沈黙 (新潮文庫)

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レビュー : 1014
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123158

感想・レビュー・書評

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  • 確かに、恐ろしい拷問の話と読むことも出来るのか、と頭を殴られたような気分になる出来事があって久しぶりに思い返しています。
    知人が「本当に怖かった」というので、何か違う「沈黙」の話をしているのだろうかと最初は思い、「ああそうか」に至るまで結構な時間を要しました。文学系の授業の一環で人生における挫折や黄昏時、アイデンティティ喪失の問題などについて考えながら読んだ作品だったこともあってか、描写の悍ましい部分については特段注目しなかったというべきか、とかく「そういう時代だったのだ」と、強いて言うならば憐みの目で見ていたのかもしれません。それから、遠藤周作同様幼児洗礼を受けたクリスチャンとして、今の時代に生まれてよかった、と思いはしました。でも、ある種の感情を遮断した状態で読んでいたのかもしれない、あるいは鈍っているのかもしれない、と今現在茫然としているところがあります。

    さて最近は、何がきっかけか自分でも分かりませんが、戦争映画を観ても大河ドラマを観ても、何が人を残酷にさせるのか、凶暴にさせるのか、ということをしょっちゅう考えるようになったような気がします。そういう意味では、キリシタンの弾圧も、あくまで今の常識的な価値観からするともちろん異様です。でも自分と同じ人間が、同じ日本人が、同じ日本人に対して、ときには外国人に対して、行ったことだとされています。同じ人間なのですから今の私たちもやろうと思ったらやれる行為であり、それでも私たちは自らを倫理や法律などの名の下縛り付けています。そういう自制のための装置を作ろうとしない状況とはどんな状況なのでしょう。(語弊の多そうな表現ですが)あるいは、死刑を認める日本は根本的なところでは変わっていないともいえるのでしょうか。

    話はそこそこ飛びますが、日本の思想にはある意味で「救い」「赦し」が無いのだ、とふと思いました。容赦ないのです。遠慮深い人は多いと思っています。でも、「そうしましょう」と律するものは実は無いのではないか、ということです。そういうことを体現した神様が多分いないから。そこに端を発している物事は色々ありそうだな、と思いつつ、その先について考えるのは別の機会に、とします。随分遠くまで行ってしまったので一旦閉じます。

  • 遠藤周作著、「沈黙」。非常にドラスティックな作品であった。佐伯氏の解説によれば、遠藤周作は「海と毒薬」、「侍」などの他の作品においても、同様にドラスティックな作風だとされる。
    「沈黙」は、江戸時代のキリスト教禁教下の日本を舞台として、宣教師や司祭が日本に布教を行うという物語である。もちろん禁教下であるので、布教が見つかれば罰せられ酷な拷問を受けるのであるが、それでもキリスト教を布教する使命を全うするため、危険を冒して日本に潜入する。本作は3部作になっており、まえがきで宣教師が棄教したという衝撃的な事実を述べ、続いてセバスチャン・ロドリゴの書簡で主人公の視点に読者を誘導し、最後に三人称描写の章がやってきて、棄教に至るプロセスを少しずつ進めて書いている。主人公の司祭が見た日本は、宣教師を希望の光として求める百姓達、「転ぶ」、すなわち棄教した宣教師、そして無害かつ有害な、意思の弱さを前面に押し出したキチジローという存在、さらにイノウエという、幕府の非常に賢い奉行など、様々な者が登場する。
    彼らをすべて丁寧に整理して描写したところは素晴らしいが、それよりも素晴らしいのが、描写の仕方である。表現がリアリティを感じさせ、緊張を生むために読者を感情移入させやすくなっている。特に残酷で緊迫した場面においてそれは顕著であり、追い詰められた人間の感情を事細かに描写している。
    読む価値のある、とても優れた作品である。

