落日燃ゆ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101133188

感想・レビュー・書評

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  • A級戦犯はおかしい。軍部の独走を許さず動いたのに。軍部大臣現役武官制だけでこの結果は昭和の歴史に愕然とします。敗戦国は仕方がないでは済ませたくない。

  • 城山三郎『落日燃ゆ』新潮文庫 読了。唯一文官でありながら処刑された広田弘毅。統帥権独立の名の下に軍部が独走し政治がそれにひきずられる中で、国際協調に尽力するも結実せず、皮肉にもその軍人らと最期の運命を共にする。小説ゆえ脚色はあるにしても、戦後四半世紀で再評価を試みた意義は大きい。
    2016/01/11

  • 城山文学最高です。

  • 必読書

  • 軍の暴走→戦争→東京裁判 の流れなら、軍人でない広田弘毅は A級戦犯として 裁かれるべきでなかった。著者は 法律の執行の危うさ を伝えたかった と思う

    日本人だけでなく、アメリカ人弁護士、判事まで 不当裁判として、広田弘毅の刑執行を 避けようとしたことを 初めて知った

  •  
    ── 城山 三郎《落日燃ゆ 1974‥‥ 新潮社 19861127 新潮文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101133182
     
    ……(松岡 洋介は)悲憤慷慨の色をかくさず、自らの言葉に酔うように
    して、たたみかけた。他の外務官僚の全権にはできぬ大演説であった。
     
    …… A級戦犯に指定され、東京裁判で有罪か無罪かで賛否両論となり、
    唯一文官として絞首刑となった元首相・広田 弘毅の生涯を描いた物語
    である。第28回毎日出版文化賞と第9回吉川英治文学賞を受賞している。
    1976 NET(現・テレビ朝日)で、2009年に再びテレビ朝日》ドラマ化。
    (Wikipedia)
     
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070401 日中熱中 ~ いそがしい男 ~
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BE%EB%BB%B3+%BB%B0%CF%BA
    https://booklog.jp/users/awalibrary?keyword=城山 三郎&display=card
     
     ユーザーAの投稿に、Bが「自慢たらしくて気色わるい」と書きこむ。
     AはBを見下げていないのに、Bの劣等感を刺激したらしい。
     名指しでケチを付けられたAは、やり返せないのが口惜しい。
     
     誰だか分らない、匿名の遠吠えは、ほんとはカッコ悪いのだ。
     そもそも匿名で陰口を公開するのは、先祖や子孫に申し訳が立たない。
     はてなスタッフは「相手にしないこと」などと、よそ事のように扱う。
     
     西部劇で「後ろから撃った男」は、子供からも軽蔑される。
     《大いなる西部》では、卑怯な息子を、父親が(背後から)撃ち殺す。
     父親なら「後ろから撃ってよい」わけではないが、これぞ悲憤なのだ。
     
    (20180509)
     

  • 主人公の考え方がぶれない様は立派ではあるが、もっと真実を伝えてもらいたかったとも思う。

  • 第2次世界大戦前後の断片的に聞いたことがある人名や事件を、広田弘毅を通して通して知ることができた。この混乱の中で広田は平和外交をめざして、あきらめない心で奮闘していた。外務省時代から最後まで自分の信念に正直に粘り強い姿勢が心に残った。

    ・広田は早くから先輩や仲間と交わりを深め、互いに啓発し情報を吸収しあって生きていこうと努めていた。読書だけでなく耳学問も大切にした。
    ・外交官としては、決して表に出るような仕事をして満足すべきものではなくして、言われぬ仕事をすることが外交官の任務
    ・各地へ赴任する前に、できる限りその地の情報を得られるように努力した。
    ・主流の仕事を外されても、それを不満にも思わず、それならそれで勉強に励もうとつとめた。
    ・誠意を尽くして応じようとする態度。
    ・自分の役目は何か?起きた事変は事変として、戦火や波紋をそれ以上広げないこととして、自分の役目を感じた。
    ・広田は派手に相手をやりこめるタイプではない。じわじわと理を尽くし肚を割って話そうとする。
    ・それでもまだ広田はあきらめない。
    ・広田はそのまま突っぱねるのではなく、不可侵条約はえられなくとも実質的にその実を上げようと国境紛争処理委員会の設置を提案した。
    ・君の答えは欧米局員としての答えだろう、きみが最後の責任者として外務大臣として考えなくてはだめだ。そのためには欧米局だけでなく他の局へきている電報まで目を通すのだ。
    ・広田は慎重だった。できるだけ多方面の情報を集め、バランスを考え、極端に他の方面を刺激したり、強い反対を引き起こすようなものは、実際には力になりえないという考え方であった。
    ・あらためて中国側の受諾できる停戦協定の作成にとりかからせた。「従来の行掛りを棄て」という言葉が繰り返し記された。

