悲しみの歌 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123141

感想・レビュー・書評

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  • 重くて深みが凄く、後々まで考えてしまいそうな小説だった。
    春に読んだ「海と毒薬」の続編で、事件の30年後が描かれている。

    正義って何だろう?と改めて考えた。
    善と悪ってすっぱり二つに割り切れるものではなく、両方つながっていて、当然グレーゾーンというものもあって、人は立たされた立場やその時の世情によって、簡単にその善と悪を行き来するような生き物なのだと思う。
    「海と毒薬」は戦時中の物語で、この小説は戦後の物語。米兵捕虜の生体解剖事件の戦犯となった勝呂医師は刑期を終えて新宿で開業医をしているが、彼にはその過去から来る陰鬱な影が常につきまとっている。
    戦時中の倫理観の狂いから起きた事件が、戦後の彼を苦しめ続ける。
    深い事情や彼の心理を知らない者たちは、その事件の表面だけを見て彼を糾弾する。若い新聞記者である折戸も。
    折戸の正義感は、きっとその時代の倫理観からすると正しい見方なのだろうけど、善と悪はすっぱり二つに割り切れると信じている青さが、人生経験の少なさと若さを象徴しているのだと思う。
    人の奥深い心理を無視しすぎている直球な言葉は、色んな人を傷つけてしまう刃になりかねない。

    私もどちらかというと直球なタイプで、もう少し若い時は今よりも善と悪の感覚が違っていたように思う。それこそ折戸のように、グレーゾーンなんて認めない、悪いものは悪い、というような感じで。
    でも人間ってそんな簡単には分けられないし、何かに流されて悪い方に行ってしまうこともある。
    そのこと自体は悪だとしても、過ぎ去ったあとその事柄をどんな風に受け止めて生きていくか。
    人の悪さを糾弾するのは簡単だけど、そもそも人が人を裁くなんて出来ないのではないか?って。

    遠藤周作さんはキリスト教を主題にした作品を多数残されているそうで、この小説にもその要素は垣間見える。
    人を裁くことは神にしか出来ない(神が存在するとして)。
    この小説のある意味主役とも言えるフランス人のガストンは、無償の愛を他人に注げる嘘みたいにお人好しな人間で、彼の存在はイエス・キリストのメタファーになっていることが分かる。
    人のために喜んだり泣いたりすることがガストンにとっての幸せで、針のむしろ状態の勝呂医師の側に常に彼がいたことは、勝呂医師にとって大きな救いになったように思う。

    そして、人の死をコントロールするという罪悪についても描かれている。
    法律上安楽死は許されないのに、妊娠中絶は許されているという事実を、改めて考えさせられる。
    両方とも、その本人が望むのだとしたら?どうして妊娠中絶は良くて安楽死は駄目なのか?
    そしてそれに手をかけた医師は、再び深く苦悩することになる。

    とても悲しい物語だった。
    まさに悲しみの歌が、物語中にずっと流れているような。

    倫理的には悪者である勝呂医師と、その対比として登場するたくさんの人物たち。読者にとってどちらがより悪いか、憎々しく映るか。
    人の噂や単純すぎる倫理観で人を見てしまうことは現実にも山ほどある。だからこそそういうものだけに惑わされないで、自分の目で見て感じる力を身につけたい。そんなことを思った。

  • 「正義とは何か?」
    この問いにぶち当たる度に、私はこの本を読んでいる。

    先日、居眠り運転をして交通事故を起こしてしまった。
    その時に正義感に満ちた警察官は「事故を起こした悪人」である私に対して威圧的で、とても苦しかった。そして、この本が無性に読み返したくなった。最近読んだ中で最高に面白い、改めて大好きな本。

    同じ遠藤周作の著書『海と毒薬』の続編で、戦時中外国人捕虜の人体実験に関わった勝呂医師のその後の話だ。この小説の中で「正義」という単語が8回でてくる(数えた)。正義という名のもとで悪を糾弾する若手の新聞記者が、勝呂医師を追いつめていく。白か黒か。正義を信じて疑わない人は、自分がそちら側の立場に立つ姿を想像できないのだろう。

    世の中には、グレーがたくさん存在する。一見、悪に見えたとしても、その人の事情があることもある。
    そのことに気づけただけでも、かつて血気盛んにこの本を読んでいた頃より私は随分と大人になったと思う。

    助産師になったからか、昔読んだときとはまた違った味わいがあった。人工妊娠中絶の描写が多く出てくるからだ。

    夕暮れ、新宿の裏通りにある医院にそっとやってくる女性たちに、勝呂医師は「それが彼女たちの生活をさし当り救うただ一つの方法だとして、その女たちの体から生れてくる命を、数えきれぬほど殺して」きた。そのことに対する自責の念にも苛まれながら。

    私の職場でも、毎日のように行われる子宮内搔爬術。流産の場合もあるが、希望も多い。理由があるにしろ、私たちがしていることは、いのちを殺めることには違いない。

    今当たり前に行っていることも、時代が変われば人殺しと呼ばれることもあるのかもしれない。でも、その行為で確かに救われる人もいるのも事実だ。あくまでも、白でも黒でもなく、グレーの行為。そういうもの、で割り切ってはいけないのだなあと思う。

