イエスの生涯 (新潮文庫)

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レビュー : 142
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123165

作品紹介・あらすじ

英雄的でもなく、美しくもなく、人人の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?-幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせたイエスの"生"の真実。

感想・レビュー・書評

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  • 2001年、911アメリカ同時多発テロの衝撃の後、イスラム教ユダヤ教キリスト教についての本を少しばかり読んだ。読んだけれどもよくわからないというのが本音である。

    その当時集めた中で今までなぜか読まず最後に残ったのがこの『イエスの生涯』もうすぐクリスマスだが、この本はイエス様が厩で生まれたとは書き始まっていない。ところがこれがわかりやすかった。遠藤周作氏の人柄と作家の力量だからだろう。

    西洋画に書かれた神々しい像は、後の時代の想像力によってなされたので、容貌も平凡な中東人がどうしてイエスキリストなのか?

    イエスはユダヤ人で大工さんであった。ナザレというところで30~40代まで近親者と働いて暮らしていたが貧しかった。そんな普通の人が思うところあったのか、困る身内の反対を押し切り、捨てて家出してしまう。そして放浪の生活。原始キリスト教に出合のだが、原点は貧困にあえぐ人々への同情。奇跡を起こすでもなく、救済者メシアでもなく、何にもできない無力者のイエスが政治的陰謀にはめられて、ゴルゴタの丘で十字架にかけられてむごたらしく殺される。その処刑されたということにキリスト教の意味があるという、遠藤氏の直観力が開示される。

    おおざっぱに言ってしまったが、遠藤氏が思索なさったことに妙に納得してしまった。
    この後編に『キリストの誕生』をお書きになったが。

  • 記念すべき、かはわかりませんがブクログに登録する100冊めはこの本で。…CDやDVDも登録したので「冊」は正確ではないですけど。

    「イエスの生涯」遠藤周作

    ひとりの無力な男が、神の子と信じられ信仰の対象とまでなったその道のり。
    奇蹟を起こせなかった。病を癒せなかった。弟子にすら裏切られた。そんな、男の生涯。

    遠藤周作はエッセイから入って、小説もいくつか読んだけれど、この「イエスの生涯」が今のところ私のベスト遠藤周作なのだと感じています。
    私事ですが、幼い時分から私とキリスト教には何度か縁があって、つかず離れずというよりはむしろついたり離れたりをくりかえし、一時は洗礼も受けたけれど、結局棄教して今に至ります。キリストを信じないとか聖書を否定するとかではなく、心のどこかで私にとっての神は今もなおイエスなのだろうけれど、聖書の教えを尊ぶけれど、しかしキリスト教には、教会には、属さない。そんな距離感。
    この一冊の本を読んだことで、この私とキリスト教との距離の取りかたは、背を押されたような…そんな感覚を持っています。遠藤周作からすれば不本意な読み解きかただったでしょうけれど。

    それが神への恨み言であろうとも、「神よ、あなたを信じません」という宣誓であろうとも、神にむけた心からの言葉は祈りなのだ、と。

    「主よ、私はあなたを信じません」

    そんな祈りを私は今日も心に満たしています。

    • 猿川西瓜さん
      イエスの生涯は、私も興奮して読んだのを覚えています。パゾリーニの奇跡の丘とつながるものを感じました。
      イエスの生涯は、私も興奮して読んだのを覚えています。パゾリーニの奇跡の丘とつながるものを感じました。
      2018/08/18
    • とーのあまねさん
      >猿川西瓜さま

      ひとは救われたかったり幸せになりたかったり楽になりたかったりで、宗教に身を寄せるのだと思いますが、逆に幸せや救いのため...
      >猿川西瓜さま

      ひとは救われたかったり幸せになりたかったり楽になりたかったりで、宗教に身を寄せるのだと思いますが、逆に幸せや救いのために神を求める心は信仰と呼べないのではないかと、個人的に心のどこかで感じています。「イエスの生涯」は、読み終えたときに、心がそういった呪縛から解かれて一気に楽になったことを、そして楽になったはずなのに、神に再び縛りつけられてそれこそ十字架の如き途方もない重みを負わされてしまったのだと思い知らされたこともまた覚えています。
      「パゾリーニの奇跡の丘」は寡聞にして知らなかったため、調べてみたら映像作品なのですね。映像ものはちょっと苦手なので、この後、観る機会があるかどうかわからないのですが、心にとめておきます。

