悲しみの歌 (新潮文庫)

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  • 本 ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123141

感想・レビュー・書評

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  • 「海と毒薬」から20年の時間を経た1977年の
    「悲しみの歌」新人医師だった勝呂医師はそれと同様に年齢を重ねている。
    戦時中 米兵捕虜の生体解剖事件に関与し、戦犯となり罪を償った後、新宿でひっそりと開業していた。彼は過去の罪に縛られて虚無の中生きていた。
    一人の若き新聞記者が彼の過去を掘り下げ、正義の記事として発表する。
    そのような時、貧困の末期癌患者を受け入れ手当を続け、患者の安楽死の希望を受け入れる。

    勝呂医師の背負い続ける罪の意識に対して、当時の自堕落な若者、社会的地位に固執する男、それに反発する娘、平然と生きている様子がおりこまれる。
    そして、作者のイエスのイメージと思われるフランス人の青年が献身的で無条件な優しさで、登場する。彼は、悲しみに寄り添う。

    ストーリーはわかりやすいですが、罪とは、悪意とは、贖罪とは、答えを得られるものではない。
    勝呂医師の罪意識の持ち方や葛藤、あるいは無意識の行動は、日本人の典型に近いかもしれない。

  • 重くて深みが凄く、後々まで考えてしまいそうな小説だった。
    春に読んだ「海と毒薬」の続編で、事件の30年後が描かれている。

    正義って何だろう?と改めて考えた。
    善と悪ってすっぱり二つに割り切れるものではなく、両方つながっていて、当然グレーゾーンというものもあって、人は立たされた立場やその時の世情によって、簡単にその善と悪を行き来するような生き物なのだと思う。
    「海と毒薬」は戦時中の物語で、この小説は戦後の物語。米兵捕虜の生体解剖事件の戦犯となった勝呂医師は刑期を終えて新宿で開業医をしているが、彼にはその過去から来る陰鬱な影が常につきまとっている。
    戦時中の倫理観の狂いから起きた事件が、戦後の彼を苦しめ続ける。
    深い事情や彼の心理を知らない者たちは、その事件の表面だけを見て彼を糾弾する。若い新聞記者である折戸も。
    折戸の正義感は、きっとその時代の倫理観からすると正しい見方なのだろうけど、善と悪はすっぱり二つに割り切れると信じている青さが、人生経験の少なさと若さを象徴しているのだと思う。
    人の奥深い心理を無視しすぎている直球な言葉は、色んな人を傷つけてしまう刃になりかねない。

    私もどちらかというと直球なタイプで、もう少し若い時は今よりも善と悪の感覚が違っていたように思う。それこそ折戸のように、グレーゾーンなんて認めない、悪いものは悪い、というような感じで。
    でも人間ってそんな簡単には分けられないし、何かに流されて悪い方に行ってしまうこともある。
    そのこと自体は悪だとしても、過ぎ去ったあとその事柄をどんな風に受け止めて生きていくか。
    人の悪さを糾弾するのは簡単だけど、そもそも人が人を裁くなんて出来ないのではないか?って。

    遠藤周作さんはキリスト教を主題にした作品を多数残されているそうで、この小説にもその要素は垣間見える。
    人を裁くことは神にしか出来ない(神が存在するとして)。
    この小説のある意味主役とも言えるフランス人のガストンは、無償の愛を他人に注げる嘘みたいにお人好しな人間で、彼の存在はイエス・キリストのメタファーになっていることが分かる。
    人のために喜んだり泣いたりすることがガストンにとっての幸せで、針のむしろ状態の勝呂医師の側に常に彼がいたことは、勝呂医師にとって大きな救いになったように思う。

    そして、人の死をコントロールするという罪悪についても描かれている。
    法律上安楽死は許されないのに、妊娠中絶は許されているという事実を、改めて考えさせられる。
    両方とも、その本人が望むのだとしたら?どうして妊娠中絶は良くて安楽死は駄目なのか?
    そしてそれに手をかけた医師は、再び深く苦悩することになる。

