カンガルー・ノート (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121246

感想・レビュー・書評

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  • 自分の中で不条理といえばカフカと安部公房が二大巨頭なんですが、本作ももれなく不条理。なんと主人公の脚にスネ毛の代わりにカイワレ大根が生えてきちゃったという(笑)。

    たとえば足の指がペ○スになったり、お○○こに人面瘡が棲みついてしまっりするよりはマシなような気はしますが(そう思うと女性作家の発想のほうがえぐいですね)、奇病といえば奇病だし、何より主人公も恐れるように、脚だけでなく全身カイワレ大根に寄生されてカイワレ人間になってしまったらもはやまともな人生は送れない。まずは病院へ駆け込むところまでは当然の行動、しかしそこから点滴と尿道カテーテルでベッドに繋がれたままの主人公の彷徨が始まります。

    このベッドがとりあえずスゴイ。なんていうか、ベッドって家具じゃなくて乗り物だったんですね(笑)しかも水陸両用で、思念波で自走も可能。まるで愛馬のごとく常に主人公と共にあり、ときに自家用車同然に街中を疾走、あるときはトロッコのようにレールを滑走、さらにサーフボードのように荒波も乗り越え、もちろんどんなシチュエーションでも眠る場所には困らない。

    病院から謎の坑道、賽の河原からまた怪しい病院へ、採血上手な垂れ目の看護婦さんに翻弄されながら主人公のたどる黄泉と現実の境目の旅路は、しかしついにベッドが破壊されたときに当然終わります。

    安部公房は自身が戯曲を書いたり演劇にも関わっていたせいか、どこかしら舞台演劇っぽい印象を作品から受けることがあるんですが、理不尽な場面転換の仕方なんかが、舞台上の場面転換に通じるものがあるせいかもしれません。賽の河原も、なんだか書割のようなものが頭に浮かびました。野田秀樹あたりの演出で舞台化したら面白いかも。

    最晩年(平成になってから)の作品なので、三島と同世代の大正生まれの作家、という意識でいると、ピンク・フロイド(お好きだったらしい)の曲名が何度か出てきたりしてビックリします。電子レンジが出てきたときにもちょっとだけ驚きました(笑)

  • かいわれタイム入りました

  • 夢なのか現実なのか境目の見当たらない長編。これが安部公房の遺作と言われているのですね。その前提でストーリーを思い返すと、いろんな解釈ができそうです。

    あらすじはメチャクチャで、意味があるのか無いのかもよくわからない。

    膝に蟻走感。膝からカイワレ大根→近所の医者に行ったら自走ベッドに乗せられて硫黄泉へ→大黒屋で烏賊釣り船から襲撃を受ける→物欲ショップで看護婦現る→キャベツ畑で親子喧嘩→どこかの病院で鯛焼きを注文しつつ入院老人の安楽死幇助→ビールを飲んでピンク・フロイドのエコーズを聴く→廃駅で死体で発見される。

    ベッドから動けずにいる末期患者が、まどろんだ意識の中で健康や自由への渇望と憧れを思い描いたら、こんな物語になるのかなという話でした。
    死を意識させる描写は多いけど重苦しくはなくて、フワフワゆらゆらした雰囲気。なんとなくダラダラと読めてしまった一冊でした。

  • 僕が大好きな俳優の松岡茉優が、高校時代に読んでいたという安部公房。
    「なんじゃっこりゃ」
    とか思いながら読んでいたらしい。
     
    『カンガルー・ノート』とは。
    僕としては『砂の女』に続いての安部公房の物語。
    松岡茉優が安部公房を読んでいなかったら、きっと僕も読んではいなかったと思う。読書そのものだって、きっかけは彼女が本好き、読書好きと知ったから。読書は松岡茉優と繋がるための唯一の手段だと確信したからです。
     
