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Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784101132181
みんなの感想まとめ
老いと介護の現実に真摯に向き合った作品であり、家庭内での葛藤や献身的な愛情が描かれています。主人公は、元気だった義母を突然失い、認知症を患う義父の介護を一手に引き受けることになります。仕事と介護の両立...
感想・レビュー・書評
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有吉佐和子文学忌、佐和子忌
1972年 第7回新風賞
50年前の作品なのです
作中にある当時の平均寿命が
女性74歳 男性69歳
そんな時代の老人介護小説
同じ敷地内の離れに暮らす老義父母
元気だった姑が突然亡くなると
何かと嫁をいじめてきた舅の行動があやしくなってきた
食事に対する言動、突然の彷徨
仕事を続けてきた嫁は、自分の仕事にやりがいと収入を得ていた
当然辞めたくない
介護は嫁に任せきりの夫
手伝わない遠方の義姉
50年経っても 日本の介護現場の現状は変わっていない
もちろん制度的には介護保険法が制定され 老人クラブ以外にも デイサービスやショートステイ等使えるシステムは増えてきたけど
同居していると 介護者ありとなり
家庭内の状況は、変わらない
有吉さんが表現する女性は、自立して頑張る人
この嫁さんもすごい働き者で
頑張って情報を集めて 仕事を減らして 介護を続けた
介護者が崩壊する前に 舅は亡くなりなんとなくラストは迎えられる
当時ベストセラーとなっていたということは
既に当時の日本で共感を呼んでいたのかな
とてもよく手伝ってくれていた息子さんが
こんなに長生きしないでねと言っていたのは
本心なんだよね -
昭和47年に刊行され、昭和57年に文庫化されたこの本だが、古いと感じることなく響いてくるのは、誰もが老いに直面するからだろう。
仕事帰りに買物をして帰る途中に義父を見かける昭子。
何処へ行くのか呼び止めて一緒に帰宅するのだが、離れに住んでいる義父は家が見えてくるなり一足先に中に入る。
そのあと再び、台所の硝子窓を叩き、婆さんが起きてくれずお腹が空いたと言う。
離れを見に行くと義母はすでに亡くなっていた。
それ以降、義父は痴呆が進み昭子が仕事をしながら介護していくことになる。
息子である信利は、自分もこの先こうなるのか…と思うと直視できずにいた。
ひとり息子も受験生ながら敬老会館の迎えなどを手伝っていた。
家庭崩壊にならなかったのは、昭子の強さと頑張りだろうか。
始めての介護とは思えないほど茂造老人に寄り添い
献身的に尽くす姿に感嘆する。
認知症であっても家で居られるのは幸せなのかもしれない、本人はわかっていないのかもしれないし、何度も何処かへ出て行くとしても戻ってくる家があって、家族がそばにいればいいのかもしれない。
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本書は未読ですが、まだ自身が若かった頃に森繁久彌さんが主人公を演じていた冒頭の一場面にショックを受け、観るのを止めた記憶があります。”惚ける...本書は未読ですが、まだ自身が若かった頃に森繁久彌さんが主人公を演じていた冒頭の一場面にショックを受け、観るのを止めた記憶があります。”惚ける”という事に強烈な怖さを覚えたのです。自分も年を経てその年齢にさしかかろうとしています。時代が変わり痴呆症という言葉も生まれましたが、現実はそう変わっていないと思います。