    とても悲しい物語だった。
    まさに悲しみの歌が、物語中にずっと流れているような。

    倫理的には悪者である勝呂医師と、その対比として登場するたくさんの人物たち。読者にとってどちらがより悪いか、憎々しく映るか。
    人の噂や単純すぎる倫理観で人を見てしまうことは現実にも山ほどある。だからこそそういうものだけに惑わされないで、自分の目で見て感じる力を身につけたい。そんなことを思った。

  • 「正義とは何か?」
    この問いにぶち当たる度に、私はこの本を読んでいる。

    先日、居眠り運転をして交通事故を起こしてしまった。
    その時に正義感に満ちた警察官は「事故を起こした悪人」である私に対して威圧的で、とても苦しかった。そして、この本が無性に読み返したくなった。最近読んだ中で最高に面白い、改めて大好きな本。

    同じ遠藤周作の著書『海と毒薬』の続編で、戦時中外国人捕虜の人体実験に関わった勝呂医師のその後の話だ。この小説の中で「正義」という単語が8回でてくる(数えた)。正義という名のもとで悪を糾弾する若手の新聞記者が、勝呂医師を追いつめていく。白か黒か。正義を信じて疑わない人は、自分がそちら側の立場に立つ姿を想像できないのだろう。

    世の中には、グレーがたくさん存在する。一見、悪に見えたとしても、その人の事情があることもある。
    そのことに気づけただけでも、かつて血気盛んにこの本を読んでいた頃より私は随分と大人になったと思う。

    助産師になったからか、昔読んだときとはまた違った味わいがあった。人工妊娠中絶の描写が多く出てくるからだ。

    夕暮れ、新宿の裏通りにある医院にそっとやってくる女性たちに、勝呂医師は「それが彼女たちの生活をさし当り救うただ一つの方法だとして、その女たちの体から生れてくる命を、数えきれぬほど殺して」きた。そのことに対する自責の念にも苛まれながら。

    私の職場でも、毎日のように行われる子宮内搔爬術。流産の場合もあるが、希望も多い。理由があるにしろ、私たちがしていることは、いのちを殺めることには違いない。

    今当たり前に行っていることも、時代が変われば人殺しと呼ばれることもあるのかもしれない。でも、その行為で確かに救われる人もいるのも事実だ。あくまでも、白でも黒でもなく、グレーの行為。そういうもの、で割り切ってはいけないのだなあと思う。

    先日、うちで家で飼っているメス猫の避妊の話をしていた時に、「手術自体は1万円で、もしお腹を開けてみて妊娠していたら、さらに1万円かかる」という話をしていたら、職場の先輩助産師さんに「お金の問題じゃないでしょ!妊娠していたら、育てなきゃ!」と怖い顔で言われた。そこで初めて、自分が猫のいのちを軽く扱っていたことに気づいた。ヒトならばだめで、猫ならばいいのか。それは人間のエゴだ。

    時代の悪戯だとしても、過去に罪を犯したものは、一生糾弾されなければいけないのか。そもそも、誰が誰を裁いてよいものか。相模原の事件を思い出す。文中で記者が言う「腐った果実は捨てた方がいい」ということばは、背筋がぞくりとした。

    前は感じなかったが、最近自分が短歌を始めたことで、遠藤周作氏の描写の豊かさにも改めて感心した。

    「手の切れるような一万円札」
    「待合室から奇妙な笛のような音が聞えたからだった。奇妙な笛。いや、そうではなかった。それは二人の会話を聞いたガストンが泣いている声だった…」

    何気ない言葉だが、その情景がスッと想像できる描写。最近、若い人の口語体の文章を読むことが多かったが、文豪の迫力と表現力を改めて感じた。遠藤周作作品をもっと読みたい。
    −−−−−−−−−−−−−−
    「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後とのおかげで、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限界を越えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか。君があの記事を書く。それは君にとって正しいかもしれない。しかし、君はそのためにあの医者がこの新宿の人々からどんな眼で今後、見られるか考えたかい」(358)

