沈黙 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.97
  • (1226)
  • (970)
  • (1174)
  • (60)
  • (12)
本棚登録 : 8273
レビュー : 1021
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123158

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 著者の作品は概ね読んだが、この作品は時代設定や文体など種を異にする。映画化もされているが小説がおすすめ。というのも、キリシタン弾圧という凄惨な描写が散見されるため、映像で見せられると若干食傷気味になる。

  • この世の中には様々宗教があります。この「宗教」とは何なんでしょうか。そんなことを考えさせられます。
    日本の歴史で習ったキリスト教を禁止するために行ったとされる江戸時代の踏み絵。日本に布教にきたパードレは禁教のため踏み絵をさせられる・・・。
    自分の意志なのか、拷問の末の耐えられなさからか・・・命だけは助かるものの、彼は転んだ司祭として、日本名を与えられ惨めな立場となる。
    踏み絵をしたことが、本当にキリスト教を捨てたことになるのか、司祭として恥ずべきことなのか。宗教とはそういうものなのだろうか。心の中で信仰心を忘れていなければよいのではないだろか。

    神は自分が一番苦しいとき、声をかけてくれることはない。
    道を示してくれるわけではない。きっと、じっと見守るだけ。決めるのは自分自身だからではないだろうか…。

  • 遠藤周作氏の作品は私の中では古典に入ると思っている。古典は苦手だが祝映画化で読んでみる。最初のページをめくると、島原の乱の後の頃のキリシタンの話と言うことで、歴史小説好きとしては心躍る。キリスト教が禁止されている時代、あえてキリスト教を布教させようと、密入国する神父の話。最初はその角度からの話は珍しいと興味を持ってページをめくるが、やはり難しい。何だろうね文章が頭の中に入ってこないというか、よく分からんと言うか。最後まで読むが、ラストも「そうなんだ」位にしか心動かされず。

    五島には改めて行きたくなった。旅行するときに持って行ったらおもしろいかもしれない。

  • 映画を見て、原作が読みたくなり今更ながら読んでみた。
    ちょっとずつ読んでいたので、結構時間がかかってしまった。

    ストーリーとしては単純で、遠い異国の地に布教に来て、捕まり、棄教を迫られ、
    自分の信仰と生命(自分と信者の両方)を天秤にかけると言う話。
    映画を見てオチも知っているし、というよりどう考えても分が悪い勝負なので、
    オチも想像できるけど、
    そこは特に問題ではなくて、そこに至る過程がやはり読ませる。
    自分の命より大事なものや人と、自分の命や大事な人の命が天秤にかけられたらどうするのか。
    信仰ではなく、仕事でも家族でもなんでもいい。
    考えるだけで胸が張り裂けそうな気分になる。

    分が悪いというのは、ジレンマみたいなもので、
    棄教しなければ自分を含めた信者が殺される。
    しかし、それは神父の立場からすれば
    布教上の敗北と言ってもいいかもしれない。
    その上殺されてしまうのであれば、神はなぜ信仰するものを助けないのか、
    神は存在しないのではないかという説の補強になってしまう。
    棄教するのであれば、それはもちろん信仰の敗北である。

    考えてみれば農民は自分の信仰に沿って死ぬことができる。
    しかし、神父は自分の信仰に沿って一人で死ぬのなら良いが、
    他の人を巻き込むことはよいのか、また死んでしまうことは布教を進める上で
    敗北ではないかというジレンマも存在する。
    そういった意味で、やはり分が悪かったのではないだろうか。

    究極的に言えば、神父は真実の愛を知ることができたのではないだろうか。
    心から慕っていた人の肖像に足をかけた時、神父は多くの人間を救うことが出来た。
    それは偽善的とは言え、勝利と言えなくはないか。
    ただ、キリスト教徒の究極とはなんだろうか。
    神の国に行くことだとしたら、信仰のために死ぬべきなのか、
    多くの人に対して布教をするべきなのか、
    それとも一人でも多くの人の命を助けるべきなのだろうか。
    この問いに対する答えは聖書に書いてあるのか。
    書いてないとしたら、神はそれに対して答えを与えてくれるのだろうか。

