べない、疑わしいものになってしまうのだ」。

    自己は喪失するものとして在るしかない。こうした自己存在の無根拠性・虚無性に対する自覚が、欺瞞的な自己規定に安逸している日常性への頽落からの実存的覚醒の契機となる。それは、あらゆる概念的規定を虚偽として峻拒しようとするロマン主義的な自由への意志として現れる。「緊張感で、ぼくはほとんど点のようになる……暦に出ていないある日、地図にのっていない何処かで、ふと目を覚ましたような感じ……この充足を、どうしても脱走と呼びたいのなら、勝手に呼ぶがいい……海賊が、海賊になって、未知の大海めざして帆をあげるとき、あるいは盗賊が、盗賊になって、無人の砂漠や、森林や、都会の底へ、身をひそめるとき、彼等もおそらく、どこかで一度は、この点になった自分をくぐり抜けたに相違ないのだ……誰でもないぼくに、同情なんて、まっぴらさ……」。

    自由とは、自己を断片化しようとするあらゆる欺瞞的な意味の絶対的拒絶という不可能性においてのみ、無限遠における成就ならざる成就としてのみ、可能となる。「「彼」……どんな祭りへの期待にも、完全に背を向けてしまった、この人生の整理棚から、あえて脱出をこころみた「彼」……もしかしたら、決して実現されることのない、永遠の祝祭日に向って、旅立つつもりだったのではあるまいか」

    このような自己喪失の事態に対して、超越的な何かを仮構して喪失した自己を回復することは不可能である。なぜなら、あらゆる存在が超越論的主観性への表象として在る以外には在り得ないのであるから。一切の外部が無い。いかなる形而上学的逃避も予めその可能性は閉ざされている。この意味においてもまた、自己喪失は不可避である。取り戻すべき自己を探し求めるなどということは、全く無意味であるから。「だから君は、道を見失っても、迷うことはできないのだ」。道を見失っている、という情況から逃れることは永遠に不可能である。それ以外の情況は在り得ないのであるから。

    そして、失踪者を追う者がついに当の失踪者それ自体に反転することは不可避である。失踪者を追うという超越論的主観性の【超越論的】機制そのものが、失踪者を何者かたらしめようとする不可能性に不可避的に撞着する以外にないという点において、失踪者それ自体の在り方に他ならないのであるから。追う者の姿は失踪者の姿そのものである。こうして、失踪者は増殖していく以外にない。

    「探し出されたところで、なんの解決にもなりはしないのだ。今ぼくに必要なのは、自分で選んだ世界。自分の意志で選んだ、自分の世界でなければならないのだ」

    しかしその「世界」とは、決して肯定的に規定し得ないものではないか。掴み取っては投げ捨てるという無限の否定運動の裡においてしか在り得ないものではないか。

  • 失踪三部作の中ではたしかにテンポ良く読み進められたが、不条理カットアップ感も強く、例の箱男、密会につながる感じ。
    濃いのか薄いのかよくわからないキャラクターが多い中、強烈だったのが、田代君でしたねぇ〜

  • 非現実な現実と自己が喪失していく不安が主人公に迫り苦しめていく。2018.11.21

  • 興信所の調査員が、失踪した男を捜すいっけん推理小説のような物語です。決定的に違うのは失踪の謎だけでなく、調査員の男の存在すらも最終的にあやふやになることです。
    結末はかなり不条理ですが、読後に1人の人間の存在とは何なのだろうという思いが、深く心に残りました。

  • 正確かもわからない地図、報告書、嘘かもしれない嘘、そういうものたちにしか立脚することのできない存在の不安が描かれる。ロブ=グリエの『消しゴム』をやたらと思い出させる、裏返しのモチーフが何度も出てくる。ただまあ個人的に文体があまり馴染まなかった。

  • レモン色の窓、女を部分に解体して女でなくしてしまおうという意思が働いている写真。
    後日、安部公房がロブ・グリエの「消しゴム」という作品が好きだったと聞いて読んでみたのだが、それを読むとなんとなくこの作品だけでなく、安部公房の世界に広がる閉塞的な空気感がさらに理解できる感じがする。
    燃えつきた地図、出口のない、まち。

  • 夫が失踪した、という女性からの依頼を受けた調査員が巻き込まれる不可思議すぎる出来事のあれこれ。
    弟も謎なら夫も謎だし、決着つくかと思いきや、ラストますます迷子になるという……やはり安部公房であった。

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著者プロフィール

安部公房(あべ こうぼう)
1924年3月7日 - 1993年1月22日
東京府北豊島郡滝野川町生まれ、満洲で少年期を過ごした。
1948年『終りし道の標べに』(「粘土塀」)により単行本デビュー。1951年「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。その後は劇作も手がけた。1958年「幽霊はここにいる」で岸田演劇賞、1963年『砂の女』で読売文学賞、1967年『友達』で谷崎潤一郎賞、1975年「緑色のストッキング」で読売文学賞をそれぞれ受賞。他、受賞作多数。国内外に大きな影響を及ぼしており、ノーベル文学賞の候補者としても名前が挙がっていた。
主な代表作として『壁』『砂の女』『他人の顔』『箱男』など。

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