      コメントありがとうございました!
      2018/08/19
  • 小説というよりは評伝である。
    しかし、明確な問いが立てられ、それに明敏な答えを与えている点では学術論文にも等しい。
    遠藤周作は小説家だけではなく、なぜ哲学者にならなかったのだろうか。
    当世の安っぽい社会学者や思想家とは異なる、ちいさき者への優しさがある。

    イエスの名前やその最期を知ってはいても、なぜ磔刑に処せられたか、弟子に裏切られ、また復活の伝説が興されたのか、その詳細は日本ではあまり知られていない。

    『侍』でも描かれていた、現世利益をもとめる仏教観と、奇蹟でなく
    苦悩と悲哀に寄り添うキリスト教観の違い。
    イエスの愛は現代のキリスト教ではゆがめられている気がしないでもないが。

  • 初版時に読了。再読。
    今もなお魂が揺さぶられる作品。
    遠くガリラヤで何の罪もない無抵抗の一人の男が
    十字架にかけられ処刑される。
    彼は後のイエス・キリスト。
    『英雄的でもなく、美しくもなく、
    人々の誤解とあざけりと、
    唾の中で犬の死よりもみじめで醜悪な形の死』を、なぜ彼は受け入れたのか?
    なぜ弟子たちは奇跡を起こせなかった無力のイエスを師’と尊び迫害に耐えながらも、過酷な布教活動に命を賭けたのか?

    なぜ?なぜ?なぜ?

    クリスチャンである遠藤文学の重要なテーマになった‘無力のイエス’。
    渾身のペンで綴るその文章からは遠藤氏の血がにじんでいると思えるほど。
    クリスチャンの方々から抗議を受けたと聞きますが、キリストは神である前に、神になる前に、懊悩する‘一人の人間’でもあったことを教えてくれます。

  • ヨーロッパなどの先行研究に触れながら、著者自身のイエス像を客観的な筆致で描く。
    受難物語では奇跡をみせずに、自らが架けられる十字架を自ら背負い、ゴルゴタの処刑場に向かったイエス。著者は、聖書はイエスの無力を積極的に肯定しながら、無力の意味を我々に問うていると指摘する。また、彼の生涯は愛に生きるだけという単純さをもち、愛だけに生きたゆえに、弟子たちの眼には無力な者とうつった、だがその無力の背後に何がかくされているかを彼らが幕をあげて覗くためにはその死が必要だったのである、とも指摘している。
    その答え、残念ながら今の自分には確たるものがない。

  • 初めて読んだ遠藤周作の著作はこれで、十代の頃感銘をうけた本のひとつ。
    感情も、宗教に対する考え方も、ぐらんぐらんに揺さぶられた。
    私は多くの日本人が決して無宗教というのではないと考えるほうだ。それゆえに一神教に云う信仰を抱いているとは決していえないとも。
    遠藤周作はそんな日本人のためにイエスに着物を着せる試みを続けたひとだ。

    大人になったいまも信仰については実感としてよくわからない。実感としてわかる日なんておそらく来ないし、その必要はないだろうとも思う。そのくらい経験と文化の壁は厚い。けれど当時わからぬなりに本作を読んで、ひとつだけ身近なものにその類似形を知っていると思った。物語だ。物語と信仰は、救済の構造の一面でよく似ている。
    氏の言にもあったが、人のいちばんの苦しみは自らの懸命さが誰にも見られていないということだ。イエスは常に信仰者を見守る。徹底的に無力で、虐げられ、過酷な生のなかでも愛を失わない存在として、その生を最期まで見届けた者の内心に転生し、信仰というかたちをとることでひたすらに自身を信じる者の人生を見守り続ける。
    翻って物語のなかでは、誰の目もない孤独のさなかで意味の無さに苦悶しながら死ぬ者も、必ず読者に見られている。物語と読者の関係は時に自己投影や共感によってその立場を反転させながら、信仰と似た構造を維持している。映画も漫画も小説も、そして聖書も。
    信仰の高邁は永続的な問いを超克しながら連続される点にこそあると思われるし、一般的な物語の効果までを同じ土俵で語るのはあまりにインスタントでナンセンスだ。
    けれどこの部分的類似の根元、物語のつまらないや面白いや、信仰の有無や相違をもっともっと遡ったさきには、大昔から脈々と同じ祈りが流れているんじゃないかと思う。生を全うしようとする生きものの、かほそいそれがいく筋も集った奔流。遠藤周作はごく自然に私の手を引いて、その奔流に浸からせる。そうしてから振り返って見るイエスというひとは、だからいつのまにか私に親しい。

