- Amazon.co.jp ・本 (656ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101133102
感想・レビュー・書評
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●海外駐在を経験した二人(沖と笹上)、閑職で時間をもて余す沖、仕事一途の人間で趣味のない笹上。二人が左遷と定年という形で戦線離脱する。ビジネスマンにとって、組織とは、家族とは、何かを考えさせる。
●文中にある会話、「ぼくは、商社マンとは、ワンルーム向きの人間だと考えているんです。家には夜遅く帰ってきて、寝るだけ。朝早く起き、飯を食うと、飛び出して行く、リビングや書斎を必要としない生活・・」日本の経済発展に貢献してきた人々に何が残っただろうか? -
定年後の穏やかな日常の話かと思ったら、商社の過酷で泥臭い仕事の話だった。
昭和54年発行。
商社=華やかなイメージしかなかったが、仕事の内容などが具体的にイメージできた。
自分の思いには関係なく、辞令ひとつで赴任が決まり、家族とも離れて暮らすことになる。とんでもない僻地だったり。
やっと仕事が軌道に乗ったかと思えば、まったく関係のない仕事や部署に行かされたり。
同じ時代、業界は違うが、私も父とは単身赴任で長く離れて暮らしていたので、よくわかる。
評価されなくても自分なりのやりがいをみつけて、ひとつひとつの仕事をやり遂げていくしかないのは、他の業界でも同じかもしれない。それは自分も働いているから多少はわかる。
解説で「一日一生」という言葉にふれた。朝起きて、夜死ぬ。一日は人生の縮小版。
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題名だけを見てどんなに楽しい小説だろうと予想したらそれは見当違い。社名に奮闘する大商社社員のそれぞれを書く。
毎日が日曜日の意味は主人公が閑職とも見られそうな日本のある都市の支店長を拝命することからきている。が、実際には組織の板挟みの中でそんなことを感じる余裕は全くなし。海外生活が長く日本に馴染めない家族も悩みの種となる。
主人公の転勤を嘲る同期社員、会社生活にピリオドを打つ先輩社員も、主人公の対比となりそうなのに順風満帆とは行かない。
時代設定が今より古いという反論はありそうだが、会社勤めのジレンマを描いた小説。 -
2018年3月11日読み始め。
2018年3月23日読了。
ブクログに登録している著者(1927~2007年)の作品は、
・総会屋錦城 1959年
・硫黄島に死す 1968年
・毎日が日曜日 1976年
・部長の大晩年 1998年
・勇者は語らず 1982年
「毎日が日曜日」は、著者が40代後半の年齢時に書かれた作品で、読売新聞の朝刊に連載されたとのこと。
昭和の香りが満載の作品である。
定年退職した笹山の年齢は57歳だったと記憶する。
この作品、読みたいなと思いつつ、うん十年になろうか。
タイトルが流行語にもなったという経緯から、何となく内容までがわかるような気がしていた。
実際に作品を読んでみると、どんな人生でも、平板であるはずはなく、深いものである。 -
総合商社という組織が、今までよくわからなかった。
4大?5大?商社は世界を股にかけた大規模プロジェクトに取り組み、就活学生に常にトップクラスの人気とステータスを誇っているけど、外国にはない業態みたいだし、メーカーでもなく金融でもなく、一体何をやってる会社?