  • 遠藤周作の著書はけっこう読んでいるが、マイ本棚に入るのは初めての著書になる。

    新潮文庫だが、最初の発行年が昭和56年、そして手元にあるのは平成24年の41刷である。
    けっこう読み継がれているものだ。

    1977年(昭和52年)に新潮社より刊行されたので、著者が53歳位の時に書かれたと思われる。

  • ガストンの愛に、勝呂医師の苦悩に、泣いた。

    この小説を高く評価する人が多いということは、この世の中にはまだたくさん、簡単に割り切れないものへの理解や、生きることの大変さへの理解、悲しみを抱えながら生きる人たちに寄り添う気持ち、また同じく苦悩している人がいることだとも思った。

    おそらく私は再びこの小説を読むと思う。「海と毒薬」とともに。

  • 「海と毒薬」の30年後を描いた後日談

    以下、公式のあらすじ
    ---------------------
    生きることの悲しみ。我々の生に内在する本質的な悲しみに向けられる眼差し。
    『海と毒薬』から二十年後に書かれた「後日譚」。

    米兵捕虜の生体解剖事件で戦犯となった過去を持つ中年の開業医と、正義の旗印をかかげて彼を追いつめる若い新聞記者。表と裏のまったく違うエセ文化人や、無気力なぐうたら学生。そして、愛することしか知らない無類のお人好しガストン……華やかな大都会、東京新宿で人々は輪舞のようにからみ合う。
    ――人間の弱さと悲しみを見つめ、荒涼とした現代に優しく生きるとは何かを問う。
    ---------------------

    勝呂の他に様々な登場人物の群像劇になっている
    戦犯のその後を追っている「正義」を掲げる新聞記者
    他人を助けるのに躊躇いのないガストン
    権威的な大学教授と、その娘
    単位を貰おうとする幼稚な学生
    新宿で狡猾に生きる少女

    結局、この人達は物語に登場してから最後まで本質は変わらない


    どうして人体実験を行ったのかという新聞記者 折戸の追求に対して、勝呂の返答は「疲れてたからとしか、言いようがない」
    他の戦犯達の「上司の命令」や「軍部に逆らえなかった」という言い訳とは違っているが
    むしろ、だからこそそんな答えに納得できない


    折戸は戦犯達が政治家になったり社長になってたりと、過去の行いに世間も目をつぶっているのが許せない
    そんな正義感の持ち主

    自らの正当性を疑わず、四角四面な正義は時として危うい


    過去に実験に参加して人を殺めた勝呂
    過去の行為を悔いているようにも思えるが、人の命に対してどんな思いがあるのか
    困り果てて訪れる妊婦の堕胎手術を行っているときには何を思うのか

    医師の役目は人を救う事なのだとしたら
    自分の行いは一体何なのかという問い

    読者からしてみれば、勝呂こそが高潔な人間に思えるが
    世間としては、過去に人体実験に参加した医師としか思われない

    他の登場人物達は如何にも俗物で、自己の事しか考えていないように見える
    そんな中で際立つガストンの善良さ

    そして、そんなガストンとイエス・キリストを重ね合わせて
    ガストンから善性を認められる勝呂という構図

    キリスト教の人達、怒るんじゃないかなぁ……


    前にも書いたけど、善と悪の基準や倫理なんて社会の変化に伴って変わってくるもの
    今は一部の国と地域でしか認められていない安楽死にしても
    いずれ世界中で認められる時代が来る予感がする

    勝呂が過去に行った事、患者の望みのまま堕胎し続けた事、末期の患者を楽にしてあげたこと
    これらのいずれの行為も、時代の価値観により批難されるだけで、絶対的な悪ではないんだよなぁ


    勝呂の最後の選択に関しては納得感もあるけど
    今までそれを選ばなかったのは、そのギリギリに立っていたからなのだろうか?
    むしろ、そんな選択をした状況が「疲れてたからとしか、言いようがない」ようにも思える
    その前の、患者を楽にした行為にしてもそう
    本当に、色々な意味で「疲れていた」んだろうな……

  • 「聖職」に近い社会通念のある「医師」という職業。
    その「医師」が他者の命を意図して止めてしまう行為は善か悪か。
    既読の『海と毒薬』の後編とも受け取れる本作『悲しみの歌』について時代背景は昭和を感じるものの、人間の有り様を描く作品としては何も古臭さを感じない。

