箱男 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121161

感想・レビュー・書評

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  • 2017.3.11
    たまにはさらっと小説でも読もうと思ったらびっくり。めちゃくちゃ難しい。結局なんのことかさっぱりわからなかった。
    しかし、「見る」と「見られる」ということに関してなら、確かになんとなく、その底にある恐怖は理解できる。特に数年前に対人恐怖で外を出歩くのもきつかった時は、まさに見られることの恐怖というものを全身で感じていたし、今でもその傾向が弱まったとはいえ、人の中を歩くのはきつい。深夜に散歩するのは楽しい。私を見るものが誰もいないからである。
    話が飛んだり、よくわからない挿入があったりで、ほんとなんのこっちゃという小説なんだけども、面白くないわけではないのである。この魅力というのは、一体なんなのだろうか。
    対人恐怖症がきつかった時、サンブラスをかけていればきつくないことに気がつき、しばらくサングラスをかけて過ごしていたことがある。あれは一種の、箱男現象だったのではないだろうか。こちらの視線は相手には見えない、しかし私からは相手が見えるのである。一方的な関係、見られることなく、見るものである。だとするならば、私は見ていることが見られるということを恐れていたということになる。しかし箱男はもっと、徹底している。社会的属性も捨てて、何者でもなくなり、何者としても見られなくなり、ただ見るという立場に立つ。全てを捨てて得た特権階級。そのそこには、見られているという恐怖がある、他者の視線を浴びせられているという恐怖がある、他者の視線により判断されるという恐怖がある。
    「他者の視線が無を分泌する」「地獄とは他人である」と言ったのは、サルトルである。私のこの経験と、サルトルとの対話を通せば、もう少しこの小説が、腹に落ちてくるかもしれない。

  • 「考えてみると、しじゅう覗き屋でいつづけるために、箱男になったような気もしてくる。あらゆる場所を覗いてまわりたいが、かと言って、世間を穴だらけにするわけにもいかず、そこで思いついた携帯用の穴が箱だったのかもしれない。」

    この文章にさしかかったとき、わたしの脳裏には『窓辺で手紙を読む女』(女が手紙を読み更けている情景をカーテン越しに覗く鑑賞者ーフェルメールの筆によって、鑑賞者は墓場まで隠し通すはずだった欲求をまんまと暴露される)があった。あるいはディアーヌの沐浴、それならスザンヌの沐浴・・・この際主題はなんであろうとかまわないが、人類は繰り返し自身の覗き癖を告白してきた。「箱男」は、普通なら隠しておきたいその欲求を着て歩く露出狂なのだ。「箱」とはすなわち、彼の身体の延長であり、ファロスなのかもしれない。

  • 初めて読んだ安部公房。
    面白い!けど、覗き覗かれる視点が錯綜していて混乱する!
    段ボール箱をかぶってみたいと思ったけど、
    本を開いて物語を読んでいる自分も既に覗くという行為をしているのか...?
    と思ったらゾッとした。

    かなり実験的で初めて読んだタイプの本。かっこいい。
    しばらく時間を置いてからもう1度読み返したい。

  • 安部公房は、言語の使い方が常人と違う。
    語感だけで小説を書き上げている。
    適当なページをパッと開いて、一文を読んだだけで、瞬時に箱男の世界が蘇る。物語を持った一文一文が集まり、その集大成として、ストーリーを超越して、何万もの語感が大きな世界を形成している。

    本作「箱男」は表題通り、目の部分だけを切り取ったダンボール箱を被って生活する男の話である。
    見る、見られるという関係性がテーマになっていたようだが、ただただ難解で圧倒されて終わった。でも、読み終わってじっくりと考えて見ると、辻褄が合ってくる部分もある。

    「見られる」ことから解放されると、「見る」行為によって見える世界が変わる。
    これはわかる。見る側にはある種の優越感があり、見られる側には劣等感がある。目の前で対峙して見るのと、覗き穴から一方的に見るのとでは、同じ見るという行為でも気持ちが違う。

