侍 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123257

感想・レビュー・書評

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  • 人生賢く強かに立ち回って生きた方が得だと思った。
    なぜ神を信じられるのか今まで疑問だったが、遠藤周作が書くキリスト教ならば信じたくなる人の気持ちも分かる気がする。
    しかしやはりキリスト教を受け入れ難く思う。自分は遠藤周作が指摘する日本人像そのものなのだろうか。必要とされていない場所に、キリスト教を布教しようとするのは傲慢だと思う。

  • 物凄く面白かった。キリスト教との関わりの中から、他の作品と同じように、日本人の本質をことごとく見事にあぶりだした作品だったと感じる。

    30年近く日本で布教活動をしてきたヴァレンテ神父の「日本人はこの世界の中で最も我々の信仰に向かぬ者達です。彼らにとってもし、人間以上のものがあったとしても、それは人間がいつかなれるようなものです。たとえば彼らの仏とは、人間が迷いを棄てた時になれる存在です。日本人は決して1人では生きていません。彼の背後には村があり、家があり、彼の死んだ父母や祖先がいて、彼らはまるで生きた生命のように彼と強く結びついているのです。一時的にであれ改宗したはずの彼が、棄教してもとに戻ったとは、彼がその強く結びついた世界に戻ったということです。」という、研究結果の報告文書に近いような諦めの言葉にも負けず、熱と烈しさを持って挑んだベラスコ神父の心理描写が、刻々と変化していく様も実に鮮やかだった。

    司教就任のためにキリスト教や切支丹、さらには母国の同胞までもを世俗的に利用していたベラスコが、終盤では政治の世界で敗れはしたものの、魂の世界においては勝利したのであり、それはイエスキリストと全く同じ状況であったとする下りからも、つまりはキリスト教全体が包括する様々な価値観から、自身の人生に意味を与えるものを抽出して当て込んでいるのだと思う。「夜と霧」にあるアウシュビッツの囚人たちと全く同じで、「自分の人生に意味を持たせる」ために、神はいるのであって、安直なオプティミズムで受難を隠すためにいるのではない。そのためには時として苦しみ、嘆き、辛苦を徹底的に味わうことで、みすぼらしく痩せて困難にまみれた生涯を生き抜いたとされるイエスキリストの人生を体現し、意味を持たせることすらできる。

    言っちゃえば、人がどんな人生を歩もうと、何もかも超越した神様が見てるぞーってなればどうとでも意味づけができるんだということ。意味づけのない人生こそ、何より虚しいものだと。人生が上手く行ってれば、感謝してたらいいし、上手く行ってないなら、上手く行くために頑張る活力を与えたり、反省懺悔させて救ったり、なんだかんだで「自分はこのために生まれてきたのだ」に近いものを授けてくれる。それがキリスト教なんじゃないか。

    日本人は上にもあるように、家や村や家族あってのものなので馴染むわけがない。日本人は1人で生きていないってのは名言。その点、創価学会がここまで広まった経緯は、地方から出稼ぎで出てきた、つまり家も村も祖先も棄てた人達が共同組合みたいな成り立ちで出来たと聞く。なので地方民が集められたような街で勢力を広めていけたわけで、その点キリスト教みたいに1人で生きていかなければいけない人達を救うことができているのかもしれない。

    従者として苦心を共にしてきた与蔵がキリスト教を強く信仰していた理由は、村での人生に意味づけができていなかったからだし、最後の与蔵の一言に侍が大きく頷いた理由も、自身の労苦が報われず主従関係が反故にされたことで、人生の意味を失ってしまったからだ。人生の意味をもう一度見つけてくださいと、与蔵が侍に伝えたかったのだろう。

  • 転ぶ。

    信仰とは何か?、ということすら、生きる上で全く考えることのない、無意味なくらいの、そんな侍の社会。
    その社会で大切なのは、ただただ忠誠であり信仰とは似て非なるモノ。

    その時代の人達が。
    何故ヨーロッパに行くのか?
    キリスト教が介在したのは何故?
    危険を冒す理由があったのか?

