侍 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123257

感想・レビュー・書評

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  • 「沈黙」のテーマ「神の存在の有無」に対し「侍」は「宗教とは何か」という問いかけの小説だと思います。

    キリスト教のお話でありながら、日本の宗教観についても描かれていて、「なぜキリスト教は日本に向かないのか」をヴァレンテ神父が語る場面は、深く頷きながら読みました。ヴァレンテ神父の語った日本の宗教観や社会構造は現代日本に脈々と受け継がれているものがあるのを感じました。

    また、江戸時代の日本社会の陰湿な部分を、政府上層部や役人の描き方や、暗く冷たい建物の描写で表してるところがすごく印象に残りました。

    でも正直読みながらずっと思ってたのは「ベラスコのせいでこんな事に…!!」ということです。こいつさえいなければ…!!そして、やはり宗教の押し付けは古今東西良いことがない。
    ただし、最終的には実はベラスコは自らの信仰と布教において勝利しているところがまたこの小説のすごいところです。
    「侍」は最期、何を、誰を思ったのでしょうか…
    残酷な現実と絶望の向こう側に真理が少しだけ見えるような描き方が素晴らしかったです。

    神とは、宗教とは、日本とは…考えさせられる一冊です。

  • 策士で出世欲をにも駆られたエスパーニャ人宣教師。その宣教師と共にノベスパニアへ旅立つ四人の伊達藩使者たち。
    宣教師と日本人も旅立つ目的は全く異なるもの。

    現世の利益のみにだけしか宗教心を持たず、無表情で寡黙、狡猾とも表現される日本人。
    侍とは、日本人とはそういう存在である事が時に哀れに表現されつつも、例え袂を分かつ仲間でさえもその強さに魅了されてしまう。

    『沈黙』に続き手にした作品。
    宗教とは?信じるものとは?そもそも信じるものが現実世界に必要なのか?存在するのか?
    筆者の狙いは別としても、考えずにはいられない謎が浪漫を導く一冊。

  • 慶長遣欧使節の一員としてローマにわたった支倉常長をモデルとした小説です。

    宣教師のベラスコは、現世を超越したものへの関心をもたない日本人にキリスト教の信仰にみちびこうとする強い情熱をもっていました。同時に彼は、布教のためには手段をえらばない、策略家でもありました。そんな彼のもくろみが功を奏して、陸前の港からノベスパニア(メキシコ)に向けて、使節が派遣されます。使節の役目を果たすことになったのは、召出衆と呼ばれる不遇の「侍」であった長谷倉六右衛門をはじめとする四人でした。長谷倉たちは、ベラスコに不信感をいだきながらも、海外との通商の窓を開くことを決意した藩主の親書をもって海をわたります。

    その後一行は、大西洋を越えてヨーロッパへわたり、さらにローマ法王に謁見することになります。しかしそのころ日本では、幕府が禁教政策の強化に動き出し、主君の命を果たそうとする長谷倉たちの思いはむなしく終わります。そしてベラスコもまた、日本人をキリスト教の信仰にみちびくという望みがついえたことを知ります。

    ベラスコに対立するペテロ会のヴァレンテ神父との討論では、キリスト教がけっして根づくことなく、いつのまにかそれを伝統的な信仰に変えていってしまう日本という風土にかんする著者自身の見かたが示されています。野心的な宣教師が経験することになったの挫折と、当初は簡単にわかりあうことがないように思えた「侍」の悲劇的な運命が交わるというストーリーの運びかたが見事な作品だと感じました。

  • 侍って作中にあえてでているのはなぜなんだろう。
    安土桃山時代に主君の命とはいえ、異国に行けといわれどんな気持ちだったろ。
    実話に基づく話でこんな日本人がいたことを知らなかった。時代の流れに翻弄され無念だったろう。
    ローマに残るのも心残り。不本意にキリシタンになりそこの地で暮らすのも不本意。行き場のない気持ちがえがかれていた。
    キリスト教にとって、インディオの村も日本も野蛮で改心させねばとおもわれていたんだな。何故ほっといてくれないのかと悲しい。

  • 戦国時代、藩主の命令によってローマ法王への親書を携えて海を渡った東北の貧しい侍の話。侍から見た世界、キリスト教とは。4人の侍の性格の違いとたどった道筋の違い、そして太平洋から南米大陸、大西洋、ローマへの長い旅路の様子も興味深い。
    忍耐強い侍の心理描写や従者との信頼関係も印象に残った。

  • [初版(第1刷)]昭和61年6月25日

  • 『沈黙』と同様、読後に心に重くのしかかる1冊だった。遠藤周作の作品を読むたびに信仰とは何かを考えさせられ、カトリックである私は自己の信仰を見直すことになる。ここでは、使節団がノベスパニヤで出会った元修道士が語るように、自分は「教会や神父たちの説くイエス」は信じておらず、自分の信じるイエスは「金殿玉楼のような教会におられるのではなく、このみじめなインディオの中に生きておられる」ということ。信仰の原点を知らされた思いがした。

  • 以前、映画が公開された事もあり沈黙を読んだ。切支丹禁制の中の重い考えさせる話だった。この侍という本は、キリスト教から行き着いたのではなく、メキシコ、バチカンまでの航海の方からたどり着いた。この本の解説によると支倉使節団については資料が少ないらしい。支倉が書いた日記も処分されてしまったらしい。もったいない。使節団として送り出されたのに状況が変わり、帰ってからの不遇。現代のサラリーマン社会にも通じるな。可哀想。ここでも沈黙同様、運命に翻弄されるキリスト教徒の信仰についての苦悩が語られる。航海の記録というより、こうした神をどう理解するかというところに主眼が置かれている。考えさせられる一冊。しかしこの使節団が無事に日本に戻ってくるのは素晴らしいことだ。

  • 久しぶりに読んだ遠藤周作。
    さすがというか、やっぱり文豪。
    40年たっていても、文章が生きている。
    しばらく、遠藤文学を読み直してみようと思う。

  • 這本書是支倉常長的故事改編。主角身為東北鄉間的貧窮武士,沒想到被選為渡墨要求通商的使節。傳教士ベラスコ野心勃勃,希望藉由操縱使節團加上通譯身分,能被任命為日本當地的主教。然而沒想到旅途是整路的挫折與無意義,渡墨再度歐,在西班牙、羅馬,漸漸越來越失去希望,然而大家依然默默地前進。一路的失敗,整路看到那個瘦弱男人的雕像,主角並沒有任何感覺也無法理解,然而為了遂行任務受了洗,在墨西哥遇到亡命的日本基督徒,其逃離教會與教條然而卻依然信仰基督。ベラスコ也受到很大的打擊,變得沉默寡言,然而這些挫折也使他重新思考身為基督徒的意義。最終回到日本更是徹底的絕望,沒想到一出國政策早已改變,出國乙事反而變成大家不願提起的事,然而海外的見聞已經徹徹底地改變了主角,已經回不去了。最終主角被追究受洗一事,ベラスコ也潛回日本並殉教,然而主角到那時在真正理解墨西哥日本人所說的話,宗教是個人、私密的、思索的,而無論你再無助再絕望,也只有那個人永遠不會背棄你,永遠伴你一程。這本書正是之前讀的基督生涯的結尾所述說的,也因此遠藤極度嚴肅認真地挖掘並面對宗教,然而卻能總是保持信仰。生命是孤獨而苦澀的,甚至多半時刻是荒唐而可悲的,然而只有那個人會永遠一路相伴,這也是無論環境世界如何改變,都能保持信仰的理由。

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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