八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1978年2月1日発売)
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感想 : 354
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  • 本 ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101122144

感想・レビュー・書評

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  • 岩井圭也さんの「完全なる白銀」を読んだ時
    今年のネンイチニッタは八甲田山死の彷徨を再読に決まりました
    雪山小説の最高峰は、まだ譲れない
    1977年の映画と共に記憶に残る作品です
    弘前歩兵第三十一連隊隊長徳島大尉が高倉健
    青森歩兵第5連隊の神田大尉が北大路欣也
    2隊の対比が物語の主体

    時代は日露戦争前夜(1902年)
    日露が戦争状態となった場合の八甲田山系雪山縦断の可能性の模索
    遭難事故については いろいろなところで語られていますので多くの方がご存知かと思います

    久しぶりに読んで 記憶と違ったところがいくつかありました 
    一つは小説は1971年の書き下ろしで遭難事故より時代がかなり経っていた事
    一つは 新田次郎の冷静な文脈に引き込まれる事
    ドラマティックな記憶は映画からかな
    序章で当時の陸軍の組織的欠陥とも思える命令服従制度を 第一章雪地獄 第二章彷徨で
    到底人間には対処できない雪山を
    第三章奇跡の生還で 生還した者にとっても続く地獄を
    終章の記憶は全くなかったのですが
    雪山へ向かわせた本当の責任を語る師団長
    どちらの隊も勝者であるとした結末
    亡くなった方々の家族への対応と
    このあたりは新田さんの優しさなのか
    この事故を無駄にしないという配慮でまとめられます

    • おびのりさん
      そうそう
      来年は ひまわり故郷の煙突読みますよ
      そうそう
      来年は ひまわり故郷の煙突読みますよ
      2025/02/16
    • 1Q84O1さん
      すでに来年のネンイチニッタも決定!
      すでに来年のネンイチニッタも決定!
      2025/02/17
    • ひまわりめろんさん
      煙突はわいが先に読ーむ
      煙突はわいが先に読ーむ
      2025/02/17
  • 今の会社に入って選抜研修に参加した時の課題図書でしたが、研修終了後も何度も読み返した一冊。

    研修ではリーダーとして神田大尉と徳島大尉を比較し、違いを理解しながら目指すべきリーダー像を討議していきました。

    著者の読み終えた作品の中ではぶっちぎりに好きな作品です。

    明治時代の悲しき史実。

    日露戦争を目前にし、真冬の八甲田山で行われた雪中行軍は199名もの死者を出してしまいます。

    真冬の八甲田山、死の足音を聞きながら軍隊という環境の中で行われる指揮命令はまさに隊員の命を左右します。

    息づかいや、風の音、人々が倒れる音、活字から音を感じた作品としては本書が初めてだった気がします。

    その位にリアルな描写はお見事としか言いようがありません。

    辛く、悲しい歴史と共に未読の方は是非!!

    レビューを書きながら、又、読みたい気持ちがフツフツと。

    年末年始休暇には2年振りの帰省をしようと思っているので、帰ったら探してみよう!!


    説明
    内容紹介
    明治35年、青森・八甲田山で起きた大規模遭難事件。
    陸軍によって隠蔽されていた、199名の死者が出た実際の悲劇を発掘、小説化した。
    高倉健、北大路欣也主演の映画原作としても知られる。北大路の台詞「天は我々を見放した」は流行語となった。

    日露戦争前夜、厳寒の八甲田山中で過酷な人体実験が強いられた。神田大尉が率いる青森5聯隊は雪中で進退を協議しているとき、大隊長が突然“前進”の命令を下し、指揮系統の混乱から、ついには199名の死者を出す。徳島大尉が率いる少数精鋭の弘前31聯隊は210余キロ、11日間にわたる全行程を完全に踏破する。2隊を対比して、組織とリーダーのあり方を問い、自然と人間の闘いを描いた名作。

    【目次】
    序章
    第一章 雪地獄
    第二章 彷徨
    第三章 奇蹟の生還
    終章
    解説:山本健吉

    【大ヒット映画原作】
    1977年、東宝。監督:森谷司郎、脚本:橋本忍。出演: 高倉健(徳島大尉)、北大路欣也(神田大尉)、丹波哲郎(児島大佐)、三國連太郎(山田少佐)、加山雄三(倉田大尉)、秋吉久美子(滝口さわ)ほか超豪華キャスト!