    という事は、史実でも、まさに本文中でも、たっぷり書かれている。

    個人的に唸ったのは。

    商売の利と信仰を天秤に計る人の心理
    忠誠を示す為に信仰を選ぶ心のさざ波
    司祭同士の出世争いの場にされた日本
    功名心を信仰心で巧みに隠してく醜さ
    棄教を前提に自分自身を欺くその描写

    日本に戻った侍の心の描写が、その答えだった。
    「侍は自分が見たのは、あまたの土地、あまたの国、あまたの町ではなく、結局は人間のどうにもならぬ宿業だと思った」

    信仰と不信。
    二つのテーマが、ぐるぐると廻り、巡り、描かれる一冊でした。

    信仰があることがイイワルイではない。
    自分がどうあればいいのか?とか、信じないといけないとか、奇跡なんて科学的じゃない、理論的じゃないとか、どうでもいい。

    信仰することで救われる人がいるんだ。
    ただただ、そのコトだけを知り認める心を持つだけでいいんだと、そんな読後の感想でした。

  • 「沈黙」のテーマ「神の存在の有無」に対し「侍」は「宗教とは何か」という問いかけの小説だと思います。

    キリスト教のお話でありながら、日本の宗教観についても描かれていて、「なぜキリスト教は日本に向かないのか」をヴァレンテ神父が語る場面は、深く頷きながら読みました。ヴァレンテ神父の語った日本の宗教観や社会構造は現代日本に脈々と受け継がれているものがあるのを感じました。

    また、江戸時代の日本社会の陰湿な部分を、政府上層部や役人の描き方や、暗く冷たい建物の描写で表してるところがすごく印象に残りました。

    でも正直読みながらずっと思ってたのは「ベラスコのせいでこんな事に…!!」ということです。こいつさえいなければ…!!そして、やはり宗教の押し付けは古今東西良いことがない。
    ただし、最終的には実はベラスコは自らの信仰と布教において勝利しているところがまたこの小説のすごいところです。
    「侍」は最期、何を、誰を思ったのでしょうか…
    残酷な現実と絶望の向こう側に真理が少しだけ見えるような描き方が素晴らしかったです。

    神とは、宗教とは、日本とは…考えさせられる一冊です。

  • 沈黙とは異なるキリスト教歴史小説。
    政治の闇に弄ばれたと書くには足りない、男の生きざま。
    日本人の不気味さと誇りとを外国人の目を通し語らせているのが秀逸で、著者の目線の低さを感じる。

  • 運命を受け入れること。「侍」と宣教師ベラスコ。立場の違う二人の人生が重なり合う。

  • 201902

  • 支倉使節団として、勤めを果たすために海外へ長い旅路を経て行くが、日本に帰国したら基督教を信仰しているとして処刑されてしまう。なんとも不条理な世の中であったのだろうか?

  • 久々に読み応えのある小説に出会えた。自分の力ではどうにもならぬ運命に流されていく切ない物語。「転ばない」美学

  • 「侍」は、実在した仙台藩の支倉六衛門常長をモデルとした史実に基づく小説であり、遠藤夫人が夫遠藤作周作の著作中で最も好きな作品として挙げている。

    キリスト教に帰依したことを理由に処刑されることとなった「侍」に従者が伝える「ここからは……あの方が、お仕えなされます」という台詞について、遠藤は「この一行のためにこの小説を書いた」と後に語っている。

    「あまりにも多くのものを見すぎたために、見なかったのと同じなのだろうか」

    「日本人たちはこの海を日本を守る水の要塞にして、自分たちは土の人間として生きてきたのだ。日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせ持っている」