    医師勝呂という名前は『海と毒薬』や『影に対して 母をめぐる物語』でも登場。
    そして本作では勝呂以外の登場人物たちほぼすべて、「みっともない」側面が渇いた筆で描かれる。

    我欲にまみれ体裁を取り繕うことに必死になる大学教授が家族や周囲に隠れ、変装し夜の世界を闊歩する。

    自分たちの怠惰はさておき、及第進級のためその大学教授を脅迫し、娘を手玉に取り遊び惚ける大学生たち。

    剥き出しの出世欲に突き動かされ「正義」の名のもとに暴走する新聞記者。

    他者や周囲を支配したい、世間から注目・賞賛されたいという欲や「正しさは唯一無二」という思い込みは、誰しも持ちやすいものだと時代を超えて感じる読後。

    最終盤の医師の選択肢にとっては少しばかり呑み込めず。希望がなくても何か他の結末があれば星5つだったかな。
    そして一人のフランス人青年の存在は遠藤さんの信仰する宗教観を表すものだったのかな。1人だけ毛並みの違う描き方と感じた。


    日常を充実しなければとか、有意義に過ごさなければとか、人並みに生きて当たり前という感覚が無意識のうちに今を生きる私たちに沁み込んでいるが、人間の本質を乾かして描く昭和の文豪たちの作品は今こそ読んでみる価値があると感じた1冊だった。

    生きることには苦痛がずっと付きまとっているのが当たり前と。

  • どうしようもなく暗いテーマで、憂鬱のきわみになった。

    『海と毒薬』の後日談。『おバカさん』のガストン・ボナパルト再登場。ストーリーはさほど変化に富んではいない、だけど読まずにおれず、最後まで引っぱっていかれるすごさ。

    人間、生きていくのにどうしょうもない矛盾をかかえているというのは、夏目漱石の作品を読み継いで来ても強く思うことだけど、そこに文学の楽しみもあるからなんだかおかしい。

    しみじみしたり、癒されたり、「わっははは」と愉快になったり、スリルとサスペンスもいいけど、深く深く考える動作も必要なのだ。

    時には暗く憂鬱になって、考えに考え、闇の中の燭光のようなもが仄見えはしないかと、いつも期待しているのも読書である。

  • この小説に描かれているレベルの悲しみを、噛み締めることができるほどの経験が、まだできていない。
    矢野教授のように、自分が偽善的だと反省することもなく、周りに偉そうにして生きている人間もいるし、折戸新聞記者のように、正義を振り回して人を不幸にする人もいて、世の中は正しいとか正しくないとかで決めつけられないのに、自分は同じような振る舞いをしていないか、考える。
    今の時代は、新聞記事だけではなく、SNSで、正義感たっぷりに誹謗中傷している人がたくさんいる。
    人が人を裁くということが、無くなればいいのだけれど、やっぱりそれが完全に無くなると社会が成り立たないのかな。
    人生は悲しみに満ちているけど、最後まで生き抜かないといけないし、それには隣にいてくれる伴走者の存在が大きな助けになる。遠藤作品自体が、救いの役目も果たしているように感じる。

  •  1958年の『海と毒薬』の続編=後日譚。新宿で小さな医院を経営するようになった勝呂が、さまざまな事情を抱えた患者たちと応対しているうちに、戦犯たちの「その後」を取材しようとする「正義派」の新聞記者によって追い詰められていく。『海と毒薬』の冒頭で記された事件以後の勝呂の生が、謎めいた外国人・ガストンとのかかわりを通じて読者の前に明らかにされていく部分が読みどころ。

     週刊誌連載作ということもあって、とてもリーダブルで読みやすい。しかし、その分小説としては薄味になってしまっている。勝呂とガストンとキミ子以外の人物はあからさまに薄っぺらい人物として描かれていて——遊び呆ける大学生たち、メディアで言っていることとやっていることとが違うインテリ、「社会正義」というイメージに酔う新聞記者など——、それぞれの人物について、いかにも週刊誌的なスキャンダル・ジャーナリズムに通じる通俗的な挿話が展開されていく。また、勝呂の苦悩を浮上させるのが、ガストンとキミ子という穢れを知らない天使?的な存在というのも類型的。「俗情と結託した物語」と言うと酷だろうか。

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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