友達・棒になった男 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121192

感想・レビュー・書評

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  • 安部公房の作品は変だ。読み進めていくうちに迷子になる。ちゃんと舗装された道路を通ったはずなのに。

    『友達』の展開は訳が分からない。それなのに納得してしまう。そして、そら恐ろしくなる。闖入した一家が、例えばこんな論理で説得してくるのだ。

    "兄弟は他人の始まりっていうじゃないか。つまり、他人をさかのぼって行けば兄弟になるということでもある。"(19頁、『友達』より)。

    これを劇場で見た観客は何を思っただろうか?

    『榎本武揚』は、安部公房先生にしては珍しい歴史・人物モノである。とはいえ展開がシュールなのは変わらない。幕末ファンかつSF好きには興味深い一品なのではないだろうか。

  • 安部公房を怖く感じるのは、自分が流されやすいだろうからな。という気付き。
    私、突然押し掛けてきた九人の家族に家を乗っ取られてそうじゃない?

  • 文学

  • 「安部公房だから」とちょっと気合いを入れて読み始めたのだけど、地の文がないためか案外さらさらと読めた。

    『友達』は実際に起こっても不思議がないような変な説得力があった。
    『棒になった男』のボクシングシーンは赤子に読み聞かせた。
    『榎本武揚』は俺にもうちょっとレディネスがあれば楽しめたのかも。

  • 安部公房の戯曲はスラスラ読めてグッド。
    「友達」は善意の集団リンチ
    「棒になった男」は鞄・棒と化した人・・・
    「榎本武揚」はABEへの批判w
    棒になった男のボクシングの部分は寺山修司ワールドを感じさせてくれるような。でも別に無くてもよかったような・・・
    マルクスとともに、快楽のラーメン。
    榎本武揚は榎本武揚が榎本武揚ではなく榎本武揚に化けた現代人なのかしらね?

  • 【友達】人間の心の隙間に緩急つけたカーブでこじ開け、粘りのファウルで対抗するも、追い込まれた最後の一球、最速165キロのストレートで人生スリーアウト。【棒になった男】明日棒になったらどうしよう。【榎本武揚】イケメン過ぎて北海道に行きたくなる。
    そんな至極の戯曲たち。安部公房の深さは計り知れない。

  • 私たち図書館学生ボランティアACS(アカデミックコモンズサポーター)は、2016年12月19日に「みんなで戯曲を読む会」というイベントを開催しました。(イベントURL:http://new.lib.u-tokyo.ac.jp/post_acs/4645

    そもそも戯曲とはどのようなものか、ご存知でしょうか?演劇に興味のある方以外には、あまり馴染みがないジャンルなのではないでしょうか。

    戯曲とは、演じられることを前提に作られた文学作品のことです。そのため、誰がどのセリフを読むかや、俳優たちがどのような動きをするべきかなどが詳細に書かれています。

    ACS企画の「みんなで戯曲を読む会」では、集まった学生さんや職員の方に役を割り当てて、作品を声に出して読んでいきました。一人で静かに読むのとは違い、様々な人の声が聞こえてくることで、作品が立体的に感じられるようになり、楽しいイベントになりました。

    今月は、授業で使用した本ではありませんが、そのイベントで使用した戯曲、安部公房の「友達」を紹介したいと思います。

    もし、一人暮らしでそれなりに楽しい生活を送っているところに、急に縁もゆかりもない9人家族が「一人ぼっちはいけない」、「孤独は人間にとっていちばん不幸なこと」だと隣人愛を語って乗り込み、居座られたらどうしますか?別に自分としては特に孤独を感じていないにもかかわらず…。

    みなさんは9人家族を追い出しますか?それともおせっかいを断れずにしぶしぶ受け入れてしまいますか?家族は特には危害を加えてきません。なので、警察に逮捕させることもできないのです。
    これが「友達」のだいたいのあらすじです。

    急に居座られた9人家族に対し、どう接するかは人によって異なる意見があると思います。私は、それがこの戯曲の最も面白いところだと思っています。そして、こういう問題は今でも似たようなものがあるはずです。

    例えば、他人が良かれと思ってやっている行動がなぜか迷惑に感じてしまったり…。でもはっきりと断れない…。その逆ももちろんあると思います。自身が親切心からやっている行動が相手になぜか受け入れられていないということもあるでしょう。

    このような体験がある方でしたら、「友達」を読んでいると共感できる部分が多いと思います。

    さすがに、一人でいたい人の隣に無理やり居座ることを心から良いことだと思っている9人家族は極端な例ではあります。ですが、この家族は「良かれと思って」という行為の怖さを象徴しているかのようです。