タイトルを見てコメントしてしまいました。2025/08/10 -
しずくさん こんにちは。
強烈な怖さを覚える…という気持ちわかります。
若い頃とは違い、年齢を重ねると明日は我が身と思うところもあり複雑な...しずくさん こんにちは。
強烈な怖さを覚える…という気持ちわかります。
若い頃とは違い、年齢を重ねると明日は我が身と思うところもあり複雑な気持ちでした。
時代を感じさせない良書だと改めて思いました。
2025/08/10
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今年の6月5日にオープンした有吉佐和子記念館(和歌山県和歌山市)に先日訪れた。建物は氏の東京都杉並区にあった邸宅を故郷和歌山市に移したもので書斎も見学できる。しかし…あろうことか著書を一冊も読まずに来てしまい、帰宅後多くの方からオススメの作品を教えていただいた。「大変失礼致しました…」と氏に謝意を表しながら、その内の一冊から読むことにしたのである。
ある雪の日、仕事帰りの昭子は離れで暮らす舅 茂造が、コートも着ずにあてもなく雪道を歩く現場に出くわす。この茂造の様子がどうもおかしく、タイトルの通り恍惚としていた…
これは言わずと知れた認知症だが、1970年代を生きる登場人物らを見ていると、老化によって発生する自然現象とでも認識しているように思えた。実際「認知症」という名前は2004年に銘打たれたものらしい。
単なる「耄碌(もうろく)」と見られていた認知症をただならぬ病だと捉えた著者の見識たるや……作品が長く受け入れられているのも非常に納得した。
発症前から昭子をいびり倒していた茂造を彼女が主体となって世話しなきゃいけないのがまず不憫でならなかった。息子 敏を除く家族・ご近所・老人向けレクリエーション施設や福祉事務所の職員とヘルプを求める範囲が広がっても、結局は「家族が見てあげるのが一番」と振り出しに戻(され)る。
自分の近親者に該当する者はおらず、何がお互いのためになるのか今でも分からずにいるが、ワンオペがアウトなのは想像に難くない。
本書に出てくるような、健康体で頭脳明晰な高齢の方をどこでも見かける一方で『認知症世界の歩き方』といった関連本が今でもよく売れている。手に入れたのが不老長寿の長寿だけだったとしたら…?
昭子や夫の信利が、茂造の衰えを通して自分達の将来像に不安を抱くのも無理はない。人生100年時代の現在、50年も前の作品を前にしていると言うのに、やっぱり著者の見識たるや…(以下略)
昭子があの境地に至ったのは驚いたが、気難しかった茂造をあそこまで生まれ変わらせたのだと思えば、彼女の苦労も偲ばれる。
「ママ、エキスパートになったね」
たった一人でエキスパートになっても、全てが終われば今まで通りの、自分らしい人生がちゃんと返ってくるのだろうか?
涙ぐむ昭子に視線を注がずにはいられなかった。
度重なる感染拡大によって、またもや気軽に会えないご時世が続くなか、ブクログ以外でオススメ本を教えてもらえたのが今回何よりも幸せでした。勿論ブクログでもこうした交流を継続させていきたいです。今後とも宜しくお願いします! -
著者、有吉佐和子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナ。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果して幸福か? 日本の老人福祉政策はこれでよいのか?