    本文より
    「救助隊だ!救助隊だ!」
    と叫ぶ声が続いた。
    「お母(が)さんに会えるぞ」
    と叫んだ兵隊がいた。一声誰かが母に会えると叫ぶと兵たちは、口々に母の名を連呼した。(略)兵たちは、救助隊を見て、すぐ母を思った。いま彼等の心には母しかなかった。母が居たら必ず助けてくれるだろうし、生きることは母に会えることであった。
    倉田大尉には救助隊は見えなかった。神田大尉にも見えなかった。二人は顔を見合せてから、兵たちが指さす方向に眼をやった。風の中に疎林の枝が揺れ動いていた。飛雪の幕が、横に動いて行くのを見ながら、ふと眼を飛雪に固定すると、今度は木が動くように見えることがあった。……(第二章「彷徨」)

    本書「解説」より
    八甲田山の事件の真相は、長く国民には知らされないままになっていた。日露の風雲が切迫していたということもあったろうし、その上に陸軍の秘密主義ということがあったろう。軍の責任に触れ、その恥部を国民に知らしめることを怖れたのだ。(略)
    徳島大尉始め、雪中行軍に加わった第三十一聯隊の士卒の半数は、二年あとの日露戦争には、黒溝台の激戦で戦死または戦傷している。成功者も失敗者も、死の訪れには二年の遅速があったに過ぎなかった。それは、日露の戦いの準備行動で死んだか、戦いそのもので死んだかの違いに過ぎなかった。
    ――山本健吉(文芸評論家)

    新田次郎(1912-1980)
    1912(明治45)年、長野県上諏訪生れ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。実際の出来事を下敷きに、我欲・偏執等人間の本質を深く掘り下げたドラマチックな作風で時代を超えて読み継がれている。


    メディア掲載レビューほか
    この世の地獄! 日本陸軍史に残る悲惨な事件を味わう

    日露戦争前夜の1902年、一つの壮大な人体実験が行われた。厳寒の積雪期において軍の移動が可能であるかを、八甲田山中において検証すべし。青森第五聯隊の神田大尉と弘前第三十一聯隊の徳島大尉は、それぞれ特命を受けて過酷な雪中行軍に挑むことになる。この世の地獄が前途に待ち受けているとも知らずに。

    新田次郎『八甲田山死の彷徨』は日本陸軍史に残る悲惨な事件を題材とした山岳小説である。気象学を修め、登山家でもあった新田の描く雪山の情景は、恐ろしいほどの現実感をもって読者の胸に迫る。雪地獄の中に呑み込まれていく兵士たちの姿は余りにも卑小であり、大自然の脅威を改めて認識させられる。

    2つの部隊は明暗がはっきりと分かれる。深雪の対策を行った三十一聯隊が1人の犠牲者も出さずに任務を完遂したのに対して、気象の苛烈さを侮り、精神論で行軍に挑んだ五聯隊は199名もの死者を出してしまうのだ。組織が自壊するプロセスを描いた小説でもある。雪の中で絶望した神田大尉は「天はわれ等を見放した」と呻くがそうではない。合理性よりも軍人としての面子を優先して行動を開始したその時、彼らにはすでに死の影が忍び寄っていたのだ。兵士たちを殺したのは軍が抱えていた病理そのものだったといえる。終章で語られる二挺の小銃を巡るエピソードに、その異常さが集約されている。

