指揮官たちの特攻: 幸福は花びらのごとく (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101133287

感想・レビュー・書評

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  • 城山三郎は一昔前の経済小説で有名だが、代表作「落日燃ゆ」のように戦後にスポットを当てる作品もある。それは、終戦当時17歳の彼も海軍の特攻部隊に身を置いていた背景があり、戦争反対ならびに戦友への鎮魂の意味もあろう。昭和19年10月25日の特攻一番機と昭和20年8月15日の最後の特攻機、それぞれのパイロットはくしくも海軍兵学校同期だった。すでに家庭を持っていたにもかかわらず23歳という若さで戦地に赴いた2人。ここから読み取れる若者の感情は「お国のために」の一言では片付けられない哀切なものだ。

  • 夏なので終戦寄りの本を

    筆者が調べた事実と、体験と、想像と、現代の筆者とが混ざっていて「一つのお話」としてはとても読みにくい
    ですが、その読みにくさを乗り越えてでも読む意味があったように思います

    あとがきの前半で筆者のバックボーンを知る→本文を読む→他の特攻に関連する小説(フィクション)
    の順で読むと、他の小説もより読み込めそうなので、下地づくりに。

  • 2001年に小説新潮に短期集中連載された城山三郎氏の小説。日本海軍初の神風特別攻撃隊「敷島隊」の隊長だった関行男と最後の「第七〇一航空隊艦爆分隊」の隊長だった中津留達雄、2人の人生を中心に特攻に関わる海軍の動向を描いたものです。他にも様々な特攻隊員や特攻兵器が登場します。他の特攻を扱った作品と異なるのは、特攻隊員の家族のその後をきちんと描いているところだと思います。特攻を美化することもなく卑下することもなく淡々とした文章ですが行間から作者の気持ちが溢れてきます。作者の丹念な取材による優れた作品です。



  • 明日、死ね。
    国家のため、国民のため。皇国の軍人として散れ、と。
    いきなり、告げられるのである。
    昭和2年生まれの昭和を丸々生き抜いた著者自身の海軍体験を散りばめながら、神風特攻隊として殉じていった海軍兵学校の同期生二人の人生を対比しながら、綴られる一冊。
    本書中にも記されているが、茅ヶ崎でかつてサザンオールスターズを誘致して球場でライブを行ったことがある。その際、照明演出のために二射の光線が上下左右、夜を飛び交った。
    かつて戦中、この球場は対空砲ではなく対水上の敵機を撃つ為の海軍の高角砲陣地であった。
    探照灯である。
    遠浅の茅ヶ崎海岸は、米軍の日本本土上陸作戦コースに予想されており、海岸に接近してくる米艦船めがけて砲撃するのだが、そのときには敵艦船からの集中砲火を浴び、空からは爆弾の雨。加えて、北方台地に布陣する陸軍の重砲隊の砲弾まで浴びかねない。その中で仮に生き残れたとしても、次には爆弾を抱え、敵戦車の下に飛びこんで終わり。探照灯を見て、そんな悪夢を思い出されるわけだ。
    自分が10代だったあの時、地元でサザンが来るってんで浮かれてた中で、爆弾を抱え肉片が飛び散るあの頃を無理矢理思い出させられていた世代がいると。
    無知とは酷く残酷だ。細かな史実も知らないとならないな。戦争を知らない世代が、新たな悪夢を生むやもしれん。
    本書表紙右が、最後の特攻隊長中津留大尉。左が最初の特攻隊長関大尉。
    無知が罪を生むということを痛感した一冊でした。

  • 小説ではなくドキュメントまたはレポート

    特攻第1号としてレイテ沖に散った関大尉。
    最後の特攻隊員となった中津留大尉。
    この二人の人生や生い立ち、そして特攻機にのることになってしまった経緯、当時の戦況、さらには海軍の狂気が語られています。
    家族を残して飛び立ってい理不尽さ、切なさを感じます

