われらの時代 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1963年7月2日発売)
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本 ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784101126029

感想・レビュー・書評

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  • 実に面白い。
    当時の若者の閉塞した世界で生きる、哀れみ、悲しみなどが、ジンジン伝わってくる。
    終盤にかけての怒涛の展開は、もうサスペンスだった。
    ドキドキしながら先を先をと読みふけった。

    不幸な若者たち(アンラッキーヤングメン)というバンド名が面白い。まさに結果的にその通りだ。

  • こういう時代感覚は、ぼくらにも確かに受け継がれていると思う


    生々しくて不快、芸術的で惹かれる

  • 敗戦を否定的に捉えた写実小説。めちゃくちゃ面白い!現代人からしたら、当時の若者が戦争に希望を抱いていたことは信じ難いことなのかもしれない。でも、これを現代におきかえてみると、彼らの心境を理解できると思う。
    私達にとっての絶望ってなんだろう。
    この本を読むことで息苦しさについて考えることができると思う。

  • 2020/5/18読了。

  • 面白い!
    読みにくい比喩や暗喩かあり、読むのがしんどく不要なのではと思う部分もあったけど、終盤は小説の世界に没頭してしまった。

  • 1959年に書き下ろしとして刊行された長編。外国人相手の中年娼婦である頼子、そのヒモとして同棲している主人公の靖男、その弟の滋がピアノを弾いている十代のジャズトリオ<アンラッキー・ヤングメン>。「若さ」という残酷さと如何に向き合うか。

  • 5.0/5.0

    戦後まだ間もない時代の閉塞感と虚無感、そして戦争という劇的なものに対する一種の憧れみたいなニュアンスを感じた。
    性、死、政治など様々なテーマが登場するけど、主人公である二人の兄弟は、これらをただの道具として「利用している」だけの印象を受けた。根底にある退屈や自尊心を潤すための為の道具に過ぎず、天皇に手榴弾を投げつけようとする行為も、日本から飛び出そうとする行為も全て利己的。
    時代を如実に内包した強烈な小説だった。

  • 3.3

  • 醜い脂肪を持った売春婦の情人のヒモをやっている兄とアンラッキーヤングメンという男根愛で戦争経験済みの朝鮮人と、血と争いに飢えた青年ふたりで形成されたバンドとで交互に進んでいく。

    情人が精液を流すのに戸惑っている所から始まる、主人公はフランス文学部所属しており、フランス文学で受賞して温くて余生じみてる日本から脱出することを夢見ていた。が、情人は妊娠してしまい弟が殺人の嫌疑をかけられかけて気が狂ってしまったのと、大学の反フランスの同級生のアラブ人の友人に惚れ込んだ。情人と弟に関しては跳ね除けたのに
    、アラブ人の友情(連携)を取ってしまった。

    弟はアンラッキーヤングメンのみんなと天皇を見送ったら(誰が言い出しっぺか忘れたけど)天皇の車を朝鮮人の持つ手榴弾で爆発させてやろうと考えた。
    いざ実行、朝鮮人は合図を、青年2人は手榴弾をトイレから投げる役、投げる前に便入れ?みたいな所に入れて置いたら直前で入ってきた女に生理用品を入れられてしまい投げることが出来なかった。
    皆でうなだれている時に、弟じゃない方の青年がすすり泣きをし始めて2人は「男」らしくいられなかったその人に罪を着せることにした。
    そして朝鮮人が西洋人の戦友と出会い性行をし、青年2人を軽蔑することになったが弟のためにトラックを強請ったことが西洋人の逆鱗に触れ、卑怯者、売春婦と罵られてしまった。それに朝鮮人が逆上し西洋人を絞め殺して金を奪い取った。その金を使って少し惚れ込んでいた弟と国外逃亡を測ったがもう1人の青年に聞かれてしまい「仲間はずれにするな、告発するぞ卑怯者」と言われ、落とし所を付けるために手榴弾を使った度胸試しをしたが2人とも死んだ。そのため全ての罪が警察から見た場合弟にかかりかねず、兄とアラブ人が保護してくれたのにも関わらず弟は疑心暗鬼になり「警察に捕まるくらいなら」と自害した。

    男は男らしく血なまぐさい革命じみた戦いと進捗のある人生に身を置きたいという前提で物語が進んでいた。そして、日本は停滞していて人生は余命だとも。
    最後の「俺にとって唯一の行動が自殺だ!おれたちは自殺が唯一の行為だと知っている、そしておれたちを自殺からとどめるものは何一つない。しかし俺たちは自殺のために勇気を奮い起こすことが出来ない。そこで俺たちは生きてゆく、愛したり憎んだり〜そしてふと覚醒しては、自殺の機会が目の前にあり決断さえすれば十分なのだと気づく。しかし大抵は自殺する勇気を振るい起こせない、そこで偏在する自殺の機会に見張られながら俺たちは生きてゆくのだ、これが俺たちの時代だ」という言葉もだ。
    その代わりが「絶望ごっこ」だというのは結構現代にも刺さる事だと思った。
    犬だらけの地下鉄だとか、レイプされた女がレイプされた猫に自己投影し同情してる所だとか、虹色の熱気でむせかえる惰性的なライブハウス、場面場面が昭和らしい叙情的さで平成生まれの私は新鮮で良かった。AKIRAとドストエフスキーの混合。

  • 安部公房がインタビューで「小説は言葉になる前のある実態を提供する」と言ってたけど、その意味で大江健三郎はすごく優れた作家だと思う。特にこの作品とか、言葉にならないぐらいの衝撃があるのに文章にならない最たる例ではないか

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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