    想像力をフル回転させました。
    「なんじゃっこりゃ」
    松岡茉優でなくても、そう思います。
    しかし、序盤のみでした。状況を飲み込んでからは、引き込まれていました。『砂の女』ほどの息苦しさのような感覚もなく。“かいわれ大根”のディテールさえ、やり過ごすことができれば、ですけれど。僕は、しばらく“かいわれ大根”遠慮しておきます。見たくもありません。
    この物語のテーマは“死”であるといいます。しかし、僕は“生”だと思いました。“死”を意識することで“生”が際立つのではないかと思ったからです。病院を抜け出し廃駅へ向かったのも“生”への執着でした。主人公の明確な意思があったからこそ、そう思いました。もし病院を抜け出しさえしなければ、主人公は生きながらえることができたのではないか、でも、生きながらえることだけが“生”ではないと、もしかしたら、そういうこともあるのかな。

  • 死がテーマということもあり、全体に暗くて纏わりついてくる湿度のようなものを感じた。
    主人公が最後に恐かった。と脅えているのは著者自身の声のようにも聞こえた。
    死は覚悟するよりもあっけないタイミングでやってきてしまうのか。
    オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ
    このフレーズが頭から離れない。

  • 安部公房全集29に所収のものを読んだ。読んだ、というか、訳が分からなくて飛ばし読み。
    訳が分からない、は褒め言葉で、ものすごいぶっ飛んでいてついていけなかったということ。
    なんだこれは。
    会社の新製品開発提案箱に冗談のつもりで「カンガルーノート」という落書きメモを提出して採用されてしまった男の脛にかいわれ大根が密生する。
    こわいー、脛がむずむずする。

  • もうぼくのことなんか忘れてしまったみたいだ。
    胸がうずいた。
    そうなんだ、他人の記憶の中で生きるのだって、
    けっこう骨が折れることなんだ。

  • 高熱に浮かされた時に見る悪夢のよう。
    夢と現を行ったり来たり。
    ベットに染み付いた自分の匂いに、なんとなく
    闘病生活の長さを感じずにはいられなかった。

    安部公房といえばとにかく比喩が綺麗なのが好き。
    そもそも安部公房が書く話には、繭になったり
    棒になったり、蟻地獄に住んでいたり、
    羊の腸を移植したり…多岐に渡る無限の発想力が
    魅力的だったけど、この『カンガルー・ノート』は、死小説(私小説)の色が強い。


    一見脈絡のないようなもの同士が
    断続的に現れて消えたりしているが、
    常に付きまとう暗澹とした空間、死のテーマ。
    自己の死に対する死への恐怖は常にありつつ、
    途中の賽の河原の観光や、
    烏賊釣り漁船なんかには
    ブラックユーモアがあって、不思議とワクワクさえしてしまった。
    看護師や病院が出てきたあたりは死の色が
    濃く出てきてより現実味を増した。
    一時は硫黄泉で回復の兆しを見せた
    かいわれ大根が、全身に苗床化の広がる
    イメージをリアルに持ち始めるようになるまで
    またしても繁茂し続けてしまう辺り、
    病魔の快癒の望みが絶たれてしまったようにも思える。

    臨死体験的な事なのかなと思いつつ、
    本人にさえ夢か現か分からないようなことを
    理解しようなんて土台無理な話なので、
    そこはもう最初から匙を投げていました。笑
    かいわれ大根から栄養を摂取し、またその
    栄養がかいわれ大根の成長促進に繋がる…
    一種の地球のよう。

  • 不気味過ぎて、先へ先へと読んでしまう不思議な魅力がこの小説にはありました。

  • 天才。
    これは夢か現実かわからなくなることが夢の中であるが現実の中で起こしている。
    かいわれ大根やカンガルー、ベッドといった周りにあるものをあり得ないものと組み合わせて登場させる。それが癌を患わした自分と重ねているのか、それが小説だと主張してるのか。
    人が死ぬときはそんなもんだと言ってるのかもしれないし自分の妄想で人は死ぬというのを言いたかっただけなのかもしれない。

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著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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