- 本 ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101123028
感想・レビュー・書評
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終戦の日を前に。あらすじ知っていたが辛そうで避けてた。戦後の東京郊外からやがて戦時中の大学付属病院での生体解剖事件へと様々な立場の視点で語られる。事件そのものよりむしろ、戦争が命の尊さや正義への誠実さを人々から奪う(そんなものどうでもいいという)日常を作り出す怖さが伝わった。
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太平洋戦争の最中、米軍捕虜の臨床実験が日本の大学病院で行われた。それに関わってしまう事になった人々の是非を問おうとしている。戦後明らかにされた九州大学附属病院・生体解剖事件を題材にしています。
スキャンダラスな題材を当時の医療現場、医局の会話等、日常に重きを置いて描き出します。実験的な手術に関わる事になっていく、研究員や看護婦。彼らの人生の背景を生活感を持たせて、一般的日本人の実験参加の葛藤を観ます。
この小説は、作者の思想がそこまで踏み込んで書かれていないのではと思っています。読書への投げかけで終わってしまう感じです。日本人の良心の呵責、倫理観の未熟さ、組織への同調性などが織り込まれているかと思うのですが、戦時下という特殊な時代、生死の境が曖昧な状況での是非を個人に問うのは難しいのではと。
作者は、続編の執筆を希望していたようですが、批判があったりして出せなかったようです。「悲しみの歌」が、実質的続編と最近知り、予約できたので、先に再読してみました。 -
和風「少年の日の思い出」ハードモード
心のなかに罪の意識を抱えながら、変わらぬ日常を送る人々の不気味さが際立つ内容でした。
冒頭の十数ページでそんな罪を抱えながらも変わらぬ日々を送る人々の恐ろしさを感じられるのも本書の魅力でした。また、印象的なのはp144の戸田の独白。
『ぼくはあなた達にもききたい。あなた達もやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。多少の悪ならば社会から罰せられない以上はそれほどの後ろめたさ、恥ずかしさもなく今日まで通してきたのだろうか。そしてある日、そんな自分がふしぎだと感じたことがあるだろうか。』
罪に対して罰や赦しを与える神を持たないから、罪悪感を持ってもそれをどうすることもできない。もっと言えば社会や世間から罰せられなければ悪にすらならない。だから日常を過ごすこともできてしまう。匿名の名のもとに口撃を行いながら平素では善良な人など、今でもこうした姿は感じられるのでこの独白は印象的でした。
こうした罪悪感に対して良心の呵責が働くのか。そもそも良心の罰とは存在するのか。そんな問いがあるという解説を読んで、たしかにな…どうなんだろ…ととても考え込んでしまう読後感でした。 -
うねりが止まらない一冊。
自国の黒い歴史、米軍捕虜の生体解剖事件は衝撃過ぎた。
医学の進歩という名の実験。
手術という名の殺人。
この行いはもちろん、そこに至るまでの関係者の心のうねりがそのままこちらに黒いうねりとなって襲い掛かる、その連続が苦しかった。
誰もが死んでいく時代。ならば病院で死ぬか空襲で死ぬかの違い。
それは空虚感しか持ち得なくなったからこその言い訳。
人の心をもぶち壊し、空っぽにする戦争というものが改めて心を抉る。
善か悪か、その境界線で自分の心と心が戦う、一人の医師の心の戦争を描いた小説だとも思う。 -
太平洋戦争末期、九州大学附属病院で行われた米軍捕虜の生体解剖事件をモチーフに、異常な環境における人間の本性について描いた作品。
本書の元となっているのは、九州大学医学部で1945年5月から6月にかけて8人の米軍捕虜に対し治療の必要のない臓器の切除、全摘を行うなどの生体実験を行った事件である。戦後戦犯裁判が行われ、首謀者とされた5名は死刑(その後再審査で減刑)を宣告された。
著者の遠藤周作氏は、この事件を知った当時、大きな衝撃を受けただろうと想像する。しかし彼は、事件の元凶を戦争だけに求めるのではなく、心の奥底にあるさまざまな感情を描くことで、人間の本性を掘り下げようとしているように感じる。
本書では、生体実験に関わった医局研究生の勝呂と戸田、看護婦の上田の視点を中心に描かれる。
勝呂は患者思いの医者だったが、医局の政治的な駆け引きに振り回され、思い入れのある最初の患者「おばはん」が死んでしまったのを機に、成り行きに任せて生体解剖に参加することを了承してしまう。
上田は、結婚し病院をやめるも、待望の子どもが死産してしまい、子を産めない体となった。長年浮気していた夫に捨てられ、再び大学付属病院に戻ったが、「おやじ」と呼ばれる第一外科のトップ、橋本教授の夫人であるヒルダから、医者の指示どおり患者を安楽死させようとしたことをとがめられ、停職となる。彼女が次に病院に呼ばれたのは、生体解剖の手術補助であった。
戸田は、子どものころから社会的に認められることを第一とし、そのためには他人を踏みにじることもいとわないドライな性格として描かれる。上司が危険な手術をしようとしていることを知りつつ、ある意味客観的に自分の気持ちを分析しながらそれを受け入れる。