  • この本を教えてくれた日本史の先生のことを思い出してしまってなかなか読み返せない、悲しくない意味で

  • 主命でメキシコ・スペインへ渡った「侍」は、役目を果たすため、キリスト教へ帰依をする。しかし、旅の途中で日本の政情が鎖国へと変わり、当初の役目を果たせなかったばかりか、偽りとはいえ受洗したことが咎となり、帰国後も潜むように生きることを強いられる

  • 果たして基督教の信仰とは何なのか、苦難に対峙してもなお沈黙する神とは何なのか。時代と政に翻弄される「侍」長谷倉と烈しい信仰を持ってベラスコの眼と体験を通して日本人の宗教観が立体的に描かれる。万の神を認めて藩主を絶対的統治者とした当時の侍たちに対し、当初は使命感と意志をもって基督教布教を謀るベラスコの姿は滑稽で狡猾ともみえるが、後半になるに従って長谷倉は藩への疑義に反して信仰を問い、ベラスコは教会への不信に反して信仰を深める姿が印象的だ。

    『沈黙』と比べると直接的表現も多く、理解しやすい反面文学性はやや劣るが、『侍』のほうが会社の命令に右往左往する悲哀溢れるサラリーマンに通じるものがあり感情移入する人は多いかもしれない。

  • 藩主の命によりローマ法王への親書を携えて海を渡った一人の侍。多くのものを失い傷つき絶望し、7年もの後やっとの思いで故郷の地を踏んだ彼を待っていた運命はあまりに過酷だった。
    共に旅をした宣教師ベラスコはすごく傲慢で初めは嫌いだったが、読み進めるほどに彼の人間らしさ未熟さに興味がわく。
    宗教は好きではないが、最後に侍の心にその人が寄り添って少しでも楽になったのならいいなと思う。だけどラスト、ベラスコがその知らせを聞いたときの反応には正直がっかり。その思考は理解できなかった。
    小説としてはすごくおもしろかった。

  • 与蔵が侍に最後にかけた「ここからは……あの方が、お仕えなされます」という言葉に感銘を受けた。

  • 作者の作品、「沈黙」と双を成すキリスト教をめぐり時代に翻弄される人々の物語。あまりに無情な仕打ちを受ける主人公の侍。もう一人の主人公、野望をもったベラスコが悟りを開いていく過程をじっくり描いていて説得力があります。ベラスコが日本に再上陸することで結局は侍も残念な結果に。。侍はある程度納得しているのかもしれないが、残された家族はいたたまれないです。
    キリスト教は精神の安定を目指しているのは司教の考えであって、仏教も含め多くの宗教を信仰する庶民は現世の幸せを願うものでは、と考えてしまいます。
    人それぞれの価値観と尊厳を考えさせられる深い一遍です。

  • ベラスコの決して好転はしない危うい感じが好きで読み進めてきました。真面目一辺倒の侍。最後侍がどうなってしまったのか。

  • 2017 3 28
    7冊

  • 私の人生で、最もこころに残る作品の中の1冊になりそう。

  • 藩主の命によりローマ法王への親書を携えて、自分の狭い領地しか知らなかった侍は海を渡る。お役目達成のために受洗を迫られ、その後鎖国となった日本に戻ってきた侍の運命は…という内容。
    日本人が絶対的なものより、親族の結びつき、現世で利益となるものしか信用しないという見方は面白かった。
    宗教の受容が国、個人どのようにされたのか興味深い。

  • これまでの読本で、かなり上位にくる名作。
    侍の心理が、深く心に突き刺さる。また、宣教者達の日本分析が、五百年後の今もピタリと当てはまる。いくらグローバルを叫んでも、この日本人の本質は、先般読了した原発敗戦同様、肝に命じておく必要ありだ。

  • 支倉常長の海外渡航から死に至るまでを書いた重厚な1冊。

    これは旅行記ではなく、信仰についての問いかけに満ちている。前に読んだ「沈黙」は神の存在について考えさせられるものであったが、この本は神を信じる人間についての本にだと思う。