    先日、うちで家で飼っているメス猫の避妊の話をしていた時に、「手術自体は1万円で、もしお腹を開けてみて妊娠していたら、さらに1万円かかる」という話をしていたら、職場の先輩助産師さんに「お金の問題じゃないでしょ!妊娠していたら、育てなきゃ!」と怖い顔で言われた。そこで初めて、自分が猫のいのちを軽く扱っていたことに気づいた。ヒトならばだめで、猫ならばいいのか。それは人間のエゴだ。

    時代の悪戯だとしても、過去に罪を犯したものは、一生糾弾されなければいけないのか。そもそも、誰が誰を裁いてよいものか。相模原の事件を思い出す。文中で記者が言う「腐った果実は捨てた方がいい」ということばは、背筋がぞくりとした。

    前は感じなかったが、最近自分が短歌を始めたことで、遠藤周作氏の描写の豊かさにも改めて感心した。

    「手の切れるような一万円札」
    「待合室から奇妙な笛のような音が聞えたからだった。奇妙な笛。いや、そうではなかった。それは二人の会話を聞いたガストンが泣いている声だった…」

    何気ない言葉だが、その情景がスッと想像できる描写。最近、若い人の口語体の文章を読むことが多かったが、文豪の迫力と表現力を改めて感じた。遠藤周作作品をもっと読みたい。
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    「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後とのおかげで、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限界を越えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか。君があの記事を書く。それは君にとって正しいかもしれない。しかし、君はそのためにあの医者がこの新宿の人々からどんな眼で今後、見られるか考えたかい」(358)

  • 時代背景、作者の思想など色々あるとは思うけれど。個人的な意見を書くならば、キリスト教色をもっと抑えた方が良い作品になったと思う。
    特に「ささやき」(?)のシーンはホント余計。
    それ以外は、最近の世の中を見ながらなんとなく感じていたことに重なる点もあり、基本暗く沈んだ物語だけど沁みる作品でした。

  • もう一回読み直したら、また違う感覚を覚えそう。すごく深い作品でした。
    最後までガストンか助けてくれることを祈っていましたが、良くも悪くもキリストの思想。助けるというよりは寄り添う姿勢でした。
    読後悲しい気持ちが残りました。
    正しいだけでは生きていけない。それぞれの事情もわからないまま自分の正しさを相手に押し付けてはいけない。
    どこかで勝呂とガストンとキミちゃん、そしておじいちゃんが救われることを祈っています。

  • 30年ぶりぐらいに読みたくなって一気に読了。
    私が「正しいこと」を言う人が苦手なわけがこの本の中にみんな入っている気がします

  • 凄まじい本でした。学生時代に「海と毒薬」を読み、衝撃を受け、勢いでこの本を買いましたが、何となく本棚の奥で眠らせたままでした。今回、何気なく手にとり読んでみましたが、生きることの染み込んでいくような悲しみの存在を感じさせられました。勝呂の罪を背負い、傷ついてきたからこそ発揮できる優しさは世間には認められず、折戸の正論が持ちうる暴力が正当化される世界。よく考えるとこの社会は自分が持ちうる優しさや繊細さを誤魔化せない人が迷い苦しみ、何でも自分に都合がよい正論で白黒をつけて、周囲に構わず突き進むタイプの人間がどんどん地位を築いていく。今も昔も何も変わってない。
    勝呂が死を選ぶのは彼の生涯を考えると、至極当然のことなんだけど、その権利はなくても幸せになって欲しかった。ガストンが勝呂が天国に行くと言ってくれたのがせめてもの救い。そして折戸が貴和子に結婚を断られたのも、まだこの世界を信じさせてくれる。ただ、それらのこともこの社会の仕組みの不条理の前では何の意味もなさない気がして、本当に無力感を感じさせられました。最後、ガストンが無償の優しさを与える描写があったり、噴水に当たる光の描写があったり、この世界の希望を匂わせるのですが、自分には何が希望になるのか結局この小説からは掴めなかった。その分、この小説が描く社会にリアリティーを感じました。
    作者の遠藤さんはキリスト教信者みたいですが、同じく信者のsunny day real estateの音楽が奏でる世界観にやはり近いです。人間の汚れや穢れを表現し、その裏にある人間の真の美しさや希望に迫ろうとしている気がします。しかし、結局何が美しさ、希望になるのか、自分にはまだ分かりません。

  • 戦時中、米兵捕虜の生体実験に参加した過去をもつ中年開業医。彼を正義の名のもとに追い詰める新聞記者。彼らの話を軸にして無気力な大学生、お人よしの外国人ガストン、建前と本音の乖離をいっこうに気にしないエセ文化人の大学教授、と様々な人たちが関係を織り成す構成と内容。

    読みながらふと思った。
    戦犯の過去をもつ開業医を執拗に追い詰める新聞記者の姿に、いまの時代で、ネットやSNSで、当たり前のように行われていることや人たちのこと。