    透明人間になって街中を歩いたら、一方的に「見る」側になるわけだが、見え方は違うものだと思う。もっと身近な所だと、サングラスやマスクで「見られる」ことから解放されればされるほど、「見る」行為へ割くエネルギーが増すし、「見られる」ことによるイヤなプレッシャーから解放される。
    本作でも言っているように、見るのは良くても、見られるのはイヤなものだ。

    箱男は、見られることを完全に断ち切った人間である。
    目抜きのダンボールは、「見られる」という外界からの働き掛けを完全に遮り、「見る」という外界への働き掛けだけを手に入れた、究極の武装と言える。
    逆に、箱男を相手にした人間は、「見る」ことを許されず、一方的に「見られる」というプレッシャーを受け続け、さぞ居心地が悪いだろう。

    言い換えれば、箱男になることで、世界の全てのものを覗き穴から見ることが出来る。つまり、透明人間になったのと同じことが起きるのだ。周りの人からしたら、目には箱が見えるのに、彼を「見る」ことができず、「見られる」ままである。これは面白い。

    しかし、箱から見える世界が外界とすると、箱の内側のスペースは、一体何だろう?箱の内側は、箱男にしか見ることができない世界である。この世に自分しにか見えない世界など、他にあるだろうか?おそらく、箱の内側に形成された世界というのは、箱男になる事でしか手に入らない世界なのである。透明人間になっても、手に入れることは出来ない。

    箱男の物語は、箱の内側に綴られた落書きであった。箱男になる事でしか手に入らない世界に記述された物語である。
    一方的に「見る」ことだけを手に入れた者にしか読めない物語であり、箱男の物語というのは、他のいかなる者にも語り得ないことなのである。

    作中に、贋箱男と本物の箱男とが登場するが、物語を書いている当人が箱から出ない限り、物語中の箱男は本物ということになるのではないか。(書き手は他の人に見られた事がないのだし、そもそもこの物語は書き手にしか見えない世界に書かれている。したがって、この物語が他の人によって書かれているということはない。)

    また、本物と贋物との矛盾と言っているのは、その箱男が物語中に登場している点なのではないか。箱男の物語に、箱男が登場人物として登場している時点で、彼は書き手から「見られている」ことになる。
    この物語の書き手は、自分にしか見えない世界で物語を書きながら、一方でその物語に箱男を登場させてしまった。
    見られることを断ち切った箱の内側で、外界から見られるという構図を再現してしまったのだ。
    これが、矛盾の指している現象なのではないか?

  • 見る側と見られる側。匿名で無責任にがん味して勝手な妄想をする。昨今のSNSに跋扈する怪物たちを思い出した。
    しかし、公房の箱男はシャイで自分の中で葛藤をしている憎めない奴だった。「砂の女」以上に衝撃的で、自分の立ち位置がわからなくなる不可思議な小説。

  • 安部公房のミステリーワールド。主題は『見ること−見られること』の極限。難解な小説だけど、言葉の組み立て方、表現がユーモラス。巻末の解説を読んで何となく分かったきでいるけど、翻って現代に置き換えると見ることに関しては非常にハードルが低くなってる気がする。箱の役割はネットになってるとか。
    ちょっとミステリー仕立てでワクワクする部分もあって、好みの作品でした。

  • 難しいかなあ?と思ったけど意外と理解出来ましたが、話の前後で混乱しました。
    "箱男"とは、社会に、この世で生きていくうえで一切のルールや習慣を捨て去り、一人きりで「見ること」だけに執着し、見られることを避けながら、しかし周りの人間関係に若干でも縛られてしまう...そういう存在。
    時折マーシーみたいだなと苦笑する場面もあり、彼が元カメラマンということなので「覗き屋」に
    対する自分への執着は物凄いものがあり、読んでいてゾッとすることもあり....。
    初めての安部公房でしたが、他の作品も読みたいと思います。

  • 「?????」
    箱暮らしが落ち着くのは女より男。この話をより理解するのも男ではと読み進め、天才から漏れ出す話は混乱で、何が何やら。
    この作品から何か得ようとか、自己投影とかぜんぜんムリだなと諦めて読めば、理系で東大で医者のIQで心の声が漏れ出てるカンジ。それをPCじゃなく筆記用具で書いてるのだったら、すんごい勢いだろうなー。

    舞台上で台詞が飛び交う声が聞こえてきたと思いきや、どっちがどっちかわからなくなり、馬のお父さんの話で油断する。
    そして、最後はちゃんと?裸で抱き合ってるんでしょ?