    他者と関わることはどんなに年齢を重ねても難しいことです。他者が良かれと思ってしてくれることが重荷に感じることもあるでしょう。
    しかし、昔からある文学作品にもこのような題材が取り上げられていると知ることで、少し気持ちがラクになるような気がしませんか?今回取り上げたこの作品が、人間関係を築くうえで何か少しでもヒントになれば幸いです。

    親切って、難しい。

    文責:アオイ(人文社会系研究科 文化資源学研究専攻所属)

    ※「みんなで戯曲を読む会」で実際に使用した本は図書館に所蔵されていませんが、「友達」が収録されている本は東大内にもありますのでご参考ください。
    しかし、一人で静かに読むと単調になりがちです。また、登場人物の違いもそこまで出ず、あまり面白くないかもしれません。そんな時は複数人で声に出して読んでみると楽しいですよ!
    https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=2000046673

  • 初めての戯曲だっけど、そんなに違和感はなかった。

    「友達」は闖入者が原作とすぐわかったので、
    闖入者を読んだ時のほうがインパクトが強かった。

  • 『友達』が特にいい。家族の個性あふれる挙動・言動がおもしろい。「男」とその「婚約者」とのあいだの間もさすがだ。

  • 「友達」のみ読了。安部公房の世界観は抽象的で分かりにくい。それでいてどこまでも不気味だ。この男は私で、家族は社会だ。社会はいつだって正しい顔をする。優しく微笑みながら毒の入った牛乳を飲めという。彼女はそれが私のためだと信じて疑わず、だから私は死ぬしかしない。けれども私が孤独に耐えられなくなった時、私もまた知らずのうちに誰かに牛乳を差し出しているのだろう、と気付いて絶望した。

  • 本人が亡くなって20年経った今になって、すっかり安部公房ワールドのファンになってしまった。
    氏の文章はあらゆるものに対して「なんかみんな常識、常識って言ってるけど、それ、ほんと?」という疑問を投げかけるような内容のものが多いのですが、ここではおよそ物語と名の付くものが持ちがちな人情至上主義に対して同じ疑問を投げかけている(ように見えた)。親切心とか、人は一人でいてはいけないとか、忠義とか。
    で、普通の作家がそういう事を描こうとすると、とかく不良や犯罪者といったアウトサイダーな人物に乱暴を働かせながらこれ見よがしに言う、という形になりがちですが、安部公房の場合、至って普通とされる人が異常な状況に巻き込まれてだんだん常識に疑問を持つ、となるパターンが多い。だから身につまされるのかな…。

  • とりあえず友達だけ…舞台で見たい。

  • 話が通じない人と話してる時のイライラ感が味わえる

  • 安部公房の戯曲。
    表題作、冒頭の『友達』は、とっても苦手な話でした。
    ずけずけと知らない人に立ち入れられるっての、物凄く神経に障るんです。
    結局萎えたまま読了。。。

  • 3篇の戯曲を収録。巻頭の『友達』は、不条理劇ではあるものの、劇のどこにも深刻さが感じられない。それどころか、きわめて喜劇的なタッチであるとさえ言えるだろう。そして、それ故にこそ安倍公房に特有の不条理が醸し出されるという奇妙な味わいの劇。続く『棒になった男』は寓話劇と見ればわかりやすくはあるのだが、そうすると第1幕をどう位置付けるのかが難しいところ。それによって解釈が変わりそうだ。最後の『榎本武揚』は、一見したところは安倍公房らしからぬ普通の劇に見える。この作品は、特に戯曲よりも舞台で見る方が楽しめそうだ。

  • 戯曲3編を収録。表題作のひとつ「友達」は限りなく不気味だ。ある日突然ひとつの家族が自分の家に押し入ってくる。“隣人愛”を説く彼らは自分たちが正しいと信じて疑わないようなそぶりで主人公を追い詰めていく。是非とも舞台で見たい作品だ。「棒になった男」は小説という体で読んで見たい作品。2013/249

  • 台本仕立て 読みにくい

  • 戯曲?初めて読む形式。世界観は安部公房

  • 「友達」怖し。
    非現実世界の中にいるようでいて、そこには確実に現実世界の様相が多分に含まれており、
    序盤では可笑しさに機能していたユーモアも、
    終盤に差し掛かるにつれ徐々に恐怖感を助長し、不安をも煽る事に。

    父「一般的に狂人は自分の事を正気だと言い張るものらしいじゃないですか」
    …一家の「善意」に戦慄が走った。

  • 「友達」
    面白かった。小説形式でやってもらいたかったな。友達一家の浮かべる「親切な笑顔」は、はたして…。二女の行動から察するに、武器としての笑顔なんだろな。あの一家はわざとやってたはず。

