- 本 ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101123349
感想・レビュー・書評
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大友家の終焉までを通して読むと、客観的には井の中の蛙、大友宗麟自体も言ってしまえば自分の思想に政治を左右させてしまった悪君ということになるのだろうが。なかなか考えさせられる一冊である。
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下卷稍微彌補我對上卷的疑問,作者寫得還蠻客觀的。宗麟後來入信,他說到禪宗是讓堅強的人信的(可以自己靠自己徹悟),但是他知道自己的脆弱所以一定要すがる式的宗教,這點讓我馬上想到惡人正機說,其實真正就是在指這件事吧。晚年的宗麟徹底入信,但是也面臨島津家的崛起,大友家節節敗退,他最後的工作也就是向關白降伏求援之後就病故。故事最後寫到他的庸奴兒子,一會在官兵衛勸告下入門,又在關白禁教後做得相當過火(對志賀親次的忌妒這點真的很糟),秀吉鄙視他但是又為了朝鮮征伐拉攏他,最後在戰場上被貶為浪人,前坐擁六國的九州探題名家大友,連自己原本僅剩的豐後都不保,還被寄在長年仇敵毛利家的山口館(想起叔父晴英),輾轉他處。秀吉死後他被輝元引誘加入西軍,但仍在豐後慘敗,後來很慘烈地被寄到秋田、常陸,晚年想起自己的父親終於可以理解他的脆弱和入信,也自願開始苦行的生活。
綜觀上下整部作品甚至寫到兒子吉統的最後,整部的描寫把宗麟為何入信,主要個性和環境一步步寫得相當細膩,上卷覺得太過哄抬神父人格,原來是指薩維耶神父個人人格吧,下卷就沒有這種感覺了,好讀,層次井然完整,也可以感到作者腦袋真的很清楚,裁剪編織有方,另外不會太過強塞宗教的議題,因此感覺上非教徒還是可以單純享受他的作品。 -
家臣による父の暗殺、長年養育してくれた忠臣の加担、誰も信じられぬ、また父の死にほっとし、反乱者の妻女をもてあそぶ宗麟、己も信じられぬ、ザビエルの生き様が心にささり、南蛮が貿易の利をもたらさぬと知ってからの入信。日本人の心性が泥沼のようにキリスト教の教えをまげていくという「沈黙」でも語られたテーマの再出。宗麟の臨終で終わりかと思いきや、愚物とさげすまれ領国を追われた義統の最後まで、最後は父の心情を理解できたと感じたところで、幕が降りる。/しかし自分には黄金の茶室を作るほどの下賤な趣味はないことに宗麟は今の利休の嗤いで、誇りを感じ、勇気づけられた。上p21/「豊後一国でよし」上p29 /「これが神か。かくもみじめな裸の姿にて磔となった者をそなたたちは神として崇めるのか」上p104/「この国は私がゴアで想像してたような国ではなかった。この国には我々が考えもつかなかった泥沼があるような気さえします。我々が植える苗の根をいつか腐らせてしまう沼が…」上p112/「その王は戦うたことはないのか」「戦うたことはございました。しかしそれは奪うためではなく、侵す者を防ぎ懲しめるのみでございました」上p120/「戦には善き戦もあれば悪しき戦もございます」上p139/ザビエルのことを考えると遠く手の届かぬ山を歩いている孤高な人ーそんな感じを宗麟は抱く。(あのような男には余はなれぬ。だがあの男を蔑む者も余は認めぬ)上p152/一方では浄らかな世界への憬れがある。そのくせ自分でも驚くような残忍な感情もひそんでいる。一方では母なるもののやさしさへの思慕を持っているのに、同じ女性でも矢乃のような女への嫌悪と憎しみもまじっている。太守として権力を更に得たいという権勢欲望を上抱きながら謀反や死への恐怖に絶えず脅かされている。上p213-4/(余には矢乃と別れる勇気さえ持てぬ)(余には親虎のごとき信念もない)(余にとっては禅は何も与えてはくれなかった。余は和尚の申すごとく常時不動の心を、明鏡止水の境地を持つこともできなかった。解き難し、吟懐一夜の水)下p47
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上巻は毛利元就との戦いをなんとかしのぎましたが、下巻は島津が台頭してきます。とうとうキリシタンになった大友宗麟は、延岡にキリスト教の国を作ろうと目論むものの、惨敗してあえなく潰えてしまいます。