    マスクなしでは会話できない輩もいる昨今だが、時代がこの物語に追いつきつつある?書き手が書き手のために、脳が命ずるままにあふれ出る物語を排出している。
    羊男、おしい!もっと先に箱男がいたよ!と思った(笑)

    案外、これは終わりのない物語であり、作家が生き続ける限り、書き続けられたのじゃないかと思える。

    いつか読もうと思って文庫で購入して、電車に乗るのに持ち出してみた。難しくてすぐには読了できなかった。

  • 安部公房の書く物語は不思議だ。
    基本的にどの作品も設定はぶっ飛んでいるのだが、登場人物は疑問に思わない(もしくは疑問がそこまで強調されない)で物語が進んでいき、その内に設定以上にぶっ飛んだストーリー展開が広げられていき、設定に対する突っ込みを忘れてしまう。
    本作もその法則に当てはまり、段ボール箱に視覚的に必要最低限な穴を空けて上半身にスッポリと被り、生きていく上で必要最低限な持ち物を携えて路上で生きる箱男(結構な数存在するらしい)の一人の手記という形になっている。
    段ボールの改造方法や、箱を被って生活する上でのコツなどが真に迫っており、実際に作者は箱を被って生活した経験があるのではないかと思わせる。
    「見るもの」と「見られるもの」の関係性とを軸に物語は進み、途中から主人公の妄想になった手記が突然現実化したと思ったら、やはり妄想だったことが明らかになり、その後も断片的な記事や手記を挟んでいくストーリーは本当に難解。間を置いて再読したい。
    村上春樹に近い意味不明さもあるけれど、こちらの方が考えさせられるのは、設定のあり得なさと、自分にも起こり得るのでは…?の配分が絶妙だからだろうな。
    シリアスな笑いを感じる描写がなかなかあり、個人的には作者の文体は好きだ。
    シチュエーション的に意味不明だが、婚約者を迎えに馬車(実際は箱を被った60歳の実父が引いている)で行き、我慢できずに立ちションしていた現場を彼女に見られて婚約破棄になった瞬間に実父から贈られる慰めの言葉が素晴らしい。
    「むろん、お前が悪いわけじゃない。露出狂に対する偏見と、公衆便所の建設を怠った町の行政の責任さ。さあ、行こう、こんな町にもう未練なんかないだろう。どっさり公衆便所がある大都会に出掛けようじゃないか」

  • 覗く喜び、それとも逆説的な意味として覗かれる喜びか。安倍公房の話はどれも考えるな、感じろ的な話が多い。倒錯したエロリズムが描かれていたようにも思えるし、それとも奇怪なただの浮浪者の話を書いていただけかもしれない。ただ1つ、このような多様性を持った当たり前が今の世の中にあってもいいのかもしれないと思った。

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著者プロフィール

安部公房(あべ こうぼう)
1924年3月7日 - 1993年1月22日
東京府北豊島郡滝野川町生まれ、満洲で少年期を過ごした。
1948年『終りし道の標べに』(「粘土塀」)により単行本デビュー。1951年「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。その後は劇作も手がけた。1958年「幽霊はここにいる」で岸田演劇賞、1963年『砂の女』で読売文学賞、1967年『友達』で谷崎潤一郎賞、1975年「緑色のストッキング」で読売文学賞をそれぞれ受賞。他、受賞作多数。国内外に大きな影響を及ぼしており、ノーベル文学賞の候補者としても名前が挙がっていた。
主な代表作として『壁』『砂の女』『他人の顔』『箱男』など。

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