    この物語の最終的な結末は、最後の審判が訪れるまでわからないのかもしれない。

    以下は自分用の読書メモ

    ・映画を見たおかげで、場面がすんなりと頭に入ってくる。映像の利点。スラスラ読める。
    ・宣教師たちは神の存在を疑っていない(当たり前だが)
    ・農民たちはどうだろうか?キチジローは神を都合のいい道具として使っているか
    ・農民たちが信仰をするのは、優しくされたからという一文が頭に残る(46ページ)
    ・きっかけは打算的なものでもいいのかもしれない。しかし、そのあと盲目的に神を信じるのが善いことなのか。。。
    ・死ぬ直前まで信仰を貫くのか、それは神が望んだことなのか。
    ・逆に盲目的に神を信じること自体はやはり危険なのではないだろうか。
    ・カラマーゾフの兄弟がチラつく。あちらは神の存在について、喧々諤々議論がかわされていた。極限状態で信仰を捨てること自体も悪なのかという議論があったが、それも意識しているのか。カラマーゾフの兄弟でも、信仰を捨てることは赦されるという意見がリアリストからは出ていた。
    ・スメルジャコフの話では、「信仰を捨てた瞬間。キリスト教徒でなくなるのだから、キリスト教の基準で裁かれるのはおかしい(生まれつきのタタール人が死んだあとにキリスト教の基準で裁かれるのがおかしいように)。また、信仰を捨てたという意識もあるのだが、それにしても信仰が篤い人間だとしても、山を動かし、海に入れることは出来ない。そんなことができるのは世界中で一人か二人だろうし、その人達もエジプトの何処かで修行しているに違いない(ここの世界の何処かにいるというのがロシア的だ)。つまりどんなに信仰が篤くても、あまり意味のあるものではないし、死の直前に奇跡を願っても奇跡なんかは起きないと思うと、天国になんかに行けるかは甚だ疑わしい。それであったら、信仰を諦めて、死んだあとの神様の慈悲に期待した方がいいし、生き残ればその後善行を積むことが可能だろう」。屁理屈にしか聞こえないが
    ・しかし、リアリストの合理的な選択というのは、信仰の前で意味があるのだろうかと思う。
    ・神を試してはいけない。しかし、神を疑ってもならない。
    ・ディープリバー、死海のほとり、イエスの生涯
    ・ディープリバーも、キリスト教徒への誘惑がある(女性が男性に誘惑する)。彼はそれを断ち切り、インドに行き、そして殺される。インドの神は荒々しい川、ガンジス河は全ての生命を受け入れ、そこには生と死が混在している。
    ・神の存在を疑う場面もある(105ページ)。しかし、それを疑ってしまうと今までの自分が失われ、全てが滑稽となるため、その考えを信じることはできない。コンコルド効果のようだ
    ・祈りが呪詛のように感じる(188ページ)
    ・なんだか囚人のジレンマみたいだ。転べば信徒を助けられるが、それは信じていたことの否定に通じる。それは死と何が違うのか(209ページ)
    ・日本という国が地獄のようだ(217ページ)
    ・日本のキリスト教における神は何か別物なのか(233ページ、映画におけるパライソ)
    ・信仰は困難な状況にこそ試されるものなのか。キリストに対する悪魔の誘惑のように
    ・宗教における究極とはなんなのだろうか。キリスト教では神の国に行くこと?そのためには善行を積み、異教徒に教えを説くことも必要なのか
    ・奇跡というのは信仰上の手段に過ぎないのかもしれない
    ・小説の構造として優れているのは、1人称から3人称に移っている点。これによって、背教するのが、かなりリアルに感じられる。

  • 今年の頭に映画を観たからその映像が自然に思い浮かぶ…そのくらい原作に忠実な映画だったんだと今さら知った。
    たまたまこれの前に読んだのが「氷点」だったから2冊連続キリスト教の物語になってしまったのだけど、氷点よりはこの沈黙の方が、客観的に宗教というものを見つめているように感じた。
    遠藤周作もクリスチャンではあるけれど、神の存在や信仰というものは絶対的なものではない、ということを描いているような。
    信仰はあくまでも自分の心の中にあるもので、目に見える形として示せるわけではないし、踏み絵などで全てを否定できるものでもない。

    だけどかつては棄教を迫られそれを拒絶して殉教していったクリスチャンが数多いた。そういう強い人間である人々の対になる存在として、キチジローという弱さを隠さない人物が要所要所で登場する。
    裏切っては弱気になって反省して、を飽きることなく繰り返すキチジロー。彼の中の信仰とは自分を強くするためのものではなくて、あくまでも自分の弱さを救うためのものだということが分かる。

    宗教に限らず、人でも物でも、何かを強く信じるということは自分の中での闘いなのだと思う。
    例えば誰かに「それを信じるな」と言われたときにどうするのか、そして何かのきっかけで信じられなくなったときにどんな行動を起こすのか。1つのことを信じ続けることは果たして可能なのか。

    自分にとって“信仰”はあまり身近ではないから色々と考えてしまった。信じたい、という気持ちが支えていくものだとは思うけれど。

  • 辛気くさそうで なんとなく避けていたけど薦められて読んだ。もっと早く読めばよかったと反省するくらい良かった。なんと深い話だろう。ぐっと伝わってくる、無信仰の私でさえ。

  • 人の力は無限大!努力すれば必ず報われる!という言葉に疲れたらオススメ。

    弱い人間は沢山いる。でもそのような人を責めたりしてはいけない。何故なら大体の人間は、弱い。立ち向かう前は屈強の精神を持っていると思っていても、屈する瞬間が訪れる場合がある。それでも、嘆き恥じる必要はないのではないか。そんなことしていたら毎日生きていけないのではないか。そんな話。

  • 長崎旅行のあとカクレキリシタンにはまりました
    信仰とは?神がいるならば、なぜ助けてくれない?

  • キリシタン迫害という残酷さを描いている作品かと思いきや、司祭の心の葛藤や「神とは」など人間性や内面的な心の動きについて描かれているところが素晴らしかった。

  • テーマは神の沈黙。信者の祈りは神に届いているのか、そもそも神は存在するのか。
    捕縛されてから棄教にいたるまでのロドリゴの苦悩、葛藤が描かれる。
    見どころは、ロドリゴに棄教をうながす通辞、井上筑後守やフェレイラとの対話。キリスト教の普遍主義が傲慢で、押しつけがましいように感じる。日本でのキリスト教が「醜女の深情け」「不生女」であるという、井上筑後守による比喩が秀逸。
    ロドリゴを裏切る、卑屈で凡庸なキチジローの存在感もよい。

全1021件中 41 - 50件を表示

著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

沈黙 (新潮文庫)のその他の作品

沈黙 (1979年)の詳細を見る 沈黙 (1979年) 遠藤周作
沈黙 (1966年) 沈黙 (1966年) 遠藤周作
沈黙 単行本 沈黙 遠藤周作

遠藤周作の作品

ツイートする