――老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない《老い》の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。
---引用終了
本作は、1973年に映画化、1990年と1999年と2006年にドラマ化されています。
当時のキャストを見ておきましょう。
1973年
立花茂造 - 森繁久彌(1913~2009)
立花昭子 - 高峰秀子(1924~2010)
1990年
立花茂造 - 大滝秀治(1925~2012)
立花昭子 - 竹下景子(1953~)
1999年
立花茂造 - 小林亜星(1932~2021)
立花昭子 - 田中裕子(1955~)
2006年
立花茂造 - 三國連太郎(1923~2013)
立花昭子 - 竹下景子(1953~) -
1972年のベストセラーだそうだが、なるほど時代は古いものの、介護の教科書のような本だった。
日本の老人福祉に対する話は昔も今もさほど変わらず、自分の生まれる前のベストセラーなのに、この本の昭子のように自分の介護や老後のことを心配しながら読んだ。
ピンピンコロリできたらいいけど、こんな老人になったらどうしよう、迷惑かけたらとうしようと思うが、人それぞれに先はどうなるかわからない。
生き方の知恵とヒントをもらった気がする。 -
認知症になってしまった義父の介護や避けては通れない身内の葬式などを描いた小説。
何もしない夫への不満とか、義父から虐められた過去の思い出とか一筋縄ではいかない感情が描かれていて良かったです。
高校生の息子がすごくよかったです。斜に構えた若者なのですが、不器用ながらに母へも祖父へも愛情のある態度がよかったです。
50年以上も前に書かれている作品らしいですが、文章も読みやすいし高齢化が進んでいる現代に読まれるべき名作だと思います。 -
◯名作。大変面白かった。
◯現代人であれば必ず読むべき一冊。将来の自分をあらゆる意味で見通す。
◯現代における個人の孤独を鋭く描写している。鋭角過ぎて突き刺さるほどである。
◯文章表現・演出も巧みである。言葉の選び方が場面を活かしている。
◯昔から認知症はあったはずである。しかし、核家族化が進む中で、認知症の存在は忘れられ、血縁である家族ですら、認知症を忌避することとなった。
◯また、個人を尊重する世界の中では、他者のことはまさしく他人事なのである。それは家族であっても。現代の孤独の構造を先鋭化して我々に突きつけるのが認知症であり、その故に文明病なのである。
◯この小説が描かれたのは高度経済成長の最中であり、今以上に福祉制度が発達しておらず、それを補完する形で家族制度が維持されているという悲しい幻想の中で、極めて個人・個が浮き彫りとなってしまった実態との乖離が人々を悩ませている。
◯現代においては、介護保険制度が成立、運用され、老人への福祉制度は充実したかに見えても、今度は子育て世帯が孤立を深め、虐待へと繋がってしまう。あわせて少子化がどんどん進んでいく。現代人の孤独の構造は全く変わっていない。むしろ、制度が充実するほどに、矛盾してより深い傷となっているのではないか。現代の孤独が、現代の社会問題すべての原因とも考えられる。
◯この小説に出てくる人間たちは、実に現実的で、それ故に我々の共感を呼ぶが、全員自分の事しか考えていない。結末で孫が言ったことは悲しい。それに涙した母は、最後に義父と家族になったのかもしれない。
◯登場人物たちのそれぞれに共感する。しかし、その共感には違和感を覚えていいのかもしれない。我々の孤独に対してどのように対応していくのか、今もって結論は出ていないのだから。-
突然の投稿、スミマセン。確かに社会にインパクトを与えたという意味では貴重な作品なのですが、この領域でお仕事させていただいている身としては違和...突然の投稿、スミマセン。確かに社会にインパクトを与えたという意味では貴重な作品なのですが、この領域でお仕事させていただいている身としては違和感しかありません。
心理行動症状にフォーカスしてしまい、当事者の生き辛さがないがしろにされている。
このラベリングによる弊害は今も払拭できていないのです。
正しい当事者理解に繋がればと思います。2020/06/10
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祖母から借りた本である。
茂造さんの死を心待ちにしている自分もいた気がする。なのに、なんでだろ。なんでこんなに泣きそうになっているんだろう。
急いでタリーズを出ます。 -
最近どうしても読みたくなって、30数年ぶりに再読した。このベストセラー本が私の実家の本棚に入ったのは、確か昭和48年。私は中学生だった。読んだのは、高校に入って数年後、埃をかぶった箱カバーを開けた。夏休みの無聊を慰めるためだったと思う。この物語の一人息子敏くんとは同年代になっていた。
当時の私の家には「老人問題」が勃発していた。80歳後半になろうとしていたおばあちゃんは、もう一人で外出は出来ず、家族の顔も時々間違えるようになっていた。廊下に失禁の後が延々続くのは、もう少しあとだったか?