    ノベスパニヤにいた日本人が信じる神とローマで信じられている神との隔たりは強者と弱者の信仰の違いを語っているように感じ、そこに神という存在の不明瞭さからくる悲劇を思う。

    最後に支倉常長に寄り添う神はローマの神ではない。

    神とはなんなのだろうか。

    「沈黙」の時にも感じたが、やはり人の心の中にだけ神は存在し、そこに真実があるように思う。

    形に意味はなく、見えない部分こそが大切なのだ。

    それにしても支倉常長、全然わかってなかったが一言でいうと悲しすぎる。

  • 遠藤周作の作品は「痛快」という言葉がよく合う。
    「沈黙」よりも動きのあるストーリーなのに、なぜだろう、すごく長く感じてしまった。きっと自分の歴史の知識が乏しいことと、総じて暗いからなんだろうけど。
    遠藤周作の作品はノンフィクション風に描かれているので、まま信じてしまいそうになる。解説を見ると、船上での生活や洗礼儀式など、彼自身の体験を忠実に再現しているそう。リアリティに溢れているのも納得である。
    彼の表現は正確である以上に、人が潜在的に感じている感覚的な部分まで細かに言語化されている。こちらがとらえている人間以上の人間らしさを、まったくうまく描写してるんだよな〜とやはり痛快に思った。

  • 藩命により、日本人未踏のヨーロッパに行き、不本意のまま洗礼を受ける。苦難の末帰国した一行に待っていたのは、キリスト教禁制、鎖国した故国。支倉常長一行が長旅の末に至った信仰は、やむを得ずか、自らであろうか。2016.1.3

  • 支倉常長、どっかで読みたいと思っていたけど、事実を脚色しているとはいえ、未知の部分が多いのだから、中身を知るにはこの小説で十分だ。
    東北のしがない山中の小領主である「侍」が、メキシコ、欧州を旅して、当時世界を席巻しつつあったキリスト教の世界を目にする。
    一方、宣教師ベラスコは、現世しか見ない、神を信じない日本人にこそ、神の教えを広めたいと情熱、執念を持って旅を先導する。

    「侍」から見た時に不可解なものでしかなかったキリスト教が最後の最後で少し、政に振り回され、不条理としか言われぬ境遇に陥った時、ほんの少しだけ身近なものに感じられた。
    名前がありながら「侍」という表現で押し通したのは、彼が「日本人を代表する存在」という意識があったからだろうか。結局、ベラスコの熱情は侍には届かなかった。

    それにしても、情景から心理描写まで、もう、文章が美しい。

    ・(では主よ、私は日本を諦めるべきでしょうか。あれほど優れた才能と力とに恵まれた日本人を、あのぬるま湯のような心のままに置いておくべきでしょうか。あのい民族はなぜか私には聖書に書かれた「冷たくもあらず、熱くもあらぬ」」心を自分たちの特質として頑固に厳しく守り続けているように思われます。そんな彼らにあなたを求める熱さを……与えたいのです)P246

    ・「日本人には本紙的に、人間を越えた絶対的なもの、自然を越えた存在、我々が超自然と呼んでいるものにたいするような感覚がないのです。30年の布教生活で、私はやっとそれに気づきました。この世のはかなさを彼らに教えることは容易かった。もともと彼らにはその感覚があったのからです。だが、恐ろしいことに日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせもっているのです。その能力があまりに深いゆえに、彼らはそこにとどまることの方を楽しみ、その感情から多くの詩を作っております。だが日本人はそこから決して飛躍しようとはしない。飛躍してさらに絶対的なものを求めようとも思わない。彼らは人間と神とを区分けする明確な境界が嫌いなのです。彼らにとって、もし、人間以上のものがあったとしても、それは人間がいつかはなれるようなものです。例えば、彼らの仏とは人間が迷いを棄てた時になれる存在です。我々にとって人間とは全く別のあの自然さえも、人間を包み込む全体なのです。私たちは……彼らのそのような感覚を治すことに失敗したのです」P292