    新田の筆致は冷徹を極める。不可避の運命へと向けて行軍していく者たちの姿が眼前に浮かび上がるが、押し止めることは不可能なのである。読者は、一つ、また一つと命が失われていくさまを、ひたすら見つめ続けなければいけない。(恋)

    評者:徹夜本研究会

    (週刊文春 2017.3.16号掲載)

  • これまたトラウマ作品です。
    極限の寒さと疲労のため精神に異常をきたして、吹雪のなか着ている服を脱いで裸になってそのまま凍死する兵士。
    子供の頃、テレビで見たワンシーンが強烈でした。
    小説では雪山と、それに翻弄されながら生死を分ける二つの部隊の描写は、気象学者でもある新田次郎でなければ書けなかったと思います。
    組織の在り方とか、明治という時代の暗さとかいろいろ考えさせられる作品でした。
    映画もちゃんと観ないといけないな。

  • 日露開戦を前提とし、寒地装備や寒地教育のため発案された、厳冬積雪の八甲田山踏破。
    青森の歩兵第五聯隊と、弘前の歩兵第三十一聯隊が、雪中行軍をやることになり……。

    八甲田雪中行軍遭難事件を描く、フィクション。

    論理ではなく、精神論。
    無知な上官が、指揮権に干渉。
    知識や経験を持つ者の進言を、受け入れられない。

    日本帝国陸軍の愚かさを凝縮したような展開に、読んでいてやるせなかった。

    ほぼ全滅の隊ばかりが有名だが、無事に踏破した隊がいたことを知る。

    雪中行軍の過程は絶望的な状況だが、救助速度は迅速であったことは、救い。

  • 日露戦争前に日本の陸軍が実施した冬季八甲田山縦走の悲劇を描いたドキュメンタリー的な小説。
    日露戦争と太平洋戦争との違いこそあれ、「失敗の本質」と共に日本組織の問題点を可視化した良著だと思う。

    『失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫 と 18-1)』 https://booklog.jp/item/1/4122018331

    • hibuさん
      こんにちは。
      私も読みました!
      日常生活においても教訓になる本だと思いました^_^
      こんにちは。
      私も読みました!
      日常生活においても教訓になる本だと思いました^_^
      2022/08/28
    • さんとさん
      おはようございます。
      確かに!
      職場でも上司の横槍や準備・調査不足、他部署との連携不足でのトラブルが多いですもんね ^_^;
      おはようございます。
      確かに!
      職場でも上司の横槍や準備・調査不足、他部署との連携不足でのトラブルが多いですもんね ^_^;
      2022/08/28
    • hibuさん
      ほとんど人間関係のトラブルですね笑
      気をつけます!
      ほとんど人間関係のトラブルですね笑
      気をつけます!
      2022/08/28
  • 何度目の再読だろうか。

    エンタメとしても一級品だが、やはりどうしても組織論、リーダーとはとか、第二次大戦前の日本という国のあり方の問題点等の視点で読んでしまう。色んな読み方が出来るのが本書のすごいところ。

    確か昨年遭難事故の真実を描いた作品が出てるはずなのでそちらも読んでみたい。

  • 八甲田山遭難についての本を読みたいと思っていて、最初はノンフィクション系を考えていたのですが、これ読んでおくべきかと思い立ち借りてみました。
    八甲田山雪中行軍に対して、それぞれ懸念を持ちながら準備を進めるが、青森5連隊は、計画を進める神田大尉の思惑を外れていく。指揮系統の混乱、案内人の無視、無理な行軍などにより極寒の八甲田山を彷徨うこととなる。行軍の中亡くなっていく人達の描写は壮絶だ。
    徳島大尉の指揮する弘前31連隊は工程を走破するが、一歩間違えれば遭難の危険性もあり、実際途中で解雇した案内人たちは、非常な苦労の上家に戻っている。
    人体実験と称されているように過酷な工程に対して、準備や状況が悪化しても帰営せず続けることで被害者が増加したことがわかる。
    また遭難した5連隊について事件後、批判を回避する目的で悲劇的側面を強調することで、有名となり31連隊の話が埋もれていたと言うのも興味深いところがある。
    あくまで小説であり、登場人物も変更されているが、時折資料で出てくるところは実名で、ちょっと戸惑うところはあるものの、状況描写など極寒の山岳遭難を感じさせてくれるのはやはりすごい小説と思った。