  • もう何度読んだだろう。映画が公開され、見る前にもう一度小説を読んでおこうと思い数年ぶりに本棚から引っ張り出した。クリスチャンの間でも遠藤周作については賛否両論がある。ちゃんとした信仰じゃないだとか、神を冒涜してるだとか。今回沈黙を再読し、彼の信仰は本物だと感じた。人間はどこまでも弱く悪い存在である。その弱さと神の教えの狭間でもがき苦しみながら生きていくのが人間の一生なのではないか。最後神は沈黙していたのではなく、共に苦しんでおられた、という一文に遠藤周作が一生をかけて見つけた、彼なりの信仰が垣間見えた。私も本を読んでその答えが正しいのかもしれないと思った。神は絶対に見捨てない。沈黙されているように感じても、いつも共におられる。信じるか信じないかは個人の自由だけれでも、信じることが信仰なのである。

  • 宗教とは何のためにあるのか。根本的な問いを突きつけられる。

    私自身がキリスト教のミッションスクールに通っていた非キリスト教徒ということもあり、自分が身近にキリスト教に触れながら疑問に思っていた最も大きな問いを、作中のロドリゴも何度も発している。それが、「神はなぜ沈黙を保っているのか」ということだ。

    この作品では、神に対する裏切りである「棄教」に、それは自分を犠牲にして弱き者のために生涯にわたって心の血を流すという究極の愛である、という全く逆の意味を持たせている。
    キリスト教徒から見れば、遠藤の描いたこの解釈は「正しい」ものではないのかも知れない。しかし、貧しさに耐え、その上さらに拷問の責め苦にあっている農民たちを救うために絵を踏んだというロドリゴの行為を、誰が「間違っている」と言えるのだろう。

    生まれながらにして一つの宗教の価値観を唯一正しいものとして与えられていれば、選択の余地も、疑う余地もない。しかし、私はそうではない。多くの日本人がそうであるように。
    遠藤自身もまた、母や叔母から「背負わされた」キリスト教の重みを青年時代に初めて自覚し、悩みながら自分のものとしてきたという。
    その「自由」は果たして幸せなのか、そうではないのか・・・。

    2017年に公開される映画はぜひ観たい。

    レビュー全文
    http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-487.html

    (再読記録あり)

  • キリシタン禁制を強いる江戸時代の日本に潜入したポルドガル司祭ロドリゴが目の当たりにしたのは、日本人信者たちの悲痛の声と苦悩。彼自身背教の淵に立たされながらもなお続く「神の沈黙」に、極限まで問う波乱の人生を描く。

    自分の信仰心の高さと比例するように、過酷な拷問の果て死んでゆく日本人信徒。神に繰り返し問うも続く沈黙。彼の決死の選択を、誰が責められるだろう。様々な立場の意見が登場するけれど、どれが正解とも不正解ともいえない。明解な答えもないのだろうし、自身の考えを100%他人と共有するのも難しいことなのかもしれない。でも想像したい。

    「主よ、なぜあなたは黙っているのですか」
    信仰とは何かを問う、重厚な名著。

    ここまで引き込まれる作品にはそう出会えない。
    ただただ素晴らしかった。

  • 島原の乱が鎮圧されて間もないキリシタン禁制の日本。
    そこへ3人のポルトガルの司祭が潜入する。
    フェレイラ教父が拷問に屈して棄教したという事実を確かめるために。

    この頃の時代背景を書いた、まえがきから始まります。
    これがあることで物語に入りやすかったです。

    5つのブロックに分類すると、
    1.「セバスチャン・ロドリゴの書簡」で彼が見た日本の現状。
    (主観)
    2.ロドリゴのその後。
    (客観)
    3.「長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記」で時代背景。
    (第三者の目線)
    4.ロドリゴのその後2。
    (客観)
    5.「切支丹屋敷役人日記」で昔の文体を用いて真実味を帯びて終わる。
    (第三者の目線)
    こんな感じで語り手が変わる。
    知らない言葉も多くて難しかったです。
    「切支丹屋敷役人日記」の流れは把握しましたが、全部は読めないです…。

    祈りをささげても、苦難を見ているはずの神は沈黙したまま。
    沈黙している理由とは…。
    それを目の当たりしたロドリゴの信仰心が揺らぎ始める。
    その葛藤を通じて、神と信仰そのものを問う。
    神と信仰のかたちは各国で違い、または変化をし、それぞれ個人の中でまた変化する。

