- 本 ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101130026
感想・レビュー・書評
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安岡章太郎の「質屋の女房」に収録された短編たちがフレッシュだった。小島信夫がこの文庫の解説で「ガラスの靴」について書いている「新鮮」さとは少し違う意味で。
それぞれの短編で描かれる、戦争、徴兵までの、童貞喪失、“男”になるまでの、決めかねる将来までの、あるいは占領下、“戦後”という時代にあったモラトリアム。そこには熟れる寸前に残った青さのようなギリギリのフレッシュさがあった。
モラトリアムは猶予された期間ではあるけれど、そこには気楽さや安心感、希望よりも「漠然とした不安の未来」「前途には悲惨なものが待っている」という思いが渦巻き不安や焦燥感が募る。それでも、周りが動いたり決めたりし始めるなか、なにも決められないまま動き出せないまま『相も変わらず』過ごすうちに時間や時代や他人が前途や未来、将来を”決めて“しまったとき、猶予期間が終わったと「そうわかった瞬間」「ふと安堵に似た溜息がもれ」る。ああ、モラトリアムとはそういうものだった。と感傷的に昔を思い出し、わたしも素晴らしい小説を読んだことに感傷が加わった溜息をもらす。
しかし”大人“に父になったことで、時代が変わったことで、そして母親の死(を実感する様を描いた「海辺の景色」は本当に傑作)によって終わったはずのモラトリアムは最後の「家族団欒図」「軍歌」という二篇で父親の姿をして帰ってくるのだった。ああ、そうか。モラトリアムという期間は、若者だけのものではなかったのか。先の予定や期限が切られた決断、作らなくてはいけない金や時間、生きている限りある、将来や未来。幾つもの猶予と不安と焦りが人生には常にある。わたしにはある。今もある。それらを抱えながらも、決めたり決められなかったり、動いたり動かなかったり、右往左往や思い悩みながら、(わたしの人生では)多くは時間に押しつけられるように訪れるモラトリアムとその終わりがこの短編集のように繰り返される。そして何度も安堵に似た溜息を漏らす。そうやって人生は続いていくのか、ともう一度溜息が漏れたのだった。
安岡章太郎の書く小説はその時代的には「遠い」のだけれど、そこで主人公が起こす、あるいは起こせない行動、感慨や思い悩みは普遍的というか、わたしに「近い」と思ってしまえるのだった。そして安岡章太郎も小説がめちゃくちゃうまい。毎回、うまい素晴らしい小説を読む喜びと一緒に、自分を省みたり気がついたり、人生を思ったりしてしまう。ちょっと落ち込んだりもするけれど、やはり素晴らしい読書体験なのだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2019年2月11日、「陰気な愉しみ」を読了。
2019年2月13日、「悪い仲間」を読了。
著者は、1920年4月18日生まれ。1953年に、「悪い仲間」・「陰気な愉しみ」で、芥川賞を受賞したとのこと。
したがって、今回読了した作品は、著者が33歳頃に書かれたものになる。
城北高等補習学校に通っていた時に、同い年の古山高麗雄ら浪人仲間と遊び歩いたようだ。
城北高等補習学校は予備校で、城北予備校の前身のようである。その城北予備校だが、こちらは1987年に廃校になっているようだ。
2019年年2月14日、「家族団欒図」を読了。
251ページに、脊椎カリエスに病んでいた時期があったと書かれている。
著者は実際に脊椎カリエスに罹患していたようだが、その脊椎カリエスを調べておく。
「結核菌が血管を通じて脊椎に転移することで発症し、感染した部位に炎症が起こり、骨や椎間板が破壊されて膿(うみ)が発生する病気です。「結核性脊椎炎」とも呼ばれます。」 -
戦中から戦後、高度成長期ころにかけての半自伝的な短編が多い。母親やおそらくはモデルを同じくする友人たちが描かれる。どうにもならない将来や友人との優劣意識を伴う関係、女性体験、そして母親との葛藤‥ある種自虐的に著者独特のユーモアを交えて描かれるが、ときには自身を鋭いナイフで切り裂いたように血が流れ出す瞬間があり、はっとさせられた。
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追悼・安岡章太郎、ということで、今年亡くなられた「第三の新人」安岡章太郎の短編集を。1953年芥川賞受賞作もおさめられています。もうどれも、ほんとうにおもしろかった。戦後日本はこうであったのだな、という昭和感はもちろんあるのですが、今をもってしてもまったく古びていない。弱くて、ぐうたらで、どうしようもない個人の姿を描き、現実からいかに逃げ得るかを追求する。いつも追いつかれてしまうんですが、この短編集はそれでも悲壮感があまりないように思える。いや、最後は本当に恐ろしいんだけど、それでも基本的にユーモアでくるまれていて、追いつかれても追いつかれてもするりと逃げ出そうとするのだろうなあといった自由な空気が確かにある。「海辺の光景」もぜひ読みたい。戦後日本はこういう文学を生んでいたんだなあ、こういうひとがいてくれたんだなあ。ご冥福をお祈りします。
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初めての安岡章太郎
短編集
「悪い仲間」などの青年ものより、際立つのは「陰気な愉しみ」だ。
傷痍軍人の悲しい愉しみ。
楽しみではなく、愉しみ。
人の目を憚りながら、生きながらえる中に愉しみをも見出せない儚さ。
心の凹凸を顕微鏡で覗くかのように隆々たる山並に変えてみせる、良い作品。
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慶応大学在学中に結核を患い、戦後、脊椎カリエスを病みながら小説を書き始めた著者が、世間に対する劣弱意識に悩まされた経験をベースに綴った10編から成る短編集。
戦中、戦後を哀しく、無器用に生きた学生の自堕落で屈折した日常をユーモアも盛り込んで描く。
標題作「質屋の女房」は、戦時中、外套を質屋に持って行った学生と質屋の女房との関係を甘酸っぱく余韻を含ませて描いたもので印象に残った。学徒出陣で召集令状が来たその学生にとって一度きりの秘め事が結果的にはなむけとなったのだった。
「ガラスの靴」は猟銃店で夜番をしている「僕」が散弾を届けに行った米軍軍医の屋敷で出会った風変わりなメイド・悦子との間に生じた特別な時間が生々しく描かれている。
この他、兵役で病気になり、月に一度生活費をもらいにいく男の屈折した感情、厳格な母親を怖れ、呪縛を感じながらも反発する男子学生や悪徳仲間と現実逃避に終始する学生たちの姿を描く作品が盛り込まれている。
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仲良しグループの力学を扱った数編が印象に残った。息苦しさから逃げたくて何人かでつるんでいたら、グループの意思になんとなく引っ張られてもっと息苦しくなってしまう話。そのうちどうしたって人は一人なんだってわかるんだけど、若いときは一人でいられない苦しさがありますね。
今読むと若者あるあるなので、ああそうね、というくらいの感想になってしまうところがある。でも、運がいいと(悪いと?)ずっと集団(会社とか特定の価値観とか)とつるむ人生を歩むケースもある。最後に、「それはそれで楽しかった」と思えるのなら、それはそれでよいのかもしれない。わたしも、「人はしょせん一人」教の一員なのかもしれない。
高校大学のうちに読めばもっと印象が深かったと思うので、若い読者の皆さん、もしそういうのに関心があったらお早めにどうぞ。 -
20230526再読
著者プロフィール
安岡章太郎の作品