    とりわけ、中津留大尉の最期はつらい。敗戦を知っていたと思われる宇垣のいわば「私的特攻」につきあわされての特攻。米軍キャンプに突っ込む直前で、その命令に背き岩礁に突っ込み玉砕したエピソードは胸が詰まります。

    戦争終結後の米軍基地への攻撃を回避したということが戦後の日本平和への軟着陸を果たしたという筆者のコメント。

    死なずに済んだ命です。

    さらに「桜花」や「回天」など特攻用の兵器開発を進めてきた海軍の狂気ぶり。そもそも何の目的の為にその行為を行っているのかが分からなくなっていきます。

    戦争は悲惨さ、残酷さを感じる一冊です。

  • 戦争とはなんて残酷なものなんだろう。
    そして、もっと残酷なのは、戦争を理由に人間の命を軽く扱った当時の軍のトップたちだ。
    「一億総玉砕」という言葉の持つ意味を本当にわかっていたのか。
    国民がいない国家など存在しない。軍は日本が滅びるまで戦争をやめるつもりはなかったということなのだろうか。
    現代でも何故こんな簡単なことがわからない?と思うような発言をする政治家がいる。
    誰が考えても最優先すべきは他にあるだろう!と思うのに、企業利益を真っ先に守ろうとする企業家がいる。
    本当に大切なものは何か?
    トップに立つ者が優秀だとは限らない。
    上に立つ器でもないくせにトップに立ってしまった人間の下につく者は、悲劇しか待ち受けていない。

    関大尉は実は特攻の第一号ではなかった・・・というのは別の資料で読んだことがあった。
    先に出撃した者の戦果が確認されていない(出撃にあたり機関銃・無電は不用との本人申し出あり)。
    掩護機もなく、何よりも兵学校出身者ではなかった。
    特別攻撃隊を「神風」と言い、特攻で散った者を「軍神」と言うためには、第一号はどうしても兵学校出身者でなければならなかったらしい。
    周囲からは「軍神」と持ち上げられながらも、戦後は一転、世間は冷たく遺族が石を投げられるようなこともあったという。
    戦争が終わっても悲劇は終わってはいない。
    宇垣纏中将が第五航空艦隊の司令長官に着任したのは終戦の年。
    幾人もの軍人を輩出している一族の出身である。
    それまでは通常爆撃が原則であり、あくまで特攻は例外とされていた。
    しかし、着任早々に宇垣は主客転倒を宣言する。
    すなわち「特例の無い限り、攻撃は特攻とする」と特攻を原則としたのだ。
    戦争は人を狂わす。
    「桜花」や「回天」に代表される人間を兵器の一部として使う武器。
    いかにして身を守り相手を斃すかではない。最初から死ぬことが決まっている戦術である。
    「桜花」の初出撃の結果は悲惨なものだった。
    70機以上の戦闘機による掩護が必要だと訴えたにも関わらず、配備されたのは55機。
    実際の掩護機はさらに少なく30機しかいなかった。
    重い爆弾を抱えて動きの遅い一式陸攻は、アメリカ戦闘機集団のかっこうの獲物となった。
    「桜花」ごと全機が撃墜されてしまう。
    「桜花」隊員15名、一式陸攻隊員135名、掩護機隊員10名の命が一瞬にして失われた。
    軍のトップにとって人の命とは何だったのだろう?
    戦争がすべて悪かった・・・と言い切れるのだろうか。
    当時次々と開発されていた特攻のための特殊兵器。
    多くの人間が兵器の部品として出撃させられた。
    しかし、隊を組んでの出撃であっても、ほとんどは海軍兵学校出身者は隊長のみ。
    あとは予備学生出身者と予科練出身者で構成されていた。
    口では「一億総玉砕」と言いながら、職業軍人たちは温存されていた事実。
    理由はいろいろあるのだろう。
    けれど、こうして時間が経てば、予備学生や予科練出身者に多くの犠牲者が集中していることは明らかである。