昔読んだ時は、茂造老人の人格の豹変、家族の名前をいびり抜いた嫁と孫しか覚えてない、突然の徘徊、キリのない食欲、夜中の幻覚、そして糞の畳への塗り付け等々にショックを覚え、それぐらいしか覚えていなかったことを読みながら思い出した。
今回再読して、ものすごく新鮮だった。いま敏世代は介護する側に回っている。私も数年前には父親の最期を看取り、一昨年から叔母夫婦の介護計画を立て悩んでいる。嫁の昭子の右往左往、仕事を辞めないで介護しようとする彼女の工夫と努力と間違いには、大いに共感した。今回は完全に昭子の立場で、あるいは茂造老人の立場で読むことができ、景色は大きく広がった。
昭和47年刊行のこの時代、介護保険はおろかヘルパーさえいない。高度経済成長の最中の老人介護問題という面であらゆる矛盾が噴き出てくる直前に、この本が出てきたのだろう、と今ならわかる。
私のおばあちゃんは結局看護婦長をしていた叔母が毎日介護にきてくれて、刊行から約10年後92歳で家の中で往生した。その叔母ももういない。
恍惚の人は認知症の人と名前を変えて、私の現在と未来を未知のモノにしている。
2014年2月8日読了 -
有吉佐和子『恍惚の人』。
姑が急死。離れに住んでいる舅・茂造の老人性痴呆に。共稼ぎの嫁・昭子は義父の介護に追われることに。
しかし夫・信利は実の父にもかかわらす、介護に及び腰。『俺もこうなるのか』という始末で、息子・敏以上に役立たず。
敏も、『パパもママもこんなになるまで生きないでね』と…
そんな中、昭子はほぼ一人でその役割をこなしていく…
昭子には頭が下がる。
働きながら、義父の介護をするなんて…
信利にはもう少し、昭子を助けるつもりはないのか、自分の親なのにと、思ってしまう…
が、自分ならどうだろう⁇
仕事を抱えながら、親の介護ができるだろうか⁇
少なくとも、昭子のようにはできないだろう。
老人福祉の主事に逆らうようだが、老人ホームや病院、お金で解決できる道を選ぶだろう。
こちらの生活もあるのだから…
昭子はこの時代の人には珍しく、共働きで、周りの人にも恵まれていた、金銭的にも、環境的にも。
この時代、ここまで柔軟に対応できなかっただろう。
昭和40年代後半の話であるにもかかわらず、まったく古さを感じない。
この頃から老人介護が問題になっていたなんて。
50年経った現在でも、状況はまったく変わっていない。
高齢化がさらに進んでいるにもかかわらず。
政府は何をやっていたのだろう…
考えさせられる作品だった。
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人ごとではない話。でも、あまり自分ごととして考えたくない話でもあった。老人介護、これからの高齢社会をみんなでどうしたらいいのか考えていろんな人が生きやすい世の中になったらいいけれど…。
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100分de名著で取り上げると知り、初めて読んでみた。
設定は出版と同じ1972年とか執筆時と思われる前年あたりか、と思う。主人公家族は共稼ぎの夫婦と高校2年の息子。敷地内同居していた姑が脳溢血で突然死して、遺された舅がボケているのに気づく。そこから始まる”嫁”昭子のボケた舅の介護奮戦記だ。まさに昭子の体を張っての、対舅との戦争みたいだ、と感じた。だが、カラッとした読み心地と読後感。昭子は体力・気力・思考力がある人に感じ、そういういわば少し理想形なところと、なにより”戦争”には終わりがある、というところがそう感じるのか。
雪の降る日に姑が突然亡くなり、それから舅のボケは大食、徘徊、失禁とどんどん加速していく。そして自分の息子と娘の名前は分からなくなっているのに、孫は分かっており、特に嫁の昭子だけはしっかり認識している。それを息子は「飼い主だと思っているんじゃないの」、となかなかに鋭い指摘をする。