    世間の繋がりがバラバラになった現代の都会人は、病気なのだろうか。孤独は弱さなのだろうか。
    覆いかぶさってくるしがらみこそが人類の病巣のような気がする。

    「棒になった男」
    鞄、時の崖、棒になった男の三作。「鞄」は「家」の変形版。「時の崖」はそのままで、「棒になった男」は同名の短編を改編した戯曲。
    鞄、くたびれたおっさんであることがとってもユーモラス。そのおっさんを挟んだ女二人のやり取りが笑いを誘う。
    時の崖、あっと言う間に崩れていく。
    棒になった男、小説形式より分かりやすかった。大量に生産されていく、汎用性の高い棒、優秀につまんない棒。でも男の子にとっては、大事な棒。

    「榎本武揚」
    日本史に疎いのでノーコメントで…。

  • 安部公房の戯曲集を初めて読んだけれど、やっぱり安部公房であって、現実の中の非現実、日常の隣にある非日常に誘う作品です。このなんともいえない不思議な世界観にいつも感嘆するばかり。素敵です

  • 又吉から

  • おすすめされて読んだ本。
    どれも不気味で、不条理で、それが面白くもあり。
    全5篇の戯曲形式のお話。
    表題作の「友達」は侵入してくる家族の理不尽な親切心が
    とても不気味。彼らが話す言葉は一見正論。
    だからこそ反論する余地がなく、受け入れさせられてしまう。
    それは「棒になった男」内の「鞄」も同様。
    登場人物たちのココロの有り様、揺れ動きの様が
    いつかどこかで見たような、感じたようなことがあるのだろう。
    それが不快感に繋がっているのかな?

    「棒になった男」も何故突然に棒に??と疑問が付きまとう。
    推測するしかないのだけれども、だからこそ地獄の男の
    最後の台詞にゾクッとさせられた。

    「友達」「棒になった男」ともに同じく新潮文庫から
    出ている「無関係な死・時の崖」に小説バージョンで
    収録されているらしい。
    いつかこちらも読んでみよう。

  • デヴィット・リンチのような、村上春樹っぽいような
    小林賢太郎的な…。

  • ありふれたものは注目されない

  • 古い読書記録より。

    象徴性が全面に出ている作品。中学時代、「モチーフを読みとく」ことの快感を教えてくれた一作。この作品をするする読みといたとき、物語をばらばらにしてふわけできた痺れのようなものが背筋をかけていったことをいまも覚えている。
    別話戯曲のほうも読んでみたけれど、劇場での展開が目に浮かぶようだった。普段戯曲を読むことがないのでいい体験だった。

  • 安部公房の戯曲集。

    表題作『友達』は非現実的な世界観が、主人公を通じて日常的なものへと錯覚させられる、読み進めていくうちに思わず引き込まれていく作品でした。
    日本社会において、個性や個人という考え方を維持することが難しく、全体主義、連帯責任というものに押さえつけられてしまうという現状を表現したものであり、これは現在の日本社会でも通じるとことだと思った。

  • 「友達」「棒になった男」「榎本武揚」の三つの戯曲集。
    戯曲ははじめて読んだけど、会話形式なのでサクサク読めて楽しめた。相変わらずブラックな笑いのセンスが抜群の「友達」がお気に入り。

  • 人類みな友達、この言葉で済ませたい。飄々とした人たちが、やらかしちゃう物語、「友達」。「棒になった男」はいきなり降ってくるとこからナイス。文学的幅を示した、才能あふれる作者の戯曲。他者と自己の関係を恐ろしくも滑稽に描いた、日本昔話的表現にジーンっ。

  • ほら、あるでしょ。
    クイズに不正解だったお笑い芸人が、突き落とされて小麦粉まみれになるやつ。
    あと、少しズレちゃうんだけど、その時自分は面白く無いのにTVの向こうではわざとらしい笑い声がゲラゲラ入ってて、何かから取り残されちゃったなーって感覚。
    その傍観者でいたはずの自分てのも、その実当事者であったりするわけで、知らず知らずに小麦粉まみれの芸人やわざとらしいゲラゲラになってる可能性のが高いんだよね。
    そんな意思は無くても。
    そこがなんか怖くて腹が立つ。

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著者プロフィール

安部公房(あべ こうぼう)
1924年3月7日 - 1993年1月22日
東京府北豊島郡滝野川町生まれ、満洲で少年期を過ごした。
1948年『終りし道の標べに』(「粘土塀」)により単行本デビュー。1951年「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。その後は劇作も手がけた。1958年「幽霊はここにいる」で岸田演劇賞、1963年『砂の女』で読売文学賞、1967年『友達』で谷崎潤一郎賞、1975年「緑色のストッキング」で読売文学賞をそれぞれ受賞。他、受賞作多数。国内外に大きな影響を及ぼしており、ノーベル文学賞の候補者としても名前が挙がっていた。
主な代表作として『壁』『砂の女』『他人の顔』『箱男』など。

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