    「特攻を原則とする」と宣言した宇垣中将は、結局歴史にその名を残した。
    終戦の日、玉音放送があったことを宇垣中将は部下たちに隠したまま出撃したのでは?と筆者は伝えている。
    米軍キャンプ地に特攻をしたとき、飛行機に爆弾は積まれていなかったようだ。
    米軍キャンプ地にたどり着いた特攻機は2機。
    ともに直前で進路を変更し、岸礁と水田に突っ込んでいる。
    隊長でもあった中津留大尉は操縦士としての技量はトップクラスだった。
    だとしたら、意図的に米軍キャンプ地を避けた・・・と考えるのが妥当だろう。
    もしもこの特攻が成功していたら。
    戦争終結後に攻撃をした日本は、国際的に立場を無くし、戦後の復興にも影響がでていただろう。
    宇垣中将は終戦の勅命をどう受けとったのか。
    死なずにすんだ若者たちを何故道連れにしたのか。
    「宇垣さんが一人で責任をとってくれていたらなぁ」という遺族の言葉は、宇垣中将に届いているだろうか。
    戦争は哀しい。戦争は残酷だ。そして戦争は人が人として生きることを許さない。
    二度とこんな時代がこないように、心から願う。

  • 20150720

    戦後70周年を機に読んでみた。

    登場人物が多すぎて、かなり読みずらかったが、
    特攻について、まだまだ知らない事が多かったので、あらためて戦争の悲惨さと、特攻というあまりにも悲惨でどうしようもない戦術を採用した当事者達に大きな怒りを感じた。

    二度とこのような事を繰り返さないように願うばかりだ。

  • 2015年の15冊目です。
    海軍の神風特攻隊作戦を最初の特攻退院関行男大尉(レイテ沖)と終戦の玉音放送後に最後の特攻隊員として沖縄に出撃し帰ることのなかった中津留達雄大尉の二人の生き方を対比させながら、史実を丹念に調べ書きあげられている作品です。ともに結婚し家庭の幸せも手に入れていた若き指揮官の人間ドキュメントです。
    70年前の出来事と私の生きている今とは、繋がっているはずだが、積み重ねられた惜別と悔恨の情を知るすべもなくなりつつある。こんなことに思いを馳せる年になったということかもしれない。

  • 城山さんは、作家だったからこの本を書いたのではなく、戦後、戦争の体験だけは残したい、自費出版でもいいから書き残したいと思い、作家になったそうだ。特攻で散っていった兵士たち。その中には少年も多くいた。生きて帰ることはもともと考えられていない、人間棺桶「桜花」、人間魚雷「伏龍」。きさまらの代わりは一銭五厘でいくらでも来る、と言われ、まるで花びらのように命が散っていく。終戦を部下に知らせず特攻させた上官もいた。読んでいて腹立たしいことが多すぎて、絶対に戦争はしてはいけないと強く思った。

  • 城山氏の綿密な調査と自身の経験など、あらゆることをふるいにかけた渾身の記録。読むだけで哀しさが痛切に身にしみる。歴史の教科書にもこういった人々の事実を載せるべきではないだろうか。

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著者プロフィール

城山三郎(しろやま さぶろう)
1927年8月18日 - 2007年3月22日
愛知県名古屋市中区生まれ。大日本帝国海軍に志願して入隊し、特攻隊の部隊に配属されたが、訓練中に終戦となった。東京産業大学(一橋大学の前身)を卒業後に1963年までは大学講師を務めながら作家活動を続けていた。経済小説を一ジャンルに格上げした先駆者のひとり。伝記小説、歴史小説も多い。
1957年に『輸出』で第4回文學界新人賞、1959年『総会屋錦城』で第40回直木賞、同年『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞と毎日出版文化賞、1996年『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』で第44回菊池寛賞をそれぞれ受賞。2002年に朝日賞を授与される。
代表作としては上記作品に加え、二度テレビドラマ化された『官僚たちの夏』、妻との想い出を描いた遺稿のエッセイ『そうか、もう君はいないのか』、よくタイトルが人物評としても用いられる、『粗にして野だが卑ではない』が挙げられる。

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