  • 高校?大学?の時に読んで以来、久々に読んで衝撃を受けた。
    きっかけは、敬愛するQueenのロジャーテイラーの好きな1冊に挙げられていたからなんだけど、すごい本だ。

    私はキリスト教徒ではないので、基本的なキリスト教の概念は分からないし、多分この先も分かる日はこないのかもしれない。けど、神を信仰しキリストを信じ続けようとする司祭・ロドリゴが、迫害と弾圧を目の当たりにして、沈黙を守り続ける神に対して懐疑的になり、不信に陥っていき―というストーリーの流れになぜかすっと入って行って、一緒に苦しい気持ちになった。本当に、苦しい。

    根本的に沼地で蒔いた種が根から腐る…という”転びのペテロ”・フェレイラ氏の言葉も、一種正しいのだと思う。日本人は、これまでいろいろな国からいろいろな物を輸入し、学び、それらを自分たちに適合するように改良してきた民族だから、当時の日本人に、キリスト教が100%本質を保ったまま受け入れられるのは、きっと難しかったのだろう。

    ところで、文章の書き方も面白くて、まえがき(情勢と主人公について)、主人公・ロドリゴ司祭の書簡、第三者目線の文章、オランダ商館員の日記、最後に「切支丹屋敷役人日記」で終わる…という不思議な構成になっている。好き嫌い分かれる感じですね。。。
    最後の役人日記、江戸時代当時の書簡のような文章で全く読めない(-_-;)
    ロドリゴ改め岡田三右衛門が64歳で亡くなったことしか分からんかった。
    吉次郎はなんだったのでしょう。。。

    ロジャーの読んでた英語版を読んだら、最後の日記も分かるのかなぁ。
    英語で読んでみるかなぁ。。。

    --

    島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

  • 2018/11/18読了。
    正直に言ってしまうと、途中で読み進めていくことが辛い場面が何度もありました。

    切支丹弾圧によって、多くの人の命が失われていく。けれども神は彼らを救うどころか、癒しさえ与えてはくれず、切支丹の百姓たちは苦しみながら死んでいく。
    救いを信じることや、苦しみから逃れようとすることは、死ななければならないほど罪深いものなのでしょうか。

    物語の中で、神は終始沈黙を破ることはありませんでした。百姓たちの死が、殉教ではなく無駄死にだと思うことも何度かありました。
    神が本当に存在するのだとしたら、なぜ神はこれほどまでにむごいことから目を背けることができたのでしょうか。

  • 信徒が残忍な拷問を受け殉教していく様を目の当たりにし、ロドリゴ司祭は神の存在を自問自答する。
    神は全てをご存じのはずなのに、なぜ「沈黙」を保っておられるのか……。

    久々に重めの作品を読んだので最初は読むのがかったるいと感じていたが、どんどん引き込まれる小説。
    棄教を迫られるロドリゴ司祭の胸中の葛藤や、長崎奉行井上筑前守やフェレイラ司祭の日本におけるキリスト教の解釈は読み応えがあり面白かった。
    キチジローの存在と、踏絵のキリストの捉え方にハッとさせらる。

  • 神はいるのか?信徒の危機に際して、なぜ「沈黙」したままなのか?次々と打ち寄せるられる過酷な現実への懐疑のなかで、にもかかわらず、最後までキリストの理路の中で決断していく。

    弾圧、懐柔の描写が凄まじい。

    結局、神への否定には至らなかったわけだが、一歩離れて見ると、神とはなんなのか、釈然としない気持ちを結末が代弁している気もする。

    殉難に栄光があるのか、無駄死にに過ぎないのか。そもそも良い死と悪い死があるのか。

    宗教の理路としては、善悪がある。宗教を離れれば、死そして人生に善悪はない。しかし、それでは生きる意味と社会の維持ができなくなってしまう。

    宗教をめぐるジレンマは今も続く。

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著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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