舞台となる病院のそばには海があり、三人はしばしば黒いうねりと海鳴りを感じる。
それは非常に象徴的で、勝呂にとっては権力や運命といった抗えない力として、上田にとっては自分の中の黒い嫉妬とやり場のない怒りとして、戸田にとっては自分に対する神の罰として描かれているように感じた。
戦争という異常事態がなければ彼らは非道な手術に関わることはなかったのだろうが、果たして彼らが手術への参加に至った心情は戦争だけに起因するものであったのだろうか。
今、かろうじて平和に暮らしている現代の私たちは、彼らのような行動をとることは本当にないのだろうか。
人間の弱さ、恐ろしさを改めて考えさせられる小説である。 -
11冊目『海と毒薬』(遠藤周作 著、1960年7月、2003年4月 改版、新潮社)
太平洋戦争中に起きた戦争犯罪「九州大学生体解剖事件」を題材にした名著。
戦争に歪められる医師の姿が描かれるが、本作が追及しているのは現代にも通じる人間の本質。出世欲や絶望、孤独、嫉妬、傲慢、恋慕、そのような欲望や感情が罪の意識を鈍らせることを示し、責任を転嫁することで罰から逃れんとすることの浅ましさを我々に突き付ける。
本作が描く悪に、無関係ではいられない。
〈夢の中で彼は黒い海に破片のように押し流される自分の姿を見た〉 -
初版昭和35年の作品だが、古臭さが全く感じられない。
戦争末期、実際に起こった、ある大学付属病院での米軍捕虜たちに対する生体解剖事件を題材にした、とても衝撃的な1冊であった。
人間がかくも弱く、脆く、醜い存在であるかを書き過ぎない言葉や文章で、静かに伝える筆致。
人間の尊厳や自負・自尊心を奪取し、自らの立身出世を図り、汚辱にまみれる医療者たちの心の繊細な動きが、巧みな言葉で綴られる。
一線を越えてしまう危ういさまが丁寧に描かれる。
大義名分があれば、人間は暴走し、それが集団となればさらに圧力となって、加速する。
そんなことが過去に行われていたのか?という驚きとともに、そもそも権力の座にある人間も、弱者とされる人にも、強さも弱さも、清らかさも狡猾さも混在しているのが、人なのではないだろうか。
ややもすれば、露悪的なノンフィクションになりそうな実際の事件を文芸作品としたのは、冒頭の第一章の存在だと、読み返す。
色、臭い、重苦しさ、影等が言葉から醸し出される。
戦後時間を空けずに、この作品を発表した遠藤さんの矜持に頭が下がる。 -
生きた人間を生きたまま殺す。
みんな死んでいく時代、病院で死なん奴は毎晩、空襲で死ぬんや。
例えそうだとしても医者がそれを言ってしまうのは…。
どうせ助からんって治療に手を抜くのはどうなん?
そんな時代だったとはいえ、苦しすぎる。
生体解剖に関わった二人の医学生が対照的。
勝呂は後悔の気持ちでいっぱい。
戸田は後悔できない自分を責め続ける。
実験台、生体解剖…考えただけで恐ろしい。人殺し。
だけど、あの時代に起きた事、誰が責める事ができようか。
戦争が人を狂わした。みんなきっと普通の人だった。
「今、戸をあけてはいってきた父親もやはり戦争中には人間の一人や二人は殺したのかもしれない。」 -
「どうせ死刑にきまっていた連中だもの。医学の進歩にも役だつわけだよ」
太平洋戦争末期の1945年5月、九州帝国大学(現・九州大学病院)医学部の医師らが、米軍爆撃機B29の乗員で捕虜となった米兵8人を人体実験に利用した事件が基となっている作品。
作中では罪悪感に苛まれる者、未来の医学のためだと信じる者、現実から目を背ける者、様々な人物の思考が入り乱れて実験が進んでいく。この実験によって大勢の命を救ったとも言えるし、そのために一人の命を軽視したとも考えることができる。個人的には例え相手が米軍だったとしても、人間である以上命の重さは平等だという気持ちが強かったし、その場にいる以上誰もが悪人であることには変わりないと思った。
それに実験の内容が内容なだけに擁護はしづらい。血管の中に食塩水や空気を注入したり、肺の片方だけを切り取って何秒生き延びられるのかを計測したり等々。いくら医学のための実験だとしても結構惨いことをしているし、半ば実験を楽しんでいたのだろうとも感じる。手術の描写も映像が鮮明に浮かぶから、尚更ページをめくる手が重かった。
ただ、戦時中という極限状態の中で、日々多くの命が失われ、死が間近にある環境で過ごしていると判断が鈍ってしまうのも理解はできる。そこに至るまでの描写も丁寧で巧かったし、決して登場人物たちを完全な悪人にしなかったのも良かった。宗教的な要素も強くて、無宗教が多い日本ならではの話でもあるなと感じた。安易な言い方になってしまうけれど、「善とは、悪とは」について考えさせられたし、倫理観にずしんと響いてきた。
要所要所で挟まれる立原道造の『雲の祭日』から引用された一節「羊の雲の過ぎるとき 蒸気の雲が飛ぶ毎に 空よ おまえの散らすのは 白い しいろい 綿の列」という詩がとても良い味を出していた。本編のどんよりとした暗さに相反して、その詩の美しさが際立っていた。戦時中という極限状態の中で、この詩を思い返せばそりゃ涙も溢れてくるはずである。自分の中でもとても好きな詩になった。
あとこれは余談なのだが、九州大学病院のすぐ近くには海があり、著者の遠藤周作はそこの屋上で手すりにもたれて雨にけぶる町と海を見つめて『海と毒薬』という題名を思い付いたという。この美しいエピソードが、さらに本書の魅力を引き立てていた。
著者プロフィール
遠藤周作の作品