その謎の一端が本作で解けた。
儲かる可能性があれば地の果てまでも社員を派遣し、政府がやるべき、でも政府が手を出さない海外の土地や海まで切り拓き掘りおこし繋ぎ…こんなに過酷な業界だったんだと初めて知った。
南米でアフリカで中東でアジアで、街どころか交通経路も通信手段もほとんどない奥地にわずかな人数で赴任させられ、病に倒れ、後遺症を負いながらも働く商社マンたち。昭和30〜40年代初めはまだ戦中戦後の記憶も生生しく、戦争よりマシだと思って働いていたのかもしれないが、現代の働き方改革の真逆をいく社畜っぷりに圧倒される。
子どもの頃に海外居住経験があるとバイリンガルになれていいなー、と帰国子女を羨ましく思っていたけど、本作では商社マン子女の教育の問題、帰国後日本語にも日本の学校生活にも馴染めず苦労する姿も描かれている。
商社マンの仕事ぶり同様、小説とはいえ実話が基になっていると思う。
この小説は、そんな巨大商社の最前線から外され、接待が主なミッションの京都支店長に配属された40代の主人公・沖と、会社に散々海外を引き回された挙句家庭は崩壊しうだつも上がらぬまま当時の定年である55歳を迎えたその元上司・笹上という、「毎日が日曜日」の二人を中心に進む物語。
退職して孤独な日々を送る後者はともかく、主人公は嫌味な同期・十文字に、京都支店長なんて毎日が日曜日、と言われて送り出されるのだがとんでもない。京都支店長も大変だ。
一流商社マンだったとは思えないほどせこくて情けない笹上、意地も口も悪い十文字、地位と権力にしがみつく役員たち。登場人物のサラリーマンたちは誰ひとり好きになれないが、戯画的ながらくっきりと輪郭が描けている。昭和のビジネス小説だが、その妻たちや祇園の芸姑、女性たちも意外なほど生き生きと、その欲望や悩みが描写されている。
そして、日本の学校、というより通学の満員電車に慣れないことが遠因で恐ろしい悲劇に見舞われる沖の長男が、ものすごく忍耐強く前向きでありながら、ごく普通の若者のように描かれていてびっくり。当時の日本人はやはり我慢強かったのか。
これまで、商社マンを主人公にした小説は、河野多恵子の「秘事」しか読んだことがなかったが、あちらは純文学だからか仕事についての具体的な話は出てこなかった。こちらはいわゆる経済小説だが、商社の実態や昭和の日本を活写して、これはこれで意義があると思う。
日本の経済が右肩上がりの時代は輝いていたなんて嘘だと思った。敗戦で国土が焦土と化しみんな極貧に叩き落されたから、復興しかあり得なかっただけ。本作は昭和の厳しさ、古めかしさを思い出させてくれる作品でもある。
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昭和54年の著作であるが、今読んでも全く古さを感じさせないビジネス小説。帯同家族の生活、会社に振り回される人生など、生々しいエピソードと共にグイグイ読み込ませてくれる。
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昭和の話。時代背景は古いけど、家族の思いは変わらないなと思った。
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会社人生に於いて、誰でも「ないものねだり」をしながら日々を送り、日々悩んでくよくよしていることですらある意味幸せだと考えさせられた一冊。働き方に正解は無いし、会社での評価=その人の評価でも無い。会社で理不尽な事があった時に読み返したい一冊。
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昭和51年に刊行された経済小説。
もう35年くらい前に書かれたものなのに色あせない面白さ。
日本の総合商社を舞台に、海外赴任、家族、教育、定年、出世競争といった様々な問題が盛り込まれている。
人間がしっかりと描写されているから今読んでも面白い。
ウーさんがとてもよかった。
「輸出」の続編的な作品らしいのでこちらも読んでみたい。 -
大どんでん返しは起きない。
大手の会社に勤めるサラリーマンを描いた小説ではーーその手の小説を多く知っている訳では無いがーーどうも海外に飛ばされるのが常である。ここで、山崎豊子の沈まぬ太陽を思い起こしたのだが、やはりこれも海外行きが含まれている。そしてたいてい海外行きは、"主人公に降りかかる逆境"の役である。最近の流行りのドラマでも(例えば半沢直樹などがそうだが、)最終的には、その死線を切り抜けることが多くである。しかし、二作に共通するのは、その"逆境"を経てもなお、主人公に迫りくる"悲境"である。その点で、この本はどこまでも逆を行き、さらに、現実的なのだ。読了後に残るのは、形容しがたい荒涼感であった。巨大な組織の中でペイオフされない日常を描いた本作は、上で出てきたドラマとは逆ベクトルでありながらも、働くものたちに寄り添う作品である。
私も読みました。
「毎日が日曜日」というタイトルから、読む前はいつも退屈している定年後的な作品かと思っていました。...
私も読みました。
「毎日が日曜日」というタイトルから、読む前はいつも退屈している定年後的な作品かと思っていました。
が、内容はけっこう深いものでした。