イエスの生涯 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 157
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123165

作品紹介・あらすじ

英雄的でもなく、美しくもなく、人人の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?-幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせたイエスの"生"の真実。

感想・レビュー・書評

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  • 作者の既存作品の紹介を公演した記録や、文豪達との様々な交流を通して神をテーマとしたエッセイの様に語りかけ。
    この書籍からドストエフスキーや吉行淳之介に出会えるとは思っておらず嬉しく楽しい読書でした。

  • 2001年、911アメリカ同時多発テロの衝撃の後、イスラム教ユダヤ教キリスト教についての本を少しばかり読んだ。読んだけれどもよくわからないというのが本音である。

    その当時集めた中で今までなぜか読まず最後に残ったのがこの『イエスの生涯』もうすぐクリスマスだが、この本はイエス様が厩で生まれたとは書き始まっていない。ところがこれがわかりやすかった。遠藤周作氏の人柄と作家の力量だからだろう。

    西洋画に書かれた神々しい像は、後の時代の想像力によってなされたので、容貌も平凡な中東人がどうしてイエスキリストなのか?

    イエスはユダヤ人で大工さんであった。ナザレというところで30~40代まで近親者と働いて暮らしていたが貧しかった。そんな普通の人が思うところあったのか、困る身内の反対を押し切り、捨てて家出してしまう。そして放浪の生活。原始キリスト教に出合のだが、原点は貧困にあえぐ人々への同情。奇跡を起こすでもなく、救済者メシアでもなく、何にもできない無力者のイエスが政治的陰謀にはめられて、ゴルゴタの丘で十字架にかけられてむごたらしく殺される。その処刑されたということにキリスト教の意味があるという、遠藤氏の直観力が開示される。

    おおざっぱに言ってしまったが、遠藤氏が思索なさったことに妙に納得してしまった。
    この後編に『キリストの誕生』をお書きになったが。

  • 気持ちを分かってくれる人がいるだけで
    救われるから
    生きてゆこうと思う。
    彼という人がいなかったら
    この世の人はどれだけ寂しい思いをしただろうと思う。

  • 小説というよりは評伝である。
    しかし、明確な問いが立てられ、それに明敏な答えを与えている点では学術論文にも等しい。
    遠藤周作は小説家だけではなく、なぜ哲学者にならなかったのだろうか。
    当世の安っぽい社会学者や思想家とは異なる、ちいさき者への優しさがある。

    イエスの名前やその最期を知ってはいても、なぜ磔刑に処せられたか、弟子に裏切られ、また復活の伝説が興されたのか、その詳細は日本ではあまり知られていない。

    『侍』でも描かれていた、現世利益をもとめる仏教観と、奇蹟でなく
    苦悩と悲哀に寄り添うキリスト教観の違い。
    イエスの愛は現代のキリスト教ではゆがめられている気がしないでもないが。

  • 記念すべき、かはわかりませんがブクログに登録する100冊めはこの本で。…CDやDVDも登録したので「冊」は正確ではないですけど。

    「イエスの生涯」遠藤周作

    ひとりの無力な男が、神の子と信じられ信仰の対象とまでなったその道のり。
    奇蹟を起こせなかった。病を癒せなかった。弟子にすら裏切られた。そんな、男の生涯。

    遠藤周作はエッセイから入って、小説もいくつか読んだけれど、この「イエスの生涯」が今のところ私のベスト遠藤周作なのだと感じています。
    私事ですが、幼い時分から私とキリスト教には何度か縁があって、つかず離れずというよりはむしろついたり離れたりをくりかえし、一時は洗礼も受けたけれど、結局棄教して今に至ります。キリストを信じないとか聖書を否定するとかではなく、心のどこかで私にとっての神は今もなおイエスなのだろうけれど、聖書の教えを尊ぶけれど、しかしキリスト教には、教会には、属さない。そんな距離感。
    この一冊の本を読んだことで、この私とキリスト教との距離の取りかたは、背を押されたような…そんな感覚を持っています。遠藤周作からすれば不本意な読み解きかただったでしょうけれど。

    それが神への恨み言であろうとも、「神よ、あなたを信じません」という宣誓であろうとも、神にむけた心からの言葉は祈りなのだ、と。

    「主よ、私はあなたを信じません」

    そんな祈りを私は今日も心に満たしています。

    • ハタハタさん
      イエスの生涯は、私も興奮して読んだのを覚えています。パゾリーニの奇跡の丘とつながるものを感じました。
      イエスの生涯は、私も興奮して読んだのを覚えています。パゾリーニの奇跡の丘とつながるものを感じました。
      2018/08/18
    • 燈るさん
      >猿川西瓜さま

      ひとは救われたかったり幸せになりたかったり楽になりたかったりで、宗教に身を寄せるのだと思いますが、逆に幸せや救いのため...
      >猿川西瓜さま

      ひとは救われたかったり幸せになりたかったり楽になりたかったりで、宗教に身を寄せるのだと思いますが、逆に幸せや救いのために神を求める心は信仰と呼べないのではないかと、個人的に心のどこかで感じています。「イエスの生涯」は、読み終えたときに、心がそういった呪縛から解かれて一気に楽になったことを、そして楽になったはずなのに、神に再び縛りつけられてそれこそ十字架の如き途方もない重みを負わされてしまったのだと思い知らされたこともまた覚えています。
      「パゾリーニの奇跡の丘」は寡聞にして知らなかったため、調べてみたら映像作品なのですね。映像ものはちょっと苦手なので、この後、観る機会があるかどうかわからないのですが、心にとめておきます。