  • 聖書に何度かチャレンジしては挫折しているので、キリスト教的考え方が自分に合わないとは自覚している。特に聖書は信者向けの読み物で、読者がイエスを尊敬し崇拝していることが前提になっているから、どうして人々がここまでイエスを信じるのかがわからなかった。
    しかし、この本で描かれるのはそれとは違う。一人の人間としてのイエスの人物像や生き方、イエスが「なぜそうしたのか」に焦点を当てていて、奇跡物語はほとんど取り上げていない。代わりに当時の時代背景がよく説明されているし、イエスが何を感じていたのかを著者なりに解明しようとしている。イエスを、崇拝すべき対象としてではなく、かつて確かに生きていた一人の男として捉えている。おかげで信者でない私も、歴史上の一人物の伝記を読むように、先入観にとらわれずにイエスについて知り、思いを馳せることができた。

  • 新約聖書にある4人の福音書をもとに遠藤氏があらためて自らの経験と、信じるものとを織り込んで書き記した、もうひとつの福音書とおもって何度も何度も読んでいます。史実じゃないことが書かれているだとか、弟子たちはこんな事は考えていない、だとか固い頭で読んではいけません。向かい合っているものは過去に確実に存在したイエスという方の足あとを遠藤氏を通じて遠藤氏の言葉で書かれたものです。キリスト教を知るには聖書をひたすらに読むとくのが正解でしょう。ですがこの一冊で聖書の読みどころを是非見つけていってください。遠藤氏が「美しい」と評している聖書のシーンを読むだけで僕はあの方の笑顔を前にしたような気持ちになりました。

  • 一人の人間としてのイエス・キリスト像。
    奇跡を起こす救世主ではなく、
    無力でありながら、それでも神の愛を説こうとしたイエス。

    主観的な解釈や希望的な想像は多分に含まれているとはいえ、
    著者・遠藤周作の語るイエスの姿は、キリスト教に馴染みのない日本人である私にも、無理なく受け入れることができる。
    合理的かつ現実的な解釈だと感じた。

    著者が提示してくれる謎。
    人として生き、人として死んでいったイエスが何故、神になったのか。
    イエスの言葉に感化されながらも、その全てを理解し得なかった弟子たち。
    ありふれた人間、弱く脆い人間であった彼らが、
    イエスの死後、イエスを神格化し、どんな苦難にも耐えうる宣教師になることが、何故できたのか。
    聖書に『復活』と表わされるその真意とは。
    その答えを本書が答えてくれているとは、思えなかったが、とても興味深い謎であるということを気づかせてくれた。

    解説で、遠藤周作がエッセーの中で、キリスト教信仰を母から着せられた洋服であると語ったと紹介されている。
    信仰が服のようなもの、という喩え。
    愛する人から渡され、当たり前のように着ている服。
    成長するとサイズが合わなくなってしまった服。
    服の趣味が変わることだってあるだろう。
    同じ服、あるいは似た服を着続ける人もいるだろう。
    なるほど、この喩えはおもしろい。

    「西欧キリスト教」というだぶだぶの洋服を、長い年月かかって和服に仕立て上げたこの遠藤氏の作品は、キリスト教の日本文化への文化内開花の上で、まさに大きな足跡を残したものといわねばならないであろう。
    ・・・・・・・264頁「解説」より

    私もその和服がとても良くできていて、素晴らしいものだと思った。

  • 作者の既存作品の紹介を公演した記録や、文豪達との様々な交流を通して神をテーマとしたエッセイの様に語りかけ。
    この書籍からドストエフスキーや吉行淳之介に出会えるとは思っておらず嬉しく楽しい読書でした。

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著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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