    叩きやすい悪を「正義」の名のもとに糾弾する。世の中の問題や課題に何が善で何が悪かと、方程式のように簡単に線引きし答えを出すことができると思い込んでいる傲岸さ。正義の名のもとでなにをしても許されると勘違いした傲慢な姿勢。相手が反論できないと思えば徹底的に追いつめ責め立てる。叩きやすいから叩く。非難しやすいときだけ声高に非難する。自分は絶対に傷つくことがないと分かりきった絶対安全圏からの誹謗。その非当事者性。

    タイトルの’悲しみ‘とは、こういった(僕も含めた)合理で説明できない人間のさがや意のままにならない卑しい感情に対する諦めが込めれているように思う。

  • 海と毒薬の続きというよりは、第二部といった風です。
    人間の宿命「愚劣で悲しく辛い人生」を描き、正義と罰とを問う小説。
    全体的に70年代を風刺しているように感じられました。

    戦犯を激しく追及した、戦後社会の正義とジャーナリズムへの猜疑も窺えます。
    「三十分や一時間のインタヴューで人間の心がわかるのかなあ」
    「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後のおかげて、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限度を越えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか」
    折戸が憤慨する「戦後三十年の民主主義の結果」の中に、折戸も含まれているようです。戦中を否定することから始まった戦後の民主主義を象徴したような人間に見えます。

    海と毒薬に通じるのは、人々が周囲や時代の風潮に流され、それに諦観しているところでしょうか。
    海と毒薬では、世界や日本の情勢、教授たちの権勢争いが捕虜実験に繋がったように、
    悲しみの歌でも、戦中批判と民主主義の高揚する社会の中、折戸や教授や大学生等の保身を図る人間に周囲の人は振り回され、同じ穴の狢になったり犠牲になったりする。矢野や大学生の保身のために愚劣になった娘、親の生活を救うために中絶された胎児、折戸の出世の踏み台となる勝呂。
    二作とも、保身を図る人間を哀れっぽく、愚物として描いているところにまた悲哀があります。

    命を救う医師でありながら親の為に堕胎をさせ、末期癌患者の死なせてくれという望みを叶える勝呂に、罪と罰があるだろうか。
    戦中は捕虜実験に加担し、裁判と懲役を受け社会的に罪を償っても、戦後の社会正義は罰を与え続ける。戦後に作られた正義で戦中を断罪することは本当に正しいのか。
    とはいえ、折戸のような正義を、形はどうあれ、多くの人が持っていると思います。

    「宮沢賢治の詩のような男に私はなりたかった」の詩とは雨ニモマケズを指しているのでしょうが、勝呂の優しさを見るに付け、そんなささやかで優しい願いも叶わない、欠片も救済のない運命が悲しい。

    イエスに擬するガストンが、人びとを憐れむだけで何の役にも立たず誰も救えない人間として描かれているのに皮肉を感じます。

  • おバカさんのガストンが出てきたのが思い出されます。

  • 『海と毒薬』の勝呂医師が登場する、ということで読んだ。彼が主人公の続編というよりは、群像劇の中のもっとも重要な一人というような立ち位置である。
    事前に読んだ人たちからの感想を聞いていたので、かなり身構えつつ読んだのだが、本当に悲しい結末だった。しかし、その救いのなさのために、私は遠藤周作に感謝した。

    なんて人は悲しくどうしようもないのだろう。なぜ善人が傷つけられ、痛めつけられ、苦しみ悲しむのに、しょうもない人間がのうのうと生きてえらい顔をしているのだろう。
    この作品に出てくる勝呂医師やガストンに比べて、若手記者や大学教授、そして学生たちは本当に愚かでしょうもない。彼らは深く考えず自分のために人を踏みつけにする。そして、踏みつけにしても知らん顔ができる。それどころか、彼らは自分が人を踏みつけたことを正当化さえできるだろう。
    それに比べて、勝呂医師は苦しむ人を助けてあげながら過去の罪に問われる。ガストンは人を助けるために懸命に働いて、人に馬鹿にされる。
    どうしてこの世界では、こんなにひどいことが許されるのだろう。どうして神様は、こんなに優しい善人たちを助けてくださらないのだろう?

    勝呂医師は誰にも許されずに死んでしまう。彼の名誉は、おそらく死後も回復することはない。彼は社会的に悪人のままなのだ、彼の名誉を取り戻してくれる人はいないのだ……。
    しかし、一方で彼は絶対的な許しを与えられる。それがガストン≒キリストの存在である。
    ガストンは彼の人間としての尊厳を守ってくれる。先生はいい人、優しい人だと言って、それを理解してくれているのだ。それは全く社会的な許しではない。また、彼の生命をも救ってくれない。
    しかし、勝呂医師の人としての尊厳を守ってくれる。ガストンは無力であるが、その許しは神の赦しにも等しい。それが読者にはわかる。私にはわかる。それが悲しくてたまらない。

    その赦しがあまりに優しく、そして無力であるゆえに、私はそれを信じることができた。とても悲しいけれど。社会に受け入れられない人間でも、神様には赦してもらえる。泣くしかない。

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著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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