侍 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 98
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123257

感想・レビュー・書評

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  • 人生賢く強かに立ち回って生きた方が得だと思った。
    なぜ神を信じられるのか今まで疑問だったが、遠藤周作が書くキリスト教ならば信じたくなる人の気持ちも分かる気がする。
    しかしやはりキリスト教を受け入れ難く思う。自分は遠藤周作が指摘する日本人像そのものなのだろうか。必要とされていない場所に、キリスト教を布教しようとするのは傲慢だと思う。

  • 2017 3 28
    7冊

  • 務めのため異国に渡った侍の話であり、宣教者の信仰の話でもある。
    長谷倉(支倉)はスペインに渡って同化するどころか、その文化とも信仰とも、交わるところはない。翻弄されても日本人であろうとする姿は、今はなき侍の矜恃である。
    そこかしこに神がおり、人間以上のスーパーマンは不在の日本に、キリスト教は馴染まない。異文化を通じて日本人というものが浮かびあがってくる。

  • 重い、暗い話だ。
    宗教と自分の虚栄心、また社会制度の中で揺れ動く主人公達。
    真面目だ。
    神なのか家なのか、自分の屋台骨となる信念を持っている人たちはすごい。現代人にはあまり無い感覚だ。

  • 時代はまさに,家康が幕府直轄領に切支丹の教えを禁じだした時である。そんな時代,布教に対し,命をかけなければならないような日本に,宣教師ベラスコ(実在したルイス・ソテロ神父)がキリストの教えを広めるため,そして自分の栄達のため,策謀を張巡らせつつ,本当のキリストの教えとは何なのか悟っていくていく物語。また,そんなベラスコの熱意に対し,侍がどのようにイエス・キリストのことを考えたか。日本人の心がどのようにキリスト教を捉えているのか,日本人特有の現世利益を求める姿を例にあげつつ,侍の心とベラスコの心を交互に捉えながら話は進む。

    当時,本来であれば,日本は宣教師であるベラスコを追放するべきなのだが,利用価値があるとして,通詞の役目を与え,ノベスパニヤとの通商を始めようとしていた。幕府直轄領では禁教するが,その他の国ではお咎めなしという都合のよい施策を打っていた。このため,江戸を追われた信徒は西国や東北に逃亡することも黙認していた時代だった。

    フランシスコザビエルが,半世紀前に日本に上陸し,この国の伝道はすべてザビエルの創設したペテロ会が独占してきたが,十年近く前に法王のクレメンテ八世が他の修道会にも日本への布教を認め,ペテロ会と他の会との軋轢が増した時代である。ベラスコはペテロ会と対立するポーロ会の宣教師で,日本での布教が厳しくなったのは,ペテロ会が長崎に植民地に等しい土地を得ていたためだとなじった。九州を占領した秀吉は,布教に名を借りた侵略だと激怒し,禁教令を布いた事は周知の事実である。ベラスコは,自分に任せておけば,日本人をうまく操れる,日本人には利益を与え,我々には布教の自由をもらうといった取引を自分は巧みに行うことが出来ると思っていた。国家は宗教を利用し人々を支配し,宗教は国家を利用し布教を進めようとする。宗教が広まっていくのは,先進国の技術を途上国は輸入させてもらう代わりに布教の自由を与える。宗教と国策は切っても切れない縁で繋がっていた。

    ベラスコも同じように,布教を許してもらう代わりに,ノベスパニヤとの通商の道を開けと藩主伊達政宗に言われる。これによりノベスパニヤ行きが決定したわけだが,それには日本の使節が必要になる。そこで選ばれたのが,本書の題名になっている”侍”こと長谷倉六右衛門(実在した支倉六右衛門のこと)だ。
    船の中でベラスコは日本人がキリスト教に興味を持つだろうと思っていたが,そうはならなかった。日本人は幸福の意味とは現世の利益を得ることであり,それは富み,戦に勝ち,病気が治ることで,それらを目的とした宗教なら受け入れるが,超自然なもの,永遠に対してはまったく無感覚である。その現世利益のためだけに,使節団と共にノベべスパニアに渡った商人連中は切支丹になった。役に立つものなら,何でも取り入れるという日本人独特の考えである。薬師如来も病気平癒のため崇められる。宗教に現世利益を求める日本人は,キリスト教の言う,永遠とか魂の救いとかを求める宗教は生まれない。ましてや復活など。ペテロ会は当初はそんな日本人の特性に対し,鉄砲を売り込み,その代わりに宗教を広める許しを得てきたが,利権確保をやりすぎて失敗したのだ。