次第に老いて心の平安を求める宗麟。とうとう妻とも離縁してしまい、津久見にひっこみ息子に後をまかせるのですが…
去年の大河、黒田官兵衛でも大友宗麟が豊臣秀吉に会うシーンは上巻の冒頭にあったのですが、下巻でようやくそのシーンに追いつきます。
黒田官兵衛やその息子長政、朝鮮出兵や石垣の戦いも描かれてるので、敗者からみた去年の大河、とも言えるのかもしれません。
最後に息子吉統の行く末がかかれ、豊後の主人だった大友家の終焉で物語は終わります。
まあ吉統は戦国の武将にはむいてない男だったとは思いますが、成功した黒田官兵衛でも大した領地は与えられていないし、この時代に生き残るには相当な運と器量が必要だったと思われるので、バカの二代目というにはあまりにも酷な気もします。
天正少年使節団なんかも触れてますが、大友家の歴史をだいたいおさらいみたいな作風なので、深い描写はあまりないです。ただ大友宗麟の苦悩や神との対峙は深く描かれますが、それは他の遠藤周作作品でもいいんじゃないかとは思います。
戦国モノで九州、しかも豊後の大友宗麟が主役というのは珍しいのでその点では読む価値はあるし、遠藤周作らしい読みやすさはあります。 -
大友宗麟前半生の栄光から一転、島津軍と耳川の戦い敗戦から始まる。大友宗麟が心の安息を求めてキリスト教に入信していった。宗麟死後の大友義統が豊後の臆病者と豊臣秀吉から罵られて、大友家が取り潰しになり、48歳で常陸国でなくなるまでを描いていたが、まさに本のタイトルどおり『王の挽歌』であった。九州人としては最後は切泣くなった。
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王の挽歌。その決定的理由となった対島津戦こと耳川の戦いからこの物語は始まる。将兵に甚大な打撃を受け、動揺する家中。竜造寺家の勃興、キリスト教布教にともなう家中の離反、家族との断絶。大友宗麟の前半が明るかったがのと比べて後半はまさに挽歌に相応しい。彼がどうして異国の神にすがったのか。その物語は子大友義統の末路とあわせて物悲しい。
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戦国時代に北九州で6カ国を治めていた大友宗麟について描かれており、幼少の大友宗麟から始まり、宗麟の子の吉統が国を失い、死に至るところで終わっています。
本の最後は大友家の没落の様子が描かれており、読んでいてさびしい気持ちになっていきますね。全体的にも半分弱は宣教師の立場でも描かれており、斬新で面白かったです。
↓ ブログも書いています。
http://fuji2000.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_f74a.html -
豊後の戦国大名、大友宗麟の話。鎌倉の頃から続く名門だが、九州6カ国を切り取ってからは領土拡大より内紛を鎮めるので精一杯。お家形稼業は心労が多く、救済を求めようとキリシタンになったら、それも内紛の原因になってしまった。生まれながらの大名も、イロイロ苦労があって大変なんだなぁ~。
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罪深い宗麟が許されて天に召される。
宗麟は人間臭く描かれているので、
ダメな人のように思えてしまったが、
実は毛利・島津・豊臣を相手に渡り合った
偉大な人物だったという事実を
彼の死後に思い知らされた。
確かに優秀な配下に恵まれていたが、
本当にダメなら誰も付いて来なかっただろう。
ただ、戦国武将としては善人すぎた。
で、全てにおいて中途半端になってしまい、
結局何事もなさずに終わってしまった。
遠藤周作は人間臭いと聞いたけど、
なるほどこういうことだったのか。 -
2012.1.19(木)¥178。
2012.2.2(木)。
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