- 本 ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101131610
感想・レビュー・書評
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旧制高校時代から始まる、13年間の北杜夫と辻邦生の往復書簡。大学の下宿先から、航海する船上から、パリからと拠点を変えながら、二人は文学について語り合い、互いの作品を喜び批評し合い、励ましを送る。留年した辻を案ずる北の手紙、航海から戻りスランプに陥った北への辻の心遣い、辻の原稿を出版社へ持ち込み埴谷雄高を紹介する北。離れていても互いを思う気持ちがひしひしと伝わってくる。北杜夫の持つ詩情への辻邦生の理解ある言葉を興味深く読む。二人の友情に触れて、私も遠方の友人に手紙なぞ書きたくなった。
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これは素晴らしい。文学的同志(友人)を持つ素晴らしさよ。
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170114 中央図書館
どくとるマンボウの「航海記」「青春期」から北と辻の交流については知っていたし、本書の内容の一部が既に顔を出していた。
辻の作品では『ある晩年』が、可愛らしくて凝縮されていて水晶細工のようなので好きだったのだが、北も同じような感想を持っていたのがわかり、少し嬉しい。 -
ああ、なんという幸せな関係だろう。
これはまさしく愛するものへの手紙だ。
北杜夫と辻邦生。
戦後間もない旧制高校で出逢い、終生の友と成った二人の、旧制高校卒業後から作家として世に出た頃までの往復書簡集。
これを読むと互いが互いのことをどれほど大切にし、頼りにし、愛していたか如実に分かる。
これはいってみれば恋人への手紙そのものだ。
それと共に二人の文学青年が手紙の上で、いかに真摯に文学的考察を重ねていたか、そのことに驚いてしまう。
北のある意味無手勝流で軽やかな生来の文学者としての筆遣い。
辻の論理的思索的議論とふと挟まる小説的描写の数々。
それは紛れもなく二人の資質の表れだ。
そして今の文学青年たちにこんな思索が出来るのか、疑問に思ってしまう。
それにしても、互いを僕のリーベ(恋人)と呼び合う様は、もちろんそれが旧制高校的符牒であっても、やはり相愛な、幸せな関係と言わざるをえない。
マンボウ航海で北杜夫が辻夫婦のいるパリに近付いていく辺りの互いに早く会いたくてワクワクそわそわした感じや、北が去ったあとの辻の落胆ぶりはほんとに恋人に対するようだ。
そしてこんな友を持てたことに、心からうらやましく、憧れてしまう。
憧れという意味では、この二人は個人的に自分の幼年期の憧れを呼び起こしてくれる。
それまでファーブル昆虫記やシートン動物記しか知らなかった僕がいわゆる文学というものの面白さを知ったのは、まさしく北杜夫の『ドクトルマンボウ航海記』や『青春記』なのだ。
そしてその中で辻邦生のことも知り、『天草の雅歌』や『背教者ユリアヌス』を読むようになった。
今でもとても好きな作品だ。
今回の書簡集に、航海記や青春記で引用されたいくつかの記述を見つけ、懐かしく、またあらためてそれらの作品を読み返したくなった。 -
大感動。「僕のリーベ」と語りかける旧制高校時代の二人はまるで恋人同士のよう、年月を重ねても互いの存在を慈しみ如何に大事に思っていたかが充分に伺われる。400P程になる私的な手紙をお互い保存していたこと事体が奇跡だ。深い信頼は純粋な文学への憧憬に起因する。二人の手紙のやり取りに、汚れなき文学への愛情を各々の文学の形に昇華しゆく過程をみて何度も目頭が熱くなった。そして先に世に出た北が懸命に辻の発表の場を求め奔走する姿も胸を打つ。北が最大の理解者となる埴谷雄高に辻を紹介するところで書簡は終わる。美しきかな嗚呼友情。
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辻邦生と北杜夫が20代から30代にかけて交わした180通を収録した書簡集。
旧制高校生特有だという同性愛にも似た温度の高い友情を衒いなく示すはつらつとしたやり取りがまぶしい。 -
書簡です。
個人的には、あまり得るものが無かった。若い頃だったら違ったかもしれないが、私の年齢からすると、また個人的思想からすると、いまはちょっと違うというのが本当のところ。
書簡というジャンルは大好きでしたが、やはりこういうのは、一人の人物にどれだけ興味をもったかという度合いと比例するきがする。もちろん私は二人とも好きだが、二人を知りたいというよりは、彼等の作品が好きだというくらい。
最近は手紙を書かない人も増えたようだが、私はいまだに手紙を書きますし、口語ではない手紙があった世代ですから珍しくも、また新しくも感じない。
若い気取る世代らしく、「ダンケ」などと使うところが 青二才苦手な私にはしっくりこないのかも。
現代の若い世代がどう読むのか興味はある。
著者プロフィール
辻邦生の作品