  • 広田弘毅とい人は正直記憶してませんでした。
    表舞台にあまり出てこない、教科書ではピックアップされない人物なのでしょう。(私の記憶が不確かなのかもしれませんが)


    城山三郎氏の感情を抑えた名文で語られた、彼の生き方は、興味深く、共感できる生き方だと思います。

    その時の自分の立場で出来ることをやる。
    求められれば全力でとりくむ。
    自らはからず。
    自然に生きて自然に死ぬ。

    私は長生きしたいです。

    ですが十分な役割を果たせたなら、、、。
    いつ死んでもいいように自分がやるべきことを全力で取り組みたいと思います。

  •  外務大臣、首相を努め、唯一、背広組のA級戦犯で絞首刑となった広田弘毅の話である。日清戦争では、日本は勝ちはしたが、三国干渉という、ロシア、ドイツ、フランス三国の強硬な申し入れに押し切られ、日本は講和会議で獲得したばかりの遼東半島を条約の批准直後に清国へ還付しなければならなかった。戦争には勝ったが、外交に負けた形であった。広田は、情けなかった。周りには軍人になろうとする若者は多いが、軍人ばかりでは日本は守れないし、血を流すだけである。必要なのは優れた外交官である。軍人ほど華やかな働きの出来るものではないが、広田は自分には似合っているとおもったのであろう。

     外交上の危機というものは、一回限りで考えるべきではなく、再三再四繰り返すうちにはじめて相互の理解に達する。一度談判が行き詰ったからといって、直ちに開戦すべきではない。また、万々一開戦したとしても、戦争そのものの遂行よりも、出来る限り早く平和交渉の機会を捉えるべきだ、というのが広田の考えであり、またそのように努めた。広田は粘り強く、交渉の機会をつかみ、また、つくってきたが、その交渉の意志を、軍部の突出、また妨害でいつも踏み砕かれた。軍部は戦意が主で、交渉が従であった。和平の道はいくつもあったのにと、いつも思う広田であり、戦意よりも、あくまでも交渉を主に、と外交官として努めてきた。

     こういった広田の交渉態度などは、中国やアメリカ、ロシアには伝わっており、また、広田ならきちんとした交渉が進められると、外国も思っていたはずなのに、終戦をむかえ、巣鴨拘置所に捕らわれの身となった。検事団は文官からの犠牲者も求めていたのだ。その白羽の矢が、元総理であり、三度も外相を努めた広田に向けられた。広田自身もそれを感じ、また、避けもしなかった。天皇に累を及ぼすのは自分の段階で食い止めなければならないと感じていた。

     ナチスドイツの場合、たしかに統一された国家意思と機構があり、共同謀議の形で戦争やユダヤ人殺害が進められた。だが、日本は統帥権独立の名の下に、天皇の意に反して軍部が暴走し、外交や行政は振り回され、あるいは跳ね飛ばされた。また、同じ軍部内でも陸軍と海軍は対立し、陸軍部内でも参謀本部と陸軍省は対立していた。ただ、広田は自分を弁護するような発言はせず、弁護人も広田の協力が得られないことから、2人もやめてしまった。広田は、自分が発言することで、だれかがその非をかぶらなければならないのはわかっていたし、そうしたとしても、自分は必ず裁かれると感じていたから、常に寡黙に裁判に臨んだ。最期、東条、松井など軍部関係の者達が絞首台に向う前に、天皇陛下万歳、大日本帝国万歳、と三唱し、刑場へ向ったが、広田は一人、それをとなえなかった。それは、天皇陛下や日本を思わなかったからというわけではなく、万歳、万歳の声が、協和外交を次々と突き崩していき、若い者を戦場へ散らしていった寒気のする言葉であり、忌むべき言葉であったからだろう。

     本書で少し気になるのは、南京の記載である。南京で日本軍が大量虐殺をしたといった書き振りとなっている。それは間違いであり、本書を読んでも、読者は鵜呑みにしないようにして欲しい。有名な著者がなぜ、きちんと調べもせずにこのような記述をするのか、少し残念だった。

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著者プロフィール

1927年、名古屋市生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。57年『輸出』で文學界新人賞、59年『総会屋錦城』で直木賞を受賞。日本における経済小説の先駆者といわれる。『落日燃ゆ』『官僚たちの夏』『小説日本銀行』など著書多数。2007年永眠。

「2021年 『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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