夫はすまないとは思っているものの、夜中の排尿の世話や入浴をさせるのは昭子。息子はやがて通い始めた老人クラブへの迎えをしてくれる、などけっこう協力的。夫の妹も父の陰険さを分かっており昭子に文句をいったりはしない。しかも、早くケリがつけばいい、という意味のセリフを昭子以外の人にけっこう吐かせていて、まあ、有吉さんは心の内を表に出してみました、というところだ。しかし舅は、医者に「戻りましたね」と言われ、そのボケた状態の描写がコミカルでもあり、有吉氏はあくまで尊厳を持たせている。
小説の展開の中で、近所や夫の同僚の中にも寝たきりやぼけた親を介護している人達をたくさん登場させ、介護して初めて入ってくる老人たちの実態に気づかせる。そして舞台の東京杉並にある老人集会所の様子なども書き、当時の国の老人政策の実態と、その情けなさを書く。なんといっても施設にはボケ老人は入れないのだ。こうして読んでみると、今はボケても入れる施設もあるし介護保険が始まって本当に助かったと感じる。
出版は1972年、昭和47年なので、物理的な昭和感が興味深かった。離れの舅姑は石油ストーブは使わず、炭で暖をとっている。「十能」などという言葉が出て来てきてはるか彼方の記憶を呼び起こした。方や息子夫婦宅は共働きでもあり、昭子は家事の省力化のため乾燥機や冷凍庫を奮発して買い、土曜日にまとめ買い、まとめ調理で冷凍、洗濯も土曜日にして即乾燥機を使っている、こちらは当時としてはなかなかに進歩的。
また姑の葬式では、田舎では昭和の終わりくらいまでは葬式は近所の人たちが取り仕切ったのだが、ここ杉並ではそれは無く、喪主が寺に頼み、会葬者も老人たちの兄弟は亡くなっていて、甥姪には知らせていない。舅は東北の出で分家の身で息子の就職とともに東京にやってきた、という設定。なので会葬者は同居の息子一家、娘、嫁昭子の兄夫婦と、姑が仲良くしていた近所の3、4軒位なのだ。
家族設定は舅84才、姑75才、夫はおそらく50才くらい、主人公昭子は40代前半、そして息子は高校2年の設定。出版時の1972年から逆算すると、舅は明治21年生まれ、姑は明治30年生まれ、夫50才とすると大正12年生まれ、妻昭子が41才とすると昭和6年生まれ、息子は昭和30年生まれ。姑は75才で死んで「あら、平均寿命より1年余計に生きられたのね」と言われ、・・52年前は女性は74才が平均寿命だったのかと驚く。そして夫はシベリア抑留の経験者で、妻昭子は女学校で軍事訓練で蘇生法を習い、それが舅が浴室で溺れた時一命をとりとめることになる。有吉氏は昭和6年生まれで、嫁昭子には自身の時代感覚を投影させているのではないか、とも思った。
じいちゃんには少しやさしい高校生の息子が出てくるあたり、羽田圭介の「スクラップアンドビルド」に似ていると思ったが、こちらは男親と実娘と高校生男子、という設定。こちらを読むときは介護する娘の立場で読んでいたが、この「恍惚の人」だとその72年当時になり、高校生の息子の立場で読んでいるのだった。
1972.6.10発行 1972.8.26第20刷 の当時の単行本で読む。実は実母の遺品の蔵書にあったもの。47年9月に買ったと書き込みあり。 -
乾いた筆致で有吉さんが「老い」や「死」、「家族」を淡々と描く。特段の美化も遠慮もなく、今の時代であればおおよそ差別的意味合いを以てして使ってはならないとされている単語が跳ねる。
夫の両親と敷地内同居しながら、法律事務所で職業婦人として働く女性昭子。
専業主婦が当たり前であった時代、仕事と家事、受験生である息子のサポート、加えて義理父母の老いや死に全速力でぶつかり切り拓く昭子の姿は当時新鮮だったことだろう。