    ベラスコがキリスト教を日本人にも広めようとする中,侍は,無力でみすぼらしいキリストの姿に神々しさも尊さも感じない。美しい仏像にはおのずと頭が下がる思いがするし,清らかな水の流れる社の前に立つと手を打つ気分にもなれる。日本人は本質的に人間を超えた絶対的なもの,自然を超えた存在,切支丹が超自然と呼んでいるものに対する感覚がない。反対に,この世のはかなさを感じること,はかなさを楽しみ享受する能力を合わせ持っている。持っているだけでなく,その能力があまりに深いゆえに日本人はそこに留まることの方を楽しみ,その感情から多くの詩を作る。そこからは決して飛躍しようとはせず,飛躍して更に絶対的なものを求めようとは思わない。日本人は人間と神を区分けする明確な境界がないのだ。人間はいつかは神になれる,近づける存在だと思っている。だから日本人は,人間とは次元を異にしたキリストという神を考えること,捕らえることが出来ない。

    日本人は決して一人では生きていない。『彼』という一人の人間は日本にはいない。彼の背後には村があり家がある。それだけではなく,死んだ父母・祖先がいる。その村,家,父母,祖先はまるで生きた生命のように彼と強く結びついているのだ。彼とは一人の人間ではなく,村や家を背負った総体なのである。フランシスコザビエルが日本で布教を始めたときぶつかった最も大きな障碍はこれだった。日本人たちはこう言った『切支丹の教えは善いものだと思う。だが自分は自分の祖先がいない天国に行くことは祖先を裏切ることになる。死んだ父母や祖先と自分たちとは強く結びついている』と。これは単なる先祖崇拝ではなく,強い信仰といわず何と言おう。

    侍をはじめ,多くの日本人は,キリストの,あのようなみすぼらしい,みじめな男を敬うことが出来ない。あのように痩せた醜い男を拝むことは出来ない。しかし,切支丹はこう言う。キリストがみすぼらしく生きられたがゆえに信じることが出来る。醜く痩せこけ,この世の哀しみをあまりに知ってしまったキリストは,人間の嘆きに眼をつぶることが出来なかった。だからキリストはあのように痩せて醜くなられた。もしキリストが自分たちの手も届かぬほど,気高く,強く生きられたなら,切支丹とはならなかったと。キリストは生涯みじめだったゆえに,みじめな者の心を知っている。みすぼらしく死なれたゆえに,みすぼらしく死ぬ者の哀しみも知っている。キリストは決して強くもなく,美しくもなかった。キリストは一度も心驕れる者,充ち足りた者の家には行かなかった。醜い者,みじめな者,みすぼらしい者,哀れな者だけを求めておられた。泣く者はおのれと共に泣く人を探す。嘆く者はおのれの嘆きに耳を傾けてくれる人を探す。世界がいかに変わろうとも,泣く者,嘆く者は,いつもキリストを求める。そのためにキリストはおられるのだと。

    後段で著者はベラスコに自分の嘆きとも言える言葉を吐かせている。今はキリスト教の司教も司祭も心は富み,心は充ち足りている。今あるキリスト教は,かつてイエスキリストが考えられた姿ではないと。

  • 支倉六右衛門(常長)をモデルにした小説.
    慶長遣欧使節として,ドン•キホーテの時代のスペインや,バロックの都であったローマを訪れた日本人への興味があって読む.
    しかし,この小説では「訪れた」というよりは「無理やり行かされた」面を強調している.巻末の解説によれば,実際どのような旅であったかは,資料が少なくてはっきりしない部分が多いらしい.この小説では,ひたすら苦難の連続の旅として描かれている.静かな生活を望みながらも,政治に翻弄され,宗教に翻弄された人生である.

  • 引っ越しなんてできない。
    偉い人には逆らえない。
    人権なんてない。
    時代の流れが人生に大きく影響する。

    ありきたりだけど、なんて現在は自由なんだろう。

    侍。
    良い言葉。

  • 侍魂の難しさ

  • 小説。キリスト教に興味ある人向け。

  • 最後の方に「私も人間である」的なことが書かれている部分などは胸を打つものがあります。

著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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