      コメントありがとうございました!
      2018/08/19
  • 遠藤氏の本を幾つか読んだが、私はその度「神とはなにか?」を考えさせられた。遠藤氏が書く本に現れる神は、所謂神頼みされる神、何かを授けてくれる神、奇跡を与える神ではなく、残酷で、冷酷で、何もしない神だと感じたからである。普段生きていて、神を思う時、それは何かを望む時であったり、なにか幸福に恵まれた時であったりするのが私だった。だからこそ余計に、遠藤氏の作品で現れる神は、どんな信念のもとにその姿をしているのかを知りたかった。この本を読むことで、それがほんの少しわかった気がし、同時にイエスという人に対して遠藤氏がどう考えているのか、イエスの像についてもほんの少し触れられた気がした。この本を読んですぐにはわからなかったが、じっくり自分の中で咀嚼し、反芻する内、ふと、あらゆる苦しさや悲しさや辛さを背負うことを選んだイエスと、そのイエスにずっと無言で付き伴った神の姿とその意味が心に浮かんできた。神は常にどんな時も其処に在る、その救いの意味が少しわかった気がした。私の理解はとてつもなく浅く、議論するに足りないものだろうが、そういうことを少しでも考えられるきっかけができたことは、私にとって大きかったと思う。

  • ヨーロッパなどの先行研究に触れながら、著者自身のイエス像を客観的な筆致で描く。
    受難物語では奇跡をみせずに、自らが架けられる十字架を自ら背負い、ゴルゴタの処刑場に向かったイエス。著者は、聖書はイエスの無力を積極的に肯定しながら、無力の意味を我々に問うていると指摘する。また、彼の生涯は愛に生きるだけという単純さをもち、愛だけに生きたゆえに、弟子たちの眼には無力な者とうつった、だがその無力の背後に何がかくされているかを彼らが幕をあげて覗くためにはその死が必要だったのである、とも指摘している。
    その答え、残念ながら今の自分には確たるものがない。

  • 初版時に読了。再読。
    今もなお魂が揺さぶられる作品。
    遠くガリラヤで何の罪もない無抵抗の一人の男が
    十字架にかけられ処刑される。
    彼は後のイエス・キリスト。
    『英雄的でもなく、美しくもなく、
    人々の誤解とあざけりと、
    唾の中で犬の死よりもみじめで醜悪な形の死』を、なぜ彼は受け入れたのか?
    なぜ弟子たちは奇跡を起こせなかった無力のイエスを師’と尊び迫害に耐えながらも、過酷な布教活動に命を賭けたのか?

    なぜ?なぜ?なぜ?

    クリスチャンである遠藤文学の重要なテーマになった‘無力のイエス’。
    渾身のペンで綴るその文章からは遠藤氏の血がにじんでいると思えるほど。
    クリスチャンの方々から抗議を受けたと聞きますが、キリストは神である前に、神になる前に、懊悩する‘一人の人間’でもあったことを教えてくれます。

  • 遠藤周作による聖書の解釈、キリスト教観がわかりやすく書かれた1冊。遠藤周作作品を読むためのバイブル。この作品を読んでから別の作品を読むとより一層楽しめると思う。

  • 人間イエスの姿が、リアリティを持って迫ってくる一冊。久しぶりに素晴らしい良書に出会った。

    従来のユダヤ教主流派の神は、裁き、怒り、罰する神であった。だが、そのような神は、貧しく、弱い民衆を救うことはできない。

    一介の大工の巡回労働者として生活してきてイエスは、庶民や、特に弱者や、差別され、虐げられた者たちの姿を、つぶさに見ていた。

    人間にとって一番苦しいのは、病や貧しさでは無く、そこからくる孤独と絶望にある。

    そしてそれを救うのは、神の罰では無く、愛である。イエスはこう考えた。

    「神の愛をどのように証明し、知らせるか。」
    イエスは、このテーマに、生涯取り組むことになる。

    ただ、これまでの「強い神」が意識の根底にあるユダヤ教徒の中で、イエスの「神の愛」は理解されない。

    ローマを打ち破る者、奇跡を起こす者、主流派への反逆者。

    民衆、そして弟子までもが、イエスに彼らの欲望を投影していく。そしてその欲望が満たされないとわかるや否や、イエスを次々と裏切っていく。

    イエスの本心は、誰にも理解されない。

    愛は現実世界では無力であり、人々が求めていたのは現実的な効果ばかりだった。

    イエスは、一人、ずっと孤独だった。

    「神の愛をどのように証明し、知らせる」ためには、自分の犠牲によって、神の愛を証明するしかないとイエスは考える。

    あらゆる人が経験した、筆舌尽くし難い苦難を、身を以て体験する。そして、弟子の、民衆の、全ての人の裏切りを許す。

    それが、イエスが愛を証明するためにとった方法であった。

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著者プロフィール

作家。1923年東京生まれ。慶應義塾大学仏文科卒業。フランス留学を経て、1955年『白い人』で第33回芥川賞受賞。1958年『海と毒薬』で新潮社文学賞・毎日出版文化賞受賞。1966年『沈黙』で谷崎潤一郎賞、1980年『侍』で野間文芸賞、1994年『深い河』で毎日芸術賞を受賞。1995年文化勲章を受章。1996年、73歳で永眠。

「2023年 『自分をどう愛するか<生活編>幸せの求め方 ~新装版~』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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