老いの現実、死に伴う儀式の空虚さ等々、飾ることなく淡々と粛々と。疲れ果てながら舅の老いに向き合う自分の不寛容さや、不甲斐なさが細やかに綴られ、また自らの親でありながら介護に逃げ腰の夫に不満を感じながら時間が経過する。
よく言われることだが、同じ苦労でも成長していく育児と異なり、ゴールや前進が定まらない介護。目標も充足も見いだせず時が経過するのは辛い。
世間体に右往左往し、医療と福祉のはざまのどうにもしようのない事態に困難を極める様に読み手の心も塞ぐ。
年を取ってこうはなりたくないと、老いて生産性がなくなるどころか、周囲を困らせる舅の行動の連続に介護する昭子と夫が自分の将来の老いに絶望する。
私も子どもたちを食べさせること、育むことに無我夢中だった今までの時間。
子どもたちが巣立った今、気づくとコントロールできない老いが足元にあった。
自分が年を取るなどと想像だにできなかった若い頃から一足飛びに時間が経過する。
高齢化と少子化に待ったなしの現代。有吉さんの1974年の作品は今を予言していたかのようだ。
嗚呼、ピンピンコロリが私の夢。子どもたちには迷惑をかけたくないなあ。 -
50年以上前に書かれたとは思えないほど、違和感なく読めた。今の悩みもそんなに変わらないと思うと、生きるって、なんなんだろうか…。敏の真っ直ぐすぎる言葉が痛い。
考えるテーマではあるけど、これだけドッシリとした作品が読めて嬉しいと思う。 -
高齢の義父とその周りの家族のお話。
有吉佐和子先生の本、2冊目完読。
高齢者との生活の大変さを、リアルに表現されている。
ストーリーは、突然の義母の死から始まる。
それと同時に舅の認知症状に悩まされる話。
恍惚の意味は、さまざまで心奪われるや朦朧とするの他に、ボケとあり、認知症の意味なのか。
1972年の作品で、この頃はまだ認知症と高齢化社会などという言葉も表現されていない時代。
今では、支援センターや、役場に行けば相談に乗ってくれるところもあるが、この当時は、すっかり見放されてる感が切ない。
舅の世話に追われながら、家事や仕事をこなす主人公の嫁に感心した。こんな嫁は、今も昔もいないだろう。小説だから、綺麗に仕上がっているが。
しかし、このお爺さんも幸せな余生を送っただろうなぁ。こんな風に変貌するくらいなら、長生きしないでねと主人公の息子が投げる言葉が印象。
ホントにね。身体元気でも、脳がこうなるとやるせないよね。
しみじみと老化現象と家族についての過程の話でした。 -
昭和47年刊行された小説。空前の大ベストセラーだったらしい。
今でいう認知症の老人(老人性痴呆と書かれていた)を介護する息子の嫁。当時は老人ホームに預ける=親の面倒を見るという義務の放棄という世論だったことがよくわかる。50年後の今は施設やヘルパーが増えて介護問題がだいぶラクにはなった。公共の老人クラブはデイサービスの原型かな。いろいろ興味深い。 -
姑の突然死をきっかけに、舅の認知症に気づく立花一家。舅・茂造の世話をするのはもちろん嫁の昭子で、夫は役に立たない。
本書は、1970年代初頭を舞台にしながらも、家族の役割や介護など現代に通じる問題を鋭く描き出した作品です。
携帯電話はもちろん無く、和式トイレや火鉢が当たり前の時代ではあるけれど、昭子が仕事にしがみつきながら家事を奮闘する様子は詳細に描かれていますが、当時の暮らしを興味深く読むと同時に女性の役割に対して共感する場面です。嫁が割を食うなどの家族の役割は今でも変わらない印象です。
昭子の体力は限界になり、ホームに入れる選択肢を模索するなか、老人クラブの職員やケアマネージャーの「家族に世話してもらうのが一番幸せ」という価値観に読んでいるこちらも胸が苦しくなり、高齢者福祉に対する認識の変遷に思いを馳せました。
家庭に留まらず、あくまで社会での居場所も保ちつつ、家事や介護をがんばる昭子を応援しながら読みました。茂造がお風呂で溺れたことをきっかけに、嫌いな茂造の介護にふっきれた昭子。茂造を好きなだけ生かそうとするところから少し明るい兆しが見えたのが救いでした。