  • 『沈黙』よりももしかしたら、こちらの方が好きかもしれない。ずしーん、と心に重くのしかかってくる作品。
    自分のことや、友だちのことを考える時、信仰って一体なんだろう、と思うことがよくある。
    それでも信じ続ける理由?
    僕はまだ、よく分かりません。

  • (欲しい!/文庫)

  • 江戸時代初頭、仙台藩が送った遣欧使節の話である。主人公は、長谷倉六右衛門と宣教師ベラスコ。ベラスコの持つ、驕慢と野心、日本という困難な国で布教し、征服したいという野望。一方、侍の持つ、お役目に対する真摯さ、たとえ不条理なものでも定めと受け入れる愚直さ。この二人は対照的だが、読み終えてから気づいたのは、実は表裏一体なのではないかということ。
    物語は、月の浦から出航するまで、ノベスパニア、さらにエスパニア、ローマ、そして空しき帰路と展開していく。ヴァレンテ神父との対立の中、切り札である侍たちの洗礼がなされ、ベラスコの野望は成功し、使節団と国王との謁見が実現するかに見えた。ところが、江戸幕府がキリシタン禁制に舵を切ったことが発覚し、形勢は一転する。
    破れた悲壮さの中で、侍は御政道の現実を知る。そして、人間が求めるものは、生涯そばにいてくれ、裏切らぬものである、それがあの男の存在意義なのかもしれないと気づくのだ。
    この著作は、物語の展開や、登場人物の深さにおいて、誠に読み応えがあった。自刃で以て、自己を完結させた施設の一人田中。ベラスコは、自殺に等しい禁教となった日本への潜伏を試み、火刑に処せられる。私は生きた、という言葉を残して。それは、自殺を禁じられたキリスト教徒ベラスコの、自己完結の手段だったのだと感じる。

  • 敬愛する遠藤周作氏の代表作の一つです。本書には「アーメン小説」という偏見があってこれまではなかなか手が伸びなかったのですが、このところわたしもかなり頭がやわらかくなって参りまして、先日三浦綾子氏の『塩狩峠』(新潮文庫)にこころを揺さぶられた勢いで読んでみました。

    17世紀初頭、使節団の一人としてメキシコとスペインに渡った支倉常長という武士、ならびに支倉に同行し、最後は日本で火刑に処されたルイス・ソテロという宣教師をモデルにして組み立てられたフィクション。「侍」を主体とする三人称パートと、宣教師ベラスコ(=ソテロ)による手記の体裁をとった一人称パートが巧みに組み合わされています。

    他のレビューにも指摘のある通り、まるで救いのないお話でした。しかし、著者の信念のひとつと思われる、"一度、主と関わった者を主はお見放しにならない"(P.391)という言葉が何度か出てきます。救いのない話なのですが、そもそも救いとはなんなのだろうということを、考えずにはおれない作品です。

    人間の弱さを淡々と書き綴る、著者ならではの言葉が楽しめます。自ら選んだわけではないのに、カトリックの洗礼を受けた著者、その著者が生涯をかけて問い続けた信仰への想いが濃厚に漂っています。それなりに分厚い読み応えのある小説ではありますが、強く共感するものがありました。

    (2015/10/03)

  • 務めのため異国に渡った侍の話であり、宣教者の信仰の話でもある。
    長谷倉(支倉)はスペインに渡って同化するどころか、その文化とも信仰とも、交わるところはない。翻弄されても日本人であろうとする姿は、今はなき侍の矜恃である。
    そこかしこに神がおり、人間以上のスーパーマンは不在の日本に、キリスト教は馴染まない。異文化を通じて日本人というものが浮かびあがってくる。

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著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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