  • 事実を題材としているがあくまでもフィクションであることは、まず十分に念頭に置いて読もう…というスタンスで読んだ。だが、だがしかし…

    あはれ、神田大尉。憎むべきが山田小佐。
    この構図は頭から拭い去れなかった。

    無能な上司の虚栄心に運命を左右された若者たち…という一面は、おそらくこの本を読めば誰もが抱く感想であろうから、ここでは特には言わないでおく。

    許せないのが、救出後の山田少佐の自決。
    「全ての責任は自分の浅慮にある、遺族に詫びたい」と遺しての自決は潔し………………などとは、1mmも思わない。

    自分の無知・無謀を認めた点にこそせめてもの救いはあるけれど、、、、


    死ぬのは「逃げ」だよね、と。

    凍傷で手足を失った部下達も、
    同じく手足に後遺症を遺した案内人達も
    (しかも彼らは軍人でさえない)、
    息子や夫に先立たれた、部下たちの遺族も、
    もちろん自分の妻も、子らも、

    無謀な計画を立てたと何人にも思われたであろう神田大尉の名誉に関しても、
    捜索に駆り出された組織の仲間達も、
    後始末をやりくりした上司も、
    捜索に費やされた費用も、(つまり国民の税金)

    、、、一見して「潔し」と思われがちな「自決」などという行為によって、彼本人にとっては全てが「無」になってしまうのだから。


    卑怯極まりないな、と。


    彼は、生きるべきだった。自分の言動の非を認めるからこそ、それを悔いながら、また世間の責めを甘受しながら、そして当然自分にも残ったであろう後遺症と付き合いながら余生を生きるべきだった。



    現実世界で重大事件を引き起こした人間も
    ミステリやドラマ、映画などのフィクションの犯人も
    自決や自殺で自ら死を選んで楽な道へ行く輩を、心から許せないと思った。

    ★4つ、9ポイント半。
    2020.02.25.新。

    ※さて、思わずかなり熱~く感想を書き散らかしてしまったが、あくまでも本作はフィクションだということは、忘れないようにせねば。

    取材に基づいたノンフィクション等での情報も、ちゃんと得ておきたいとも思った。

  • 八甲田山遭難のあまりの過酷さに食い入るよう読みました。当時の粗末な装備と、知識や情報もない中のでの彷徨は考えるだけで恐ろしい。凍傷で服のボタンが外せずに用も足せず失禁した衣服が凍って凍え死ぬとか想像を絶する。

  • 極寒の中で飢えや発狂に苦しみ、次々と命を落とす。まさに悲劇だ。状況がどんどん悪化していく中で、次に何が起こるのか、どうすべきか。思わず息を止めて引き込まれてしまう。

    この悲劇は組織の失敗によって招かれたものだ。指揮系統の乱れや情報の軽視、諫言を無視する風潮など、様々な組織の欠陥が大きな悲劇を招いた。
    自らが悲劇の一端を担わないようにするためにも、歴史上の組織的失敗を学ぶことが必要だと感じた。

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著者プロフィール

新田 次郎(にった・じろう):1912-80年。長野県上諏訪生まれ。旧制諏訪中学校、無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、1932年、中央気象台(現気象庁)に入庁。1935年、電機学校卒業。富士山気象レーダー(1965年運用開始)の建設責任者を務めたことで知られる。1956年『強力伝』で、第34回直木賞受賞。1974年、『武田信玄』ならびに一連の山岳小説に対して吉川英治文学賞受賞。

「2024年 『火の島』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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