茂造の状態を、家族は「壊れる」と表現する一方で、「お戻りになる」と表現した医師の言葉が印象的でした。十分に生きたら、あとは戻るのが人間なのか。人間の尊厳の捉え方を考えさせられました。
作中では茂造の入れ歯や、息子の歯の治療についてなど歯に関する描写が多いと感じました。入れ歯を自分で制作するほどこだわった茂造も、認知症になってからは手入れをすることもなくなり、人間の尊厳を象徴しているようでしたし、歯の治療を進める信利も、老いが確実に近づいていることを暗示しているようでした。
50年前に書かれたとは思えない、その問題提起が現代にも通じる普遍性のある作品だとおもいました。 -
長生きするということは本当に幸せなことなのだろうか?舅の介護をする嫁の昭子が、壮絶な介護生活の末にたどり着いた境地にそのヒントがあった。
「しっかり見届けてあげよう」
もしそう思えるのなら、お互い幸せなんじゃないでしょうか。
ボケ、徘徊、お漏らしなどは老化現象であるとともに、幼児退行現象でもある。
この世に生まれ、この世に尽くした後はこんな哀れな姿で老いて行くのかと思うとやるせないですね。
でも、これは誰もが直面することなんですよね。だからこの小説を全ての人にお勧めしたいです。 -
書かれてから40年以上経っているはずなのに、色褪せない。
老人の介護問題がリアルに描かれている。
自分が親の介護をする側にまわることも考えるが、自分自身が老いてどんな老後を送るのかも考え、怖くなってくる。
茂造のケースで良い方なのか...。
自分の祖母がボケてきたのを実感しており、時々遠くまで出歩いて帰って来られなくなり警察の世話になっているので、とても他人事とは思えない。
祖母の様子を見て、父の老後も似たようなものかもしれないと覚悟していたけど、自分の人生の延長としては考えたことなかったな...。でも当たり前に自分も老いる。
老人を抱えたら、誰かが犠牲にならなきゃいけないなんて、そんな...。
老いるって残酷だ。老いに抗いたい。
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
有吉佐和子の作品
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感想 :

介護を仕事にしてる方は、ちゃんとオフ時間に休めます。
肉親の介護を自らやってしまうと、仕事と介護で休みがなくなり...
介護を仕事にしてる方は、ちゃんとオフ時間に休めます。
肉親の介護を自らやってしまうと、仕事と介護で休みがなくなり精神と肉体を病み、介護される側も含めて良いことないです!
使えるシステムはしっかり使う
認知症って それはそれは 介護が大変だと思うのですが、認知症って審査されると
介護3になって 特...
使えるシステムはしっかり使う
認知症って それはそれは 介護が大変だと思うのですが、認知症って審査されると
介護3になって 特別養護に申し込みができるんですよね
順番回ってこないとはいえど
私は兄弟がいないから、途中で自分が先に死んだら 娘とかに負担がいくのか心配になって
長い間死んだら多少高くても 施設に入れられるように 自分に死亡保険かけてたのよね
でもだんだん保険料が高くなってきて
ケアマネに聞いたのよ
私が先に死んだ場合どうなるか?
そしたら その場合は 誰かにすぐケアマネに連絡を入れたら 介護者不在でどっかに入れてくれるらしい
もう保険もやめて 死んだ場合の連絡先を書いて
婆さんが暴れてもぐずっても 入れてもらいなさいって 書きおいておいた
どうにかあちらが先に死んでくれたけど
自ら施設に行けるように貯めるか
適当なところで終わりたいよね