イエスの生涯 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123165

感想・レビュー・書評

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  •  イエスが育ったナザレの街でイエスが見たものは、貧しき者は不幸であり、泣く人が慰められない現実である。ユダの荒野に行った際も、生きるものの何一つな死海とその背後の山々は怒る神、罰する神、裁く神しか暗示していなかった。旧約の世界が抱き続けたこのあまりに厳格な父なる神のイメージ。それを受け継いでいる洗者ヨハネとその教団。その中でイエスは彼らに欠けているものを見抜いておられた。だが、『神の愛』とか、『愛の神』とかを口で語るのはやさしいのだ。過酷な現実に生きる人間は、神の愛よりもはるかに神の冷たい沈黙しか感じない。過酷な現実から愛の神を信じるよりは、怒りの神、罰する神を考えるのがたやすい。だから旧約の中で時として神の愛が語られても、人々の心には恐れの対象となる神のイメージが強かった。心貧しき人や泣く人に現実では何の酬いがないように見えるとき、神の愛をどのようにしてつかめるとうのか。イエスはこの矛盾に気づいた。ここでイエスは、自分の生涯を貫くテーマとして、愛の神の存在をどのように証明し、神の愛をどのように知らせるかにかかっていた。現実に生きる人間の目には最も信じがたい神の愛を証明するためにイエスがどのよに苦闘されたか、それがイエスの生涯をつらぬく縦糸なのだ。

     洗者ヨハネは、聞くものを震え上がらせるような威嚇(神の裁き、怒り、罰の暗示)の言葉を発する。だが、イエスの宣言は福音である。福音とは字のごとく、悦ばしき事の知らせだ。神の罰や怒りなどには少しも触れていない。ヨハネとイエスを並べてみるとき、われわれは、暗い宿命を背負った旧約の世界がついに終わったというように感じる。長い世が明け、光が差し込んだという印象を受けるのだ。ユダの荒野とは余りに違うガラリヤの湖畔のそれを思い浮かべる。ガラリヤの湖畔は、羊の群れが草を食み、湖に影を落とすユーカリの木。野には黄色い菊やコクリコの赤い花が咲き乱れている。遠い湖には漁師の舟が浮かんでいる。人間はかくも悲しいのに、自然はかくもやさしい。マタイ福音書の11の28に『重荷を背負うている全ての人よ、来なさい私のもとに、休ませてあげる、そのあなたを』とかかれたイエスの言葉を読むとき、我々は湖のほとりに立って両手を広げたイエスの姿を思い浮かべる。

     イエスは、次第に彼らの夢の対象となった。それぞれの者達がそれぞれのユメをイエスの上に託した。大部分の住民達にとってイエスは洗者ヨハネやかつての預言者と同じ様に、あるいは自分達の指導者となるかも知れぬ人だった。民族主義者の目には、イエスはやがてローマをパレスチナから追い、ユダヤ人の誇りを取り戻す可能性のあるひとだった。熱心党の連中はイエスは自分達の武力行為を支援するリーダーとして考えたかもしれなかった。そして女や老人達にとってはイエスは力ある業を示し、病気を治してくれる聖者のように思えた。これらの誤解の渦の中でイエスの布教ははじまった。イエスはおびただしい群衆に囲まれ、自分が如何に誤解されているかをその悲しみのうちで知っておられた。

     群集がこれまで育ったユダヤ教は、愛という概念を決して無視はしていなかったが、愛を最高のものとして信仰するものではなかった。『心貧しき人』『柔和な人』『泣く人』『心清き人』だけをかくも高めて考えることもなかった。だから私は皆さんに言いたいとイエスは言葉を続けた。『敵を愛そう。あなたを憎む人に恵もう。あなたを呪う人も祝そう。あなたを讒する人のためにも祈ろう。右の頬を打たれたれば左の頬を差し出そう。上着を奪う人には下着をも拒まぬようにしよう』と。このような愛の教えを人々はいかなる律法学者からも祭司からも聞いたことはなかった。この愛の原理は、人間には不可能な全身的な誠実、純粋、真実、自己否定を求めるものだった。『すべてをあなたに求める人に与えよう。あなたの物を奪う人から取り戻さないようにしよう。他人にしてもらいたいことを、そのまま他人にしてみよう。自分を愛する人を愛するのはやさしいことなのだ。自分に恵む人に恵むことはやさしいことなのだ。しかし、敵をも愛し、報いを望まず恵むこと、それが最も高い者の子のすることではないのか。許すこと、与えること。』おそらくこれは人間にはなすことの不可能な愛の呼びかけだったのだ。群集は動揺した。イエスからこのような答えが返って来るとは思わなかった。自分達がそのユメを託したイエスのイメージと余りにも違っていた。イエスに対する民衆の幻滅と離反して、イエスが最終的に十字架に掛けられるのであった。

     作者は本書では、事実と真実という言葉を用いている。聖書には、真実が書いてあるのであり、それが本当に起こった事なのか、どうかは、ハッキリはしない。ただ言える事は、真実ではあるということなのだろう。イエスの生涯を記すと、こんなことはありえないという事実かどうかに基づいた検証をするか、はたまた、目の見えない人を見えるようにしたことは事実だ、と奇跡は全て本当にあったことだ、と全て事実と捉える事の両極端になりがちだが、著者はそのあたりは、事実と真実という上手い言葉に置き換えて書いている。イエスの生涯をざっとつかむには良書だといえよう。

  • 日本人でありながらキリスト教に魅入られた人というのは、おそらく本場のキリスト教の価値観で育った人たちとは違うキリスト教を信仰するのだと思います。遠藤周作の語るキリスト教は、私たちには馴染みやすいのですが、他の作品を呼んでみるとやはりキリスト教としては異端なのかもしれません。

  • 1994年 頃

  • イエスは裏切られ、売られ、罵られ、政治犯として捕縛され、十字架に掛けられて死んでゆく。生前、数々の奇跡を起こしてきた彼が、この時は何一つ奇跡を起こせない。主に問いかけても、その声は聞こえない。
    これは正に、イエスにとっての「沈黙」に他ならない。
    何故、主は沈黙を守るのか。
    たとえ我が身が滅びようとも、主を慕うこと、それが信仰という事なのか。
    事前の予想に反して、客観視点、研究者視点での記述であった。

  • カトリックの信者であり、『沈黙』などの著作で日本人にとってキリスト教を信仰することの意味を問うた著者が、イエスの生涯について語った著作です。

    著者は、聖書に記された奇跡物語のうちに、現世的な価値に捕らわれた人びとと、「神の国」へと目を向けようとするイエスとのすれ違いを見いだそうとしています。また、ユダの裏切りにもこれと同じ問題がひそんでいるのではないかという解釈を打ち出し、さらにイエスの処刑後、こうした人びとの誤りに対して「愛」をもって答えようとしたイエスの姿が使徒たちの心のなかに「復活」の信仰をもたらしたと語られています。

    洗礼者ヨハネが「父」の原理を説いたのに対し、イエスは「母」なる神を説いたという著者独自の解釈は、賛同できるかどうかはさておき、著者の小説を読み解くための重要な視点を示していることは間違いなく、そうした点から興味深く読みました。

  • イエスの哀しみに満ちた生涯。なぜ彼は無力であり続けなれならなかったのか。奇跡ありきで語られない事実としてのイエスの生涯。

  • 聖書にあるイエスの記述に関して遠藤氏の見解が述べられている。正直、ある程度聖書やキリスト教に精通してないと、面白く読めないのではという印象。私はそこまでキリスト教のことに詳しくないので、大学の教科書を読んでいるような感じだった。

  • 「つらい現実があるのに、どうして神の愛など信じれよう。
    なぜ、神は沈黙をつらぬくのか?」
    「なぜ、生前のイエスを理解せず、彼に背をむけた弟子たちがイエスの死後、信仰に目覚めたか?」

    この二つの問いをテーマにイエスの生涯を、遠藤周作が小説家の立場で描く。

    遠藤周作のキリスト教の解釈には賛否両論あるみたいだが、私はこの解釈が好きだ。「許し」や「愛」を説いた、決して攻撃的な教えではないと解釈している。

    「沈黙」が理解できない方は本書を読むといいかもしれない。
    また、本書の謎解きが「沈黙」であるとも思う。

    ミステリーとしても面白い。

  • 遠藤周作のなかにあるイエス像と、わたしのなかにあるイエス像はなんでこんなにも近いのだろう、といつもおもう。無力でぼろきれのようで弟子にも失望されて、当然ユダヤ民族の反ローマ主導者ではなく、弱い人のそばにいて苦しむ人のとなりで祈っていて、でも無力で失望される。しかしその命をもって全てを救済しようとするあまりにも深く溢れ出る人間への愛。現代人はキリスト教なんて、宗教なんて、と馬鹿にするけれど、究極的な意味での人間の救済はやっぱりお金にも権力にも他人の愛にも求めることはできないのかもしれない、そんな時代に示唆するものはとても多い気がするのだけれど。新約聖書の福音書のイエスの復活まで、つまりほんとうにイエスの生涯をこと細かに書いていて、わたしはなにかそれを追うにつれ心がみたされていく、そんな感覚。ユダに対する記述がほんとうに視点の転換だったけれどもすっと腑に落ちて感動した。定期的にキリスト教に触れる意味を今一度問い直した一冊。

  • ミュージカル"Jesus Christ Supersta"の副読本として、買ったものの長い間積読だったものをようやく読了。判りづらい箇所はあったが、聖書とは何か、キリストとはどんな人物なのか、知ることが出来ました。少しずつ、遠藤周作を軸にキリスト教について読み進めて行きます。

著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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イエスの生涯 Kindle版 イエスの生涯 遠藤周作
イエスの生涯 単行本 イエスの生涯 遠藤周作

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